第二十六話 イリスⅢ
「仕方ないわよ。私は――弱いもの。知っている? あんたが学園を出て行ったあと、私もね、学園長に四大迷宮に挑戦させろ、って直談判に言ったのよ」
「そうみたいだな。オウロから聞いたぜ」
「なら知っていると思うけど、その時に学園長からはぐれを一人で倒すように言われたの。もちろん挑戦したわ。あんたはガーゴイルを倒していたし、私だってできる、とうぬぼれていた――」
「その口ぶりだと出来なかったみたいだな」
もちろん、ナダは学園長の出す条件をイリスが突破出来なかったことを、オウロから聞いている。
「ええ。私にははぐれと出会うための運がなかったみたい。残念な事ね。出会えば勝つ、とあれだけ思っていたのに、出会うための運がないなんて。……仕方ないかも知れないけど。一人での冒険は過酷だから潜れたのは四日に一度程度。それも途中で怪我を負って、中層で引き返した事も多いわ。それも含めて私の実力だった、と納得させるしかなかったわ――」
「……そもそも迷宮は毎日のように潜るものでもないからな」
「ええ。その通りよ」
イリスは当時の冒険を語ってくれた。
ナダの知らない彼女の姿であった。
来る日も、来る日も準備を整えて、迷宮へと一人で潜る日々。はぐれの情報があれば率先して向かうが、既に他のパーティーによって討伐済みだったり、どこかへ消えた様に存在しなかったり、出現期間と冒険が嚙み合わなかったことも多かったようだ。
イリスは特に、一人での冒険は普段以上に金がかかる、と言う。回復薬を始めとしたさまざまな薬、それに武器代である。メインの武器の整備費は勿論の事、迷宮内でもしもの時の為に予備の武器も持ち歩かないといけない。それらは使い捨てであるが、一人での冒険だと遭遇するモンスターは全て自分で倒す必要があるため、想像以上にお金がかかったらしい。
「特にイリスの武器は繊細だからな」
「そうなのよ。私のレイピア、特注なんだけど、アビリティに合うように作って貰っているから、切れやすいけど、折れやすいし欠けやすいのよ。だから何回も買い替えたし、それ以上に整備にお金がかかったわ――」
「……仕方がないな」
「そうよ。仕方がないのよ――」
イリスは残念そうに言った。
どうやら彼女は一人での冒険に賭ける為に、多くのお金を他のパーティーに入ることで稼いだようだ。
残りの学園生活は、金稼ぎとソロでのはぐれ探しで終わったと言う。だが、何も得られることはなかった、とイリスは言った。
「――それから、ここで、学園時代の栄光は所謂ビギナーズラックで、ここで親の脛を齧りながらしがない冒険者をしているわけ。全く、あんたにはこんな姿見せたくなかったわ」
イリスは頬杖をついて、残念そうだった。
どうやら後輩であるナダに、こんな情けない姿を見せたくはなかったようだ。小さな国の王でもなく、別の王に使えるしがない部下の姿など、かつてアギヤの王であったイリスにとっては屈辱に等しい。それでもより深き迷宮に挑むには今の立場に耐えるしかないのが現状だ。コルヴォのような小さな王になって、潰れていくのは嫌だと言う。
「どんな形であっても、高みを目指すのは悪い事じゃないと思うがな。立場なんて、それほど重要じゃない――」
「そう言ってもらえると嬉しいわ。私は満足してないけどね――」
イリスは微笑む。
「で、今日の話題はそれだけじゃないんだろう?」
ナダはイリスの魂胆が分かっているような顔だった。
「ええ、そうよ。ナダ、私たちのクランに入るつもりはないの? コルヴォのクランからの移籍よ。あんたを入れることぐらい、私の立場なら簡単だわ。ナダ、私はもう一度――あんたと冒険したい」
イリスはナダへ、優しく微笑んだ。その姿は美しかった。ぎこちない笑顔が少女のようであるが、それは演技をした女性のように曖昧である。まるで恋する乙女のようでありながら、獲物を見つけた野獣のようでもあった。
イリスの誘いは魅力的だった。『アルシャイン』は以前にもコルヴォが話していたが、どうやらここでも大きなクランのようである。人数も規模も、コルヴォのクランの数倍あり、多数の貴族からの支援も受けている。特にイリスの実家であるスカーレット家からは、多額の援助を受けており、ソールの一刻も早い攻略を望まれているようだ。
そこにいきなり入って、上の立場になるのは難しい。だが、イリスの一声があれば、重要な役職に就くことが出来るのだろう。冒険者として、立身出世したかったらそれが最善の道なのかもしれない。
だが――
「――残念ながら、アルシャインに入る気はねえよ」
それはナダの目的ではなかった。
「え、嘘! どうして?」
「アルシャインの中心は、誰がどう見てもフォカオンだろう?」
ナダのアルシャインのメンバーを見た限り、誰もがフォカオンを信望していたと思っている。もしかしたら他のメンバーはアルシャインの力にほれ込んだのかも知れないが、多かれ少なかれ、誰もがフォカオンを尊敬している。彼が迷宮を攻略するのを、クランメンバーが望んでいるように見えたのだ。
「そうよ。ナダ、あんたが思っているより、フォカオンはいい冒険者よ。長い間、ミラでトップを張っていた間違いない冒険者よ。誰よりも強いアビリティ、確かな判断、そして、類まれな戦闘センス、どれもが一流の冒険者よ。……学園でトップを気取っていた、私やコルヴォよりも、優れた冒険者よ。その結果が、コルヴォとのクランの差でもあるわ――」
「――イリス、お前、つまらなくなったな。誰かを賛美して、神格化するのが。かつてのお前なら、そんな奴でも越えようとしたがな」
ナダは呆れたようにワインを飲んだ。
「あんたには分からないのよ! いい? フォカオンは、誰もが認めている冒険者だわ! 実力も、人望も! 私が越えようと思ったら、何よりも足りないの! だから、耐えて、耐えて、それでも上を目指そうと思ったら彼に迎合するしかなかった! 誰もが一人で立てる程、冒険者は甘くないの!」
イリスは泣きそうであった。
どうやら彼女は冒険者として、色々な物を諦めたようだ。自分の実力を知り、他の冒険者を知り、困難な四大迷宮を知り、それでも攻略を目指すのには、自分よりも強い冒険者たちに、親の力を使って頼るしかなかった。それが現状のイリスなのである。
アビリティとギフトを持つという稀有な才能を持ち、神に選ばれたと言われる勝利のギフトを持つイリスであっても、期待の冒険者であるフォカオンには敵わないようだ。
「そうかよ。でも、俺には関係がないな。コルヴォのクランでいい。そっちの方が“自由”だからな――」
今は、とナダは付け加えた。
もしもの時は、アーザ以外の道も当然ながら考えている。
「……コルヴォがあんたにそこまで優しい理由は分からないけど、彼のクランは誰も深層に辿り着いてないのよ。私はパーティーの力を借りて、深層に挑戦している。この先も、アルシャインが先行するわ。それでもいいの?」
「現状は知っている。そんな“些細な事”で威張る気かよ?」
ナダは鼻で嗤った。
深層に挑むのは、優秀な冒険者なら誰でもできる。
マゴスでもそうだった。
だが、本気で完全攻略を目指そうと思えば、その“先”に行かなければならない。かつて英雄たちのみが通ったとされる夢の跡に。
「これは先輩としての温情よ。ナダ、“上を目指す”なら私の力を借りて、フォカオンに付き従い、深層に挑戦することであんたの皮が破けると思うわ。もう一度、聞くわ。私の手を取る気はないの?」
イリスは右手を差し出した。
「ない。残念ながら、俺は深層への挑戦が目的じゃない。攻略が目的だ。イリス、お前こそ、俺の方に来るか? もしかしたら――世界が変わるかも知れないぞ?」
ナダはイリスの手を握らず、逆に誘った。弱小である筈のコルヴォのクランに。
「せっかく今のクランで、いい立場にいるのに、捨てるわけがないでしょうが!」
イリスは怒るように言った。
「だろうな――」
ナダはその答えが分かっていたのか、特に焦った様子もなかった。
「あんた、後悔するわよ――」
イリスはそんなナダへ、釘を刺すように言う。
「しねえよ――」
「この先、コルヴォのクランじゃ、攻略が不可能なことぐらいすぐに分かるわ。でも私は優しいから、あんたが現実を知った後で、もう一度誘ってあげるわ。その時にあんたは、ここの厳しさを知ることになると思う――」
「何だよ、厳しさって?」
「攻略がうまく行かない事よ。あんたも他の迷宮に挑戦したのなら、分かっている筈よ」
「それは――そうだな」
そんな事を分かっているナダだが、心が揺れる事はなかった。
既にそんな経験は済んでいるのだ。
「その時に、仲間と、個々人の強さが突破口になる。ナダ、あんたは知らないと思うけど、フォカオンは本当に強いの。あんたが突破したガーゴイルのようなはぐれの討伐も、一人で行ったことがある――」
「それは凄いな――」
心からナダは再度フォカオンへ賞賛を送る。
ナダの知る限り、自分の他にそんな事を成したのはレアオンとオウロである。どちらも後に英雄へと至った。つまり、少なくともフォカオンは英雄か、それに準ずる力を持っているのが妥当だと思ったのだ。
「コルヴォのクランじゃあ、それに似た実力の者もいない。深層に挑むのも無理よ?」
「“近いうち”に、深層へは潜るさ――」
ナダはさも当たり前かのように言った。ナダにとって深層とは到達点ではなく、通過点である。
「それは凄い自信ね」
「俺なら行けるさ――」
「それが、無謀じゃなかったらいいけど?」
「なら、賭けるか?」
ナダは楽しそうに言った。
「何も持っていないナダとは、賭ける価値もないわ――」
「それはつまらないな――」
ナダは残念そうだった。
「これだけ言ってもナダの答えは変わらないようね――」
「ああ、変わらない――」
「それは残念ね――」
イリスは悔しそうに唇を噛んだ。
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