第五話 自己紹介
あれはいつだったろうかとナダは思う。
おそらく、アギヤに入って半年が経った頃だろう。
初めて――“龍”と戦ったのは
迷宮において最も強い生物と聞かれれば、全ての冒険者が“龍”と答えるだろう。迷宮で最も強いモンスターとされており、龍という個体は迷宮の中でも広い空間が開いている下層にしか出ない。どこの階層から出るかはまだ研究途中らしいが、冒険者の間では五十階層ぐらいが目安だという人が多い。
ナダが初めて戦ったのは、下位の竜種ではなく、“はぐれ”の龍だ。その強さは並大抵の龍の比ではなく、苦戦を強いられたのをナダは今でも覚えている。
その龍の名は――エクスリダオ・ラガリオ。
陸黒龍、と当時のアギヤのパーティーメンバーが言っていた龍種だ。
エクスリダオ・ラガリオに翼はなく、ずんぐりとした体が特徴の龍だった。正確には翼は持っていたが、既に退化していたのか背中に小さくその名残があるだけだった。四足で立つ竜であり、その力は脆弱な人に向けてだと歩くだけでその振動が地面を揺らし、しっぽを何気なく振るうだけで冒険者には必殺の凶器になるようなモンスターだった。また、体色が炭のような黒色であり、体表が岩のようにごつごつした記憶は今でも色褪せない。
龍種の中にはもちろん火を吐く龍や、雷を纏う龍、また人には想像もつかないような攻撃をしてくる龍もいたが、エクスリダオ・ラガリオは咆哮をして、強力な衝撃波を出すモンスターだった。
当時のナダはイリスいう学園内での至高のリーダーに率いられて、その龍を何とか討伐することが出来た。
それから、ナダは龍と出会ったことはない。
出会っていないが、その強さは今もその身に刻まれている。
深い傷跡として。
「…………だ……な……だ……ナダ……起きて!!」
そんなことを夢で見ていると、ふとナダは目が覚めた。
どうやら過去の記憶を夢見ていたらしい。エクスリダオ・ラガリオと戦った時の記憶が蘇ったらしい。
どうしてだろうか、と思い返すと、記憶が混雑して何があったかよく覚えていない。
だが、自分を上から眼と鼻の先まで顔を近づけて、心配そうな顔をしている友人のことは知っていた。
顔が小さく、また八重歯が特徴の猫のようにあどけない顔をした友人は、ナダにも一人しかいない。
――ダンだ。
ギフト使いであるダンの戦闘衣装は白のローブに腰回りにポーチを、さらに小さな短刀もつけている。
「あ、ナダ。やっと起きた。心配したんだからね」
ダンは頬を膨らましながらほっとひと安心した。
ナダはゆっくりと上体を起こして、周りを見渡した。壁や床、それに天井までもピンク色をしていた。いや、肉色だ。肉なのだ。壁も、床もそれに天井までもが。ゆっくりと大きく胎動しており、耳に響くような低い心音がナダたちのいた場所を包んでいた。その肉の壁には何本か赤い管が大きくうねるように埋まっており、さらに多数のひだがうねるように動いている。
ナダの周りにあったのそれだけではなく、中には大きな石や、岩さらにわけのわからないものまで転がっている。
「……ひょっとして、ここは胃袋の中か?」
その時、ナダは夢を見る前に“赤い龍”に食べられたことを思い出した。
するとここは――
「――そうみたいだね。どうやら僕達は食べられてしまったみたいだ」
ダンは朗らかに笑う。
どう考えても今の状況は安心できるような場合ではないのだが、ダンの安らかな笑顔を見ているとここが安全なのではないかと錯覚してくる。
「そんな奴を助けて何の意味がある? ダン、お前の目は腐っているのではないか?」
そんな時、ダンの背後からハスキーな女性の声が聞こえた。それにダンは必死に否定しているが、褐色の女は聞く耳を持たなかった。
そんなハスキーな声の持ち主は艶やかな褐色の肌を持った女性だった。ゆったりとした布の服の上に、必要最低限の皮鎧につつまれた均整の取れたスタイル、髪は銀色で、宝石かと見間違えるような青い瞳、そして、妖精のように美しく凛々しい女性が、腰に手を当てながら切れ長の目でナダを睨んでいる。
いや、彼女だけではない。
ダンの他に、褐色の彼女も加えた人の影が五人もナダには見えた。
「お前らは……?」
ナダは起きたばかりで、まだ頭がよく動いていない。
そんな彼へ頭に二本の角がある兜からはみ出した髪が、血のように赤い男が囀るようにナダを睨みながら言った。
「お前と同じく龍に喰われたんだよ。そのぐらい分かれよ。てか、ビニャの大木ごときがオレに口を聞くんじゃねえよ――」
その男は全身鎧を着ていた。
何枚も鋼を重ねあわせたようなその鎧は、輝くような白銀色だった。全身を同一の素材で固めており、背中からは白いマントを羽織っていた。顔はよく見えないが、腰には鎧と同一素材の細いロングソードを持っており、どれもが一級品の素材だということは一目で伺えた。
ナダはそんな全身鎧を着た男に言い返しもせず、涼し気な顔で視線を外す。
全身鎧の男はナダに無視されたことに眉間に
「えー、あなたがナダ先輩何ですかー。私、ちょー会いたかったです」
そんな全身鎧の前に出てから話を遮ったのは、ダンと同じローブを着た赤毛のウェーブがかかった髪を持つ女性だった。肩ほどまである長い髪を前髪だけ簡単なピンで止めており、目元の泣きぼくろが特徴的だ。
美少女、と言えばそうなのだろうが、怪しげな雰囲気を持つ女性だった。
「あ゛あ゛! オレの話を遮るんじゃねえよ!」
全身鎧の男は赤毛の女にそう大声で言うが、彼女はそれに気にかける様子もなく、ナダのすぐ近くまで近づいて身長が頭2つ分ほども違うナダを下から覗き見る。
「それでですねー、私、実はナダ先輩のことを尊敬しているんですよー! 私のことを知っていますか? 最近、二年生の中でも有能で可愛いって、有名だと思うんですけどー!」
赤毛の女は頬を若干桃色に染めながらナダに言う。
「……残念ながら知らないな。俺は世間に疎くてな」
「えー、何なんですかーそれ! じゃあ、是非、今、私のことを知ってくださいよ! 私の名前はですねー……」
「あんたの話は後で聞いてやる。それより――」
だが、ナダは赤毛の女に気にもかけず、彼女、並びに全身鎧の男の後ろにいる別の人物に目をやった。
知っている人物だった。
「久し振りだね、ナダ。半年ぶりぐらいか?」
その男はナダへと親しげに話しかけた。
切れ長の目が特徴で、右頬には目から顎にかけて、頬が裂けているようにも見える大きな傷跡が残っている。彼はそれを誇りにしているため、見えやすいようにくすんだ黒髪はざっくばらんと切っており、非常にスマートな体つきをしていた。
彼は非常に軽装だった。
鎧をつけていない。ブーツや手甲こそ革製のものをつけているが、上は黒い長袖の上に、これまた黒いベストを着ている。そのベストはポケットこそ多いものの、敵の攻撃を受けられるような防御力は期待できないだろう。また下も黒のズボンであり、腰回りにも何も防具をつけていなかった。
ただ、腰に光るは一本の剣。
鞘から柄まで翡翠に輝くその剣は、彼の存在を必要以上に強烈に映し出す。
ナダもその男を知っているのか、軽く返した。
「ああ。久しぶりだな。まさかこんな所で会うとは思わなかったぜ。コルヴォ――」
ナダもこの場にいたダン以外の五人の冒険者のことを殆ど知らなかったが、唯一、翡翠の剣を持つコルヴォだけは知っている。
学年は八年。もう少しで卒業の迫っている学生の一人であり、イリスと“同様”に学園最強の冒険者の名をほしいままにしている一角。その功績はイリスと比べると輝かしいわけではない。イリスのように百年の間に培われた記録を破ることも無ければ、希少なギフトを持っているわけでも、珍しいアビリティを持っているわけでもない。
だが、八年もの間をラルヴァ学園で過ごし、また学園にいる誰よりも研鑽を積み、徐々に結果を出した彼のことを一流の冒険者と疑う人はいない。どんなパーティーを組もうとも、コンスタントにカルヴァオンを得て、殆ど損害を出さずに迷宮から帰る姿はまさに安定した一流の冒険者と言っていい。
曰く――達人。
ラルヴァ学園にいる冒険者の中でも、全てが高水準の冒険者の一人で、今でも進路に関して様々なパーティー、団体、また国からスカウトを受けていると聞く。
そんなコルヴォとナダが知り合いなのはイリス繋がりだ。
彼女の紹介で、以前に出会ったことがあるのだ。
「何やら君も“色々”とあったみたいだね。大変だったと聞くよ」
「まあな」
どうやらコルヴォもナダがアギヤを抜けたことは知っているらしい。
「まあ、こんな状況になったんだ。よろしく頼むよ――」
コルヴォが差し出した右手をナダは数秒だけ見つめてから、やがてその手を握った。
「ああ――」
「あ! そんな奴の力なんていらねえだろ!」
ナダとコルヴォの握手を見て、全身鎧の男が大きな響くような声で言う。
「そんな事言わないでよ。ナダはね、凄く頼れるんだよ!」
そんな男に反論するように、ダンは大声で否定した。
二人が互いに唸り声を上げながら相対していると、五人の影の中の最後の一人がゆっくりと立ち上がった。
「うむ。どうやら話は纏まったようでござるな――」
最後の男は着流しを着ていた。その着物は藍色で、土埃によって汚れており、黒い帯で止めているだけの非常に薄い格好だった。胸元は大胆にはだけており、片腕を袖に通していない。またぼさぼさの長い髪を後ろで一纏めにしており、肌もあれ、眠気眼な糸目が特徴的な清潔さは全くない冒険者だった。
さらに腰につけている武器は――打刀と脇差を腰に指しており、どちらも黒漆の太刀だ。
「纏まってねえよ! てめえは寝ぼけてんのか!」
全身鎧の男は着流しの男に大声で怒鳴る。
だが、着流しの男はひょうひょうとした態度で告げた。
「おう。怖いではないか。拙者はそういうのにあまり強くなくて……もう少し小声で頼もう」
そんな着流しの男にもう一度全身鎧の男が怒鳴ろうとするが、その前に褐色の女が小声で言った。
「うるさい。お前らは全く発情期の犬か何かか?」
「聞こえているんだよ! てめえ。女だとしてもぶった斬るぞ!」
全身鎧の男は褐色の女に詰め寄るが、彼女自身は切れ長の目を向けながら涼しげに笑うだけだった。
余裕があるのは確かだった。
「ねー、ねー、ナダ先輩―、ほらここには仲の悪い人が多いですからせめて私達だけでも仲良くしましょうよー、こういう非常事態は助け合うのが筋でしょうー?」
一方、赤毛の女はナダの裾を引っ張りながら黄色い声で告げるが、彼としては何か裏があるような怖さを感じている。
「うむ。うむ。中々に仲がいいでござるな。これならここから脱出も出来そうでござる」
そんな赤毛の女とは正反対に、着流しの男は、かか、と笑いながらこの場を一歩引いた場所で笑っている。
だが、全身鎧の男を中心に声の大きさは上がっていく。
その時、鶴の一声が飛んだ。
「――まあ、皆、仲良くしようよ。これから一緒に“冒険”するんだから」
声の出処はコルヴォだった。
この場のどの冒険者に出せない覇気を感じるかのような声で、その笑顔の裏には黒いものが見えたような気がする。
「一緒に冒険だと? どういうことだ?」
ナダはそんなコルヴォの発言に眉を潜めた。
「だって、オレたちはパーティーが違うと言っても、こんな形でモンスターの胃の中に閉じ込められたんだ。ここは脱出するためにも、協力しあうのが“古来からの習わし”だろう?」
どうやらそんなコルヴォの話に反対意見は無いようで、誰も口答えをするものはいなかった。
ナダ以外には。
「――俺はいい。一人でいい。ここまでだって一人で冒険してきたんだからな」
ナダはそんなコルヴォの話を間髪も入れずに断った。
わざわざこんなちぐはぐなパーティーを組みたいとも思わなかった。
むしろ今ではソロでも快適だと思うこともあるのだ。
「ナダ!」
だが、ダンがそんなナダへと大声をはりあげた。
「……何だよ?」
ダンに数多くの“借り”があるナダとしては、ダンの話を聞かないわけにはいかなかった。
「僕たちは全員があの龍に食べられて、仲間と離れ離れになったんだ。ここは協力しあうのが普通じゃないの? もしかして……僕と冒険するのは……イヤ?」
ダンは少しだけ涙目になりながら頭が何個も高いナダを見上げた。
ナダはそんなダンの姿を見て、いたたまれない気持ちになり、大きくため息をつきながら頷いた。
その返事を見たコルヴォがニヤリとしてから、他の六人の冒険者に告げる。
「まあ、過程はどうであれ、どうやらオレたちは仲間とはぐれたらしい。それも――ここはモンスターの胃の中だ。このメンバーなら大丈夫だと思うけど、軽く自己紹介をしようか? これから短時間でも一時的にパーティーを組むんだ、お互いに最小限のことは知っていたほうがいいだろう?」
そんなコルヴォの意見に誰も反対が無かったのか、六人の冒険者は次々に名乗り上げていった。
最初はダンだ。
「僕の名前はダンだ。五年生で、所属しているパーティーはセーカ。持っているギフトは癒しの神のギフトで、治療が得意だよ」
次に述べたのは褐色の肌を持つ女性だった。
「私の名前はセレーナだ。私の名前は知らなくてもいいし、呼んでほしいとも思わない。所属しているパーティーはそこのダンと同じセーカ。学年は六年。精々足を引っ張らないでくれ」
その次は全身を甲冑に包んだ声の大きい男だった。
「オレの名前はブラミアだ。パーティーはイヌンダセオン! パーティーを組むことには一応納得しているが……あんたたちを信用するつもりはねえ。だから助けあいの精神などをオレに求めるんじゃねえぞ。オレは危険になれば、いつでもあんたたちを切り捨てるつもりでいる。別に心も傷まねえしな」
次に控えめに自己紹介をしたのは赤毛の女だった。
「私の名前はクラリスですよー。気軽にくーちゃんとでも、クリスとでも、好きなように呼んでくださいー! 私は二年生でー、私が仕えているのは闇の神でーす。ここだとどの程度使えるかわかりませんが、精一杯援護させてもらいますのでよろしくお願いしまーす!」
元気な自己紹介が終わると、着流しの男は短く自己紹介を終えた。
「ふむ。次は拙者でござるな。拙者の名はアマレロでござる――」
最後となったナダは、特に自己紹介が短かった。
「無所属、ナダだ。俺はただのナダだ――」
そして最後となったコルヴォは、見知った顔もある中、六人の自己紹介が終わると六人をゆっくりと見渡しながら迫力のある声で言う。
「この中にはオレの名前を知っている人もいると思うけど、オレの名前はコルヴォだ。現在は無所属で、とあるパーティーの助っ人として入っている途中に龍に喰われた。まあ、特別、助け合うような関係は求めていないけど、“冒険者”として最低限の助力は期待するよ?」
七人の冒険者は軽く自己紹介をしあって、共に龍の体内から脱出することを誓うと、すぐにその場所から動き出した。
彼らの姿に戸惑いはなく、各々がそれぞれ一流の冒険者の卵として最低限の仕事は果たすように自然と隊列も組まれていく。そこに個人のわがままはなく、口も挟まなかった。
誰もが自分にできることを分かっており、それに適して行動を始める。
その姿は、誰もがまさしく一介の冒険者の姿であった。




