第四話 顎
カノンと契約を結んだ次の日は授業が無かったので、ナダは早朝から迷宮に潜っていた。
農家だった子供の頃の影響か、ナダの朝は早いので、受付で手を枕にしながら寝ている茶髪のショートカットの受付嬢を揺すって起こしてから、迷宮に潜る準備をさせると、当然ながら嫌味を言われた。「全く、あなたのために起きるこっちの身にもなってください。全く、あなたが早起きすると碌なことが無いでしょうから、精々気をつけてくださいね。あなたがけがをすると、私の仕事も増えますから」と唇を尖らせながら彼女は言う。
それにナダは「気をつける」と短く返してから迷宮に潜った。
ナダが潜ったのは、当然行き慣れた迷宮であるポディエだ。
ナダはガーゴイルと戦った時に防具が全て壊れたので、違う防具を使っているが、耐久度は似ている。上半身は黒のコートの上から一つ一つが丁寧に打たれた鋼を使ったチェーンメイルを着ている。それは頭部まで隠すチェーンメイルなので、見た目は悪いが、そんなのに拘るナダではない。右手の手甲は鉄板を曲げたような軽いのを、そして左手には――昨日、カノンから受け取った手甲をつけていた。
この手甲は名前が無いらしく、昨日、急遽、カノンが考えた名前である“ソリデュム”と呼ぶことにした。右手と比べればその手甲は少々重たいが、防具だけではなく、武器としても使えるとなると、それぐらいはナダも許容できる。
腰回りには安いヒョウ柄の獣の皮を防具代わりに巻きつけているだけだった。これもモンスターの皮をなめして作られた一品だが、ナダでも簡単に一人で狩れるモンスターでガーゴイルを倒してすぐ迷宮に潜り、そこで出会ったモンスターを狩って自分でなめしたのである。
もちろん自分で作ったのでこれも左右非対称で、見てくれはこちらも悪いが、ナダは気にするようすもなく冒険を続ける。
そろそろソロでの冒険にも慣れてきた頃だ。
ナダは快活に青龍偃月刀を振るっていく。
今の敵だって――そうだ。
前にいたモンスターはイポポタモというモンスターだ。
丸みを帯びた体つきで、脚は短く、ずんぐりとしたモンスターだ。その姿は豚とよく似ているが、口は百八十度も開くことが出来る。その口の中にはグラディウスのような鋭い犬歯が上に四本、下に二本も生えており、生身の体ならすぐに八つ裂きにされそうな切れ味を持っている。
だが、所詮は浅い層のモンスターだ。
中層、並びに過去にはパーティーで深い所にも潜ったことのあるナダの敵ではない。
ナダは右手で青龍偃月刀の中程をしっかりと握った。
ガーゴイルによって軸がよじれた偃月刀も、バルバの協力あってか、元の姿へと戻っている。独特の木目状の刃は目を奪われるような美しさに戻っている。また、それはモンスターの血がよく映える。
ナダは大口を開いたまま突進してくるイポポタモに向かって、雑に青龍偃月刀を振り落とした。
この武器もそろそろ手慣れて来た頃である。
どの程度力を抜いて、どれぐらい力を込めればこのようなモンスターを簡単に倒せるのか経験で知っている。
今、ナダの目の前にいるイポポタモは体長が短い。二メートルほどだろうか。また、突進して噛み付くぐらいしか攻撃方法がないので、ナダは向かってくるイポポタモにタイミングよく偃月刀を振り落とし、その頭蓋を真っ二つに叩き割った。
それは――槍の腕が冴えるような技ではない。
偃月刀の重さと、ナダの馬鹿げた筋力により、無理矢理イポポタモの頭蓋を潰すように割ったのだ。
当然、血や脳髄、さらに頭蓋骨までもが勢い良く飛び出して、ナダにも振りかかる。
鈍色の鎧がモンスターの血液の色である紅に染まり、青龍偃月刀は血を啜っているような姿をしていた。
そんなナダは間違いなく、モンスターを狩る鬼のようであった。
広い通路の中で青龍偃月刀を縦横無尽に振るっていく。
その様子はまるで嵐のようで、次々に迫り来るイポポタモを潰していった。
その際には、ナダの振るわれた偃月刀によって、壁や天井に激突し、そのまま死んでいく個体も多かった。
イポポタモに出くわして十数分ぐらいだろうか。
十数体いたモンスターをナダは皆殺しにした。
もちろん、その頃にはナダは血で濡れていたが、その中に自分の血は一切――ない。
無傷でこの場を制した。
ソロを初めてまだ二ヶ月と立っていないが、最初の頃と比べると随分と小慣れてきている。
ガーゴイルを倒してからだろうか?
あれから、ナダは冒険の調子が良かった。
感が冴えていると言ってもいい。
今だって――そうだった。
イポポタモのカルヴァオンを右手に持ったククリナイフで剥ぎ取っている最中に、背後から突然モンスターが襲ってきた。
バフォムトと言うモンスターだった。
その姿は引きつったかのような人の顔に、豚のように垂れた耳を持っているが、右耳が半分腐り落ちていた。さらに背後からは蛇のようなしっぽが伸びている。さらにカモシカのような足と、熊のように太くするどいツメを持ったモンスターでありながら、人のような二足歩行を取る歪な生き物だ。
さらに肩甲骨辺りから、コウモリのような産毛の生えた羽を持っている。
バフォムトは二足歩行でありながら歩くのはあまり得意ではなく、ジャンプと滑空を繰り返して、人に非ざる筋肉によって、冒険者を真っ二つに分けるというモンスターだ。
また、バフォムトは天井を這い回ることも得意なので、どうやらナダがカルヴァオンを回収している時にひっそりと背後へと這いずり回るように近づいてきたようだ。
「ちっ――」
バフォムトに、気づくまでは良かった。
良かったのだが、ナダは近くに青龍偃月刀を置いたままだったのだ。流石にモンスターを解体している時には青龍偃月刀は持てない。さらにそれを背中に担ぐようなものも持っていないため、いつもカルヴァオンの解体中は近くに置いていたのだが、その隙を狙われたのだ。
ナダはバフォムトが上から飛び降りてきて、振り下ろした右手を逆手に持ったククリナイフで防ぐが、握りが甘い。
ククリナイフが彼方へと飛んだ。
ナダはバフォムトの一撃から逃れたものの、青龍偃月刀は遠く、ククリナイフも遠い。
武器がないナダに、二度目の狂爪が襲う。
――瞬間、ナダは左手を握ったまま大きく手前へと引いた。
すると、左手にある手甲の手首の辺りからまっすぐとそれでいて白銀の美しい刃が、寂れた手甲から飛び出た。
それは氷のように薄く透き通っており、不思議と冷たさを感じるような刃だった。
昨日、屋敷で出した時とは違い、長さは七十センチほどもあった。さらに刃を出しても手甲の重さは変わらず、ナダにとっては心強い武器だった。
雑に振りかぶるバフォムトの爪を、ナダはその手甲――ソリデュムで弾いた。
細く、剣というより、レイピアのような細さを誇るその刃の耐久力は不安だったが、意外にも折れることはなかった。
ナダはソリデュムでバフォムトを強襲していく。
だが、攻めが細い。
細剣ほどの厚みしか持たないソリデュムでは、浅く切り裂くことしか出来ず、致命傷にはなりはしない。
すぐにバフォムトのカモシカのような足の前蹴りがナダへと襲った。
飛び上がる力が強いバフォムトの蹴りはナダに深く突き刺さり、チェーンメイルが金属を擦り合わせる音を奏でる。チェーンメイルは武器の斬撃を防ぐ防具だが、残念ながら打撃の衝撃を防ぐような構造にはなっていない。
ナダは甘んじてその蹴りを受けるが、何とかその場でとどまった。
さらにバフォムトは大きく片腕を振りかぶった。
ナダはもう一歩、距離を詰める。さらに右腕でその攻撃を防ぐ。天井に捕まるほどの筋力があるバフォムトの一撃を耐えるのは中々骨身に染みたが、必死にナダは奥歯を噛み締めながらその一撃を踏みとどまる。
そして――至近距離からソリデュムでバフォムトの心臓を突き刺した。
ソリデュムの細い刃はバフォムトへとよく突き刺さった。
ナダの右腕に押しかかる圧力がソリデュムを突き刺したことによってどんどん薄れていき、やがてバフォムトは力尽きるように倒れた。
ナダはソリデュムを伸ばしてバフォムトを睨みながら、注意は完全に無くさない。
そういう気の緩みが、死へと繋がることもある。
何故なら迷宮の中には死んだふりをして、カルヴァオンを回収しようと剥ぎ取ろうとした瞬間に襲われることもあるからだ。
ナダはバフォムトへと目を離さず、ククリナイフと青龍偃月刀を取りに行った。
そして最後の確認とばかりに偃月刀でバフォムトの頭部を潰してから、カルヴァオンの回収に向かった。
死人であるモンスターは別だが、大抵のモンスターは頭部を潰すか心臓部分を潰すかすることで全く動かなくなる。その理由は不明だが、迷宮にいるモンスターは地上にいる動物と生体構造的には近いと聞く。
この異形な姿をしているバフォムトもそうなのだろうか、とナダはカルヴァオンの剥ぎ取りを再開しながら考えた。
モンスターの分類を研究している学者もいると聞くが、上手くはいっていないらしい。その理由としては、まずモンスターを完全な状態で地上に持ってくるのが難しいとのこと。だから下層にいる強いモンスターになればなるほど、その弱点などは不明なことが多いらしい。
バフォムトはどうだったのだろうか、とナダは考えるが、そんな専門の授業は取っているが、あまり授業内容を聞いていないことを思い出す。
「……まあ、いいか」
数秒考えて、バフォムトの特徴を思い出せずにいると、すぐにナダは思考を切り替えて再度カルヴァオンの回収に戻った。
◆◆◆
ナダはイポポタモやバフォムトを倒した後も迷宮に潜っていた。
半日ほどだろうか。詳しい時間は分かりはしない。迷宮に潜る際に時計を持っていく冒険者も多いと聞くが、ナダはそんな高級品を持っていなかった。買うような余裕もないので、腹の空き具合で今は昼過ぎぐらいか、と思う。
持っていた水と携帯食料を食べながら簡単な休憩を取ることにした。
水はただの水で、携帯食料や少量の干し肉と固いパンだ。どちらも美味しいとは言えず、歯でかみ切れないほど硬いので口の中の水でふやかしながら何度も何度も噛む。
そこは広い部屋の隅で、入り口と出口は隣り合うようにある場所だ。周りには先程までナダが殺したモンスターが転がっていた。狼タイプのモンスターや、猪のようなモンスターなど、その種類は様々だ。
ナダがここを休憩場所に選んだ理由の一つとしては、一方向を見とけば簡単に見張りが出来るからだ。首を頻繁に動かす必要が無いのは行幸だと言える。
その時だった。
――内部変動が起きたのは。
迷宮で内部変動が起きるのはそれほど珍しいことではない。
よく起きる。
その時に落盤や足が崩れたりして、不運にも命を落とす冒険者も少なくはないが、通路や部屋の端に入れば大抵何もないことが多い。
「……なんか嫌な予感がするな」
あの、ガーゴイルと出会った時の内部変動だろうか。
ナダは足元が揺れる感触とともに、落盤に巻き込まれた嫌な思い出が蘇った。
ナダはすぐに食事を終えて、揺れる床の上で片膝を立てながら急に迫り来る足元の崩れに備えた。
だが、ナダの足元が崩れることはなく、次第に揺れは治まった。
近くから嫌な音が聞こえたのでナダが天井を見上げると、でこぼこしている岩壁を切り裂くように大きな亀裂が入っていた。
「嫌な光景だ――」
そんなセリフを吐いてから、ナダは内部変動が終わったことに安堵した。
――だが、再度、ナダは床の大きな振動を感じる。
何事かと思って下を見ると、床は変わらずあった。
あったが、不可解な音をナダは聞いた。すぐにその出処が天井だと言うことに気づく。
天井の亀裂がどんどん大きくなっていき、天井の中心から蜘蛛の巣のように亀裂が伸びていった。
そしてそこから――赤色の龍の顎が飛び出た。
人を遥かに超えるような直径の瞳を持つ龍の大きさはナダの想像を超えており、そんな大きな龍をナダは見たことが無かった。その龍は、人を簡単に飲み込めるほどの大口を開ける。
青龍偃月刀を遥かに超える長さの白い牙を見せながら、数多くの突起がついたざらりとした舌をナダは見た。
すぐにこちらへと飛びかかる龍からナダは逃れようとするが、その龍から逃れることは出来なかった。
ぬめりとした唾液と、弾力のある肉の不快な感触にナダは全身を包まれながら、嫌な予感が当たったことに酷く絶望していた。
ナダは――龍に飲み込まれたのだった。




