第百三十四話 ニレナ
ニレナは自らの執事であるアンセムを伴って、馬車に乗って王都にある実家を訪れようとしていた。
その屋敷は、やはり城と呼ぶほどに大きかった。最近は父や母からの結婚についての小言が多かったため、あまり寄り付かなかった場所だ。限りなく広い敷地には、赤いバラがらんらんと咲いている。見知った庭師が額に汗をかきながら世話をしていた。
ニレナは歩きなれた道を行き、アンセムとはまた別の執事が屋敷の扉を開けた。
床に敷いてある赤い絨毯は依然と変わらず、その先にある氷の女神――ポリアフの彫刻も置かれてあった。かつては憧れの神であったが、その身を乗っ取られた経験からあまりいい印象はなかった。
「帰ったか――」
階段の上から、よく知っている顔が降りてきた。
壮麗な顔つきの男であった。依然と比べると顔にしわが増えているが、それすらも見る者によって威厳だと思われる。そんな男はニレナと同じ金髪は一分が白髪に染まっているのだ。見る者が見れば、一目で親子だと分かるだろう。
ヴィオレッタ家という国内でも有数の貴族の党首であるニレナの父は、数年前までは宰相だった筈だ。現在はその役職からも退き、外務大臣に就いていた筈で屋敷にはおらず海外へ赴くことも多かったとニレナは記憶している。
たまたま家にいるのだろうか、とニレナは思った。
「お父様、只今帰りましたわ」
ニレナは久方に見る父に向って、青いワンピースの裾を持ち上げて挨拶した。
「ああ、知っている。アンセムから聞いているからな」
「そうですか」
「情報も聞いている。ニレナ、“英雄”になったそうだな――」
いきなりの父の発言に、ニレナは口を無様にも開きっぱなしになりそうになった。
「よくご存じですわね。流石お父様ですわ」
その事についてはアンセムにも言っていない筈なのだ。どこから情報が伝わったのか、ニレナには謎だった。
「人の話には鍵は付けられないものだ。特に私はこの国の大臣の一人だぞ。望んでいようが、いまいが、様々な情報は耳に入って来る。もちろん、ニレナのような“英雄の方々”ともよく会っているのだ」
「……彼らから教えて頂いたと?」
ニレナはナダとの話の中で、彼が『マゴス』の攻略後に何人かの英雄と会ったのを聞いていた。その中では今回の冒険についての詳しい情報も明け渡していたようだ。もちろん、オウロやニレナ自身が英雄になった事も含めて。
「その通りだ。ニレナ、お前は英雄になったことの“意味”をよく分かっているのか?」
父はニレナの元まで行って、無表情のまま言った。
「ええ。知っていますわ。私は偉大な冒険を成し遂げたのです。その果てに“英雄”となりました。とても名誉ある事ですわ。信頼できる仲間と胸が躍るような冒険、これまでで最も刺激的な日々を送りました。その結果、身に余る光栄ですが、私は英雄になりましたわ」
ニレナは誇らしげに言う。
冒険者にとって、英雄とは特別な存在だ。誰もが目指し、憧れる者達の事だ。彼らは常人には想像もつかない冒険をし、モンスターを倒し、偉大な発見を幾つもした者に与えられる称号、と、ナダから胸が石ころになることが英雄の証、ということを教えられるまで思ってきた頃だった。
ニレナも幼き頃に英雄へ憧れた事がある。だから冒険者になったのだ。かつて本で夢見た憧れの存在に一歩でも近づきたい、と。それから日々の冒険の楽しさに忘れていたが、まさか自分がなるとは思っていなかった。『マゴス』での冒険があまりにも刺激的で忘れていたが、自分は憧れの存在になったのである。その事でニレナは胸が温かくなった。
「はあ、お前は何も分かっていない――」
父はニレナに失望するようにため息を吐いた。
「どういう事ですか?」
「“英雄”になるという事、その意味だ」
「意味、ですと?」
「そうだ。英雄が何故、不老不死になるか知っているのか?」
父の言葉に、ニレナは驚きそうになった。
どうやら英雄病についての情報も、父は知っているようだ。これまでニレナは知らなかったと言うのに。
「病気だからでしょう?」
「違うな。私が思うに、英雄が不老不死になるのは、“使命”を果たす為だ。彼らの大きすぎる使命を果たそうと思えば、人の一生では足りない。それこそ、ニレナのよく知っている“ナダ君”がそうだ。彼はアダマス様という偉大な英雄を追っている。もしそこに辿り着くとしても、きっと人の一生では足りないだろう――」
「……もしかしたらもっと早いかも知れませんよ?」
ニレナは反論するように言った。
ナダの才能は認めているのだ。彼の強さが無ければ、『マゴス』はきっとこのような速さで攻略できなかった。冒険者として規格外の力があれば、他の迷宮も同じように破竹の勢いで攻略できるとニレナは深く信じていた。
「……そうかも知れないな。だが、彼には強さがある。誰もが羨む強さが」
「そうですわ!」
あの誰からも無視されるような存在であるナダが、国の運営に関わるような者にまで名前を覚えられ、実力を認められている。彼の事は昔から知っている後輩なのだ。その事実に、まるで姉や母のように嬉しくなる。
「だが、ニレナ。残念だが、お前にその強さはない――」
父である男は、ニレナに冷たくそう言い放った。
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