第三話 契約
「儂のどこがいけないというんじゃ!」
カノンは胸を張りながら言う。
どうやら彼女は自分に自信があるようである。
「どこがって、どこもだよ」
ナダは呆れながら言った。
その言葉の節にはどこかカノンに対しての嘲笑もあった。
「何じゃと! 儂はよく可愛いとか褒められるのじゃぞ」
地団駄を踏みながらカノンは大きく主張する。
彼女の後ろにいる老齢の執事は、額に汗をかいて慌てながら「カノンお嬢様は可愛らしいですぞ」と宥めるように言うが、当の本人であるナダが涼しい顔をしているのでカノンの怒りが治まる様子はない。
「確かに可愛らしいな……子供っぽくて」
また、そっけないナダの態度に、カノンは深く唸った。
「むーーー、儂はなあ、まだ若くて肌も瑞々しいし、この髪の艶は誰にも負けておらん! それにこの玉のような美貌は、傾国の美女と言われてもおかしくは無いじゃろうが! これでも求婚の一つや二つはされておるのじゃぞ!!」
「それって犬じゃねえよな?」
ナダはカノンの話を半分も聞いておらず、もう一度書類を見ながら他に不備が無いか確かめていた。
こういうのはたとえ不満が一つや二つはあろうが、条件次第では受ける気になっているので先程のカノンの言葉をナダは戯言としか思っていなかった。
「違うわ! れっきっとした大人の男性じゃ! あやつは言っておったぞ。儂の綿のようなこの白肌が美しいと! お主もこの体を見れば、欲情するじゃろうが!」
涙目になりながら大声で言うカノンに、ナダはもう一つ溜息をついた。
ナダとしては、自分よりも年下の、それもまだ子供にしか見えない少女に欲情することなど全くない。彼の好みとしては、どちらかといえば艶っぽい女性のほうが好みだ。
たとえカノンがこの場で裸になろうが、ナダは無表情で「風邪を引くから服を着ろよ」と言うだろう。そもそも彼にはカノンの姿が一人の女性というよりも、故郷にいる妹や弟のような存在にしか見えなかった。
「欲情しねえよ。このちんちくりんが――」
相手が貴族だというのに、ナダは咄嗟に返してしまった。
「うーうー」
ナダに冷たくあしらわれたカノンは、口を悔しそうに歪めながら低く唸る。まるでその様子が彼には生意気な子犬のようにしか見えず、ナダは頭を少しだけかいた。
予想しなかった貧乏くじに頭痛が起こりそうな予感をひしひしと抱きながら、ナダはゆっくりと諭すように言う。
「……で、そろそろ本題に入ろうぜ?」
「……本題とは何じゃ?」
カノンは話を切り替えたナダを睨みながらソファーへとどっと深く座った。その際には目はうるうるとしており、ナダの態度が気に食わなかったのか唇も尖らしている。さらには両手を膝の上に置きながら身を小さくしていた。
「さっきのが本気なわけがないだろ? あるんだろ、交渉のカードが?」
ナダとしては、先程のカノンの言葉を冗談と思っているのだ。
本気なわけがないと。
「何を言っておるのじゃ。たわけ。本気じゃとも」
カノンは胸を張って言う。
先程の自信はどうやら本当に先程の要求が通ると思っていたらしく、ナダは表情が凍りついた。
「え、本気だったのか?」
ナダは自分でもこんな声が出たのかと思うほど、素っ頓狂な声が出てしまった。
「うむ。儂との婚約じゃぞ? こんな契約どころか、もっと儂らに好条件でもよかろうかと思ったのじゃが、やはりお主も儂の夫となるのじゃからこの程度は譲歩しなくてはいけぬな、と思ったのじゃ」
腕を組みながら何度も頷いて確認するように喋るカノンの姿は、どう見ても先程の要求が簡単に通ると思っていたらしい。
ナダの頭はより一層痛くなった。
「……本気だったのかよ」
ナダは吐き捨てるように言った。
「うむ。お主も不満は無いじゃろう? 幼妻? というものは男が皆憧れると聞く。お主も当然、儂のようなべっぴんの奥さんに憧れるじゃろ?」
「憧れねえよ――」
ナダは深い溜息をついた。
「これでも儂は尽くす女じゃぞ?」
「だから何だ? そんなものを俺は求めていねえよ――」
「なら、お主は何が不満なのじゃ? 儂としても、何が不満なのかわからぬ。確かに儂の体はまだ小さいかも知れんが、お母様を見てるとそれはそれは大きく育つと思う。将来有望じゃ。これ以上、お主は何を望むのじゃ?」
ナダは話が通じないカノンにうなだれてから、はっきりと通る声で言う。
「もしこの契約で、その対価がお前との結婚なら俺はもう帰っていいか? その条件でこの契約を飲むつもりはねえし、あんたと婚約する気もない――」
ナダは断言する。
「儂と婚約すれば、お主も貴族になるのじゃ。冒険者からだと大出世じゃ。それなのに、その気はないと申すのか?」
カノンは首を傾げていた。
どうやらこの条件を飲まないのがよっぽど不思議なようだ。
だが、ナダにも言い分はある。
「……俺は貴族になるつもりはないし、なりたいとも思わない。もしお前が冒険者との婚約を望んでいるのなら、他を当たってくれ。もし仕事の話をするのなら、婚約は無しにして金額を釣り上げるか、別の条件を提示してくれ――」
ナダは貴族になるつもりなど毛頭なかった。
何故かと聞かれれば、冒険者だからと言うだろう。
自分は冒険者なのだ。生きるために冒険者になったのだ。今のところは他の道など考えたことは無いし、考えるつもりもない。そもそも貴族というのが、ナダは自分に性が合わないと思っている。いつも誰かの顔色を伺い、誰かを蹴落として上に上がるか、下克上を狙っている貴族の企みに目を向けるなど、そんな胃が痛くなるような職業につくつもりはない。
平民の冒険者の最大の出世が貴族と言われても、ナダにはぴんと来なかった。
それよりも、腕一本だけで生きられる冒険者のほうが性にあっていると思っている。
「本当に儂と婚約するつもりはないのか?」
カノンはナダの返事が気に入らないのか、犬のように低く唸りながら言った。
「ない――」
「本当に本当に儂と添い遂げるつもりはないのか?」
「毛頭ない」
「本当に、本当に、本当になのか?」
「全く、ない――」
ナダのきっぱりとした返事に、またもやカノンは唇を尖らせながらナダを睨んだ。
だが、ナダはそんなカノンに譲歩するつもりはなく、涼し気な顔で彼女を見ていた。
「お嬢様……ここは“あれ”でいかがでしょうか?」
そんな時、カノンの後ろにいた執事が彼女へと小さく耳打ちをした。その内容まではナダは聞けなかったのだが、その案にどうやらカノンは乗り気ではないようだったが、執事の強い押しにより渋々受け入れたようだ。
「……うむ。わかったぞ。じい、そなたの意見に従うとしよう。では、持ってまいれ」
「お嬢様、あれは私では持ち出すのがとても荷が重いです。お嬢様が持ってきてください。私はその間、お客様の相手をしてきますから」
執事は優しげな顔で言う。
その意見にカノンは少しの間考えると、「それもそうじゃな」と素直に部屋から走るようにして出て行った。そこには貴族の習わしが無いただの少女のようにナダには見えた。
「申し訳ありません――」
カノンがいなくなって数秒後、ナダと執事だけの重たい空気がある部屋の中で、執事が口を開いた。
「何が?」
「お嬢様のことです。あの子は本当は素直で強引なことは行わないのですが、何しろ、最近スピノシッシマ家では大変なことがありましてね――」
「……」
それから老齢の執事はどうして自分のような冒険者を呼んだのか、またどうして彼女のようなまだ子供が、こんな交渉の席に立っているのかなど簡単に教えてくれた。
どうやらスピノシッシマ家の当主であったカノンの父は――二月ほど前に亡くなったらしい。スピノシッシマ家はインフェルノに家を持ち、また遠く離れた地方に小さな領地を持つもののそれほど大きな家系ではなく、またカノンの祖父も子供がカノンの父しか生まれなかったらしく、カノンの父が死んで以降、カノンが当主代理として実権を握っているらしい。本当ならカノンの母が当主代理を果たすのだろうが、どうやらその母も今は病に伏せている状況で一日をずっとベッドの上で過ごしているらしい。
だからカノンが当主の代理をしているのだが、彼女もまだ子供で、それも何も教育をされていない状況である。だからか、スピノシッシマ家と契約を結んでいた冒険者達は、カノンの父が死んだと同時に全ての契約を打ち切られ、今はカノン達が住む領地へ流すカルヴァオンの量に困っているらしく、ナダに白羽の矢が立ったようだ。
その理由としては、実績があったこと。
その一点に尽きるらしい。
カノンは冒険者のことも迷宮のことも殆ど知らず、またアビリティやギフトの重要性を分かっておらず、ダンジョンの攻略階層、またこれまで倒したはぐれモンスターなどの功績だけを見て、ナダを雇おうと決めたらしい。
またカルヴァオンの引き取り額としては、今のスピノシッシマ家が出せる限界の額らしい。また婚約を条件にしたのも、また契約を打ち切られることを恐れてどうやって冒険者を引き止めようとした結果、結婚ということに決めたらしい。
それは執事や女中も止めたらしいが、カノンの決意は固く、今日までその意志は変えなかったようだ。
「私としては、あなたが幼女趣味の危ない人ではなくて良かったです」
執事はナダへとにこやかに笑う。
「――言っておくが、その話を聞いたからって俺は妥協するつもりはねえぞ」
ナダは釘を刺すように執事へと告げた。
「ええ。分かっております。ただ、あなたには今のスピノシッシマ家の状況を知ってもらいたかっただけです。あなたも不思議に思ったでしょう? どうしてあんな子がこんな場に立っているのか?」
「……どうだっていいよ。俺にとって、あんたのところの家の状況なんて関係がない。俺は冒険者だ。ここには仕事の話に来ているんだ」
「それは良かったです。そんなあなただからこそ、私どもは安心してスピノシッシマ家の秘宝を託せるというものです――」
秘宝?
執事の言葉にナダは引っかかる部分があったが、それを尋ねる前にカノンが部屋へと戻ってきた。扉を勢い良く開ける。どうやら目的の場所まで走って行って、走ってここに帰って来たためか、少し服が乱れて、額に汗をかいていた。
「持ってきたぞ!」
「……何をだよ?」
この部屋から出て行った時とは違い、手には白い布に何十にもわたって包まれたものを持っている。その中身が何かまでは分からなかった。
「これじゃ!」
カノンは白い布を雑に取っていくと、そこには――手甲が、あった。
普通手甲は両手にはめて使うものなのだが、カノンは一つしか持っていなかった。それは手首から肘までを隠すタイプのもので、金属で出来ている。装飾は特になく、鈍色にくすんだ色をしていた。また、中央にある紐で止めるようにしてつけることが伺える。
「何だ、そのぼろっちい手甲は?」
ナダはその手甲を見ても、どう考えてもいいものとは思えなかった。
こんな普通の防具屋でも安価で売ってそうな手甲に、自分が先程の契約を引き受けるほどの対価が眠っているのだろうか考えると、そうは信じられなかった。
ふと、執事の方へナダが視線を変えると、彼はニヤニヤと意地悪そうに笑っていた。
「ふふん。お主は見る目が無いのう。これは――迷宮で見つけられた手甲じゃ。それも儂の先祖が迷宮で見つけたものらしくてのう、その先祖はこの手甲を生涯大切にしていたといわれるのもじゃ!」
「この手甲が?」
ナダはカノンからその手甲を受け取って、じわりと眺め見た。
どう見ても普通の手甲である。鉄製の手甲と比べると軽いのが特徴だろうか、とナダは思った。
ナダも冒険者を五年もやっているので、様々な武器を見てきた。しかもナダはアビリティもギフトも使えないので、特に防具には気を使っている。だから武具を見る目はそれなりに養ってはいるつもりなのだが、この手甲はどう見ても普通の手甲である。
いや――見つけた。
防具の裏の端に――小さく龍の足あとが刻まれていた。
「これは?」
ナダはそのシンボルの心当たりが一つしか無い。
「ふむ。それは儂もお父様に聞いたことがあるが、よく分からないと言っておったぞ。儂の先祖は全然歴史書が残っておらぬのじゃ。それは何時つけたのか、誰がつけたのか、まったくもって不明なのじゃ――」
そんなこともあるのだろうか、とナダは思いながらそのシンボルを見つめた。
「で、儂からの提案は先程の契約を飲んでもらう代わりに、その手甲を貸し出そうと思う。その手甲は何でも普通の手甲とは違い、手を握ったまま大きく引くと、刃が出る仕組みらしい――」
カノンの言うとおりにその手甲をはめて、カノンの言ったとおりに動かした。
すると――本当に刃が出た。
手甲の手首の辺りからまっすぐと伸びるように細く、それでいて白銀のきれいな刃を出した。
だが、その刃は小さく、短剣ほどの長さしか出ていない。しかしながら、ナダも学校で勉強しているので、迷宮で見つかった武器は地上で運用するよりも迷宮で使ったほうが大きく効力を発揮することは知っている。
おそらくこの武器もカノンの話が正しければ、迷宮で使うともっと刃が長くなるのではないか、とナダは考えた。
「で、どうするのじゃ? 儂との契約を受けるか?」
ナダはカノンの言葉を真摯に受け止め、手甲を外してからゆっくりと考える。
答えは、一つだった。
「――いいぜ。騙されてやるよ。あんたに。この手甲の賃貸料としてあんたの望む値段でカルヴァオンを渡してやるよ」
ナダとしては、有用な武器が手に入るのなら、それを断る理由など無い。それも迷宮で手に入れた武器ならなおさらだ。
しっかりとした武器を使わないと迷宮では死ぬ可能性がある。
この手甲はメインウェポンではないが、手につけるだけで刃が出るということは咄嗟の場面で自分の命を救うことが多々あるとナダは判断した。
「うむ。契約はこれで完了じゃな――」
「ああ。これからよろしく頼むぞ――」
ナダとカノンは固く握手をしてから、二人の契約が結ばれたのだった。