第百十Ⅳ話 神に最も近い石ⅩⅣ
「英雄? 私が?」
オウロは戸惑ったように言った。
信じられないようだ。
自分が英雄になったという事に。
そもそもオウロにとって、英雄とは憧れの、その先である。
オウロの目指していた黒騎士伝説において、彼らのいた時代の英雄は数多い。アダマスを始め、カルブンクルスなど数多くの冒険者が〝英雄〟に成った。だが、その中でオウロの知る限り黒騎士は誰一人として英雄に成っていなかった。
そう成るまえに湖底に沈み、消息不明となったのである。
オウロは先祖を目指していた筈なのに、いつの間にか超えていると言われて、どう反応すればいいか分からなかった。
そもそも、自分が本当になったのかすら疑わしいとさえ思っている。何一つ確証がないからだ。オウロにとって英雄とは、迷宮を攻略し、偉大な功績を納めた冒険者である。オウロ自身は何一つ功績など残していない。
だから、信じられなかった。
「我の口から言わすのか。我のような“神“そうだ。貴様は英雄になった。喜ばしい事だな。まあ、我の前には関係ないが」
「……英雄、その響きには騙されそうになるな」
オウロは否定するように言った。
自分は英雄ではないと。
「まさか“神”である我の言葉を疑うのか? そこの隣の。英雄の条件を言ってやれ――」
英雄、その言葉が、ナダの心に染み渡る。
ナダも冒険者になってからダンジョンに数多く潜り、冒険の最中に英雄になったとされる。だが、ナダが英雄になったのは奇妙な事に冒険者になってから六年も経っていなかった。あの迷宮を踏破した時に光を浴びてから“英雄“になったのだが、過去に成った英雄であるノヴァから話を聞いた時には、ノヴァは迷宮の奥地でモンスターを倒し続けた果てに英雄になったと言う。その時に光は浴びていない、と言っていたのをふとナダは思い出した。
英雄、になる条件について詳しいことをナダは知らない。
どんな条件でなるのか、誰が英雄になりやすいのか、そもそも英雄とは何なのか、その殆どをナダは理解していなかった。
だが、一つだけ言える事は――
「――英雄なら、胸が“石”のように固くなっている筈だ」
それが英雄の証であり、不老不死に成ったと共に激痛に悩まされると言う病にかかった証拠である。
オウロはナダの言葉を受けて、刀を持っていない左手で胸に手を当てた。
「……まさか、私が、本当に?」
オウロの胸は――固かった、と本人が感じていた。石ころのようなしこりが心臓の部分にあった。それと同時に熱く、燃え滾っているような気がする。
オウロは己の身体の変化に気づき、驚きのあまり言葉を失ってしまった。
「どうやらオウロもなったようだな――」
一方のナダはオウロの反応を見て、彼が本当に英雄になったことが分かった。
だが、ナダはオウロの変化に喜びを表すことはない。ナダにとって英雄とは病であり、どうにかして治したいものなのだ。オウロに思うのは憐れみだけである。
「やはり、我が言ったように貴様も英雄だっただろう? どれ、その顔をよく見せてくれんか? 英雄となった褒美に我の氷で遊んでやろう。どうせ腕も生えることだからな――」
ポリアフはもう騎士を生み出したりなどはしなかった。そんな眷属が英雄たちに何の効力も無いことぐらい最初から分かっていたのかも知れない。彼女はすました顔で、自身の両手に氷を生み出す。
それは明らかに武器を形どったが、これまでの氷が武器の形をなぞっただけの物ではない。より強固に、より精密に、同じ武器の筈なのに先ほどまでとは再現度がより高かった。より“力”を使ったのだろう、とナダは思った。
左手に持つのは流線形の形を彩った結晶の曲剣である。刃は細く波打っているような形であり、片刃の美しい剣であった。
右手に持つのは直線的な銀の直剣である。その刃にはサメの歯のように細かな返しが無数についており、撫でるだけで怪我を負いそうな剣であった。
二つの剣をポリアフは構える。見た事のない構えであった。顔つきが変わった。先ほどまでよりも真剣であり、氷のような鋭い顔つきになっている。
「オウロ、向こうはやる気だぞ――」
「分かっている――」
「英雄になったばかりで行けるか?」
「当然だ――」
ナダとオウロはお互いに隣同士に並び、神を見据える。
今だけは、オウロが英雄になったという驚きの事実を忘れ、目の前の戦いに集中する。
「ふう――」
ナダは息を深く吸った。
戦いに備える為に。
だからと言って、いつもとすることは変わらない。“石”となっている心臓を強く脈動させる。この心臓のせいでこんなにも迷宮に潜る羽目になり、大金を稼いだ今となっても命を賭けて迷宮に潜らなければならない。その事に辟易しながらも、体に“熱”を回す。
これしか知らないからだ。
体をより強くし、相手を全力で殴る。
ナダにできる唯一の攻撃である。
「――かっっっ!!!!」
オウロは口から勢いよく息を吐き、体に力を込めた。
心臓を中心に広がる熱が、オウロに力を与える。不思議と体は変わってしまったのに、妙な感じはしなかった。むしろ心臓を中心に体がしっかりと据わり、落ち着きさえ感じてしまう。
そして“熱”は以前よりもより大きくなっている。まるで火種だったものが成長し、燃え盛る火になったように。
オウロは思う。
まるで全身から力が溢れ出すようだと。燃え滾るマグマが地の底から果てなく流れ出るように、オウロの身体は莫大な熱を持つ。そんな熱が体を駆け巡るので、今までよりもれまでには感じた事のない力であった。
これが、英雄の力なのか、と思うが、この感覚は気のせいかもしれないと気を引き締める。
「――私がいるのは止まった世界」
ポリアフは目を瞑りながら言の葉を紡いだ。
氷の塔の上が一段と冷える。それ以上の変化はない。
だが、言葉は続く。
「――太陽はなく、時は進まず、寒い穴倉で私は凍えている」
神が紡いでいるのだから、それは祝詞ではなかった。
ポリアフが、ニレナの声で、だが、彼女とは違う言葉を唱えている。ニレナの祝詞は確かに神に祈っていた。神から力を借りる事でギフトを行使する。殆どのギフト使いが神への祈りとして祝詞を紡ぐのだ。
だが、神であるポリアフは違う。
その言葉は、彼女自身の言葉であった。
「――いつまで凍えればいいのだろうか。いつまで留まればいいのだろうか」
ナダとオウロはポリアフが言葉を紡いでいる間に攻めようかとも思ったが、二人が見る限り隙は一分としてなかった。
彼女の周りで吹雪のように霰が渦巻いているのだ。それら一つ一つが小石のような大きさであり、荒れ狂う速さだった。当たればナダとオウロであってもただでは済まない。
「――私の世界はいつまでも止まったまま、だとすれば、全てを止めてしまいたい。私も、それ以外も」
ポリアフの吹雪が指向性を持つ。武器に纏わり、ポリアフの身体に纏わるのである。まるでそれは薄いベールのように。
「「氷の時代『』」
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