第百十二話 神に最も近い石Ⅻ
ナダは追撃を行おうと青龍偃月刀を振り下ろしたが、ポリアフが逃げるように氷の柱を足元に展開して空中へと逃げる。ナダは固い氷を砕いた感触だけが手に残る。
逃げたポリアフを見上げたナダは、背中が震え出したポリアフを厳しい目つきで睨もうとも思ったが、地面に落ちた“右腕”を覗く。
「初めて人を“斬った”気がするぜ――」
元の白魚のような手は氷剣を握ったまま、ぽとりとナダの前に落ちてからは動かない。右手に通っていた血が傷口から溢れ出すので氷の上に小さな赤い水たまりとなり、やがて凍った結晶となった。
ナダは冒険者になってから今まで幾度となく戦っていたが、人と殺し合いをしたことはない。あくまで――試合だけだ。命のやり取りをしたことも無ければ、刃物で人をぶった切った事もなかった。
だから、初めて斬った人の肉を、思いやるように見つめる。
(モンスターを殺すのに慣れたのか? 何にも思わねえ。それより――)
だが、ナダは感傷すら抱かなかった
思う事はただ一つ。
いかに神は不死身とも言えど、切り落とした手から再生することがないことを知ったナダは、そんな腕に既視感を覚えたのだ。
ああ、先ほど、ポリアフから逃げていた時に見た手は、神の腕を切り落としたのかも知れないとも思うが、再生するは英雄も一緒なので腕がこうなっていたのは自分かも知れないと思うと、ナダはゾッとした。
「…………くくくっ、やはり、人とは恐ろしいものだ」
痛みに耐えるかのように脂汗をかいているポリアフは、氷の柱の上でナダ達を見下ろすように嗤っていた。
だが、その右肘は血に染まっている。肘から先がなかった。
「……なら、ニレナさんを解放する気になったのか?」
ナダはポリアフに降参を勧める。
「なるわけがなかろう! やはり人とは忌々しいものだ! ちょっとは遊ぶつもりだったが、これからは全力で貴様らを殺してやろう――!」
激怒するポリアフの周りを猛吹雪が包み込んだ。それらには霰が混じっており、ポリアフから溢れた霰が、ナダ達に降り注ぐ。当たると少しだけ痛かった。
だが、ナダが注目したのはポリアフの力の奔流ではなかった。
上にかざすように持ち上げている右腕である。
やはり、そこに肘から先は無かった。
無いが、赤い血がしたたり落ちる切断面から、白い骨が見える。その骨が徐々に、徐々に伸びるのである。
ナダが断ち切った筈ポリアフの右腕が――新たに生えようとしていた。
「うぅぁああああああ!!」
先ほどまで高らかに宣言していたポリアフが、口の端から涎をまき散らしながら左手で右の肘を持って歯を食い占めている。
どうやら腕が再生する際に生じる痛みはとても辛いものらしい。
それでもかまわず体は再生していく。
骨の周りに赤い血管が生まれる。もちろん血を落としながら。そしてそれと共に肉が生まれて皮が張っていく。それをゆっくりと繰り返して、手首まで延び、手の甲を作って、指を生やして、右腕は再生された。
再生された後のポリアフはまともな言葉を出す様子などなく、暫くは口から涎を垂れ流していた。
「何なの、これ……」
そんなポリアフの様子を見て、ナナカは引いたように口を押えていた。見た事のないニレナの表情に動揺したのかも知れない。確かに人の身体が再生する様子など見た事がなかった。
優れたギフト使いで、それも癒しの神のギフト使いなら、無くなった腕や指を再生できるというが、こんな速さでは生えない。数週間から数か月をかけてゆっくりと再生していくのである。またその施術の際にはギフト使いによる定期的なギフトと、特殊な薬が必要らしい。
だが、神は、そんなもの必要なしに、摩訶不思議な力で体の怪我を治して行った。
「……あれが」
そんな中、“英雄病”を患うナダは、思わず自分の右腕を押さえてしまった。それだけではなく、両足にも違和感を覚えてしまう。ナダはこれまでの冒険で、何度か無茶な冒険を行ってきたので四肢を失った経験は一度もない。そんな冒険の後はいつも気を失っていたのだが、あの時に意識があったらポリアフと同じような激痛を味わっていたかと思うとナダは戦慄した。
いや、思う事はそれだけではない。
やはり神は、ポリアフが、“英雄病”にかかっているだろう、ということだ。もしもポリアフの意識がなかったら、ナダは真面目にニレナの胸部を確認すると言える。
とすれば、ギフト使いが“英雄病”になれば神が降臨するのだろうか、ともナダは考えるが、他に英雄病のギフト使いを知らない為、思考材料がなかった。
だが、一つ言える事は、神は殺しても死なない、という事である。
「はあはあ、我にこのような傷を与えよって……」
ようやく痛みから解放されたポリアフは、ナダ達を、特にナダを殺気じみた瞳で睨んでいる。
「これで、分かっただろう? あいつは“死なない”んだ」
ポリアフが、ニレナが、“英雄病”かどうかはナダにとって半信半疑だったが、腕が再生するのを見て確信に変わった。
とすれば、どれだけ斬ってもいいという事になる。
「それだけではニレナさんは帰ってこないぞ?」
「分かっているさ、オウロ。だからあいつが体を明け渡したくなるまで痛めつければいいさ。どうせ死なないんだからな――」
ナダにとって、ニレナを取り戻す作戦はこれしかなかった。
他にはどうしようもないのだ。
神を追い出す方法なんて、ナダは知らない。そんな術などナダにはない。あるのは武器を振るう腕っぷしだけだ。
とすれば、神がニレナの肉体を諦めるまで痛めつけるしか、ナダの頭には何も思い浮かばなかった。
「なんと、傲慢で、無茶苦茶な冒険だが、一理あるな――」
そんなナダの暴論じみた答えに、カテリーナが賛同した。
他の仲間達も半分苦笑いしながらナダの作戦に頷いている。
「じゃあ、始めようぜ。神殺しを――」
ナダは、ニレナの姿を借りているポリアフへと宣戦布告する。
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