第百八話 神に最も近い石Ⅷ
「大層な言葉の割には、逃げるとは芸のない男だな――」
逃げるナダ達に、幾つもの氷の虎が襲った。どれもポリアフが生み出したものだ。殿を務めていたナダはそれらに対して、力を込めた青龍偃月刀で砕いた。
そんなナダの頭上から氷の鳥が襲うが、それにシィナの水のギフトによって生み出した水球とぶつかる。
「……誰も傷つけさせない……」
シィナが強い言葉で言った。
地面の氷を凹ましてから生み出したシィナの水と、ポリアフの氷が当たった結果、シィナの水がポリアフの氷の鳥を包み込んだ。氷の鳥の冷気により、シィナの氷は凍るがそれによって氷の鳥は重たくなり動けなくなる。地面へと自由落下するのだ。
ナダを殿にした『ラヴァ』は、迷宮の深淵を忙しなく進む。
ナダ達が進むのは――氷の迷宮である。
四方が氷で包まれており、長い年月をかけて圧縮されたかのように透き通っている。そんな氷たちは奥から鮮やかな青い光を放っており、大海の底で時が止まったかのような感覚に陥る。
氷の天井は水となってナダ達へと落ちてくることはなく、次第に開けたかのように広くなっていく。
きっとナダ達が扉を開けるまでに通った冒険者は随分と昔の事なのだろう。人が通った痕跡は全く残っていなかった。
氷の迷宮は、ポリアフに力を貸す。
青い空は全てが氷であり、ポリアフの氷に反応する。そこから霰が降って来る。大粒の結晶であり剣のように尖っている霰はナダ達を襲うが、シィナが広範囲の水の傘で守った。
受け流された霰は、氷の地面に深く突き刺さった。
ナダ達はポリアフの妨害に阻まれながらも、迷宮の奥深くへ進んで行く。
次第に迷宮内の表情は色を変えていた。
これまで何の傷つきもなかった迷宮は、まるで激闘の後かのように無機質な氷に様々な傷を付けて行く。ナダ達が最初に出会ったのは、龍の蹄が付けたかのような三本の傷跡だ。それが大地に深く走っており、ナダ達の行く手を阻むが、余裕で飛び越えていく。
次にナダ達が出会ったのは、大きな窪みだ。まるで大地を巨人が抉ったかのようなクレーター。今までの迷宮とは違い、明らかに何者かの手が入っている。どんな攻撃を与えれば、そのような窪みが出来るのかナダには分からなかった。
がたがたの足場が、ナダ達の行く手を阻む。多少の段差、大小さまざまな深い傷跡、どんな激闘があったのか、ナダ達には想像すらできない。もしかしたら過去の英雄がはぐれと戦ったのかも知れない、とナダは思ってしまった。
そんな中、ナダが注意を引いたのは、一本の“腕”であった。氷のくぼみに堕ちた無機質な左手、それは人の腕であったでナダは気づかずに踏み抜いてしまった。気にせずに先を進むが、凍っているのかその腕は固いまま崩れる事はなかった。
『ラヴァ』を次に阻んだのは、大きな氷の壁であった。
ナダの身長の数倍をほこる氷の壁。どうやって超えるのか、それとも崩すのか、ナダ達は選択に迫られるが、シィナがそんな氷を水に変える事によって簡単に穴を開けた。
「で、どうするのよ?」
ナナカは走りながらナダに聞いた。
どれだけ進んだのかは既に分からない。かなりの距離を進んだはずなのに、まだモンスターが出ないのは僥倖と言えるだろう。
疲れは誰にもなかった。光を浴びて気を失った時に体の調子が元に戻ったのだろう。
「……ニレナさんは元に戻るのか、それ次第によっても話が変わる」
「戻らなかったらどうする気なの?」
「……分かんねえ」
ナダは戸惑ったように言った。
ニレナの扱いについては、未だに答えが出ていない。
「もし、元に戻らなくて、向こうがこちらを殺そうとしたらあんたは殺すの?」
ナナカの言葉はナダの胸を強く打った。
先ほどの一瞬の攻防を思い出す。
全ての攻撃がポリアフに防がれ、一度として傷を与えることは出来なかったが、陸黒龍之顎を破壊されてからの一撃はニレナであったら一撃で致命傷を受けているだろう、という攻撃だった。
何か考えていたわけではない。仲間を守るため、相手に最適の攻撃を選んだ結果、必殺の一撃になっただけだ。
「さあな。でも、向こうが殺す気なら、殺されるわけにはいかないからな――」
どう言えばいいのかナダには分からなかった。
「確かにそうよ。私もニレナさんが大切だけど、死ぬ気はさらさらないもの」
「……そうだな」
「もしも戻らないとして、殺すか、逃げるかの判断になった時が一番困るわね。中身が違ったとしても、私はあまり知り合いを殺したくないの」
ナナカは悲し気に言った。
彼女の言う事も最もであった。
こちらを殺す気なら、相手も殺すという選択肢が自然に出てくるのが、いつも生死のやり取りをしているという冒険者の感覚である。ナダもそれに違和感を覚えなかった。
「元に戻す方法に、誰か心当たりはないのか?」
ハイスが言った。
彼もニレナの身を案じているようだ。
だが、ナダも分からないから首を横に振った。今のところニレナを元に戻す方法については、答えが出ていない。あったとしたら、すぐに試している筈なのだ。
その間にも『ラヴァ』に様々な氷が襲って来る。
例えば、様々な“モンスター”を模した氷である。狼、虎、龍、蜘蛛、蟻などだ。どれも命が宿っているかのように自由に動く。そのモンスターは多種多様であり、一つとして同じものがないように思える。
その一つの要因として、ナダが考えているのはポリアフが“遊んでいる”ということであった。
ポリアフは、ナダが挑発してからずっと楽しそうに氷を操っていた。
多くはモンスターを生み出しているだけだが、他にも、矢や剣など様々な者を生み出しては『ラヴァ』に飛ばすが、誰かに弾かれるとそのまま地面へと落ちる。再度動き出す様子はない。
だが、普通のギフト使いが生み出すものに比べて、もう施行者が力を込めていないのにそれらの氷は崩れる事がなかった。
「――一つ思い出した事がある」
そんな中、そう言ったのはカテリーナだった。
殿であるナダが振り向きざまに氷の虎を叩き潰している時であった。
「……早く言って」
他の皆と同じようにニレナの事を心配しているシィナがせかすように言った。
「これは、アダマス様の手記だ――」
かつての英雄、アダマスの様々な手記は後世においては、本人が書いたものではないとされているが、本人の物語と信憑性の高いものが数多く残っている。
それらは現代の作家によって脚色された物語も数多く存在するが、“原典”も当然ながら存在する。だが、偽物も多い中でその物語が本物かどうかは、学者によって今も調査が続けられており、真実性が高いとされている物語でも信憑性が高い、という位置付けで結論づいてしまっているものも多かった。
「私の見た物語では――神を退けた、という内容があったぞ。どの物語かは忘れたがな」
カテリーナは恥ずかしそうに言った。
どの物語かは覚えていなかったようだ。
カテリーナはそんな顔をしながらも、『光の剣』を使いながら楽々とシィナを襲う氷の鷹を弾く。
「……オレも聞いた事があるぞ。同じかどうかは分からないがな――」
オウロも言った。
アダマスと同じ時代を生きた黒騎士を専門に調べていたオウロだからこそ、最も偉大な英雄であるアダマスに関する情報を知りえたのであろう。
「――曰く、アダマスは神を殺した――」
「殺したのっ?」
オウロの言葉に、ナナカが素っ頓狂な挙げた。どうやら聞いた事がなかったらしい。
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