第百四話 神に最も近い石Ⅳ
『ラヴァ』のメンバーの中で最も早く目が覚めたのがナダであった。
どうやら他の仲間達も気を失っているようである。ナダは一番近くにいたオウロの頬を叩いて起こそうとするが、どうにも起きる様子はなかった。
いや、その前に、とナダは体を確認した。もしかしたら黒騎士たちのように全身が石に染まっているのではないかと危惧したが、ナダの体に異常はどこにも見当たらなかった。
石ころになっているのは、相変わらず“心臓”だけである。少し変化があったとすれば、これまでの戦闘で負った怪我などが治っていたので体自体が元気だったことである。今ならもう一度ダーゴン達とも戦えそうな程、ナダの身体は活気に溢れていた。
その事に安心しながらも、一つの迷宮の先を突破しただけでは英雄病が治らないことにも落胆した。
ナダは立ち上がって扉の奥を覗いた。別世界であった。
冷たい空気がナダの肌を撫で、吐く息が白く染まった。
中は氷の洞窟だった。
天井から壁までが氷で包まれており、それらは大海のように青く輝いている。それらの光がどこからきているのかは分からない。本来ならもっと広い筈なのに氷によって空間が圧迫されているからだ。
天井はまるで波打っているかのように凍っているが、一つも気泡が混じっていないので大波がそのまま凍っているような印象を受ける。
海が時を切り取られてそのまま保存されたようでもあった。
確かにマゴスのより深くへ来たのだと、先ほどのダーゴンとヒードラと戦った場所を上にあるのだと錯覚させられる。
ふとナダは――迷宮として、マゴスの次の段階に来たのだろう、と考えてしまった。
そんな“新しい迷宮”に足を踏み入れた。
何も起こらなかった。
空気が変わったように感じるだけだ。先ほどまでとは違い、より濃く、重たいような。環境が変わっただけなのに一歩踏み入れるだけで気持ちが引き締まる。きっと冷たさのせいだけではない。緊張しているのだろうか。
このような場所には何度か出会ったことがある。
例えば、学園最強を決める戦いの後に開いた扉。
例えば、王都で王冠を被った大きな死にぞこないのモンスターと戦った後に床が落ちて崩れた場所。
例えば、ユニコーンが呼び出したモンスターの大軍を殺しきった後に開いた扉の先。
だが、本当に先に行ったのは床が崩れた時だけであった。
他の時はそれまでの冒険で疲労していたため、一度として足を踏み入れた事がなかった。
それにきっと先に訪れた時に緊張していなかったのは、きっと隣にアレキサンドライトという英雄がいたからなのだ。今だからこそ分かる。おそらく彼は今の自分でも足元に及ばないほどの大英雄だ。他に出会った英雄たちとは力の差がとてつもなく開いている。そんな彼が隣にいて心強かったから、迷宮の新たなステージにおいても、緊張せず先に進めた。
しかし、今は違う。
頼れるものは自分以外に、『ラヴァ』の仲間しかいない。全員を足しても、もしかしたらアレキサンドライトに適わないかもしれないパーティーだ。
だからこそ、武者震いしているのかも知れない、とナダは思った。
このまま踵を返して地上に戻ると言う選択肢もある。ダーゴンとヒードラという強力なはぐれを倒したのだから、それに満足して先に行くのはまた次の機会という事も出来るのだ。
だが、ナダはそれを選ぶ気はなかった。体は力で満ち溢れているのだ。
この冒険はアダマスの後をなぞる冒険だ。この先に何があろうと今回はとことんまで先に進むつもりだ。
だが、仲間達の状況は自分と同じではないかもしれない、とナダは思った。
彼らはまだ扉の前で寝ている。息はしているので生きていることは間違いない。彼らを置いて先に進むつもりなどナダにはなかった。
仲間がいなければここまで来られなかったのだ。この先に進むにあたっても、仲間が必要な場面がきっと出てくるはずなのだ。だからナダは仲間が目覚めるのを待とうと思った。
一つだけ危惧していることがあるとすれば、黒騎士が石ころになった原因である。英雄病かと思ったが、そもそも英雄病になる詳しい原因をナダは詳しくは知らない。過去に学園長から聞いた話では、英雄の誉れに相応しい人物のみがこの病気にかかると言われている。
ナダは地面に倒れている仲間の元まで戻って、何人かの顔に手を当ててその感触を確認する。どうやら誰も石にはなっていないようだ。その事に一安心しながらも、この場所に留まると黒騎士たちのように全身が石化病にかかるのかもしれないと危惧したので、仲間達を扉の先の氷の部屋へ一人ずつ移動させた。
ナダは氷の部屋の入り口にあぐらになって座り込んだ。
目の前には仲間達が横になって寝ている。雑に動かしたのだが、まだ誰も起きる気配がなかった。
ナダは彼らと一緒になって眠る様子はなかった。
もしもモンスターが来たら仲間を守るために一人で戦わないといけない。だから青い氷が照らす道の遥か先を注視する。幸いにもモンスターの気配は、まだ、なかった。
ナダは時々後ろも振り返りながら、扉で隔てたマゴスの領域からモンスターが来ないか確かめるが、そちらからもモンスターが現れることはなかった。
扉から入る水は部屋に入ってすぐに凍るので、中に侵入することもなかった。まるでこれまでのマゴスを阻んでいるようであった。
それから暫く時間が経った。
「ここは……?」
最初に目覚めたのは――ハイスであった。と、同時に迷宮にいた事をすぐに思い出すと、ハイスを飛び起きて腰の剣に手を添えてきょろきょろと辺りを見渡しながら警戒する。
「立派な冒険者だな――」
そんなハイスの行動を見て、ナダは感心するように笑った。
「……そんなにおかしかったか?」
「いや、見習うべき点だと思っただけだ。起きてすぐ状況を理解してすぐに戦闘状態に移行できるのは流石ベテランとしか言えないからな」
「じゃあ、誉め言葉と受け取っておく。それよりここは……?」
「あの扉の向こうさ。俺が開けただろ?」
ナダは背後にあるマゴスに繋がる扉を親指で示した。
「じゃあ、ここが迷宮の深淵というわけか。随分と寒いな――」
がらりと変わった迷宮の様子にハイスはちらちらと周りを警戒しており、まだ慣れていないようだ。
「ああ、そうだな――」
「……流石だな」
ハイスは苦笑いしながらナダを褒め称えた。
ここまで来られたのがナダの手腕のおかげだと分かっているからだ。
「言っただろう? マゴスを完全攻略するって。ここがマゴスのなのか、それとも“別のどこか”なのか、俺には分からないがな――」
「……確かに、このような迷宮は見た事がないな。まるで氷の中にいるみたいだ。何だか体がそわそわする。寒いのもあるが、それだけじゃないみたいだ」
ハイスは未だ落ち着きが戻らない。ナダと同じく床に座ろうと思っているのに、どうにも腰が浮いて剣を抜こうとしてしまう。初めて味わうこの空気感に緊張しているのかも知れない。
「その気持ちはよく分かるぜ。モンスターがいないのに、どうしてか気が立ってしまう――」
「まるで戦う事を強いられているようだな――」
ハイスは剣を抜こうとしている右手を左手で押さえながら笑って座りなおした。
「そうだな――」
ナダもやっと仲間が目覚めた事に安心したのか、表情を緩ませる。全身の太く発達した筋肉も少しだけ緩んだ。
ナダとハイスはそれから仲間達の状況について話し合った。やはりハイスも黒騎士たちと同じように石に変わっているのではないか、と考えたようだが、彼自身の身体には何の変化もなかった。
「むしろ調子がいいくらいだよ。怪我だって痕はあるけど、細かいものはほぼ治っている。これは回復薬のおかげだとは思うけど、気絶してからどれだけ経ったんだろうね?」
「俺も最初に起きるまでは寝ていたからな。地上に戻れば分かると思うが、実際はどうなんだろうな? 体力まで回復しているから結構寝た気もするな」
「確かに体はすっきりしたかもしれない」
ハイスもナダと話している内に徐々に緊張がほぐれていき、背筋を伸ばして骨を鳴らせるほどにはなったが、心のどこかではいつでも戦えるための準備はしているのだ。
そんな風に現在の状況について話した後に、次の冒険についての話題へと切り替えろうとした時に新たな仲間が目覚めた。
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