第零話 プロローグ
アダマスが一段落つきましたので、これからは石ころの新章を公開していこうと思います。
ナダの物語としては約半年ぶりの更新となりますが、これからも楽しみにこの作品を読んでいただけると幸いです。
また、頑張って書きましたのでADAMASも同時に読んで頂けると作者冥利に尽きます。
それはまだ夜が深い時だった。
迷宮都市――インフェルノ。この都市には三つの迷宮があり、それぞれ、トーヘ、トロ、ポディエという名が付けられている。それぞれに特徴がある迷宮で、またその三つの迷宮によって都市も三分されていた。
その中でも最も有名なのは周りに学園が広がっているポディエ、そして百年ほど前に出来た国内で唯一の冒険者育成機関であるラルヴァ学園だろう。そこには古今東西から冒険者を目指す者達が集まり、日々切磋琢磨して、冒険者として己を高めている。
だが――“童子”が辿り着いたのは違った。
荒くれ者の冒険者が集まるトーヘの区域だった。
周りは歓楽街であり、空はまだ黒いというのにそこではカルヴァオンを燃やして作った明かりにあふれている。また人も様々なものが集まっている。遊女、冒険者、また貴族らしき男、それにラルヴァ学園の学生服を着た学生などその身分は様々で、武器を持っているかどうかも人によって違っていた。
基本的に学生は入ることを推奨されていない場所だが、特に厳しく取り締まっているわけでもない。日々、モンスターを相手に命を賭けて戦うには、潤いの一つや二つは必要だろうというラルヴァ学園の初代学園長の意見で、百年が経った今でもそれは変わっていない。
また、当時の学園長の話では、モンスターの狩り方を知っているだけでは一人前の冒険者とされない。迷宮に潜る理由を 見つけ、ほどほどに鬱憤を解消し、快楽にも上手く付き合ってこそ一流の冒険者と名乗れるのだ、と語ったとの話もあるが、詳しくは定かではない。
「う……あ……」
その童子はまだ七歳ぐらいだろうか。詳しい年は分からないが、まだ身長はとても低い。髪は肩まであり長いが、その髪はぼさぼさでくすんでおり、顔には泥や汗で汚れていた。男か女かも判断できないようなひどい状況だった。
また、その童子の頬は痩せこけており、おそらくは何日もまともに食事をとっていないなだろうと思われる。事実、その童子の足は既にふらふらであり、手に木の棒を持ってやっと立っているような状況だった。
また来ている服もぼろい布切れ一枚で、酷く汚い童子であった。
その童子は光に集まる虫のように歓楽街の入り口に入り、そこが酷く美しい光が集まった場所にように見えた。
だが、童子が歓楽街に入ることはなく、その入口の片隅で死んだように倒れた。
しかし、まだ息はしていた。
生きている。
だが、最早立つ体力も気力も無いのか、その童子は呻くばかりであった。
そして――同時に一人のものが近づいた。
大人だった。
その者も男か、女かは分からない。何故なら黒ずくめのローブを着ていたからだ。さらに顔も深いフードで隠していた。
その者は童子の呻き声を聞いて近づいて、まだ生きていることを確認すると、フードかの隙間から見えるカサカサの唇を釣り上げるように笑う。それから童子の意識が無いことをいいことに、年の割に軽すぎる童子を抱え上げてその場から去った。
童子は既に抵抗する余裕もなく、ましてやまともな思考回路すらも持っていなかった。
今はただ、ゆりかごのように動く黒ずくめの大人の腕の中で死ぬように眠った。
黒ずくめの大人は童子が眠ったことを確認すると、「ひひっ」と怪しげな笑みで笑った。
その後の童子の行方は誰もしらない。いや、インフェルノにいる誰もが童子の存在自体を知らなかったのだ。
やがて黒ずくめの男は歓楽街には戻らずに、童子を抱えたまま夜の闇の中に消えたのだった。
◆◆◆
ラルヴァ学園の学園都市に一人の男が住んでいる。
彼はそれほど特別な出自ではなく、農民出身だった。仲間にも、運命にも恵まれているとは到底思えず、学園の中でも日陰者の一人。
男が目覚めたのは自室のベッドの上だった。大きい身体は小さいベッドには少しもてあますようだが、気にせずにベッドに眠っていた。そして早朝になってどこかで無く鳥の声を聞くとむくりと起き上がる。
起き上がっても、男は尚の事大きい。
肩幅が異様に広く、腕は大木の幹のように太く、その手は大きな葉っぱのようでもあった。
ナダ、と呼ばれる青年だった。
家名はない。
家名があるような家に生まれなかったからだ。
ナダは朝起きると、近くにある食堂にいくことはなく、自室にある小さなキッチンで朝食を作る。近くにある食堂は量が多いのだが、少々値が張る。金額のことだけを考えたら自炊をしたほうが遥かにお得だと考えていた。
自炊、と言っても、それほど手がかかることをナダはしない。
料理が得意でないことを知っているからだ。
作るものといえば、大きな鍋の中に燕麦と大量の水を入れてカルヴァオンというエネルギーで燃やすコンロに火をつける。そしてどんどん燕麦が水と混ざってふやけてきて、粥になったら味付けに塩をひとつまみ入れてゆっくりとかき混ぜる。それをナダは自室にある食器で一番大きな物に入れて、そこに木で出来たスプーンも指した。
さらに台所に置いてあった果物を幾つか取り出す。りんごのような果実で――アジェドと呼ばれる黄緑色の果実だ。だが、ナダはその果実のことをあまり好きではない。確かにアジェドは安く栄養価が高く、これを食べているだけで脚気にならないと、昔から船乗りや旅人、さらには冒険者からも愛用されている万能栄養食品だが、味が酷く酸っぱいのだ。
一口食べるだけで、顔が歪むほど酸っぱい。
慣れてくるとこの酸っぱい味が癖になって美味しく感じられるという人もいるが、ナダとしては何度食べてもその味になれなかった。
迷宮に潜る身として健康に気を使うナダとは、朝にアジェドを四つも食べればいいのだが、その手を引き、二つしか掴まなかった。
それらを自室にある丸く小さなテーブルの上に起き、まずはオートミールを食べる。塩味だけが効いているだけなのでそれほど美味しくはないが、別に不味くもないオートミールをナダは十分も経たずに食べ終わると、今度はテーブルの上に置いた二つのアジェドを睨むように見た。
中々、手が伸びない。
どうやらあまり食べたくは無いらしい。
だが、我慢して皮付きのままアジェドを口へと運んだ。皮があろうと無かろうと酸っぱいのは変わらないので、それなら剥くのが面倒だからと皮付きのままナダは食べる。
水風船のようにはりのある皮に勢い良く歯を立てて噛み付くと、しゃり、と砂のような食感がナダの歯を擽る。それほどいい食感ではない。これで甘かったら美味いのだろうが、甘いアジェドは高く、ナダが買えるような値段ではない。
果肉に歯が刺さると同時に、酸っぱい果汁がナダの舌の上に踊り出た。その瞬間、ナダは顔をしかめながらアジェドを食べている口を止めた。そしてそれに少しだけ慣れてくると、またもぐもぐと中心にある種をから剥ぎ取るようにしてアジェドを食べ進めた。
その口はオートミールと比べると非常に遅く、たかだかアジェドを二つ食べるだけなのに、オートミールより長い時間を要した。
それが終わると、ナダは次に学生服を着る。
ラルヴァ学園の学生服は胸に初代校長のシンボルである青い薔薇の校章のついた黒いジャケットを着れば、下に何を着てもいい。また、迷宮に潜る予定のある者はジャケットを来なくてもいいことになっている。
学園としては学生服を用意しているだけで、別に着ることを強制したりはしないのだが、体が大きく着る服が少ないナダとしては、学生服があるだけありがたい。ナダは襟がよれた白いシャツに、これまた学園から買った安価のジャケットと同じような黒いズボンを履くと、上にジャケットを羽織った。
それに簡単なリュックを持ってナダは授業に出ようかと玄関まで急ぐと、そこに――手紙があった。
ナダが書いた記憶はない。
とすれば、誰かが送ったものなのだが、ナダの知り合いは少なく、手紙を送るような人物にも心当たりはない。イリスに手紙を書くような趣味は無ければ、ダンは用事があれば直接アパートを訪ねるか、学園内での同じ授業の時に話す。
とすれば後は学園か、アギヤを卒業した時の先輩かとも思ったが、ナダがその手紙を拾ってみると、どうやらそうでも無いらしい。
何故なら――裏に蝋で封印を施していたからだ。
さらに表には貴族の物と思われる家紋が押されてある。
その家紋は――薔薇の花が描いてあった。
ナダは貴族の知り合いはイリスしかいない。だが、イリスの家紋が薔薇の花でないことを知っている。
この手紙の送り主は誰なのか、そして貴族が何のようで自分に手紙に送ったのか、ナダは深く考えながらその手紙を開けた。




