第二十話 エピローグ
あれから一週間が経った。
まだナダは自室のベッドの上で療養していた。あの場では回復薬で誤魔化したとはいえ、ダメージは完全には抜けていない。地上に戻ってから医者の治療やダンのギフトを受けたため、回復速度は通常と比べても尋常じゃない早さになっている。本来ならあれほどの怪我をすれば半年は治療に時間がかかるのに、もうほぼ全快に近い身体になっていた。
しかしながら、ダンの言いつけによってナダは自室に縛られている。彼の言い分では治りかけが一番危ないらしいので、身体が完璧に直るまでは自室に軟禁されていた。ナダとしてはそろそろ外に出て体を動かしたいのだが、そうも行かない。
ダンジョンと学校には、イリスの協力によって入れないことになっている。彼女の持っている権力を使ったらしい。尤も青龍偃月刀や鎧などの武具は全て修理に出しているので、ダンジョンなど行きたいと思ってもいけない。さらに家には外から南京錠がかけられていた。窓には鍵がかかっていないが、そこから出るほどナダもまだ元気ではない。幸いにも食料や生活必需品などはイリスとダンが交互に自宅に来て届けてくれる。特にイリスは、最近は迷宮に潜っていないのか、一日に一度はこちらの部屋に顔を出すようになっていた。
今だってそうだ。
玄関の扉が開けられた。
「ナダー、起きてるー?」
間延びしたイリスの声が聞こえた。
起き上がって窓の外にある太陽を見ていたナダも、声がする方向に向いた。
すぐにイリスは現れる。
今日はラフな格好をしていた。青いスキニーのジーンズに灰色のパーカーを合わしている。
フードは被っていて、その美貌は覗けないが、腰の後ろについたククリナイフが彼女の証になっていた。
「なんだ。起きているじゃないの。返事ぐらいしなさいよ」
イリスは文句を言いながらフードを脱いで、ベッドの前に座った。正座ではなく、姿勢は崩している。
「そうだな――」
ナダは素っ気ない態度をしていた。
「どうしたの? あんた、表情が暗いわよ?」
「こんな部屋に閉じ込められたら気分も暗くなるさ。それより今日は何しに来たんだ? 別に頼んでいたものもないはずだろ?」
ナダは鼻で笑いながら言う。
「今日はあんたに用事があって来たのよ」
イリスは持っていたトートバッグからから紐で止められた書類をナダのベッドの上に投げるように置いた。
「これは?」
ナダはその書類をぺらぺらと目を通しながら聞く。
「――ガーゴイルの情報よ」
「ガーゴイル?」
そういえば、とナダは思い出す。
ダンジョンから持ち帰ったガーゴイルの頭部は学園が有している研究所に預けたのだ。その結果が出たのだと、イリスは言う。
「中を見てみなさいよ、凄いわよ――」
イリスの言うとおりに、ナダは中身を見てみるとその中の一文に驚くべきことが書いてあった。
――ガーゴイルはアビリティやギフトに反応し、皮膚を石化させる能力あり。
その際には強力な硬さが発揮されるので、学生のアビリティやギフトなら殆ど通じなくなるとのこと。
「なんだよ、これは――」
ナダは眉を顰めた。
「どうやら後輩たちがやられていたのはこれが原因のようね」
「俺以外の天敵だな――」
「でしょ? その先も読んでみなさいよ」
イリスは微笑んだ。
彼女の言うとおりにその書類の先を読み進めると、ナダたちが普段潜っている迷宮であるポディエのことについて書かれていた。
――尚、ポディエは遠い国の言葉で“力”の意味を持つ。このモンスターにアビリティやギフトが通じないのは、ポディエの迷宮としての特徴の可能性もあり。
「どういうことだ?」
ナダは首を捻った。
「察しが悪いわね。要するにポディエの迷宮としての役割は、“力”を示せってことよ。ここでの力は腕力のことじゃないの? 脳みそまで筋肉のあんたに相応しいダンジョンね」
「うっせ」
イリスの小言にナダは小さく呟いた。
彼女はそれに小さく笑うだけだ。
ナダは続けて浮かんだ疑問をイリスにぶつけた。
「……でもさ、どうして“力”を示す必要があるんだ? ダンジョンはカルヴァオンの生産地としての役割しか無いだろ?」
無知なナダにイリスは溜息を吐いてから説明をした。
「馬鹿ね。あんた、知らないの? ダンジョンはね、昔の英雄たちがいた頃――まあ、アダマス様ね。あの頃は世界の安定のためにあるとされていたのよ」
「安定?」
「ええ。二十二の迷宮を踏破することによって、世界の安定を図っていたそうよ。今ではその半分以上が姿形も無いけど、古代の人には神聖な場所だったんじゃない? ダンジョンは」
「それが今じゃあ、金の亡者たちの集まる墓場――か」
ナダは自嘲気味に呟いた。
イリスは「そうかもしれないわね」と反論はしない。
「あ、そうそう。あんたは知らないと思うけど、最近、学園で“ある噂”が流行っているらしいわよ」
イリスは思い出したようにイタズラな笑みを浮かべた。
「…………どんなのだよ? どうせ碌でもないのだろ?」
ナダは諦めたように呟いた。
学園での自分の立ち位置は理解しているのだ。
「あんたはガーゴイルを斃したでしょ?」
「……ああ」
「あれね、実はアギヤが倒したんじゃないか、っていう噂が立っているわよ」
「はあ?」
ナダは呆れた声を出す。
「どうもレアオンがダンジョンに行く前にガーゴイルを倒すことを誰かに言っていたらしいのよ。だからナダがガーゴイルの頭を持って帰ってきたから、奪ったんじゃないか、って。特にレアオンは肋骨などが折れていたらしいから。あんたの馬鹿力で。だからあんたはアギヤから獲物を奪った極悪人らしいわ――」
「それはそれは――」
ナダはしたり顔をする。
「まあ、ついでにだけど――アギヤが潰れたらしいわ」
「はあ?」
ナダはまた素っ頓狂な声を出した。
「どうもね、次々とメンバーが抜けたらしいわ。最初はナダの代わりに入った新人。次はナナカちゃんね。急に二人も欠員が出たから、そこから雪崩れるように、ね――」
イリスは淡々と語りだした。
「それにしても急だな――」
「どうもね、あの迷宮でのあんたとレアオンの会話に戦慄を覚えたみたいね。ナナカちゃんから聞いたけど、いつ他のメンバーと変えられるのか分からないのは恐いかららしいわ。だから新しいパーティーを探すって」
「そういえば、ナナカはイリスと交代で入っていたな」
「そうよ。実はね、数日前に私もレアオンにパーティーに戻らないか、って言われていたのよ。それを聞いていたナナカちゃんが、自分と入れ替わるのは恐いって言っていたな」
「ふーん」
ナダは興味がもうないのか、ベッドの上に横になって掛け布団を被った。
そんなナダに、イリスは意地悪な質問をした。
「どう? ナダは今、レアオンに思うことがある? 例えばざまあみろ、とか、因果応報だ、とか」
だが、ナダはその質問には頷かない。
「ねえよ。あいつは有能なアビリティを持っている。たとえ評価が地に落ちたって、パーティー先には困らないさ。あいつの索敵能力は万能だからな」
そんなナダの言葉が気に食わなかったのか、イリスは「つまらない男ね」と吐き捨てた。
「じゃあもうそろそろ私は帰るわ。あんたも丈夫そうだから、もう学園にもダンジョンにも行けるようにしといてあげる。精々、沢山働いて、私に恩を返しなさいよ」
それだけ言い残して、イリスは帰っていった。
一人残された部屋で、ナダは石ころを握りながら考える。
ここ最近は色々な事が起きた。
いいことなんて一つもない。起きたことは全て最悪なことばかりだ。
全体として考えたら、おそらく今はマイナスだろう。
ガーゴイルの稼ぎは防具の新調や武器の修理で消えた。後はククリナイフもまた用意しないといけないし、ここ数日の軟禁生活で少しずつお金は減ってきている。プラスマイナスで考えれば、ガーゴイルを倒した旨味など殆ど無い。今になると、レアオンの誘いに乗っとけばよかったな、と後悔するほどだ。
もちろん、武器のランクも落ちたままで、防具もそれは同じだ。パーティーのメンバーなんて当然いない。また今回、悪評が広がったので、これまで以上にパーティーは組みにくくなるかもしれない。
また体はここ数日でなまり、また鍛えなおさなくてはいけない。学業だってきっと遅れているので、ダンに頭を下げに行かなければならないだろう。このままだと卒業だって危ういかもしれない。
状況としては以前より悪くなったと考えるほうが妥当だ。
けれども、心はまるで窓から見える晴れ渡った空のようだった。
ナダは石ころを強く握った。
その石ころは以前より重く、そして熱いように感じた。