第十九話 レアオン
ナダとイリスはそれからダンジョンの帰り道を歩いていた。
ナダが前衛で、イリスが後衛だ。
ナダはたった数十分で一人でも歩けるようにまで回復した。その体には壊れた鎧と把持したポーチを何とかつけて、重たい青龍偃月刀まで持てるようになった。
そして、その左手には――ガーゴイルの頭部を持っていた。もちろんポーチの中には瞳とは別に赤く光るカルヴァオンも入っている。ナダとしては他のガーゴイルの体も持って帰ってきたかったが、その大きさと重さから諦めた。もちろんガーゴイルが普通のモンスターなら素材を持ち帰って、防具や武器にするという選択もあったのだが、ガーゴイルは石になりばらばらになってしまってため、それらにするのは難しいと判断したのだ。だから最も価値のありそうな頭部だけこうして持っている。
ナダは顔色が良いので見かけ上は怪我が治ったように見えるが、あくまで見かけだけだ。包帯のしたではまだ皮膚が化膿し、骨折は何一つとして治っていない。薬の副作用で痛みが消えているだけだ。
まだ全快とは言い難い。
二人が通っているのは小道である。花ではなく、水晶で彩られた狭い道だ。ナダもここを何度か通ったので経験則だが、この道は何故かモンスターが通らない。だから注意もあまりせず、安心して進む。
――そんな時、足音がした。
前からだ。
一つではない。
複数ある。
「ナダ――」
イリスがナダを庇って前に出ようとするのを、ナダが偃月刀を持っていた左手で制した。
そして数秒後、奥の闇から人影が現れた。
六つ、その影はある。
その一人が――レアオンだった。
ナダとイリス、両人ともに因縁のあるパーティーのアギヤだった。
「ナダ?」
声を出したのは、パーティーの先頭を率いていたアギヤのメンバーの一人であるナナカだ。
目の前に顔見知りを見たので驚いたような顔をしていた。
「ナダ……だって? どうしてこんなところにいる? それにイリスさんも――」
奥からまた別の人物が現れた。
レアオンだ。
彼はナダがいた時代からだったが、パーティーで移動する時は真ん中に位置し、状況に応じて前衛にも後衛にも遊撃する冒険者だった。
そんな彼が、こんな場所でナダに会ったことを不思議に思っているようだ。
「なんだっていいだろ。通せよ――」
一方のナダは、まともにレアオンと話す気など無かった。
早く帰りたかったからだろうか。それとも“反り”の合わないレアオンと喋ることを躊躇ったからだろうか。その真意は不明だが、彼のことを邪魔者だと思っているのは確かなようだ。
「ナダ、それって――」
だが、そんなナダの気持ちには気づかずに、ナナカは彼の右腕に抱えている頭部を見つけて指をさした。それに他のアギヤのメンバーも注目する。石で出来た頭部だが、目だけが赤く光っているのだ。
それは――アギヤがこれから討伐する予定だったモンスターと酷似していた。
「たった今、斃してきたモンスターだよ――」
ナダは短く答えた。
レアオンはその抱えている頭部を睨めつけて、ナダにゆっくりと言った。
「――それと何処で会ったんだ?」
ナダはニヤリと口角を上げて、後ろを指差した。
「この先だよ――」
「その先は一本道なのか?」
「さあな、忘れちまったよ。それより、もういいか? 俺は早く帰って休みたいんだよ」
ナダはとぼけた表情をして、溜息を大きく吐いた。
そのナダの様子に、レアオンは苛ついて舌打ちをしながら言った。
「もしかしてそのモンスターは――巷で有名なガーゴイルじゃないのか?」
「さあ、どうだろうな――」
ナダはまたわからないふりをした。
とは言え、それがアギヤの求めるガーゴイルであっても、アギヤは強引に奪うようなことは出来ない。学園の規則でダンジョン内での強奪行為は禁止されているからだ。もし他の冒険者と会った場合は静かにすれ違うことを推奨している。もしこの規則を破ったことが発覚した場合、学園から非常に重たいペナルティが待っているのだ。
「ナダ――話があるんだが」
レアオンは優しい口調で話しかけるが、
「俺にはない」
ナダは一瞬でそれを断った。
だが、レアオンの話は続く。
「ナダ――アギヤに戻る気は無いかい?」
「……」
ナダは黙った。
だが、その発言にアギヤのメンバーは皆が驚愕していた。
特に新しく入ったであろうライオは次に自分が切られるのではないか、と一回だけ体を震わせた。
「僕は驚いたよ。正直、君を見直した。また、僕達と一緒に潜ろうではないか? 君は未来がない冒険者じゃなかった。有望な冒険者だった。君を切ったのは申し訳ない。僕のミスだった。だが、今度は違う。僕は君を二度と斬らないこと誓おう。イリスさんだって、それを望んでいるんじゃないか?」
「……」
イリスはレアオンの言葉に、何一つとして反応しなかった。
だが、彼の話は続く。
「もちろん、君の鎧も返すし、武器も返す。何ならその所有権をパーティーから、君に移してもいい。どうだい? 君にとっても損じゃないだろう?」
レアオンはゆっくりと脳内に染み込むように言った。
それは甘い誘いだった。
アギヤの時に持っていた武器は当然ながら青龍偃月刀よりランクは上だ。切れ味や耐久性などは今と変わらないだろうが、あちらのほうがまだ軽く、希少なモンスターの素材から作り出した武器なので、振る度に衝撃波が出るという追加効果まである。それにまだ出会って数十日しか立っていない偃月刀と比べても、あの大剣のほうが親しんだ武器であった。ナダとしては、武器よりも鎧を得られることのほうが大きいだろう。以前に使っていたよろいのほうが、壊れたこの鎧を直したのよりいいのは確かだ。もちろん新しいのを買うのも選択も一つだが、あれ以上の防具を手に入れるのはなかなかの苦労がかかる。
「その代わりにこれが欲しいのか?」
ナダは持っていたガーゴイルの頭部を前に出した。
「そうじゃないんだよ。僕としては、それをアギヤが討伐したという名目さえ貰えればいい。もちろんそれの素材やカルヴァオンは全て君のものだ。悪い話じゃないだろう?」
確かに、話としては悪くなかった。
冷静に考えればメリットのほうが多い。
だが――
「――断る。俺はお前の所に戻る気などさらさらない。言っただろ? お前とは馬が合わないって」
ナダがその誘いを受けることはなかった。
ナダにとって、アギヤを抜けた時から何一つとして後悔などないのだ。
あの武器にしても、防具にしても、それからパーティーやその仲間にしても、ナダからすれば全て過去のものだった。
「残念だよ」
レアオンは落ち込むように肩を下げた。
「……」
ナダは何も言わない。
行動にも出さない。
レアオンを睨みつけることもなく、淡々としていた。まるで作業のように。
そして、レアオンがまた別の提案を出した。
「それなら――僕達にそのガーゴイルを譲る気はないかい? もちろん、その結晶石も含めて」
その言葉に誰もが息を飲んだが、ナダは何の反応も見せなかった。
まるで予想がついていたように、そっと溜息を吐いた。
だが、甘美なレアオンの誘いは続く。
「その代わりに、君が手に入れたカルヴァオンの相場の三倍だそう。もちろん、僕らが学園にそれを討伐したと出した後は、その素材を返してもいい。何なら、君にあれらの装備も譲ろう――」
ナダは何も言わない。
しかしながら、レアオンの話はまだ続く。
「三倍じゃあ駄目かい? 四倍、いや、五倍ならどうだ? 何なら君に僕のルートを使ってパーティーの斡旋をしてもいい? どうだい? これでも足りないというなら――」
「もう、黙れよ。お前。喋んな」
レアオンの話を遮って、ナダは言った。
そこには呆れが混じっていた。
「僕だって追い出した君にこんな話をするのは虫がいいことは分かっているさ。でも――」
「でもも、だがも、ねえよ。分かんねえかなあ?」
ナダは大きな溜息を吐いた。
「……何をだい?」
レアオンが目を伏せる。
「――俺はなあ、今、サイッコーにいい気分なんだよ! 迷宮に潜る意味が見つかって、人生の目標ができてさあ! それをな、そんな気持ちいいところで、てめえの言葉で汚すなって言いたいんだ!!」
ナダは吹っ切れたように声を大にして言う。
「――何?」
一方で、レアオンは目が厳しくなった。
ナダは顔に愉悦を浮かべながらガーゴイルの頭部をイリスに渡して、青龍偃月刀の刃先をレアオンへと一直線に向けた。
「決めろよ。そこを退くか、退かせられるか? お前が決めろ、エテ公――」
ナダは言い切った。
「それで退かなかったらどうするんだい?」
レアオンは目が釣り上がった。
それは彼の激しい怒りを表していた。
「邪魔者は退かせるだけだ――」
「迷宮内でのご法度だよ。それは――」
「だから? いいから、俺を通せよ。エテ公と関わっている暇はねえんだよ」
ナダはゆっくりとレアオンへ近づいた。
それに触発されて、レアオンが動いた。
「――なら、僕は防衛をさせてもらうよ。『第三の目』」
レアオンは剣を抜いた。
まるで刃がガラスのように透き通っている。それは業物だ。ダンジョンに出るとあるモンスターを討伐して得られたものだ。それはエクスリダオ・ラガリオと同等のモンスターだ。もちろん、武器のランクはレアオンが上だ。
さらに――レアオンは目を強く見開いた。
アビリティが発動する。
――『第三の目』。
その効力としては、三百六十度、隙がなく見渡せることだ。この能力はパーティーにおいて罠の発見や逸早い索敵探索ができることにより、リーダーとして普通のパーティーよりも素早く指示が出せるので、彼がアギヤのリーダーに選ばれた所以でもある。
だが、それは一対一の戦闘でも発揮されるのだ。レアオンがアビリティを発動すると、前後左右全てが見えることにより、不意打ちは効かない。たとえそれがアビリティであろうと、ギフトであろうと。
そんな強力なアビリティと卓越したレアオンの戦闘技術によって、学園内でも上位の戦闘力を有している。
ナダも当然ながらそのことは知っていた。
それでも、偃月刀を構えるのは止めない。
ナダはゆっくりと歩くようにレアオンへと近づいていく。
ナダの体はもう痛みを訴えていなかった。薬によって麻痺しているのだ。そもそもガーゴイルとの死闘によって、今動けていることすら奇跡に近い。ダンの回復薬がなければ、後数時間はあの部屋で寝込んでいるはずなのだ。
それでも、ナダは歩く。
「好きにしろよ。邪魔なんだよ、お前。そろそろ、俺の前から消えやがれ――」
そんなナダの挑発にレアオンは乗らない。
あくまで自己防衛だということにするのだろう。
ナダはもう投げナイフを持っていない。痺れ薬などの飛び道具も持っていない。ククリナイフもない。ましてや相手には不意打ちが通じない『第三の目』という優れたアビリティがある。小細工は不要だと思った。
ナダは片手で青龍偃月刀の端を持って、レアオンが射程圏内へと近づくと、ただ横に薙ぎ払った。
レアオンの持っている剣は短い。リーチ差ではナダに分がある。レアオンは剣を縦にして、ナダへと一歩詰めながら偃月刀に刃を当てて、滑るように受け流して相手の懐に入ろうとする。事実、それは成功した。レアオンは刃を避けて、柄の中程まで距離を詰める。
しかし――ナダは剣を強引に腕力のみで潰して、レアオンの体ごとダンジョンの壁まで吹き飛ばすように退かせた。
レアオンに傷はない。壁まで飛ばされたとはいえ、剣と鎧の上から、偃月刀の柄が当たっただけなのだ。ダメージはほぼなかった。
だが、体が動かない。ナダの背中を見ているだけで、恐怖によって体が動かない。
対してナダはレアオンへと振り返ることもなく進んだ。かつてのアギヤのメンバーはそんなナダに、道を譲る。イリスもその後を追った。
レアオンは動けない。
ナダの背中が、強大なモンスターと重なるように見える。これまでに会ったどのモンスターよりも力強く、凶暴で、理性がない。釣り上がったナダの犬歯はまるで獣のように思えた。あれに歯向かったら最後、冒険者の掟など関係なく――殺されると、レアオンは思った。
レアオンはイリスがこちらを一瞬だけ見るのも気付いていた。その手にガーゴイルの頭部があるのも見えていた。
だが、決して、レアオンは動こうとしなかった。壁の横でずっと蹲っていた。
今夜、0時完結予定。