第七十三話 底Ⅹ
いです。
「くそっ!」
砂煙が舞い上がった湖底からオウロの怒号が響き渡った。
煙が晴れると、オウロは何事もないように立っていたがその体にダメージは確かにあったようだ。口の端に赤い筋がついている。きっと立ち上がった時に血を吐いたのだろう。
「何があったのよ!」
ナナカはオウロの言葉に反応するように叫んだ。
「あの顔は――私の仲間だ!」
オウロの瞳は黒い炎に染まり、真っすぐヒードラを見ていた。
彼の無数にある顔をよく見てみると、ロドリゲスの他にも見知った顔があった。もちろん付き合いが一番長いロドリゲスをよく覚えているが、他の顔を注視してよく分かった。
シューヴァの皺くちゃの顔。
ダミアンの糸目。
フェリペの大きな丸い顔。
マルセロのずるがしそうな顔。
アナの素朴で可愛らしい顔。
その全ての顔がヒードラの顔の一つとして機能していた。
オウロはあの日の事をよく覚えている。
自身がリーダーを務めて、大失敗を起こした日の事を。取り返しのつかないミスを犯して、全ての仲間を失った日の事を。
オウロにとって、あの日は悪夢だ。
二度と味わいたくない日であり、これからも一生心に刻まないといけない日だ。
だから湖に入る前にダーゴンと戦った時も、仲間の仇と思って全力で殺しに行った。きっとあの場で仲間を殺したモンスターは死に、自分の復讐は終わる“筈”だった。
だが、こうして死んだ仲間の死体を利用されるとは思ってなかった。
癪に障る。
いや、それだけでは終わらないような感情だ。
腹の底が煮えくり返るような。どろどろと黒い感情が腹の底で沸き上がり、まるでヘドロのように自分の中にしつこく広がる。
絶対にヒードラをこの手で殺したい、と強く願ってしまう。
「どう言う事だ!」
カテリーナが叫んだ。
「つまり、あいつはこれまでマゴスで死んだ冒険者の首を自分の顔として付けているんだ!」
目を凝らしたオウロには、仲間以外の顔もよく見えた。
見覚えのない顔ばかりだったが、それらの顔に一つとして同じものはない。きっとこの迷宮で亡くなった冒険者の顔を張り付けているのだろう。その顔は無数にある。きっとこの“数年間で亡くなった冒険者の数以上”の顔を張り付けている。
一体、いつからあの顔を集めているのだろうか、と思うと過去の冒険者達の無念がヒードラの後ろに怨念のように見える。
おそらくだが、オウロ自身が生まれるよりももっと前に死んでいった冒険者たちもいるのだろう。なぜそれが分かったのかと言えば、過去に“黒騎士”達がつけていたとされる黒い兜が無数の顔の中にあったからだ。故郷でかつての先人がつけていたものを見た事があったオウロに間違える筈がなかった。
「我らが冒険者の顔を戦利品のように顔につけるって? とても悪趣味だな――」
ハイスは蔑むようにヒードラを睨んだ。
だが、その場から動くことはない。目でヒードラを牽制しながら、その場にとどまっていることを確認しているだけだ。ハイスはヒードラへの怒りをふつふつと感じながらも、ラヴァとしての最低限の仕事は忘れない
そして左手には『秘密の庭園』をいつでも展開できるように準備している。
「でも、狩られる側のモンスターとしたら、私たちへの恨みは当然で、この仕打ちも当然だと言えるかもしれないけど、“冒険者である私達”が許せるような所業ではないわ――」
ナナカは吐き捨てるように言った。
ナナカはこれまでと同じように『鉛の根』でヒードラを縛ろうとしているが、やはりうまく行かない。
自分のアビリティの力が圧倒的にヒードラに負けているのである。
「でも、そもそも私たちの意志は同じであろう? 殺すと言う思いの強さが増しただけ。これまでとあまり違いはない。違うのか? それに――彼らは“モンスター”で、私たちは“冒険者”だ。殺すのは当たり前の事だろう?」
カテリーナは不思議だった。
冒険者がモンスターを殺すことに理由など必要なのだろうか、と。カテリーナは自分が職業としての冒険者としての自負がある。
そこに慈悲などない。
冒険者とはモンスターを無条件に己の為だけに殺す存在で、モンスターは冒険者に殺される為だけに存在すると。その過程で逆も“たまには”あり得るが、基本的にはこの構図は変わらないと思っている。
だから自分たちは感情に縛られることはなく、淡々と冷酷に“職業”としてモンスターを殺さなければならない。モンスターに憐れみを覚える事もなければ、憎しみを抱くこともなく。それは職業としての冒険者として正しい在り方だった。
「確かに変わらないな――」
カテリーナの言葉の当たり前さに気付いたハイスは思わず笑ってしまった。
「それは、カテリーナの言う通りだな――」
先ほどまで怒りで頭が埋まっていたオウロは、カテリーナの冒険者としての矜持を聞き、少しだけ冷静になれた。
思わず笑ってしまうほどだった。
例えヒードラの体に仲間の顔がなかったとしても、自分はきっとヒードラを殺す選択肢を選ぶ。先ほどだってそうだったはずだ。だからきっとこの感情はヒードラを殺す理由が増えただけ。殺さないという選択肢は、彼らがモンスターで、自分が冒険者であることから、依然として一切ないのだ。
「先ほどまでと一緒で、倒すのであろう? 変わらずに」
カテリーナは、ふふん、と笑った。
強力なはぐれ。人の顔を持つ得体の知れないモンスター。湖の底という道のフィールドであっても、冒険者の責務は変わらない。
カテリーナは自分の仕事を全うするかのようにヒードラの正面に立った。
距離はある。
剣は届かない。
だが、鞘へとしまった剣を、少しだけ抜く。
『閃光』だ。
アビリティを使った。
目つぶしの為だ。
ヒードラに効くかどうかは分からない。だが、まだ使っていないのだ。これが効くかどうかで、今後の戦略が変わるのである。
ヒードラは一瞬だけ、動きを止めた。だが、その後先ほどまでと変わらず動き出した。上体を大きく上げて、波で圧し潰そうとされたので、カテリーナはその場から逃げ出す。
結果は、効いた。
この結果に、カテリーナは薄く微笑んだ。
『閃光』によってヒードラが動きを止めている間に、『ラヴァ』の他のメンバーは何もしていなかったわけではない。
まず、熱心に動いていたのはハイスだ。
彼はヒードラの動きが止まったことで、近づくチャンスを得た。その隙を使って、『秘密の庭園』によってヒードラの固い皮膚を削り取る。その後は水圧が襲ってくるのが予測できたため、ハイスはその場からすぐに離れた。
ハイスの目論見通り、上から下へ落ちる滝のような水圧がハイスの元居た場所を襲うが、既にそこにハイスの姿はない。
そして水圧が消えた頃、今度はその場にオウロが現れた。ヒードラは水を操る得能についてはダーゴンよりも上のように思えるが、その分、スピードが遅い。こちらの攻撃を躱すような姿は見受けられない。
だから、オウロが現れた。
持っていた刀に、それもずっと持っていた大太刀は既に背中にしまっており、いつの間にか抜いていた小太刀にたっぷりと『蛮族の毒』を施す。もうオウロに自分のアビリティについての不安などない。これまで育てた己のアビリティを全力で使い、剣から垂れた黒紫色の毒が水に溶けて剣の周りを染めながらヒードラへと真っすぐに駆ける。
オウロは体に熱を回し――剣を突き出した。
狙いはハイスが作った傷。
そこに深く突き刺した。剣を伝い、毒が、それも全力で濃度を高めた毒が、ヒードラを侵食するのを感じる。
それと共に、オウロは小太刀を抜くと言う動作は取らず、その場に突き刺したままその場から離れた。
――直後、オウロのいた場所に渦が巻き起こっていた。思った以上に深く差していたため、オウロはその場から離れるのが少し遅れて、渦を足に掠ってしまった。それは斬撃のように鋭い波だったので、鋭く引き裂かれる。
だが、オウロは大太刀を抜いて、戦闘の意志は無くさない。
次の攻撃に繋げるためだが、今のところは隙が無い。無数の渦がヒードラを守るように動いているためだ。その分、オウロ達への攻撃が止んでいるため、オウロにとってはいい傾向だった。
「さあ、そのまま蝕むんだ――」
オウロは絶対の自信を持つアビリティの効力が現れるのを待ちながら、冒険に出る前の会議でのハイスとの会話を思い出す。
「オウロ、君の武器は聞いている限り非常に強力だ――」
「知っている。その為には条件も多いがな――」
オウロは自身のアビリティについて、弱点もきちんと把握している。そのための工夫も常に考えているほどだ。
「そうだろう? だからこそ、オレを使うんだ――」
「詳しく話そうか――」
オウロの剣のみでもきっとヒードラの体に傷をつける事は出来るだろうが、毒が浸透するほど深い傷を付けられるとは思えなかった。だから、ハイスのどんなモンスターの装甲でも傷つけることならできる『秘密の庭園』を利用して外皮を剥がすのだ。そしてモンスターの内側に毒を流す。強大な敵が現れた時のシミュレーションの一つとして、そう二人は話し合っていた。
オウロの『蛮族の毒』とハイスの『秘密の庭園』という二つのアビリティの掛け合わせ。どちらかを単体で使うのではなく、お互いのアビリティの持ち味を生かし、より高い相乗効果を生み出す。
どこのパーティーでも行っている――アビリティの化学反応を、二人ならではの高い次元で生み出した結果だった。
また、その話は事前に他の仲間にも話していたため、カテリーナもそれが分かった上で、自身の『閃光』を目くらましとして使った。自分に注意を向けて、二人の攻撃がうまく行くためにだ。
カテリーナは二人のアビリティに自分のアビリティを組み合わせる事で、より高い化学反応を生み出したのだ。
だからこそ、次の結果に繋がる。
一瞬、渦が弱くなった。
毒が回ったのだ。
その隙に、とハイス達はすぐに動こうとするが、
「まだ、動くな――」
それをオウロは止めた。
「何故よっ!」
ナナカは『鉛の根』を使おうとしていたのを止める。
「あれは“即効性の麻痺毒”が少し効いただけだ。他にも毒は用意している。叩くのはもっと弱ってからだ――」
「本当なの?」
「ああ、私は絶対にあいつは殺す、そう決めている――」
だからこそオウロの毒には殺意が籠っており、これまでの中でも一番様々なものを配合し、ヒードラの傷口から滲むほど濃い黒紫色をしていた。




