第七十一話 底Ⅷ
ナダが作戦を決めてすぐに、『ラヴァ』のメンバーはヒードラへと向かう。その時からダーゴンを視界にも入れようとはしなかった。
それは、ナダへの信頼感からだった。
ナダなら何とかしてくれる筈。だからこそ、自分たちはヒードラを対処しなければならない。
だが、ヒードラの眼前に辿り着いたオウロ、ハイス、ナナカ、カテリーナの四人はすぐにヒードラを切りつけようとはしなかった。
その理由としては、準備不足があげられる。
ダーゴンは事前のパーティーの打ち合わせにおいて、戦う想定もされていた。もしも予期せず出会った場合、最悪の場合倒して先に進むと。だから七人は打ち合わせでどのように戦うかも想定していたため、あれ程までにスムーズにダメージも喰らわず戦いにおいて優位に進める事ができたのである。
だが、ヒードラに関してはそうではない。
もちろん議題に上がることはあった。だから七人ともその存在と名前だけはしっていたのだ。しかしながらヒードラの情報は少なく、戦う姿の情報もあまり知らなかったため、どう戦うか事前に話しても無駄だと言う結論に達したのだ。
だから、誰もヒードラとの戦いを想定していない。考えすらしていなかった。事前の話し合いでは、会えば即逃亡という選択肢を取ると決められていた。
――こんな状況にさえ、ならなければ。
四人はヒードラの四方を取り囲むように合図しあった。
誰も声には出さなかったが、顎と手だけを使い、誰がどこに行くのかを決める。『ラヴァ』においての副リーダーは決められていなかったので、それぞれが一番近い場所を位置するように自然と陣取った。
誰も音頭を取ったりはしない。
例えば長年王都でトップパーティーの一角としてリーダーを続けてきたハイスであっても、また“暗黙の了解”で『ラヴァ』に第二位の実力者だと認められているオウロであっても、また他の二人であってもナダのいない場でリーダーを演じる事はなかった。
その間にもヒードラは自分の体の周りに小さな渦を発生させる。それは四人目がけて進むにつれて、段々と大きくなり、巻き込む力も大きくなっていく。
それらを避けながら、四人は互いに目を配らせながら誰が、いつ攻撃するのかを無言で会話していく。この場で急遽作戦を組み、どうやってヒードラと戦うのかを全員で考えているのだ。
四人がナダから指示されたのは、ヒードラの“足止め”だ。決して倒せとは言われていない。
それはつまり、ナダはダーゴンをたった一人でも倒すつもりという事。
全員で当たって何とか戦っていたダーゴンを一人で倒すとは到底信じられない者もいたが、『ラヴァ』のメンバーはナダのこれまでの“実績”によりきっと成し遂げるのだろうと考えている。
そして、きっとリーダーの意志に沿うのならば、ここでは大して消耗もせずにヒードラの“足止め”のみを行い、ナダがダーゴンを殺してから全員で協力してヒードラを倒すのがベストなのだろう。
四人は目を合わせた。
そんなナダの考えも、もちろん全員が共有していた。
ハイスが目で言った。
「――どうする?」
勿論、それは確認である。
四人とも冒険者だ。いかに“ナダが優れた冒険者”だと分かっていたとしても、どれだけ命を削ろうが彼に適わないと分かっていたとしても、はたして足止めだけを任せられるのはそれぞれの矜持が許すのかと問いているのだ。
「――どうするもこうするもないでしょ!」
その質問に、最初に嗤ったのはナナカだった。
彼女はヒードラの後方に位置していた。
彼女は息を整える。ダーゴンに連続で使用していたため、アビリティの力は確かに落ちているが、まだ体の中に確かに残っていることは感じる。
これまで学生時代から振り返る中で優秀な冒険者として出来る限り、ナナカはアビリティを使用せずに冒険してきた。この冒険が過酷だとは聞いていたが、まさか自分の限界近くまでいや、それを超えるほどにアビリティを使わなくてはならないとは、想像していたが、体の内が燃え尽きて煤すらも燃やそうとしているような不思議な感覚だった。
ナナカはダーゴンの全身に『鉛の根』を使って動きを止めようとした時、簡単に引きちぎられたのを覚えているため、そんな馬鹿な事はしなかった。
狙いは胸びれ。それも片方。そこを止めるだけで魚の動きはだいぶ変わると、以前に聞いた事があったのだ。
ナナカの「縛れ」の言葉と共に何も持っていない左手を強く握ると、灰色の根っこがヒードラの胸びれを縛る。それは簡単に弾き飛ばされることはなく、ヒードラの進軍が遅くなった。
動きが止まったのである。
まるでナナカの『鉛の根』を排除するかのように、縛られた胸びれの近くに幾つもの渦が発生し、その場所に向こうと方向転換をしようとする。
だが、そこにナナカはいなかった。
ナナカは追撃をしない。
縛れたからと言って、彼我の力の差は理解しているのだ。すぐにその場から避難する。だが、常にヒードラと一定の距離を保って観察を続けていた。
ナダの言葉に従うなら、ナナカは最良の選択をしたと言えるだろう。
「――確かに動きを止めるだけなら簡単だろう。だが、」
カテリーナはヒードラの眼前に立って嗤いながら言った。。
既に剣は鞘にしまってある。それを目の前に抱えて刃を少しだけ抜いた。『閃光』を使ったのだ。カテリーナとヒードラを包み込むほどの光が放たれた。
だが、光だけだ。
ヒードラの目を潰しただけだ。
ヒードラは悶えるように気味の悪い声を出した。まるで脳の裏が引っかかれるような感覚に陥るが、その程度で怯えるカテリーナではない。
もしも足を止めるだけなら、これで十分だ。
一定の感覚で『閃光』を使い、ヒードラの目を潰す。それだけでカテリーナの仕事は十分に果たしていると言えるだろう。
「――それでは足りないと?」
オウロは目の潰れているヒードラの側面へ回っていた。
狙いはナナカが縛っていない胸びれである。大きな巨体に合わせて胸びれも大きく、オウロの身長ほどの大きさがあった。
オウロは体に熱が回る。特に湖中に沈むにつれてその感覚は強くなるような気がしている。だが、そう悪い感覚ではない。気のせいかも知れないが、この感覚が強い時は剣がいつもよりも鋭い気がするのだ。
そして、剣には『蛮族の毒』を纏わせている。これはあくまで保険である。
そのまま胸びれを、オウロは斬った。
本来の仕事ならこれだけで十分だ。
ヒードラの機動力を削ぎ、あとは逃げ回っているだけで。
だが、オウロはその後ニヒルに笑いながら胸びれを何度も斬ろうとはせずに、胴体の真下へと潜った。そして頭上にある胴体を全力で斬りつける。それも先ほど胸びれを切った時よりも強く斬りつける為に、より体に熱を回す。
固い感触をオウロは感じるが、確かに斬ったのだ。だが、その直後、そこに留まるような事はせずにすぐにオウロはこの場所から退避した。
「――まあ、それもそうか」
足止めではなく、ヒードラを倒すというオウロの行動に賛成するハイスは、オウロがヒードラを斬った時には既に背びれを斬っていた。思っていたよりも柔らかかったのをハイスは覚えている。
そのまま水の壁を蹴って滑るように移動し、背びれからそう遠くない位置の胴体目がけて左手を伸ばした。その先には『秘密の庭園』を作っている。
そのまま左手の先の空間ごと、ヒードラの皮膚を刈り取った。
浅いが、手のひら大ほどの皮膚を刈り取っている。
「つまり、全員の意志は同じという事ね――」
オウロとハイスの行動を見たナナカも臨戦態勢に入った。
尾びれの根本付近に移動して、剣で斬りつけたのである。深く斬ったつもりなのに、浅くしか切れなかった。
感想としては、脂肪が分厚いのだろうか、ということだった。
近くにいてもすぐに渦が飛んでくるため、ナナカは斬れたことが分かるだけに満足し、その場からすぐに離れた。
「そうみたいだな――」
ナナカの言葉に頷くようにカテリーナは、胴体と頭部の境目に近しい境目まで来ていた。
無数の首の間には果てしない闇が広がっており、この頭部の向こうに何があるかはカテリーナには分からなかった。そして頭部は石で出来ているため、それは斬りにくいだろうと胴体を浅く斬りつけてからその場から回避した。
四人は様子を見ながらも、徐々にヒードラを斬っていく。
この大きさだ。
渦により抵抗があるとはいえ、ダーゴンよりも攻撃が当たりやすいように思える。また胴体自体もダーゴンのように弾かれるような感覚はなく、浅く斬るだけなら軽く撫でるだけで簡単に斬り裂ける。
だが、その先が問題だった。脂肪が分厚いのか、ヒードラの命まで届いているような感じはしない。あくまで皮膚を削っているだけだ。
四人はそれぞれが目を配らせた。
足止めではなく、倒すことを決めた四人はどうやって倒すかを考えながらも、皮膚を削ぐ事だけを意識して攻撃していくことに決めた。
それを決めて直後の事だった。
ヒードラがまたあのけたたましい声を挙げた。四人はそれに耐えながらもその場から逃れようとするが、ヒードラを斬ろうと近くにいたため、先ほどよりも強くその声を聴いてしまった。
思わず、足が止まる。
それと時を同じく、ヒードラがまた新たな力を使う。水流だ。それも波や渦ではなく、上から下へとただ押しつぶされるような水流である。まるで重力のような圧力に四人は耐えきることができず、底まで落下することになる。
その途中でシィナが四人を守るようにギフトを使ってくれたため、底に叩きつけられることはなかったが、ヒードラから大きく引き離された。
それだけではない。
四人目がけて多数の細い渦が、突き刺さるように向かってきたのだ。
四人はすぐにそれから逃れようと地面を蹴り、水の壁を蹴って地を這うようにその場から逃れる。そんな中、只一人オウロだけは地面を強く蹴って、槍のような渦へと向かうように突き進んだ。
そのままうねるように地面を突き刺そうとする渦を肌で感じ、オウロは避けるようにしてヒードラへと向かう。渦は広がることがなく、吸引力はあったが、それに負けない速さでオウロはヒードラへと急ぐ。
辿り着いたのは、ヒードラの眼前だった。
どれが本当の顔か分からないが、この無数に存在する石の頭部の奥にきっとヒードラ自身の顔があるのだろう、とオウロは予想している。その顔を露わにしてから、致命傷を与えなければならないと思っている。
だからオウロは少しでも石の頭部を削ごうと、剣を大きく振り上げた。
――しかし、多くの石の頭部の中に信じられないものを見つけた。その殆どの頭部が石のように固まっていたのだが、まだ人肌を保った顔があった。
右目が白い義眼の頭部である。
それは見た事のないような悲痛な表情を浮かべているが、確かにその顔には見覚えがあった。
ロドリゲスだ。
ロドリゲスの頭部のみが、あったのだ。
思わずそれに見入ってしまい、オウロの手が止まってしまった。
その間にオウロの頭上からまた水圧が襲ってくる。オウロは剣を振るう余裕などなく、今度はそこに叩きつけられた。




