第六十七話 底Ⅳ
ダーゴンは槍を持っていない片手をナダ達に向けて振るった。
それだけで水が“左右”に分かれた。
大きな衝撃波だ。
それはラゴスティームの衝撃波とは、似て非なるものだった。彼よりも遥かに大きく、予備動作も殆どなかった。それなのにその衝撃波は地面を斬り裂き、そこにあった仲間である魚さえも無惨にも八つ裂きにしてしまう。
ナダは咄嗟の判断でダーゴンが手を振るった場所から大きく離れ、仲間達もそんなナダの反応を見てすぐにその場から左右二つに分かれるように離れた。その中でも満足に動けなかったニレナはカテリーナが脇に抱えていた。
ナダは衝撃波を避けた後も手で合図して幾つもの水の壁を作って、ダーゴンへと近づく。
そんなナダへダーゴンは幾つもの衝撃波を放った。
縦に、横に、縦に。
ナダは横に滑るように避けて行った。
ダーゴンはラゴスティームとは違い、衝撃波を放つのに“溜め”はいらない。腕を振るうだけで連続で衝撃波を放つことが出来る。そのどれもが冒険者にとっては必殺の一撃であり、まともに当たれば即死、掠るだけでも致命傷は避けられないだろう。
「ちっ――」
ナダは衝撃波を避ける事に専念しているので、思ったように近づけない事に苛ついていた。
そもそも、何故ダーゴンは衝撃波を連続で放てるのかという事にも腹が立った。
ラゴスティームが衝撃波を出せるのにはキャビテーションという現象と似ているため、ハサミを開けて閉じる事で出せるらしいがダーゴンにはそのような気配はまるでない。
腕を軽く振るうだけで、それだけで衝撃波を放つことができる。
まるで子供の児戯のような動きだけで、こちらを殺すことが出来る。
ナダにとってはとても嫌な事でもあった。これだけの威力と範囲なのに、相手には全くの制限がない。予備動作も必要なければ、回数制限も全くない。ギフト使いならもう玉切れの筈なのに、目の前のモンスターはそんな事はなくまだまだ余裕で何度も放てそうだ。
モンスターは、あくまで生き物である。
彼らも息をし、生命活動を行っている。疲労感だってもちろんあるのに、ダーゴンにはそれを感じない。
この程度、まるで余裕で放っているかのようだった。
ナダの武器は陸黒龍之顎しかない。投げナイフなどの飛び道具はあるが、水中だとそれらはまるで使い物にならないので結局は近づいて斬るしかない。だが、ナダは未だに近づくことすら出来ない。
それをすぐに察知した仲間が動いた。
「――縛れ」
ナナカだ。
アビリティを、『鉛の根』を発動させたのだ。ダーゴンの全身に空気のように透明に似た鈍色の根のようなものがまとわりつき、動きを阻害しようとするが、瞬時にダーゴンは断ち切った。
アビリティを発動したナナカには、自分の『鉛の根』を引きちぎられた事がすぐに伝わったので悔しそうに舌打ちするが、先ほどよりも強い口調で言った。
「――縛れっ!」
ナナカはアビリティの使い方を変えた。
自分のアビリティがダーゴンの全身を縛る力がないのは分かった。
なら、片腕なら?
ナナカはそんな考えを秘めながら“槍を持っていない手”を全力で縛った。ダーゴンの片腕に何本もの鈍色の根がまとわりつき、縛る。それはダーゴンの太い腕が三倍になるほど太くなる。
ナダやナナカ達に向けて振るおうとしていた片腕が、ナナカのアビリティによって――止まった。
その瞬間をナダは見逃すことなどない。
水の壁を何度も蹴って一直線にダーゴンへと向かう。自身の刃が届く距離まで近づくために。
だが、ダーゴンはナナカがアビリティを発動してから僅か数秒で、『鉛の根』を断ち切った。
強力なはぐれであるガラグゴの全身をずっと縛ることの出来た『鉛の根』は、ダーゴンの片腕を少しだけ縛るだけの力しかないアビリティなのだ。ナナカはその事に苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、ナダへと加勢するために他のパーティーメンバーと同じくダーゴンへと水の壁を蹴りながら進む。
ダーゴンの目は確かにナダを注視していた。
ダーゴンは“軽くなった”左腕を振るう。だがそれは先ほどと同じようにただ振るうのではなく、こちらへと近づいてきたナダへと向けて掴むように。
ダーゴンが生み出したのは“渦”だった。
ナダがいた場所に小指よりも小さな渦を生み、それは周りの水を引き寄せるようだった。最初は小さな力しか持たなかったが、すぐに大きくなり水だけではなく地面にある砂やニレナによって氷漬けにされた小さな力なども吸い寄せられるようになる。まるで濁流だ。全ての者を吸い尽くし、圧縮させて潰す力だ。
それは先ほどまでダーゴンが使っていた斬り裂く衝撃波とは、また違う力である。この力があるだけでも、このマゴスにいるどんなはぐれよりも強いだろう。もし人がこの渦に巻き込まれたら、ずたぼろになった氷漬けの魚と同じような事になるだろう。
だがそれは――巻き込まれたらの話だ。
ナダは渦が大きくなる前にそこから脱出していた。何度も水の壁を蹴っているナダは、その移動方法に慣れてきたのかスピードが段々と上がってきている。
慣れてきているのはシィナも一緒だ。彼女もこれまでより数瞬でも早く水の壁をナダ達が望む位置に作り、そして冒険者がそれを蹴って移動した瞬間に壁を元の水へと戻してまた冒険者が求める壁を作るのだ。
渦が数十メートルもの巨大なサイズになる頃には、ナダはダーゴンのすぐ傍まで近づいていた。
ナダは水の壁を蹴って勢いを付けてから、大剣をダーゴンの頭へと振り落とした。
ナダの重い一撃は簡単にダーゴンの黄金の三つ又の槍によって防がれた。それもナダは両手で剣を振るっているのに対し、ダーゴンは右腕で持っているだけの槍なのに。
ナダはすぐに体を上下に回転させて、水の壁を勢いよく蹴った。ダーゴンの尾びれまで移動しようとするが、それよりも早くダーゴンは自らの頭上へと泳ぐ。ナダから離れるためだ。
ナダはそれに気づいたと同時にまた体を回転させてダーゴンを追いかける。
移動スピードは、尾びれを左右に振って優雅に泳ぐダーゴンの方がはるかに速い。ナダの移動方法では決して追いつけない。
そんなナダをサポートするようにナナカがアビリティを使う。
「縛れっ! 動くな! 止まれっ!」
アビリティの連続使用。本来なら一度でいいはずのアビリティを三度もかけて、ナナカはダーゴンの尾びれのみの動きを止めようとする。だが、ダーゴンは尾びれをより強く、優雅に動かしてどの鈍色の根っこも断ち切った。
しかし、ナナカのアビリティは確かに効果があった。
どれも動きを止める事はままならず、短時間での全力でのアビリティの連続使用により、ナナカは急に顔色が青くなり全力疾走の後のような疲労感を抱えていたが、ダーゴンの動きは一秒にも満たない時間だけ遅くなった。
その間にナダがダーゴンに追いついている。
まず厄介なのは、大きな尾びれだ。その移動力を削ごうとしてナダは剣を大きく振り回した。
しかし、ダーゴンは水中で身をよじりまるで蛇のようにその剣を交わし、黄金の三つ又の槍でナダを突き刺そうとした。ナダはすぐに剣を切り返し、三つ又の先端と先端の間へと大剣をかませて自分の身に届くことを防ぐ。そのまま水の壁を強く蹴って三つ又の槍ごと力づくでダーゴンを切ろうとするが、残念ながらナダが全身を使ってもダーゴンの片腕の方がはるかに力は強い。
ナダはダーゴンが少しだけ腕を引いて、もう一度強く押した時の勢いによって遠くまで飛ばされた。水の壁を蹴って抵抗しようともしたが、その壁ごとナダは飛ばされたのだ。
何もない水中へナダは身を投げ出される。
すぐにダーゴンの下へ駆け寄ろうとするが、そんなナダへダーゴンは何も持っていない左の手の平を向けてそっと押した。
――瞬間、ナダの前の“大きな壁”が出現した。
それは波だった。
ナダを襲う大波だったのだ。
その波にナダを殺すような力はない。大きな圧力はあるが、ただ押すだけの単純な波だ。だが、単純な力押しであるがゆえにナダは抵抗できず、遠くまで飛ばされそうになる。
「――全てを圧し返す大いなる水。我が願いに応え、集い、全てを押し流せ」
だが、それよりも早く、シィナがギフトを使った。
技とも言えない水の操作だった。事実としてシィナはこのようなギフトの使い方をした事はなかったが、この場でダーゴンの波に対抗するため土壇場で作ったのである。
二つの波はナダを境にして争う。ナダはその勢いに潰されそうになるが、すぐの追加のギフトが彼を守る。
「――包み込み守る母のような水。彼の者を球にし、安らかなる時を与えたまえ」
新たな水のギフトはナダを球体のように包み込んだ。それだけではなく、ナダが壁を蹴るような仕草をするよりも早くダーゴンの元まで連れて行ってくれるが、ダーゴンまでの距離は遠い。
しかし、その間にはナダしか注目していなかったダーゴンの元に、ギフト使い以外の『ラヴァ』の仲間が到着していた。
ナナカだけ他の仲間と比べて少し遅れているのは、『鉛の根』を使った影響だろう。足を動かすよりもアビリティに集中していたため、少し遅れたのだ。
最初にダーゴンに斬りかかったのはオウロだった。ナダ以外のメンバーの中で、最も脚力が強く、シィナの作る壁に適応したのである。
ダーゴンがずっとナダのみに集中していたため、オウロは背後から袈裟切りをしようとする。
だが、ダーゴンの動きはこれまでに出会ったモンスターとは大きく違う。ステップで振り返るのではなく、大きくとぐろを巻くようにしてオウロへと向くのだ。ダーゴンはオウロの剣を防ぐように三つ又の槍を水平に構えた。ナダの時と同じく、柄の部分で受けたのである。
オウロの大太刀も、ダーゴンの槍を動かすには力が足りなかった。
それは知っている。オウロは何の悲観もしなかった。そもそもパーティー内で一番力があるナダですら、ダーゴンには刃が届かなかったのだ。ナダに力で劣る自分が、ダーゴンに押し勝てると思うほどオウロは馬鹿ではなかった。
だからオウロは大きく口を膨らました。
二の矢は勿論用意している。
オウロは口から『蛮族の毒』を吐き出した。オウロとダーゴンを中心にして、紫色の毒が水中に広がる。




