第六十六話 底Ⅲ
ダーゴンはまさしく王たる化身だった。
その身で攻撃することはなく、黄金の槍をナダあるいは他のラヴァの冒険者へと向けた。
それと共にダーゴンの横、あるいは後ろにいた魚人たちがナダへと襲い掛かる。
最初にナダに辿り着いたのはただの魚人だ。剣しか持っていないただの魚人である。それはナダの見る限りマゴスの浅層にいる只の雑魚にしかすぎず、地上では幾多もの冒険者が狩るカルヴァオンの源だ。
だが、ここでは違う。
水を得た彼らは二本の足を尾びれのように使って魚と同じスピードで湖内を泳ぎ、人並み外れた力で剣を振るう。まるでその姿は水を障害とも感じておらず、むしろ水の抵抗を力にしてスピードを出しているかのように思える。
その姿は先ほどまでの魚が武器を持ったと同様であり、危険度はきっと先ほど戦ったモンスターよりも上だろう。
とはいえ、その程度の強さであってもナダにとっては既に前座にしか過ぎなった。
剣を振るってくる。彼らのスピードは熟練の冒険者に等しい速さであり、また魚のように泳いでからそのまま剣を振るうから軌道も読みづらいが、これまで数多のモンスターを殺してきたナダにとってはその程度の初めての動きなど簡単に読める。
いや、ナダにとっては読む必要すらないのだろう。
相手の剣は幸いにも短い。
だから魚人の剣が体に到達する前に、ナダは大剣を振るう。その速さは明らかに魚人の振るう早さよりも早かった。その一撃は迫りくる二体の魚人を真っ二つにする。
続けざまに振るうもう一振りで、さらに三人の魚人を殺したが、迫りくる魚人はそれだけではなかった。
――無数の数だった。
ダーゴンの姿を見たナダには、周りに無数の魚人がいるのが見えた。彼らはそれぞれが武器を持っており、一体として素手はいなかった。武器を持っていないとすれば、それは魚人ではなく“ただの魚”だろう。
ダーゴンは魚人を操る力だけではなく、どうやら魚までも操る力があるらしい。
そんな事を考えているとダーゴンの周りにいた魚がすぐにナダへと襲ってくる。
それらの魚は先ほどよりも小さいので、きっとナダの剣であっても全てを殺しきることは難しいだろう。何故なら数が多すぎるのと、あまりにも小さすぎるからだ。
彼らは群れを成し、まるで一体の大きな魚と成してナダを襲ってくる。その全てがナダの肉体が目当てであり、たかが剣一本では対処することは不可能に近かった。
「――どうする?」
ナダは焦ったように舌打ちをしてから自分に問うように言った。
だが、その答えはすぐに耳に聞こえてきた。
「――氷の女神様」
その声は自分のはるか後方から聞こえる。聞きなれた声だ。凛としていて涼しい声だ。
ナダが振り返ってみると、大きな魚のような魚群にニレナは両手を伸ばしていた。
「哀れな子羊たる私に力をお貸してください。あなた様のような固く、冷たい大自然の一部を私にお与えください。私は彼らに永遠を望みます」
ニレナの祝詞を聞いた時、ナダは迷わず逃げる事を止めた。魚群と迎え撃つように背中にある水の壁を勢いよく蹴る。
ニレナが使うギフトをナダは何度か見た事がある。範囲は限定的だが相手を凍らせるギフトであり、その名を『凍てつく像』という。
ニレナの手から放たれたのは豆粒のような小さな氷の粒だ。だが、それはナダの横を通り過ぎるように凄まじい速さで魚群まで向かう。
そして魚群に当たったかと思うと、氷の粒は弾けて一瞬にして魚群は氷漬けになった大きな魚と化した。
凍らされて動けないとして慣性によって魚はナダへと突っ込むが、ナダは凍ったそれへと剣を振るった。大きな魚は砕けて地面に落ちる。ナダはそのままダーゴンへとまっすぐ向かうように水の壁を何度も蹴っていく。
だが、そんなナダは阻むかのように何体ものモンスターが立ちはだかった。
その全てがダーゴンの親衛隊と呼べばいいのだろうか。
体が真っ白な八体ものガラグゴである。それらが八方からナダを包むように襲ってくる。それも素手ではなく、彼らはダーゴンが持っているのとよく似た銀色の三つ又の槍をナダへと突き刺した。
ナダはすぐさま方向を変えるかのように目の前に水の壁を生み出し、体の向きを強引に変えてすぐに後ろへと体を戻す。
本来ならナダがいたはずの場所に八体ものガラグゴが槍を突き刺していた。
それにダーゴンからのナダへの刺客はそれだけではなかった。
船のように大きな魚。
周りに電撃を放つ無数のクラゲ。
投げ槍のようにこちらへと凄まじいスピードで狙い来る口先が尖った魚のモンスター。
それらがナダへと際限なく襲い掛かる。
その全てを殺している余裕などナダにはない。
ナダはそれらの攻撃を避けるように雷のようにジグザグを描きながら元の道を戻る。だが、それらの攻撃全てを避けられるわけがなく、ナダの皮膚を撫でるように薄い傷を作っていく。
それらは大したダメージになっていないが、この度マゴスにナダが潜ってから初めて付けられた傷だった。
ナダはそのモンスターを殺そうという気持ちにもなったが、あまりにも数が多すぎる。
それらを殺している余裕などない。
そもそもナダが目指しているのはあのピラミッドだ。それを目指している筈なのに、ダーゴンとその配下がナダの邪魔をする。
どうする?
どうやってここを対処する?
一体ずつ殺している暇も、余裕も、ナダ達にはない。
この辺りにいる全てのモンスターを殺そうと思えば、七人の体力と時間を全て使い切ったとしても足りないほどの量がいる。
どうする?
ナダは自分を襲ってくるモンスターの攻撃を全て避けながら少しばかりの思考で考えるが答えは出ない。
自分だけでもあのピラミッドのところへ行けるだろうか、と考えるが、最悪な事にナダが目指す先にはガラグゴのようなモンスターが十体以上も半球を描くように入ろうとする全ての場所を守っていた。
きっとその指示を出しているのはダーゴンなのだろう。
彼はナダより遥かに離れた場所で海中に漂い、決して自らの体を動かすことはなく黄金の三つ又の槍を向けてモンスターに指示を出している。
それによって本来ならナダ達を知覚不可能なモンスターでさえ、ナダ達を見つけて襲ってくる。
奴だ。
奴を排除しなくては。
ナダは先の攻略の為に邪魔なダーゴンを排除しないといけないと考えつつも、彼に近づくことさえできやしない。
ナダは焦っているが、決して無茶してダーゴンへと向かうことはしない。
それが窮地に繋がることを長年の経験から知っているからだ。
だが、このままではいけない。
ナダはモンスター達の無数の攻撃を避けながら仲間の様子を見るが、彼らは六人ともが固まってモンスター達を殺している。だが、彼らに群がっているのも相当なモンスターだ。先を目指そうとしているがその足取りが先に進むことは全くなく、苦戦を強いられている。
彼らを襲うモンスターの数が減ることはなく、このままだときっと彼らは力尽きて死に至るだろう。
いかに熟練の冒険者と言えど、体力には限りがある。
彼らを助けた方がいいのうか?
それともこのまま進んだ方がいいのか?
ナダはそんな選択に迫られるが、どちらが正解とも言えない。
彼らを助けに戻ったとしても、この大量のモンスターを引き継げれば逆に彼らがピンチになる可能性さえありえる。
だからナダはどうすればいいか分からないまま、モンスターの猛攻を避けるしかなかった。
だが、そんな時に転機が訪れる。
「――氷の女神様」
ニレナの新しい祝詞だ。
彼女はまるでこの状況を覆すかのように先ほどよりも強い口調で、その言葉を紡ごうとし、まるで空間全てを掌握するかのように、両腕を彼方へと伸ばした。
「哀れな子羊たる私に力をお貸してください。あなた様のような鋭く、冷たく、そして何よりも美しい大いなる大自然の一部を私にお与えてください。私が望むのは、息も凍るような氷の世界。嗚呼、氷の神よ、我が親愛なる神よ、私の望みを叶えたまえ」
それはよく聞いたニレナの凝るような祝詞。
彼女が持つギフトの中で最も強力で、最も範囲が広いものである『氷の世界』だ。
それは彼女が何度もこれまでに使ってきた最強のギフトであり、指定した空間を全て凍らせるギフトだ。
だが、ナダには際限なく広がるこの空間で、彼女がどこまでギフトを作用させるのかが分からなかったのでどこに逃げればいいか分からず、その場で立ち尽くしてしまった。
そうしていると、彼女の両手で全ての空間を撫でるかのようにギフトを放った。
ナダは信じられない光景を目にした。
彼女が手をなぞった空間の先、“全てのモンスター”が凍り付いたのだ。
その光景はまさしく白い世界であり、ニレナの世界だ。
彼女はこの辺り一帯全ての空間にいるモンスターを凍らせた。
どうやら周りが百パーセント水の状態でのギフトの破壊力は凄まじく、水と冒険者以外の全てを凍らせたのである。
だが、そんなニレナは酷く疲労していた。
肩で呼吸をし、膝を地面につく。
どうやら彼女は全てのモンスターの動きを止める為に、それもシィナの手を借りず一人でこの空間を作ったのだ。疲労は想像できないものだろう。
だが、そんな世界であっても――動き出すモンスターがいた。
黄金の三つ又の槍を持つダーゴンだ。
彼は凍らされた状況であってもそれらを振りほどき、動き出す。止まったモンスターを尻目にして、唯一動く自らが冒険者を殺すべく動き出した。
ナダはその状況に思わず嗤ってしまった。
これでようやくダーゴンと戦える状況になった。
それも仲間達と共にこれほど心強いことがあっただろうか?
ナダはこちらへと降り立ってくるダーゴンを見放さないようにしながら六人の仲間と合流した。
「――殺すの?」
意気揚々としたシィナの声。
それにナダは深く頷いた。
「ああ、先を進むのにあいつが邪魔だ――」
「言っときますが、私は協力できませんわよ?」
息を切らしながら言うニレナ。
「ニレナさんの動きはそれだけで十分だろう――」
オウロがニレナのフォローをしながらも、彼も戦う気満々だった。
いつの間にか大太刀を抜いていた。
ニレナを除く六人がダーゴンを殺そうと、臨戦態勢に入った。




