第六十三話 湖中Ⅱ
七人が取った小休止は三十分にも満たない時間だった。
あくまで息を整えるだけ。だからその間は全く言葉を出さず、水を飲んだり食べ物を口に入れる。体をほぐす者もいれば、目を閉じて休息に集中する者さえいた。
それが終わると、七人はゆっくりと迷宮を進もうとする。
だが、湖中は想像よりも広い。先が見通せないほどだ。きっと一日や二日では足りないほどの広さだろう。何故ならナダ達よりも遥かに大きな船のようなクジラのようなモンスターが悠々と泳げるほどの広さがあるのだ。
もしかしたら人の身では一生かかっても探索しきれない広さかも知れない。いや、オケアヌス中の冒険者を集めても足りず、それどころかポディエ王国に存在する全ての冒険者を総動員して人海戦術で探しても、探しつくせないほどとさえナダ達は思ってしまった。
しかしながらナダ達は七人しかおらず、モンスターだらけの湖中で単独で行動するのは危険だ。そもそも人を分けて行動するという考えは頭の中にはない。
ならば、どうやってこの“広すぎる迷宮”を攻略するか?
その答えを持っていたのはオウロだった。
「私の祖先は“底”を目指したらしい。過去の冒険者はマゴスの先に進む道を、“深海の底”と言っていた。ならば私達も先に進むのもそこだろう?」
過去の冒険者の手記。それもアダマスがいたとされる時代の、黒騎士と呼ばれるクランに所属していた冒険者によって書かれた手記だ。
そこに書かれた情報なので、信憑性は確かだ。そもそもその手記は湖中の存在について細かく書かれていた。
これはオウロが語った言葉だが、水中にいる幾つかのモンスターについては手記に書かれていたものと同じものが視認できた。
例えば先ほどのクジラに似たモンスターと同じぐらいの大きさを持つウミヘビに似たモンスターや羽のようなものを持つ魚のモンスター、また口の先がとがったトカゲのようなモンスターだ。どちらも遠くからでもはっきり視認できるほど大きなモンスターである。
オウロはその手記自体をオケアヌスに持ってきていた。
『ラヴァ』のメンバーは全員それを読んでいて、頭の中に知識として入っている。しかしながら、その情報はあくまで過去の冒険者の日記であり、真偽が不確かな事も多かったが、モンスターの形状が完全に一致していた事から偽物ではないかと疑っていた仲間もこの場に来て完全に信じるようになった。
また、迷宮の先へと続く情報を持っていたのはオウロだけではない。以前にここに来たことがあるナダも、確かな情報を持っていた。
「俺は以前に湖中の底で“神殿”を見つけた。そこには入り口があったぜ。それが本当に先へと続く道かは分からないけど、調べてみる気はあるんじゃねえか?」
ナダは以前に見た記憶を思い出す。
――緑がかった石で作られた巨大な建物を。石に見た事のない複雑な紋様がついている左右対称の四角錐の神殿のような建物を確かに見たのだ。周りには四つの細長い柱が立っているのも。
そしてその神殿には――間違いなく入り口があったのだ。
どこに繋がっているかは分からない。
もしかしたら神殿の中に入れるだけなのかもしれない。
だが、そんな神殿の周りを取り囲むように幾つもの魚人が並んでおり、そこにいる魚人たちもその建物を中心にして立っているようだった。普通のモンスターの行動ではない。基本的に彼らに意識や思考などはなく、迷宮を徘徊し人を襲うだけの存在だと考えられているのだから。
だが、時としてそんな行動をとらないモンスターもいる。そういった存在をはぐれと呼ぶのだが、ナダは過去に見たはぐれに照らし合わせて考えると、どうにも神殿の周りにいる魚人が“番人”のように感じられるのだ。
迷宮にはそういう存在がいる。
ナダも何度か会ったことがある。
彼らは通常のモンスターとは違い、冒険者を殺す本能の他にもう一つ別の思考を持っているのだ。例えば奥へと冒険者が進むのを止めようとするのだ。
ナダも何度か止められた記憶がある。
どうにも、彼らにも似たような本能があるのではないか、という思考が生まれてくる。
だが、本当に神殿の中が先に続く道かは分からない。
もしかしたら中に特殊なアイテムがあるだけかもしれない。しかし、行った方がいとナダの直感が告げている。
そんなナダの判断を反対する者は、『ラヴァ』の中には一人としていなかった。そもそもがマゴスの攻略において、手がかりが殆どない。信じられるのは先人たちの知恵であるオウロの持っている手記であるが、そこに迷宮内の詳しい情報は描かれていなかった。
ぼんやりと底とだけ、書かれてあったのだ。
またナダは自分の情報には自信があったが、確証がないため後にこう続けた。
「俺の情報が合っているとも限らないから、まずは底を目指そうぜ。神殿を目指すのが第一の目的だけど、他にも目ぼしいものはあるかもしれないしな――」
これにも仲間は反対しなかった。
妥当な判断だと誰もが思ったのだ。
それから底に進む方法を七人で話し合った結果、海藻に隠れて先に行くことに決めた。姿が見つかればいつモンスターに襲われるかが分からない。今後、先に進もうとすれば必ずモンスターと戦う事になるだろうが、それはきっと強敵だ。そんな強敵と戦うために必要のないモンスターを殺して、体力を消費することを避けたかったのだ。
七人は太い海草の茎を掴みながらゆっくりと降りていく。
波に揺られて動く海草に姿を隠しながら。
だが、海藻にも全くモンスターがいないわけではなかった。海草を覗きに来たのか、もしくは隠れに来たのか、食べに来たのかもしれないモンスターが襲ってきた。
どれも魚人などではなく、完全に魚に似たモンスターだ。ラヴァの中で一番小さいシィナの身長の半分ほどしかない体長しかないモンスターだ。どれも鋭い牙が生えており、人の柔肌など骨ごと砕きそうである。
どれも人の泳ぐスピードよりも速いので避けるのは難しいだろうが、殺すのはそう難しくなかった。ナダは必死に持っていなければ今にも底に沈みそうな陸黒龍之顎は既にハイスに預けているため、腰に付けてあるククリナイフを構えた。
こちらへと一直線に来る魚のモンスターの頭へ全力でククリナイフを叩きつける。
簡単に頭は割れて、そのモンスターは絶命した。
ナダは思った以上に手ごたえがないため肩透かしを食っていた。下手をすると、湖のほとりにいた只の魚人よりも弱いと思ってしまったのだ。
試しに殺したモンスターの体を割いてみると、小指の爪ほどのカルヴァオンしかなかった。マゴスでも浅層にいるモンスターよりも小さなカルヴァオンである。大金稼ぎのナダならば捨てるような価値もないカルヴァオンだ。
「まるで……マゴスとは違う新しい迷宮みたい……」
シィナが緑色に光るカルヴァオンを見つめながら淡々と言う。
確かにその通りだ、とナダの意見も一致した。
ここ――湖中はマゴスの中にあるもう一つの大きな迷宮のように思えて仕方がない。それもこれまでいたマゴスとは大きく環境が違う場所だ。きっとここはまだ浅い層で、弱いモンスターしか出ないのだろうと七人で結論付けた。
それからまだまだ先が見えない底を見据えながら七人は進んでいると、遠くに他とは一線を画するモンスターが現れた。
“それ”の体長は確かに人と比べると大きいが、船のような大きさを持つクジラやタコと比べると遥かに小さいモンスターだった。六メートルから十メートル程だろうか。遠いので詳しい大きさまでは分からない。
よどんだ両目は突出していて、分厚くたるんだ唇と首の横についた大きなえらがついおり、他の魚人たちと変わらぬ両生類のような見た目だ。
二足歩行なのだろうが、水中ではその足を絡めるように纏めて一本の尾びれのように使って水中を進んでいる。手と指の間にはみずかきがあって、両手には鋭い爪が生えている。体は大きくて固い鮮やかな緑色の鱗に覆われている。
そしてそのモンスターは、黄金に光る三つ又の槍を持っていた。
“それ”が湖中を進むと、全てのモンスターが道を譲る。まるでそのモンスターを恐れているかのようだ。
そのモンスターを見た時、ナダにはどうにも単なる大きな魚人、もしくはガラグゴの大きくなった特殊個体としか思えなかったが、隣からよく聞いた名前が耳に入った。
「――ダーゴン」
ナダはシィナの言葉で、思い出したのだ。
マゴスで最も危険だと言われているはぐれの名前を。
そして、誰がそのはぐれに因縁を持っているかを。
ナダはシィナの顔を見つめた。
そのはぐれを見つめる彼女の瞳はナダの想像通り細長い、一目で分かるほど強い憎しみを宿していた。




