第六十一話 マゴスⅦ
三体もの邪魔なガラグゴを倒したナダ達一行は、一つの場所に集まっていた。
既に水の加護は体に纏われている。
事前に確認していた予定では、三体のガラグゴをそれぞれ撃破した後はタイミングを合わすものの七人がそれぞれ湖へと飛び込む――筈だった。
だが、ナダが思ったよりも彼自身が作った『ラヴァ』は優秀だった。
一番ガラグゴを倒すのが早かったのはナダであったが、それから程なくしてナナカ、ハイス、カテリーナがガラグゴを殺し、それからオウロが殺した。
ナダの予定では自分がガラグゴを殺した後、どちらかに加勢するつもりだった。どちらも一人ではガラグゴを無傷で殺すのが厳しいと考えていたからである。
オウロははぐれを一人で殺した実績はあるが、無傷とは言い切れなかった。だから今回の戦いも必死となるだろうと予想していたが、思ったよりもすんなりと倒せていた。途中で危ない様子もなく、傷を負う事もなかった。時間こそ多少はかかったものの、戦い自体は計算されたものだったと言えるだろう。
ナダはオウロから事前にガラグゴを倒すのに秘策があると聞いていたが、その期待を裏切るようなことはなかった。やはりオウロは優秀な冒険者だと、ナダは再度強く思った。
ナナカ、ハイス、カテリーナに関しては概ね想定内だった。
三人の作戦会議にナダも参加してガラグゴに関する情報を多く提供し、彼らの作戦についても全て把握していた。
彼らが選んだ作戦はナダが思うに最善のものだった。
ナナカが動きを縛ってガラグゴへの牽制に専念する。ハイスはナナカのサポート。そして、カテリーナがアビリティを使って強大な一撃をガラグゴに与える、これが三人の描いたシナリオであり、ナダも時間こそ多少はかかるもののそうなるだろう、と予測していた。
だが、想定外が一つあるとすれば、カテリーナの強さだろうか。
ナダの想像ではカテリーナがアビリティによってガラグゴに致命傷を与えた後、ナナカ、ハイスと共に最後の抵抗をするガラグゴに協力してとどめを差すと思っていた。もしかしたらその場に自分も加勢するかもしれないと。
しかしながらカテリーナは自身のアビリティを使い、一撃でガラグゴを殺した。
ナダはカテリーナのアビリティがガラグゴの首を刈り取れるとは思っていなかった。そこまでの強さがあるとは考えていなかったのである。
だが、いつの間にかカテリーナは強くなっていた。そのアビリティの一撃は自分やオウロの振るう一撃よりも上だろう、と言うのがナダの見立てである。
あの一撃には、冒険者としてナダも心が躍った。
きっと彼女は知らず知らずの間に強くなったのだろう、とナダは思う。その下地はきっとあったのだ。
八年間という長い冒険者生活。彼女自身が日の目を見る事はなかったが、一日として腐らずに努力した彼女は勤勉でまじめで、それが身を結んだのだ。
またフリーの冒険者になった彼女は多くのパーティーに属し、様々な経験を積んだ。
それがたまたま『ラヴァ』に所属したことがきっかけで、花開いたのだ。
そんな事を考えながらナダは『ラヴァ』の中でただ一人、湖へと近づいて行く。彼の行く手を阻むように凍った魚人が多数いるが、ナダは邪魔ものを払うかのように剣で砕いて行く。血が流れる事もなく、固い肉片が地面に落ちていく。
今もニレナとシィナの二人のギフトは湖のほとり全てに及んでおり、湖から次々と上がってくる魚人でさえも氷漬けにして行く。
だが、段々と凍らせるスピードが遅くなっている。二人のギフトに限界が近づいているのだ。それが分かったからこそ、ナダは二人に視線を送って手の平を向けた。
意味は、ギフトを止めろ、だ。
二人のギフトは湖の中でも使う事になる。大物がいなくなった今、こんな雑魚程度は無傷の仲間が倒してくれるだろうと思ったのだ。
二人がギフトを止めたことによって、湖のほとりで氷漬けに“なりかけていた”魚人と新しく這い上がってきた魚人が纏めて襲い掛かってくる。それも一番湖に近いナダへと。
ナダは次々とこちらに向かってくる魚人を前にしても焦り一つなく、大きなため息を吐きながら大剣を振るった。その一振りは三体の魚人を殺し、一歩踏み出して切り返す刃で五体もの魚人を撫で斬りにした。
それでも魚人は気味の悪い声を挙げながらナダへと一直線に向かってくる。仲間が次々と死んでいるのに怯える様子がない彼らには、ナダはやはり地上にいる生物とは違い人が恐れる怪物なのだと再認識させられる。
だが、することは変わらない。
ナダもそんな彼らを数多く殺してきた。もう彼らに恐怖を抱くことすらなく、弱い彼らなどナダにとっては動くはりぼてでしかない。
ナダは襲ってくるモンスターを次々と斬っていく。
生きているガラグゴ達を切ると血が舞う。しかし、ガラグゴの爪がナダの体に触れる事は一切許されていない。ナダの見事な体捌きによって爪を巧みに躱し、相手を一方的に殺すことが出来るのだ。
それはきっとナダが魚人よりも長い武器を持ち、動きが速いからだろう。
嵐と呼ぶに相応しいだろうか。
ナダが通り過ぎた後には肉塊しか残らない。血と死体の道が出来上がる。『ラヴァ』の仲間たちはそんなナダを追うように出来上がった道をゆっくり歩いている。急いでは追わなかった。歩いている間に少しでも休憩して息を整えるためだ。ナダもその事に関しては何も言わない。
事前に決めた事の一つだからである。
ガラグゴを倒した後は自分が道を切り開くと、ナダはそう言ったのだ。きっと一番余力を残しているのは自分だから、と。仲間たちの中には心配する者もいたが、ナダはリーダーと言う理由で押し切って納得させた。
これは事実だが、現在ナダの背筋が最も伸びていた。一番体力に余裕があるのである。
オウロは傷こそないものの呼吸は激しくなっており、他の者達も少なからず息が切れている。
だが、ナダにはそれがなかった。
ふふん、と鼻で笑う余裕すらあった。
ナダは一歩ずつ魚人を切り殺しながら湖に近づいているが、その度に心が高揚していた。
――あの日、この道の先は身動きが取れない状態で入ることになった。その世界は処刑場と変わらず、地獄に等しかった。
自分の冒険はここで終わるのだろう、と本気で思ったのだ。
それから成長してここにいる。
胸がすっとする思いだった。
だからナダは心が弾むのを押さえながら、足を滑らせるように進んで刃を振るう。その間にも次々と魚人を殺している。
「あっ――」
その声の持ち主はナダではなかった。
女性の声だった
きっと『ラヴァ』のメンバーだとナダは思うが、誰かまでは分からなかった。
叫んだ理由がナダにはすぐに分かった。
新しく湖から這い出たのは太い腕だった。大きな体だった。――ガラグゴである。それも一体のガラグゴが這い出た後、すぐに二体目のガラグゴが湖から陸に上がろうとしていた。
「クソッ!」
それはオウロかハイスか、もしくは両方の声かも知れない。
一体だけならナダは安定して倒すことが出来る。大した労力もかからずに。だが、二体となるとナダだけでは倒せない。残る六人で対処すれば何とかなるかも知れないが、二体目の顔が湖から出た時に“もう一つ”の大きな腕が湖から見えた。
三体目のガラグゴである。
ナダはまだしも、他の『ラヴァ』のメンバーたちにもう一度はぐれと戦う余裕はなかった。まだ息すら整っていないのである。特にオウロはハイスから予備の苦無を受け取らなければ、勝つことすら怪しいだろう。
だが、そんな声を聴きながら既にナダはガラグゴへと向かっていた。
剣を下げるように持ち、全速力で走るのだ。仲間達もそんなナダを心配して駆けだそうとすうが、ナダは左手を出して止めてすぐに二回ほど左胸を叩いた。
ニレナ、ナナカには馴染みのあるサインであり、他の者達も見た事があった。
簡単に言うならば、助太刀不要。ここは独力で押し通るという意思表示だ。
ニレナ、ナナカ、オウロの三人はナダの事がよく分かっているためすぐに足を止めてゆっくりと歩きだすだけだったが、他の者はそれでもかけようとするのをニレナの「待ってください」の一言で留まった。
ナダは足が止まった仲間の存在に満足しながらガラグゴとの距離を正確に測った。
剣を振り上げたのは、最も早く湖から上がったガラグゴへ一歩圏内の場所へ近づいた時だ。
――ナダはずっと考えていた。
あの日、三体のガラグゴに負けた時、どうすれば勝てていたのかを。もしあのような状況になればどうすればよかったのかを。あの時の悔しさを胸に、ずっと考えていた。
その答えの一つが仲間である。現在のように仲間を集めて、それぞれがガラグゴを倒す。冒険者としての最適解に等しい答えだった。
だが、それでもナダは考えていたのだ。
どうやったら一人で倒せるのかを。
これまでの経験から幾つかのシミュレーションを頭の中で想像したが、やはり三体のガラグゴに囲まれた時点で負けだと思っていた。あの時は初めて会うはぐれであるガラグゴに様子を見る、という選択を行ったが、それ自体が間違ったのだと。あの時は多少の犠牲を覚悟に一体のガラグゴへと突っ込むしかなかったのだと言う結論に達した。
だからナダは――体に熱を回す。
湖に近づくにつれて熱くなる体。それに比例にするにつれて体が早くなる。ナダはガラグゴの拳をくぐるように避けて、振り上げた剣を斜めに振るう。袈裟切りだ。切りつけるのは一体目のガラグゴの太ももだ。骨までは達していないが深く切りつけた。
そのままナダは一体目のガラグゴに二撃目を与える事無く、二体目のガラグゴへと足を伸ばす。二体目のガラグゴが拳を地面へと叩きつけるよりも早く股下に入り込んだ。ナダは跳ね上げる剣で左の足首を斬りつけた。ガラグゴがバランスを崩して膝をつきそうになるが、既にナダはその場にはいなかった。
その頃にはもう、三体目のガラグゴの下へいた。湖から両生類のように這い出て、両腕を使って上体を起こそうとしているガラグゴだ。ナダはそんなガラグゴの眼前に立った。
「死ねよ――」
無慈悲な言葉と共に振り下ろされたのは、ガラグゴの頭をかち割る一撃だ。それだけで三体目のガラグゴは腕に力が無くなって、その場に横たわった。
ナダはそれを見届ける事無く、すぐに剣を振り上げる。地面を強く蹴って、先ほどダメージを与えたガラグゴへととどめを差そうと走るのだ。そんなナダを止めようと大量の魚人が行く手を阻むが、雑草と同じように雑に刈られていった。
ナダは膝が落ちた二体目のガラグゴの胴体を浅く切りつけて一体目のガラグゴへと向かう。もちろん、その軌跡は魚人たちが最も少ない道を的確に選んで抜けるのだ。時には剣で退けながら。
一体目のガラグゴへのダメージはそれほどではない。だからナダは走りながら胸にある投げナイフをガラグゴの右目へと的確に投げた。目を潰した。ガラグゴは思わず片手で目を押さえてそれを抜こうとするが、その時にはもうナダの剣が振り被られている。一撃、二撃、そして落ちてきたガラグゴの首を他の魚人と一緒に切り飛ばす。どれも力任せの斬撃だが、大剣を振るっているとは思えないほどに切り返しが早い。魚人たちは死んでいることにすら気づいていないだろう。
ナダはそれから二体目のガラグゴへと向かって、とどめの一撃として心臓を深く突き刺した。
瞬く間の攻防だ。
『ラヴァ』のメンバーたちは驚きのあまり、息をするのすら忘れていた。
だが、ガラグゴが死んだとしても魚人たちに怯える様子はなく、これまでと同じくナダを襲おうとする。いや、剣がガラグゴに突き刺さっていることを好機とでも思っているのだろうか。
「しっ――」
ナダはガラグゴから剣を抜こうともしなかった。刺さったまま、腰に力を入れてその場で円を描くように回る。ガラグゴの肉が切れて、剣が届く範囲にいた魚人は斬られて、鮮血が派手に舞う。
ナダは赤い血が滴る剣を持って、その場を悠々自適に歩く。理性のない魚人たちはそれでもナダを殺そうとするが、どれも雑に殺されていく。やはり数だけの魚人などナダにとって雑草となんら変わらなかった。
そして、ナダは湖へと飛び込んだ。
あの日と同じく湖の中は冷たく、薄暗かった。




