第五十三話 ハイスⅥ
ハイスの背中は風が押してくれる。
いつもと同じ風の筈なのに、心強く感じるのはきっと気のせいではないのだろう。信頼する仲間の、友人の風なのだ。彼女が見守っているからこそ、自分はいつもより強くなれる。
友人が背後で倒れているからこそ、彼らを守ろうと自分は強くなる。それが冒険者の正しい姿なのだ。
ハイスはラゴスティームに向けて叫びなどしなかった。体勢を低くして、水の上を滑るようにして走るのだが、ナダはまるで後ろに目がついているかのように“わざと”剣で右から左へと大きく振った。
隙が大きい。
そんな攻撃をしたらナダはハサミでがら空きの右を狙われてしまうが、ラゴスティームのハサミを剣で押さえる。
ナダは、ふふん、と嗤う。
まるで己の実力を確かめるようなナダの動きに、ハイスは激怒するが叫んでいる余裕などない。馬鹿力を持っているナダとは違い、鍛えているとはいえハイスは長い間耐えられない。すぐに押し負けそうになる。
ハイスが歯を食いしばりながら受けていると、そのハサミを弾くようにナダが強く大剣を振った。
ラゴスティームはナダの剣を避けるようにハサミを引き、もう一方のハサミでハイスを潰そうとする。ハイスが横に避けると、追撃するように引いたハサミもハイスを狙う。それすらもハイスは円を描くように避けると、そこからナダが現れた。大剣でハサミを滑らせるように逸らして、そのままラゴスティームの胸元を切ろうとするが、固い足が振るわれる。避けるためにナダは剣を途中で止めると、ハイスの剣が足を防ぎ、ナダは躱す時間を稼ぐことができた。
ナダはハイスに目を配ると、ナダはハイスの返事を待たず後ろへと一歩引く。
ハイスはナダの意図に気付いたので、ラゴスティームの前に出た。
威圧感がある。先ほどの衝撃波の恐怖がまだ脳裏に焼き付いているのだろうか。新人の冒険者ならここで足がすくむのかも知れないが、ハイスは熟練の冒険者である。幾度となく迷宮で恐怖と出会い、それに打ち勝ってきた。恐怖を殺す方法はよく知っている。
ハイスは意識を集中させるように呼吸を整えると、ラゴスティームに斬りかかった。幾度となくハサミを躱し、胴体へ剣を伸ばそうとするがその度にハサミに阻まれる。ハイスの持つ武器が一つなのに対し、ラゴスティームの武器は二つであり、力も負けている。次々と襲い掛かる猛攻を一人だけで躱し続ける技量などハイスにはなく、避けられない攻撃は諦めてわざと大きな隙を作って誘導するのだ。そこにはナダがいて、ハサミを受けてくれる。
ハイスは安心してラゴスティームに攻撃することができるが、ラゴスティームも必死である。ハイスの攻撃が届きそうになれば蹴りで応戦し、胸元の細い腕で突き刺そうとして、臀部に生えた尻尾で振り払うのだ。その度にハイスはラゴスティームに致命傷を与える事は出来ず、出来たとしても甲殻に糸のような細い傷を付けるだけだ。
ハイスを狙っていた尻尾をナダが剣で弾いた時、またナダが目を配った。攻撃に緩急を加えるため、ナダとハイスの位置が切り替わる。
ナダが前に出て、ハイスがサポートだ。
二人はかわるがわるポジションを入れ替えるのだ。
ラゴスティームに考える暇を与えないためである。
その結果として、二人で戦い始めてから一度としてラゴスティームはハサミを水に付けていない。そんな暇はない。確かにあの衝撃波は優秀だが、使うには“ため”がいる。二人の素早い攻撃と無数のバリエーションの組み合わせだと、ラゴスティームは自分らしい攻撃を使えないでいた。
ハイスは、前に出る事とサポートに徹することが、ナダの視線によって目まぐるしく変わる。ナダと組むのは初めてだと言うのに、どうしてか不思議と動きが合ってしまう。
言葉が一つもなくとも、ナダの一挙手一投足によって自分がすべき行動を導かれている気がするのだ。それとも自分の動きによって、ナダに全てが筒抜けなのだろうか。
ここは攻めて、ここは守る。ここは相手の攻撃を潰す。
ナダとの一体感は長年連れ添ったパーティーメンバーのようだった。
これまではハイスがリーダーとして長い年月をかけてメンバーの動きや考えを熟知してお互いの信頼を高めた上で行っていることを、たかだか一日に満たない時間しか話せず数時間しか冒険していない状況で行っている。
不思議と、気持ち悪くはなかった。
ハイスの胸に高揚感が高まっている。
今なら目の前の強力なはぐれであっても、二人だけで倒せそうだ。
いや、とハイスはラゴスティームと戦いながら首を振りそうになるが、ぐっとこらえて口元に笑みを浮かべた。
自分たちだけの力じゃないのだ。
背中にはずっと温かい風を感じている。この力がなければ自分は簡単にラゴスティームに力負けし、速さでも負けていただろう。
信頼できる仲間のおかげで、自分はここにいるのだ。
「ナダ――」
ラゴスティームとの猛攻の中で、ハイスはナダと位置をスイッチする一瞬の間に、小さな声を出した。
それはハイスにとって、決意の証だった。
だが、一抹の不安がある。
自分のアビリティの隠している秘奥を説明している暇などない。これから作戦を話す暇などない。けれどもナダは自分の事を信じてくれるだろうか、長い人生の中でたかだか一瞬しか言葉を交わしていない存在に。
この一瞬で全てを感じ取ってくれるだろうか、そんな不安がハイスを包み込むがが、ナダは嘲笑うかのように左胸を二回ほど叩いた。
その合図をハイスは何度か目にしたことがある。
『コーブラ』ではニレナが使っていたハンドサインである。どんな意味かは分からなかったので、過去に聞いた事があったのだ。
その意味は、ここは私に任して、とも、大丈夫、とも言っていた。その時のニレナは曖昧に答えていたのである。
つまりは信頼の証と言っていた。
この合図をした者はこれから行う事を絶対に成し遂げねばならず、受けた者も合図をした者を信頼して全てを任せなければならない。
そういう意思表示だ。
ニレナはこの意思表示は、強い信頼の証だと言っていた。
そんなハンドサインをしたことをハイスは嬉しく思いながら、自分のやるべきことをなす。
ハイスのアビリティは『秘密の庭園』という。亜空間に物を収容するアビリティだ。同じようなアビリティを持つ冒険者は存在するが、ハイスのアビリティは一味違う。
ハイスは左手の先にアビリティを作ることができる。
そして――その先の空間を切り取るように物を中に入れる事が出来るのだ。その入り口は人が入るほど大きくすることも出来るが、その場合は扉を固定しなければならない。
だが、手のひらほどの大きさの限られた扉だけは作ったまま“動かす”事が出来る。左手に固定して、少ない範囲ならば異空間に切り取ることができる。
それが“固いモンスターの一部”であっても。
ハイスのアビリティも万能なわけではない。扉を作るには時間がいるし、それを固定させるにはより時間がかかる。たったの数十秒であるが、戦闘においては大きな隙である。簡単に作り出せるわけではない。
そのための時間稼ぎをナダに頼んだ。
ナダは先ほどと同じように、だけどギアが上がったのかより激しくなるラゴスティームの猛攻に必死に食らいつく。衝撃波を放とうとすれば全力で潰し、その際ハサミが体に当たったとしても気にしなかった。
そんな時間を稼いでくれたおかげで、ハイスは左手の先に緑色の粒が集まった扉を作った。これでなぞったものなら何でも切り取ることができる。
「ナダ――」
ハイスが大きな声を出すと、ナダの動きが変わる。
ナダは大剣を使ってハサミを押さえつけるような動きになるのだ。決してラゴスティームの胴体などを狙って致命傷を与えようとするのではなく、ラゴスティームの隙を作ろうとしていた。
だが、ラゴスティームは激しく暴れまわる。ナダの一本しかない剣では、全身が凶器であるラゴスティームの動きを止めるのは至難の業だった。
そんな時――空を切り裂くように一本の槍が飛んだ。
それはラゴスティームに当たり、大きく爆発する。ラゴスティームの足が揺らいだ。すかさずナダは重心を落として足を払うように地面すれすれで剣を振るう。張った水が舞い上がった。ラゴスティームの足は切れていなかったが、体勢が崩れた。
ハイスはすぐに仲間の位置を確かめた。
そこには傷つきながらも槍を投げた動作をし終えたリゲルがいて、ジェダが膝をついて呼吸している。きっとこの攻撃は二人の協力によって行った攻撃なのだ。きっとこの一撃に全力を込めたのだろう。二人とも水の中に倒れる。
そしてハイスの体を霧が包んだ。
これはネブエイロのアビリティだ。
仲間が力を貸してくれる。
その事が、ハイスに自信を与える。
ハイスは追い風と共にラゴスティームへと滑るように駆けた。伸ばすは左手。抵抗とばかりにラゴスティームの腹足がランスのように伸びるが、それは既に剣を切り返していたナダが叩き切った。
ハイスの緑色の扉が、ラゴスティームの首へとかかる。
「取っ――!!」
――いや、掠りはしたが、空中に浮いたラゴスティームの右足がハイスの脇腹を押すように蹴っていた。決して腹の中心ではない。
残念ながら首を刈り取るには至らない。
ハイスの扉は消えて、ラゴスティームの首からは決して少なくはない血が流れ出ようとしている。
自分の刃は、はぐれには届かなかったとハイスは思うが、それで諦められるなら冒険者を続けていない。腹部に強い衝撃を受けながらも、強く叫びながら腹の側面をラゴスティームの足が滑るように前へと出る。
ハイスの頭の横をナダの剣が突き出た。それは的確にラゴスティームの肩をついており、関節と関節の間に確かに突き刺さる。ナダの腕なら首を狙う事もできたのに、とハイスは思いながらも、きっと自分の事を信頼して動きを止めて確実にモンスターを殺すことにしたのだろう、と理解した。
ハイスは右手で持っていた剣をラゴスティームの首へと突き刺して、横に薙ぐように斬り裂いた。
ラゴスティームの首が落ちる。それと同時にラゴスティームの体が力を失うように倒れていく。
自分が切り取ったのは確かだ、とハイスは足を止めてぼーっと見ていた。
だが、ここに来ることができたのは絶対に自分だけの力じゃない。
ナダの力があってこそ、自分はこのはぐれを殺すことができたのだ。いや、彼だけじゃない。『コーブラ』のメンバーもいたからこそ、自分ははぐれに勝つことができた。
ただ、今は感謝しよう。
はぐれを狩ることができた幸運に。
ナダも殺せたはずなのに、自分に譲ってくれたことに。
そして何より、瀕死の状況でありながら力を貸してくれた仲間に。
ハイスはすぐ近くにいたナダを見た。
ハイスはナダに近づいて右手を上げると、ナダはそれに答えるように右手で叩いた。
じんじんと痺れる手の平の痛みが、ハイスには心地よく感じる。
こんなに満足した冒険をしたのは、ハイスにとって初めての経験だった。
最初は酷評が多かったハイスの評価が、この話で逆転したらいいなーと思って頑張って書きました!




