第五十一話 ハイスⅣ
ラゴスティームと言い、ナダも話には聞いた事のある“はぐれ”だった。
ガラグゴと同様に討伐数が少なく、マゴスにおいては未だに危険だとされるはぐれの一種だ。
これまで見事な冒険を繰り広げていたハイスの顔が、思わぬ敵と遭遇したことに引きつった。
ラゴスティームは両腕にあるハサミをかちかちと鳴らす。威嚇の仕草だろうか。『コーブラ』へと目標を定めたようだ。甲殻質な太い足で一歩ずつ近づいてくる。そのスピードは徐々に速くなっていった。
よく見ると、腹にも細い腕が六本生えていて、うねうねと動いている。甲殻が茶褐色なのに対し、腹足が赤く染まっているのは他の生物を殺した血なのだろうか。モンスターが襲うのは主に冒険者だ。とすれば、あの血は冒険者と言う事になるが、その事に対しての疑問は誰一人として持たなかった。
問題なのはラゴスティームが『コーブラ』を標的にしているという事だ。
戦うか、逃げるか、その判断を持つのはリーダーであるハイスであり、『コーブラ』のメンバーはナダを除いて一瞬だけハイスを見て判断を求めて、またラゴスティームを注視する。
ハイスは額に汗をかきながらも、どの選択肢がいいのか必死に悩んでいた。だが、判断は一瞬で下さねばならず、考えていたのは一秒にも満たないほど短い時間だった。
「逃げ――」
ハイスが下した選択肢は冒険者としてリスクを回避した普通の選択肢であったが、ラゴスティームはそれを許さない。
左の大きくて鉄の塊のような四角いハサミを地面につけた。そしてそのまま“開いた”ハサミを『コーブラ』へと向ける。瞬間、ハサミを閉じた。事前にラゴスティームの情報を知っていた冒険者たちは既に回避行動として壁に沿うように避けていたため、当たることはなかったが、冒険者たちのいた場所を光の混じった水の衝撃波が通り過ぎる。
キャビテーション、と呼ばれる現象がある。
大きなハサミを持つエビがハサミを閉じる時に起こす急激な水の流れによって、圧力を急激に変化させて、小さな気泡が生み出す現象の事だ。その気泡が消滅する時に急激な温度上昇と衝撃波を発生する。
そのエビはキャビテーションを利用して、敵に遭遇した時の威嚇や獲物を気絶させると言う。
ラゴスティームも似たような事が出来るという研究結果が、冒険者より持ち帰られた情報を研究していた学者たちとエビを研究していた生物学者によって発表された。正確には地上に存在するエビが使うキャビテーションと全く同じ現象ではないらしいが、冒険者にとっては些細な違いでしかない。
要するに、ラゴスティームは左のハサミを地面につけると、衝撃波を放つことが出来る。それは冒険者の鎧を破壊し、肉体をも壊すことが出来るのだ。
それらの情報は冒険者組合によってマゴスに存在する全ての冒険者に伝えられており、注意喚起がなされていた。
だからナダ達もすぐに回避行動をとることが出来たのである。
「逃げきれ、ない――」
風のギフト使いであるアベリアが絶望を交えた声で言った。
「戦うしかない、か――」
ハイスは歯を食いしばると、すぐに仲間へと指示を出す。
悩んでいる暇などない。生き残るために最善を尽くすというリーダーの役割を、必死に果たそうとしているのだ。
「ネブエイロは変わらずサポートを! 出来るだけ離れてくれていい!! ネブエイロは僕たちを隠して攻撃! ジェダは攪乱しろ! リゲルはオレの援護だ!」
ハイスがネブエイロの『白い幻想』によって、自分たちの姿を隠し逃げる事を選ばなかったのは、それが有効な手段ではないと知っているからである。
通路を埋め尽くすほどラゴスティームの衝撃波を打たれれば、躱す暇などない。そもそも『コーブラ』にラゴスティームの衝撃波を受ける術はない。相手の攻撃を限定させて躱すしか方法はないのである。
『コーブラ』のメンバーはハイスの言う通りに動き始めた。
ネブエイロは風のギフトを使ってラゴスティームの動きを阻害し、仲間達に追い風を与える。
ネブエイロはアビリティによって仲間の姿を霧によって隠した。出来る限り攻撃を躱しやすくするためである。
ジェダは『爆発』を使いながら、剣で水を張った床にぶつけ始めた。水が舞い上がり、それが水蒸気となって視界を阻む。一つだけならすぐに晴れるがろうが、ジェダはラゴスティームに向かうまでに幾つもの爆発を起こすのだ。ネブエイロの近くにいたナダが、はぐれが見えづらくなるほどにジェダは存分にアビリティを使っていた。
そしてハイスもラゴスティームへの攻撃に加わろうとした時に、ナダは言葉だけで彼を止めた。
「――俺はどうする?」
他の『コーブラ』のメンバーは真剣なまなざしで必死に戦っていると言うのに、ナダだけはどこか楽しそうしていた。
「ナダは――」
ハイスは使ったことのない仲間であるナダを、どうすべきか決めかねていた。
はっきり言って、ナダは異物である。
『コーブラ』には合わない冒険者である。
考えも、その強さも。
だからここまでの冒険でも使わなかった。
「指示がないのなら、勝手に動くぜ。俺に異能がないことは知っているだろう? 心配しなくても他の冒険者に攻撃する、なんてへまはしないさ――」
ナダはそれだけ言うと、陸黒龍之顎を強く握ってラゴスティームまで走っていく。
「勝手にっ!」
ハイスは“リーダー”の指示を無視したナダに怒りつつも、彼の後を追うようにラゴスティームに向かった。
「『爆発』!!」
最初にはぐれに攻撃したのは、ラゴスティームに最も近いジェダだった。爆発を伴った斬撃。体表にあった水が爆発して、ラゴスティームは霧に包まれた。だが霧が晴れてもラゴスティームの外殻には煤一つついておらず、ダメージは負っていない。
「ちっ――」
ジェダは自身の攻撃で傷がないことに不満をあらわにするが、その場から安全に退避するために地面を叩いて自分の姿を隠す。
ラゴスティームの周りにおいては、視界不良であった。ネブエイロのアビリティが生み出した霧と、ジェダが起こした爆発によって発生した水蒸気に包まれているからだ。
二つの霧はよく見れば違いがある。
ネブエイロが生み出した霧には灰色の光の粒子が混じっていて、ジェダが起こした水蒸気は白い。だが、白と灰色が混じれば視界はとても悪くなり、ラゴスティームは顔についた二本の触角をうねうねと動かしている。冒険者の位置を探しているのだろう。
そんな中、霧から現れたのはネブエイロとナダを追い越したハイスだ。二人とも武器を持ってラゴスティームに斬りかかるが、外殻の上からだとかんと音が鳴って弾かれるだけだった。
「はあっ!!」
そして足を止めたラゴスティーム相手に、リゲルが大剣を全力で振るう。ラゴスティームは大剣を受けて足が後ろに引き下げられるが、大剣は盾のように四角い左腕のハサミで受けていた。金属のように固いハサミは大剣では傷一つつかなかった。
リゲルは大剣を大きく引いてもう一度ラゴスティームに斬りかかろうとするが、右手を鋭いハサミによって薙ぎ払われた。
その頃、ナダもラゴスティームへと狙いを定めていた。陸黒龍之顎を振るうのだ。狙いは特にはなかった。
本来なら関節の節目や目などを狙うのが定石なのだろうが、仲間に任せるのも一つの手だろう。ナダはラゴスティームの外殻を削るように乱暴に剣を当てていく
体に熱を通したナダの剣戟は、炎のように激しかった。
アビリティで強化しているリゲルよりも力強いナダの攻撃は、僅かではあるがラゴスティームの外殻に線のような傷を作っていく。
それに合わせて、ハイス、ネブエイロ、ジェダ、リゲルも次々とラゴスティームへと攻撃をして行く。四人はラゴスティームの関節を狙うが、暴れるように抵抗されるため上手く攻撃は出来ない。
ラゴスティームは両腕のハサミを斧のように振るうのである。
その速さは四人の攻撃を捌くほどであり、重たいハサミは時として攻撃にもなりえる。ジェダを剣ごと潰し、ネブエイロの槍を折るのだ。リゲルの大剣でさえも砕いた。
そして――ラゴスティームはナダの攻撃を受けながらも、左腕を“床”につける。
「まっ!!」
まずい。避けられない。
そう思ったハイスは叫ぼうとするが、ラゴスティームのすぐ傍にいる仲間たちへの伝達には遅すぎる。
――瞬間、辺りにあった霧や水蒸気を吹き飛ばすほどの水の衝撃が生まれた。




