第四十八話 ハイス
ニレナから説教を受けた翌日、つまりナナカが一人でマゴスに潜っていた頃、ナダは町に繰り出していた。
この日はパーティーとしての冒険はない。
ナナカは当然ながら、オウロも一人でマゴスに潜っている。理由としては自身を鍛えるためであり、パーティーとしての資金を稼ぐためでもある。お金はどれだけあろうと困ることはなく、迷宮踏破には冒険者の力量もさることながら大量の資金が必要だ。ナダ達はスポンサーもいないため自分たちで稼ぐ必要があるのだ。
ニレナ、シィナ、カテリーナは三人でマゴスに潜っている。
オウロと同じくカルヴァオンを稼ぐと言う目的もあるのだが、三人は別の目的を持って迷宮に潜っていた。
それは――ギフトの掛け合わせである。
ニレナの持つ氷のギフトとシィナの持つ水のギフトはとても相性がいい。お互いのギフトは共鳴し、より強力なギフトへと昇華させることができ、力の消費も一人で行うより節約できるのだ。
だが、お互いの心が合わなければ意味がない。
ニレナとシィナは来るべき冒険に向けて、ギフト使いとして実力を高めようとしているのだった。
カテリーナはそんな二人の付き添いだった。
二人とも実力者であるが、迷宮内ではもしもの事もあり得る。その為、護衛として迷宮に赴くことになったのである。
ナダも今日は一人で迷宮に潜ろうかと思っていたのだが、今朝手紙が届いたのでその予定はなくなった。
手紙の差出人は――ハイスである。
長々とした話が書いてあったが、ナダは詳しくは読まなかった。流し目で読むとどうやら話がある、と書いてあった。
ナダはハイスの顔を思い出そうとして数秒考えたが、印象が薄いのか思い出せもしなかった。
だが、ハイスの名前はよく耳にしている。『コーブラ』の事もよく耳にしている。ナダの聞いた話では『コーブラ』は中々に優秀なパーティーのようで、今ではマゴスで最も躍進しているパーティーのようだ。
ナダはハイスからの誘いを無視することも出来たのだが、興味があったので誘いに乗ることにしてみた。マゴスに潜るパーティーのリーダーとして、話を聞きたいと思ったのだ。
ハイスが指定した場所はオケアヌス内にある酒場だった。食事もできるところで、料理と酒が美味しいと評判の店だった。ナダも何度か行ったことがあるが、肉の塊を作った料理が美味しいのである。
だが、今はまだ昼間である。
人の出入りはなく、中も閑散としていた。木で作られたカウンターやテーブル、椅子が並ぶ店内にいたのは店員の他には一人の男だけだった。金髪を短く切りそろえ、目鼻立ちがはっきりとしている二枚目の男である。
その男は椅子に座って肘をテーブルに付けて手を組んでいた。体は細く見えるが、筋肉質でがっしりとしている。
隣の木の椅子にコートをかけているので、男はパリッとした白いワイシャツを着ており、胸元は大胆にも開けていた。町にいる年頃の女性たちが黄色い声を出しそうな姿である。
ナダはそんな男の席に近づいて声をかけた。
「よう、ハイス――」
「来てくれたか、ナダ。今日は話があって君を呼んだんだよ。まさか来てくれるとは思わなかったけど」
ハイスはとても満足そうに言う。
「時間に都合が合ったら来るさ。話もあるしな――」
ナダは以前にあったハイスとの邂逅をふんわりと思い出すが、オウロとの舌戦がメインであり、印象は薄かった。オウロが去って行くとナダはハイスの事をほぼ無視して別の場所に移動したのである。
「オレも同じだよ。君には話が合ったんだ」
ハイスは口角を少しだけ上げた。
その笑みは町の淑女がうっとりとしそうでもある。
「なら丁度良かった」
「話す前に食事でも注文しようか。オレはエールを飲むつもりだけど、ナダはどうする?」
「俺も頂こうか」
「ナダは苦手なものがあったかな」
「ねえよ――」
ハイスは店員を呼んで料理を注文する。
肉料理を始めとした幾つかの料理とエール酒である。
木製のグラスに入ったエール酒はすぐに持ってこられたので、ナダとハイスはお互いにグラスをぶつけてから酒を煽った。つまみとしてサラダがいち早く来たので、ナダは酸味の効いたドレッシングがかかってあるサラダをフォークでばりばりと食べながらエール酒を飲んでいると、同じように食事を続けているハイスが口を開く。
「さてと、話があるのはお互い様のようだ。先にナダの話から聞いてもいいかな?」
「いいぜ。俺のは簡単だ。マゴスの冒険についての感想が聞きたい。冒険者のベテランとしての意見だ」
「なるほど。確かに君よりも冒険者としてのキャリアは長いかもしれないが、オレはまだマゴスに潜って日が浅い。そんなオレの意見をかね?」
「ああ、そうだ。ベテランなんだろう? 長年の冒険者としての意見が欲しいんだ」
「いいだろう」
ナダとハイスはマゴスについての情報交換を行う。
ナダもマゴスの情報について幾つかの情報をハイスに差し出したが、多くははぐれやモンスターの事であり、深淵についての情報には一切触れなかった。
ハイスから得た意見としては、マゴスに数多くいる冒険者の意見とそう変わらなかった。
マゴスは過酷な環境なこと。モンスターも強いこともそうであるが、何より湿度が高く、水の張った地面が冒険には適さない事。
他のダンジョンとは違い、ギフトやアビリティについての相性が大きく、活躍しない異能が多いので、攻略に適さない冒険者が多いとのことだった。
幸いにもハイスのパーティーにマゴスに適さない冒険者はいなかったが、火のギフト使いやそれに似たアビリティを持つ者などはマゴスで冒険するのは厳しいだろう、とハイスは語る。
ナダも似たような意見を持っている。
新しく開いた迷宮はマゴスに限らず“くせが強い”ダンジョンが多い。マゴスは水に満ちた迷宮であるが、溶岩で彩られた迷宮もあると聞く。そこではマゴスとは違い、水や氷のギフトがあまり役に立たないのだと言う。
もしも全てを制覇しようと思えば、ギフト使いやアビリティ使いの冒険者にはどうしても無理なものがいるだろう。
ダンジョンとは何とも理不尽な場所なのだろうか、とナダが思うほどでもある。
他にもハイスはパーティーの“リーダー”としての意見も言ってくれた。
パーティー全員がマゴスに適した能力を持っているという前提で、底を目指す気がないのなら、マゴスは稼ぐには非常にいい迷宮と言う。
湖に近づかなければ危険な場所も少なく、はぐれの種類も少ないので対策が立てやすい。それでいてモンスターの単純な実力に比べて、カルヴァオンはどれも良質のようだ。
マゴスの特殊な環境に慣れれば、王都にある迷宮であるインペラドルに比べて簡単に稼げるだろう、とのことらしい
「まだまだ考察したりないところはあるけれど、オレが思ったのは先ほど言ったことだ。まだまだ潜りがいがある迷宮だとは思うがね――」
「なるほどな――」
新しい視点からの意見は殆どなかったが、マゴスに潜る一般的な冒険者の意見としてはとても役に立った。
稼ぐ、という冒険者として最も大切な要素についての考察は非常に新鮮だった。
職業としての冒険者を考えた時、ハイスはとても優秀なのだろう。得られるカルヴァオン、仲間の強さ、武器などの装備、リスクマネジメントなど多くの事を考えて最も効率的な冒険を行う事に関してとても優れている。
ハイスの話の中に出てきた考えはお金に関するものが殆どであり、その計算も多岐に渡っており、ナダは半分ほどしか理解していない。
ハイスとは冒険に対する目的が違うためナダは彼の姿の真似をしようとは思えなかったが、非常に為になる話だった。
「で、今度はオレの話だね――」
「いいぜ。聞くだけなら聞くさ――」
「ニレナさんを――手放す気はないのかい?」
ハイスはほほを酒精によって赤く染めながらも、怪しい目をしながら言う。
意識ははっきりと覚醒しているようだ。
「全く、ない――」
ナダははっきりと言った。
「君だから言うが、オレの『コーブラ』には彼女の力が必要だ。彼女ほどのアビリティ使いはいない。王都にだっていなかった」
「そうかもな――」
ナダもニレナの実力は知っている。
ナダが学園にいた頃から思っていた事だが、あれ程の逸材であるギフト使いは数が少ないだろう。
それに学園の時に比べて、ギフトの“出力”が上がっているようにも思える。彼女は戯れで地上でもギフトを使う事はあったが、以前はもっと力が弱かった。それなのに最近はギフトを発動させることが難しい地上でも、大きな氷の塊を作ることができる。
その大きさはナダ自身の体で何度も味わっていた。
「彼女が抜けたのは痛手だ。『コーブラ』に片翼をもがれたに等しい――」
「で?」
苦しそうに顔を歪めるハイスに、ナダはエールを飲み干してから淡々と言った。
「君に選択肢を上げようと思う」
「どんな?」
「まずはメンバーのトレードだ。その見返りに、オレには様々な用意がある。君に他の氷のギフト使いを紹介するコネもある。勿論、望むのなら他のギフト使いだっていいし、アビリティ使いも紹介しよう。ナダはパーティーメンバーを探しているようだから何人でも用意するよ。それにお金も工面しよう。君ほどのパーティーでも稼ぐには半年ほどかかる大金だ。それだけじゃない。君が望むのなら、武器でも、職人でも、家でも、土地でも、はたまた君個人の列車を用意してもいいし、組合のポストの準備だってする。名誉が欲しいのなら宝玉祭に出るコネも用意しよう。勿論、他にも望む事があるなら用意するつもりだ。どんな手を使ってでも――」
「で、それを断ったら?」
ナダは余裕そうな顔をしていた。
「君はこの町で満足な冒険が出来なくなるかもしれない。君も知っていると思うが、“迷宮内で重大な違反”を犯した冒険者には、処分が下されることがある。謹慎や罰金だけでなく、もっと重くなることもあるかもね。今の君はそんな違反行為は冒していないと思うけれど、急に明日それを起こす可能性だってあるわけだ――」
「へえ、それは面白い話だな――」
ハイスから告げられたのは明確な脅しであるが、ナダは怯えもしなかった。ハイスよりも強い冒険者に出会ったことがあるナダにとっては、彼らと比べると迫力に欠けるからかもしれない。
「随分と余裕そうだね」
ハイスはせせら笑う。
余裕そうなナダは現実が見えていないとでも思っているかもしれない。
「そうじゃないさ。焦っているさ。そうか。俺はそう言う目に会うのか。もしそんな目に会えば俺はオケアヌスから去るかもしれないぜ。その時はどうするんだ?」
「君は冒険者だ。行くのはどこかの迷宮都市だろう?」
「そうだな――」
「ならオレの目から逃れる事は出来ないさ。君が冒険者である限りね――」
「なるほどな――」
迷宮がぽんぽんと発生するわけもなく、ダンジョンがある都市は限られているので別の都市にいる冒険者を探すのはきっと簡単だろう。
「で、どうする?」
「何が?」
「君がどんな手を選ぶかだ?」
「それは今、悩んでいるところさ――」
ナダは腕を組みながら楽しそうにあーでもない、こーでもないと唸っている。
そんなナダに対して、ハイスは追い打ちをかけるように立ち上がってナダの背後に回り、両肩に手を置いた。ごつごつとした冒険者特有の手でナダは掴まれる。
「ちゃんと考えた方がいい。ニレナさんがどこのパーティーに所属するのがいいのかを。国内でも有数の貴族でもあるニレナさんが君のようなどこの馬の骨とも知らない男がリーダーのパーティーに所属した方がいいのか、それともオレのように由緒正しき冒険者の家系で優秀なリーダーのパーティーに所属した方がいいのか、その中身がなさそうな頭で考えるのがいいさ――」
ハイスは低い声でナダを脅すように言った。
その言葉には殺気が込められており、ハイスはナダの右肩から手を放す。ちゃきっという金属音が聞こえる。懐か腰にでも隠していた武器に手を添えたのだろうか。店内にはもう誰もいなかった。もしかしたらこの店もハイスの息がかかっているのかも知れない。
普通の冒険者ならここで怯えるか、反撃体制を取るのかも知れないがナダは表情を変えないまま頭を後ろに大きく傾けて、冷たい瞳で見下ろすハイスを見ながら楽しそうに口を開いた。
「ハイス、お前って優秀な冒険者なのか?」
まるでそれは、ナダがハイスを見極めるかのような視線だった。
「そうだが――」
ハイスの声は少しだけ震えていた。
動揺しているのだろう。
明確な脅しをかけているはずなのに、目の前の男は全く応えている様子がない。虚勢を張っているのだろうか、それとも――。
様々な考えがハイスの頭の中に浮かんでいるのだ。
「どんなアビリティを持っているんだ?」
「収容系のアビリティだ。自分でも思うが、収容できる物はかなりの量で非常に便利なアビリティだよ」
そんな事言う必要がないのに、ハイスは素直に答えてしまった。
「ふむふむ、なるほど。それはいいアビリティだ。発現する者も少ないしな――」
物を入れるアビリティはとても希少だ。発現する者がほとんどおらず、そのアビリティに目覚めるだけでどのパーティーからも引っ張りだこだ。
迷宮内で重量の制限がなくなるというのはそれほど大きいのである。予備の武器だけではなく、食料や飲み水、薬、カルヴァオンなどを無数に持ち歩くことが出来るので長時間の冒険も行う事が出来るので、パーティーに一人は絶対に入れたい能力なのだ。
「そうだ。オレが今の地位にいるのも、このアビリティのおかげだよ。無能の君とは違ってね、とてもいいアビリティに目覚めているんだよ――」
「その通りだ。お前は有能だ――」
勝ち誇るハイスに、ナダはうんうんと頷いていた。
「で、選択肢は決まったかい?」
「ああ、決まったさ。ハイス、俺はな、今のパーティーを――解散するのもやぶさかではない。ニレナさんはフリーにする気だってある」
「おお、なら!」
ハイスはとても嬉しそうにしていた。
「だが、俺には目的があってな、その為にはニレナさんの力が必要なんだ――」
「そう……かい――」
ハイスの瞳から光が消えた。
「俺の目的はマゴスの完全攻略。それが済めばパーティーは解散するつもりだ。で、だ。ハイス、お前に提案するよ。お前のアビリティはとても優秀だ。見た限り、剣の腕も“そこそこ”だ。最低限はある。そんなお前が協力してくれれば、とても攻略が捗ると思うんだ――」
「……何が言いたい?」
「――ハイス、俺のパーティーに入れよ。マゴスの攻略が済めば、パーティーは解散してやる。それが条件だ。優秀なお前を、俺が使ってやるよ」
ナダは傲慢無礼な態度で言った。




