第四十五話 ナナカ
長い黒髪の女が、緑がかった巨大な石で造られたダンジョン――マゴスを一人で進む。彼女の身長は高く、手足が長い。一種の芸術品のように整った顔をしていた。
ナナカ、である。
彼女は肌に張り付くようなゴム状の鎧――ホーパバンヨを着ている。マゴス攻略に最も適した鎧である。肉付きのいい彼女だと豊かな胸部と臀部のラインが露わになっているが、周りに人の目がないので全く恥ずかしがっていなかった。
ナナカは既に愛用の武器を抜いていた。
六十センチほどのショートソードであり、銘をイルサオンという。武器の中でも最上級のランクのものであり、輝く刃は一点の曇りもない。
マゴス内のモンスターならばほぼ全てのモンスターを斬ることが出来るだろう。
ナナカの前を塞ぐのは一体のモンスターである。彼らは魚人、あるいはバルバターナと呼ばれる。
彼らはこのマゴスにおいて広く出現する最も普遍的なモンスターだ。
緑色の体をしており、人とよく似た二足歩行だった。
カエルのように大きくぎょろっとした目には瞼がなく、ずっと見開いている。全身に毛が生えておらず、両生類や魚類のようにぬめっているのか白い光沢が浮き上がっていた。
手にはみずかきがあり、四本の指で剣を持っている。長剣である。武器屋でよく見る柄の形をしているのは、冒険者から奪ったものなのだろうか、とナナカは考えていた。
魚人はナナカに対して深く唸るような声を出した。
威嚇だろうか。
ナナカはそんな声を聴いたとして怯える様子はなく、涼しい顔で歩くように魚人へと近づく。
魚人は唸るような、あるいは叫ぶような醜い声をあげながら剣を振り上げて、ナナカへと襲い掛かった。
ナナカはそんな魚人に焦りもせず、口角を少しだけ上げながらアビリティを使う。
彼女が持っているアビリティは、『鉛の根』だ。空気に限りなく透明に近い鈍色の根のようなものを操る力である。
ナナカは太い根で、魚人の足から体の先まで縛り付けた。まるで蛇に締め上げられたかのように、走るような態勢で魚人の体は止まった。体を何とか動かそうとするが、ナナカのアビリティはそんな貧弱なものではない。
浅層にいるモンスターの一匹程度、何時間でも動きを止められる。
ナナカは歩くスピードで魚人の横を通り抜ける時、持っていた剣を一瞬だけ振るう。
それだけでナナカの持つイルサオンは魚人の首を跳ねた。
ナナカは事切れたモンスターに持続して使うアビリティは無駄なので、鈍色の根を消した。
支えの失った魚人は、重力に身を任せるようにゆっくりと地面に落ちた。床に薄く張った水を跳ねさせて青く染める。
ナナカは既に先ほどまでのモンスターには興味を失い、迷宮の先へと進む。
この程度のモンスターのカルヴァオンに興味などなかった。荷物を持つ男がいれば話は別だが、ナナカは体が細く体力のある冒険者とは言えない。どちらかと言えば、体の軽さを武器にする冒険者である。余分なカルヴァオンを持つ余裕などなかった。
ナナカは暗闇の先を見つめた。
唸るような、あるいは叫ぶような魚人の声が多重になって聞こえる。先ほど殺した魚人の声に導かれたのだろうか。
「はあ――」
ナナカはそんな魚人相手にも怯える事はなく、堂々と迷宮内を進む。
目の前に現れたのは五体の魚人である。それぞれ剣や槍などを持っている。五体のモンスターは、マゴスに慣れていないパーティーなら多少は苦戦するだろう。一人での冒険なら尚更だ。
五体の魚人が同時にナナカに襲い掛かる。どのモンスターも全て前方からだ。別の冒険者なら逃げる隙間を探すだろうか。それとも最初に倒すモンスターを探すだろうか。色々な選択肢があり、少し迷うだけでモンスターに惨殺されるかもしれないので焦るモンスターもいるのかも知れない。
だが、ナナカに焦る様子はない。
ナナカ五体のモンスターを見つめたまま、アビリティを発動させる。
五本の鉛の根は五体のモンスターを同時に締め上げた。ナナカの肌に刃が襲う前に、モンスターの動きが止まる。
ナナカは一番近くにいる二体のモンスターの首を刈り取ると、残りの三体のモンスターは根っこで首を締め上げて殺した。
五体のモンスターは一瞬のうちに命を奪われた。
ナナカがアビリティを使うのを止めると、先ほどと同じように五体のモンスターが地に伏せる事になる。ナナカは傷一つ負わないまま、汗のみをかいた状態でまた迷宮の奥へと進む。
それからもナナカはソロとは思えないスピードで迷宮を進んでいく。
一体、また一体とモンスターを殺して行く。
その度にモンスターの殺し方を変えていく。
今だってそうだ。
目の前に三体のモンスターがいた。
もう中層だ。
『鉛の根』で締め上げるだけでも殺せるが、三体のモンスターとなるとそれだけ力が分散される。一瞬で殺せるようなアビリティとはいえず、動きを止める事しか出来ないだろう。それも完全に動きを止められるとは言い難い。
だが、ナナカにとってはそれだけで十分だった。
モンスターの動きを一瞬、あるいは一部分のみを止めるのだ。
目の前にいるモンスターはその場に仁王立ちさせる。ナナカは無抵抗の魚人相手に剣を振るい、左胸にイルサオンを突き刺した。
ナナカが殺した魚人の胸から剣を抜いている間に、別の魚人が刃を振るう。両足のみをアビリティで縛る。急遽足が引っ掛けられた魚人は前に倒れた。両手を出したので怪我はないだろうが、ナナカにとっては大きな隙だ。
既に剣は抜いている。
うつ伏せになっている魚人に対して剣を振るう。首を跳ね飛ばした。
別の魚人がナナカの無防備な背中に槍を突き刺そうとするが、その動きすらもナナカは太い根っこで動きを止めた。他のモンスターを殺した分、残りの一体にアビリティのソースを割くことが出来たのだ。
浅層にいたモンスターとは比べ物にならないほどの力で魚人は抵抗するが、それすらもナナカはゆっくりと締め上げて動きを止めるのだ。
いや、動きを止めるだけではなかった。
無数の根っこに動きを止められた魚人は、徐々に頭を垂れるように動きが変わる。全てナナカのアビリティの力によるものだった。
ナナカは自身の前に首を差し出した魚人に向けて、無慈悲にもイルサオンを振るう。それだけで簡単にも魚人は首を落とした。死んだのである。
ナナカは三体のモンスターを殺すと、腰の後ろに付けているククリナイフでモンスターの解体を始めた。体内にあるカルヴァオンを取り出そうとしているのである。カルヴァオンは冒険者にとって最大の収入だ。流石に手ぶらではナナカも帰る事は出来なかった。出来るだけ数多くのモンスターを狩って、自身の有能さを見せつけようとしていた。
ここに来るまでにナナカは多くのモンスターを殺している。
中層でも数多くのモンスターを殺した。腰のポーチは大きく膨らんでいる。冒険者としては十分な稼ぎである。
「はあ――」
だが、ナナカの表情は暗かった。
今回の冒険は彼女にとって望むものではなかったのだ。
本来、迷宮とは一人で挑むものではない。出来る限りリスクを排除するため通常は多くの冒険者でパーティーを組むものである。
一人で潜るなど、正気の沙汰じゃない。
しかしながらナナカは一人で潜っていた。またこれまでずっと迷宮に潜っていたナナカにとって、今回の冒険がソロでの初めての挑戦だった。
“中層に一人で潜る程度の実力しかない”ナナカにとって、これ以上潜るのは身が危険だろう、とカルヴァオンの回収を終えると帰路につく。今日はこれぐらいの冒険でいいだろう、と思ったのだ。
多くの汗をかいているが、無傷のナナカは仏頂面で帰っていく。その間にも多数の魚人とすれ違うが、一太刀もしくは二太刀でモンスターを殺していた。
そんな彼女の頭に浮かぶのは、憎たらしいナダの顔である。
「どうして私がこんな冒険をしないといけないのよ!」
ナナカの大きな声は、誰もいない迷宮内で大きく響いた。
その原因は昨日まで遡る事になる。
第四章はこの話から後半編となりますので、これからも変わらないお付き合いをお願いいたします。




