第四十四話 オウロⅥ
この日、ナダは教会にいた。町の中心にある冒険者が集まる場所ではなく、町の外れにあるさびれた教会だ。
シィナはナダのパーティーに入ってからもこの教会に通っているらしく、中は小奇麗にされており埃はあまりない。
ナダは祭壇に祈ることはなく、長椅子に座って人を待っていた。
今朝、ナダの宿に手紙が届けられた。封もされていない簡素な白い手紙である。差出人にはオウロだった。
中には「話がある」と場所や時間などが短く書かれてあった。
ナダはその手紙に従って、この場所まで来たのである。
ナダがこの教会に来てからもう数十分は経っているだろうか。
町の中心に置かれた鐘が鳴る。
約束の時間はとうに過ぎているだろう。
だが、ナダは教会から去ることはなく、考え事をしながら教会内で待っていた。悩み事なら数多くある。特にパーティーに関しては問題が多い。まだ湖の中にすら挑戦できる状態ではないのだ。
早く今の状況から脱出したいが、ナダは生存率が一割もないまま仲間の命を賭けるほど無謀ではない。
まだまだ問題は山積みだ。
そんなことをポケットに手を突っ込みながら考えていると、ナダの後ろ側にある木の扉がきぃーと高い音を立てながら開いた。
木の床が踏みしめられることによって大きな足音が鳴る。
足音の間隔が長い。身長が高いのだろう。
その足音の持ち主はナダとは違う長椅子に座った。
「遅えぞ、オウロ――」
ナダは祭壇を見つめたまま言った。
「予想以上に組合で時間がとられてな」
そう言うオウロの姿は痛々しかった。
全身に包帯を巻き、特に左手には添え木がある。きっと骨が折れているのだろう。表情はやつれており、唇はかさかさだ。片足は引きずっており声に覇気はなかった。
「何があったんだよ?」
「“こいつ”の報告だよ――」
オウロはナダの足元に投げつけた。
丸い球体上のものだった。
ナダがそれを拾い上げると、まぶたがなく大きくよどんだ両目と目が合った。分厚くたるんだ唇に、凹凸が殆どない鼻。ナダのよく知っているモンスターの顔だ。
ガラグゴである。
殺したことだってあるのだ。その顔はよく覚えている。
だが、ナダの知るはぐれであるガラグゴとは大きく違う特徴があった。
肌が、白いのである。
そんなガラグゴは見た事もなければ聞いた事もなかった。
「こいつははぐれか?」
ナダは白いガラグゴの首を持ち上げると、深く観察し始める。
初めて見るモンスターなのだ。
無理もないだろう。
「ああ、そうだ」
オウロは頷いた。
「これはガラグゴか?」
「どうだろうな。これから研究所に提出するが、職員の言うには新種のはぐれと言っていいらしい」
大抵のモンスターは決まった階層、場所に出現する。浅い場所にいるモンスター程弱く、深い場所にいるモンスター程強い。多少の違いはあれど、その仕組みから大きくずれる事はない。
だが、モンスターの中には、その仕組みから大きく外れる種類がいる。
本来なら深い場所にいるモンスターが浅層に出現したり、通常では見られない個体が現れたり、はたまた見た事もないモンスターが発見されることさえある。
それらのモンスターを、通常のモンスターから“はぐれた”モンスターとして、“はぐれ”と一般的に言われるのだ。
はぐれは通常のモンスターより強いとされるが、その強さはモンスターによってまちまちだ。
強い中にも種類があり、熟練のパーティーなら誰でも狩れるモンスターもいれば、限られた者にしか狩ることが出来ないほどの強さを持つモンスターもいる。
ガラグゴは通常の魚人、あるいはバルバターナからはぐれたモンスターと言われている。
人ほどの大きさしか持たない魚人、あるいはバルバターナから、体が大きく発達した結果、通常の個体よりも膂力が強くなった。はぐれと言われるほどに強い個体となったのだ。
組合の職員が言うには、オウロの勝った白いガラグゴは通常のはぐれであるガラグゴから“更にはぐれた”モンスターらしい。
詳しい事は研究者が調べるだろう、オウロは言う。
「なるほどな。オウロはこいつを狩ったわけか?」
ナダは楽しそうに首をオウロに投げ返した。
「そうだ――」
「で、一人で倒したのか?」
「その通りだ――」
オウロは惜しげもなく言った。
「へえ――」
ナダは興味深そうに言った。
「私は一人ではぐれを狩ることが出来た。奇しくも学園長の言った通りにな。やっと私は四大迷宮を挑戦するだけの力を手に入れる事ができた。はぐれを倒した今だからこそ分かるのだ、はぐれを一人で倒すには力だけでは足りないって――」
「何が必要なんだよ? 俺は知らねえぞ――」
もし知っているのなら他の冒険者に、特に自分のパーティーメンバーには伝えたかった。
もしはぐれを一人で倒す事ができる冒険者が増えれば、マゴスの深淵にまた一歩近づくことが出来る。
「私が思うに、リスクを厭わない事だ――」
「リスク?」
ナダは首を捻った。
「そうだ。一人だけの冒険だとあらゆるものが足りない。薬、食料、水分などの数多くの荷物。体力だって一人だと限界がある。集中力だって長くは続かない。休憩が出来る時間も無ければ、数多くのモンスターを倒そうと思えば武器も足りなくなるだろう。アビリティやギフトだって当然足りない」
「そうかもな」
「もしパーティーではぐれと戦うことになったら、熟練の冒険者が連携を組めればガラグゴなどほぼ無傷で倒すことが出来る――」
「その通りだ」
所詮、ガラグゴとはその程度のモンスターでしかない。
ナダがかつて所属していたパーティーであるアギヤのメンバーがイリスの名の下に集えば、数年前の強さに戻ったとしてもオウロの言う通りパーティー全員ならほぼ無傷で倒すことが出来るだろう。
「――だが、一人だとそうではない。大怪我を負うのは当たり前で、常に死と隣り合わせの状況で戦わなければならない。時には死ぬ一歩手前で相手のモンスターを殺すしか生きる道はないのだ」
「……そうだな」
ナダはこれまでの冒険を思い出した。
はぐれとの戦いを思い出す。
どの戦いも死ぬ一歩直前まで追い込まれている。いや、この心臓の病がなければ死んでいた戦いもあった。
それほどまでに一人で戦うのは過酷なのだ。
一瞬の油断が死を招く。
自分は運よく生き残っているが、きっと死んだ者も多いのだろう、とナダは思った。
「一人ではぐれと戦うには、死すらも恐れない強い胆力がいると分かった。どれだけ絶望的でも、相手の命だけを見る純粋な胆力が――」
「……そうかも知れない。」
「もし私が学生の頃にこのガラグゴに挑んでいたとしても、きっと先輩たちと同じようにはぐれを一人で倒すのは無理だと思うのだ。どうしても冒険者としての常識が頭の中で邪魔をする。大怪我を負う事を反射的に避けてしまう。リスクから逃げてしまう。かつての私なら、この倒したガラグゴに数度剣を当てただけで逃げる事を考えていただろう。きっと、それだけの事なのだ。優秀な冒険者であればあるほど、はぐれに一人で勝つことは難しい」
ナダがオウロを眺めると、彼の言う事を現した結果が傷ついた体なのだろう、と思った。
どれだけカルヴァオンを得たとしても、オウロのような大怪我を負えば数週間は冒険に復帰できない。人によっては数か月かかるかもしれないほどの怪我だ。
一時のカルヴァオンの量は多くても、長い目で見れば収支のマイナスは必至である。
だから一般的に見れば、オウロの今回の冒険は失敗と言わざるを得ない。
「確かに今回のオウロの冒険は、一般的に見れば失敗なのかもしれない。でも、オウロはそうは思っていないんだろう?」
「ああ、そうだ。私はガラグゴを一人で倒すことが出来たから。その証明が出来ただけでも満足だ――」
「なら、それでいいんじゃねえか。時にはそういう冒険も必要だ。カルヴァオン以外の目的もな」
ナダだってそうだ。
カルヴァオンだけを追う冒険はもうほとんどしていない。
「……その通りだな」
オウロは表情を崩して笑った。
まるで冒険者として一枚剥けたかのような笑顔だった。
ナダはそんな姿をして、数日前のオウロよりも遥かに成長していると感じる。あの時の彼よりも随分と強いと。
マゴスで今のオウロ程たくましい冒険者を見た事がなかった。
一人ではぐれを倒すという事が、これほどまでに冒険者として格が上がるのかと思わずナダは驚いていた。
「で、話はそれだけか?」
「いや、もう一つある――」
オウロは人差し指を立てた。
「何だよ?」
「ナダ――私をパーティーに入れて欲しい。私はもうパーティーを組めるような身分ではない。だがな、どうしてもマゴスの底には行きたいのだ。それに最も近い方法がナダのパーティーだと思うのだ。この首はナダへの証明だ――」
「証明?」
ナダはにたあと嗤う。
「ああ、そうだ。ナダが求めているのはガラグゴを簡単に倒せる冒険者だろう? 私ならそれを担う事ができる。今なら一人でガラグゴを倒せる。これから先も強くなって見せる。どうだろうか?」
オウロはナダに自分を売っていた。
目的を叶えるのに最も近い方法として。
そんな彼にナダはぶっきらぼうに言う。
「断る理由はねえよ。そんな実力を持つなら大歓迎だ――」
「それは助かる――」
「なら、これからよろしく頼むぜ――」
そう言って、ナダは立ち上がってオウロに右手を伸ばした。
オウロはナダの手を強く握る。
この話を書いて気づいたのだが、最小限のリスクでモンスターを殺して最大効率でカルヴァオンを得るという冒険者という職業としてもっとも正しい冒険を殆ど書いていなかった。
ナダの冒険との対比として、書いた方がいいのかも知れないと感じました。




