第四十二話 オウロⅣ
ガラグゴを見つけた時には、もうオウロは野太刀を抜いていた。その刃に殺意を込めて紫色で濡らす。
あれは復讐の相手ではない。よくよく観察してみると、前に出会った三体のガラグゴとは違う特徴がある。多くのガラグゴとほぼ同じ特徴を持っているが、幾つか違う点がある。
まずこのガラグゴは鱗が白かった。透き通るような鱗であり、神聖的な存在のようにも思える。
また体長も他のガラグゴより小さいようにも思えた。それでもオウロよりも随分と大きいが。
通常のガラグゴとはまた別のはぐれだろうか。
マゴス内のモンスターの情報は持っていたとしても、学者並みに詳しいわけではない。もしかしたら目の前のはぐれは、ガラグゴとは別の個体なのかもしれない。
だが、目の前にガラグゴを見つけたのだ。
することは一つしかなかった。
オウロは野太刀を強く握りしめると、一直線にガラグゴへとかけて行った。
声は上げない。まだガラグゴがこちらに気づいていない様子なので、奇襲を仕掛けるつもりだった。姿勢を低くして水の上を滑る。刃を立てて頭の右手側に寄せる構えを取る。
八双の構えだ。
そのまま初太刀に勝負の全てをかけて切りつけるのだ。
オウロは立木のように太いガラグゴの足に斬撃を放とうとするが、オウロの剣は空を切った。
ガラグゴは、宙にいた。高く飛びあがっていたのだ。その高さはマゴス内の天井に届くほどの高さであり、人の手では決して手の届かない場所である。滞空時間も長く、オウロが見上げるほどの時間があった。
ガラグゴは重力に従って自然と落ちていく。
オウロは急いで後ろに飛ぶようにその場から離れた。
ガラグゴが地面に足を曲げて着地すると、床に張ってある水が大きな壁のように跳ねた。
水の中から白いガラグゴが現れる。
これまでに見たガラグゴよりも小さいはずのに、腕や足は太いようにオウロには見えた。
「――強いな」
あの脚力。馬力。きっとあの三体のガラグゴよりも上だろう。体重は下かも知れないが、それ以外は強いように思える。オウロは一人で戦うガラグゴは通常種であり、このようなはぐれは想定していなかった。
オウロは足が震えてしまった。
恐怖からではない。
武者震いだ。
野太刀から滴る紫の毒の量が、普段よりも多い。オウロの感情に合わせていつもよりも強くアビリティが発動している。冒険者には、アビリティ使いには、よくあることだ。
オウロが床を強く蹴ると同時に、ガラグゴも長い上体を振ってオウロへと駆け出した。
二人は、水を大きく跳ねる。
ガラグゴはオウロよりも長いリーチから右足を振り上げて、地面に鞭のように叩きつけた。
オウロは最小限の動きで横に逃げようとするが、跳ねた水が体にかかる。大した水でない筈なのに、オウロの体は壁へと退けられる。それでもオウロはガラグゴに袈裟斬りをするが、ガラグゴはオウロの頭上を飛び蹴るように避けていく。その飛距離はとても長く、オウロが素早く後ろに振り向くと随分と遠くにいた。
オウロは剣を中段に構えて、刃越しにガラグゴを覗く。
ガラグゴは床をとんとんと足で二回鳴らすと、こちらに向かって全速力で駆けてくる。
先ほどとは違い、走っていると地面を強く蹴った。オウロの目はガラグゴを逃がさない。ガラグゴは天井付近にいた。ガラグゴはまた地面を蹴る。今度は右の壁に。その壁すらも蹴った。左の壁に。また天井に行き、地面を蹴る。
四角形の通路を乱雑に駆け巡る。
その全てを追うように、右に、左に、上に、下に、とオウロの目が動く。
上段に構えた。
ガラグゴはオウロへと右足で振り払う。
太く長い足は通路の端から端まで届くほどであり、逃げ場など殆どない。オウロは一歩も退かず、野太刀を振り下ろした。
オウロの剣は簡単に弾かれて、後ろに大きく退かされた。それでもしりもちをつくことなく、二本の足で立ったままなのはオウロの優れたバランス力のおかげだろう。
だが、その程度でモンスターの攻撃が止まるわけがない。
左の壁を蹴った勢いでオウロへと蹴り、右の壁を蹴ってオウロへと蹴る。天井を蹴ってかかと落とし。床を蹴ってハイキック。ガラグゴの攻撃は全てが素早く、オウロに反撃する暇を与えてくれない。全てを野太刀で受けるのみだ。
自分よりもリーチが長く、速さがあり、力もあり、理性もないモンスター相手に一人で戦う術をオウロは知らない。
だからオウロは一方的にガラグゴの攻撃を受けるのみだった。
刃ごとオウロは圧し潰されそうになるが、野太刀は片刃である。峰が当たってもオウロに怪我は殆どない。体が痛いだけだ。この程度の痛み、冒険者なら慣れている。
だが、ガラグゴの攻撃は早すぎる。
一瞬でも気を抜けば、すぐに潰されてしまいそうだ。
右から下段蹴り。下から蹴り上げ。壁を蹴った勢いと共に回し蹴り。跳躍を活かした飛び蹴り。全ての攻撃が重く、オウロはガラグゴの蹴りを受ける度に足が後ろに強く退かされて、両手が痺れる。受け方を間違えれば一撃で“のされ”そうだ。
オウロはガラグゴの多種多様な蹴りを受けるしかない。
狭い通路ではガラグゴの機動力が活かされて、普通の冒険者では攻撃できない意識外から蹴りが飛んでくるのだ。
ガラグゴはまるで壁や天井も床のように移動する。
「ここでは……」
思った以上に動きが速いガラグゴにオウロは翻弄されっぱなしだった。
一太刀すら攻撃を与えていない。
このままだと必死は確実。
オウロは気の抜けないガラグゴの蹴りを一つ一つ丁寧に受けながら光明を探した。
上、上、下、下、左、右、左、右。それらの方向から飛んでくるガラグゴの蹴りをオウロは受ける。ガラグゴの蹴りを真っ正面から受けると頑丈な野太刀でも折れるため、オウロは受け流すように努力した。それでも何本かの蹴りは、野太刀で直接受けた。左手で峰を支えなければきっと受けきることすら出来なかっただろう。
それでも剣にひび一つも入らずに折れなかったのは、きっと故郷の鍛冶師のおかげだ。頑丈な黒刀のおかげでオウロはなんとか命を拾っていた。
それなのにガラグゴの足は毒に侵される気配は全くない。
只の魚人なら攻撃を受けるだけで戦闘は終わっていた。モンスターの四肢は簡単に毒に染まるのだ。
だが、ガラグゴの体は未だに白いままだった。太い足は変わらず健在だった。
自身のアビリティが効いていない事にオウロは焦りそうになるが、表情は全く変わらなかった。周りを見ながら活路を探す。
この場所では駄目だ。
白いガラグゴに勝てる想像が浮かばない。ここが白いガラグゴの軽さとスピードを活かせる有利な場所だからだ。
まずはガラグゴの足を潰さないと。
そう考えた時、消耗しているオウロの頭に浮かんだ方法は一つだった。
もっと広い場所に出ればいい。
マゴスは通路が多く広い場所は湖のほとりが多いが、通路の途中には膨らんだドーム状の空間がある。そこは湖と同じように天井が空のように高く、横も広いのでガラグゴの機動力は意味をなさないだろう。
オウロは今日の間に潜ったマゴスの構造を思い出す。
少し遠いが、オウロの求める空間は存在する。
オウロは後ろへと大きく飛びながらガラグゴの攻撃を避ける。先ほどまではガラグゴの攻撃を何とか避けて迫ろうとしていたが、今となってはガラグゴの勢いすらも利用して後ろに移動するのだ。
ガラグゴの攻撃は一撃ごとに早く、重たくなっていく。
オウロが受けられる攻撃の数にも限界がある。
だが――何とかオウロは辿り着く。目的の場所に。
そこは、開けた空間だった。
モンスターは一体もおらず、天井も高い開けた場所だ。オウロはその場所に入ると、すぐに中央まで移動する。先ほどまであらゆる方向から攻撃してきたガラグゴの攻撃は一旦やむ。
まるでオウロを品定めするように、ゆっくりと近づいてくる。




