第四十一話 オウロⅢ
オウロは幾度となくマゴスにソロで潜っている。
今日だってそうだ。
オウロは果敢に中層へも、もう挑戦していた。
右の通路から三体の魚人がやって来る足音が聞こえた。オウロは度重なる冒険によって、足音でモンスターの数まで判別できるようになった。過酷な迷宮内で生き残るため、感覚が過敏になったのだ。
三体の魚人相手にオウロが抜いた剣は腰の太刀だった。
長い野太刀は抜いていない。
この程度のモンスターを相手する場合、振りかぶりが大きく取り回しづらい野太刀よりも適度な長さの太刀のほうが使いやすい事に気づいたのだ。
先手必勝のため、オウロは体勢を低くしたまま水の上を滑るように走る。人との試合なら後の先が有効な場合もあるだろうが、モンスターとの戦いにおいては先の先が勝る。
モンスターは、理性がない。あるような振る舞いをするモンスターもいるが、そんな彼らも冒険者を見つけると一目散に襲ってくる。彼らは短絡的に襲ってくるしか脳がなく、そんな相手に駆け引きなどを考えても無駄なのだ。
より強い暴力で制する方が適している。
本来ならオウロは駆け引きなどが得意であり、対人戦も得意であるが、残念ながらそれらはモンスター相手には通用しない。
オウロは三体の魚人に近づくと、一番近くの魚人に駆け寄って、振り落とし、切り上げ、袈裟切り、の三連撃。死んだかどうかは分からないが、オウロの剣は魚人を深く切り裂き、前に倒れようとしていたので、滑るように別の魚人へと移動する。
その頃には既に魚人はオウロに牙を向けていた。手にそれぞれ持っていた剣をオウロに振るおうとしている。
オウロの剣は早い。だが、二体の魚人を同時に殺せるほど足が早くもなければ、剣のリーチも短い。一息で二体のモンスターを殺せるほど甘くはない。だから大切なのは判断と、迷わない事だ。
オウロは二体の魚人へと太刀を振るう。その刃に迷いはなく、狙いは正確だった。オウロの刃は二体の魚人の手首を切る。それだけで、魚人は剣を握れなくなった。
一瞬だけ動きが止まったのだ。
オウロは一体のモンスターに狙いを定めて、太刀を振るう。腰を落として、切り上げ、斬り下ろし、斬り払い、返す刃でもう一度切り払って、太刀を魚人の腹部に突き刺した。
もう一匹の魚人が鋭い爪を立てている。
野太刀を抜くには時間が足りなかったオウロは、腰の小太刀を抜いた。刃渡りは短い。メインとして扱う武器としては少々物足りない。爪や牙も武器であるモンスターに近づくのはリスクが大きいからだ。
だが、オウロの瞳に恐怖はない。
煌めく黒い刃をオウロは紫色に染める。
オウロは剣を下段に構えた。防御の構えである。剣先を下げて相手の攻撃に対応するのである。
魚人はオウロに向けて鋭い爪を伸ばす。オウロはそれを一撃ずつ丁寧に受けていく。決して無理はしない。一人での冒険において、たとえ小さな怪我であっても致命的なものとなる。仲間がいれば回復薬を飲む暇もあるだろうが、一人だと連戦に挑むことになればその暇はない。
オウロが数日の間に学んだことの一つだ。
無理をせず、魚人の爪を受けるだけ。
だが、オウロにとってこれが魚人への攻撃だった。
魚人の爪は徐々に、徐々に紫色に染まっているのだ。
理由は簡単だ。剣から染み出したオウロの毒が、魚人の命へと届いているのだ。刹那を生きる冒険者にとってそれはとても長い時間であり、本来なら冒険にはあまり役立たない。
だが、オウロは自分に目覚めたアビリティを恥じた事はなく、ずっと使っている。
オウロは魚人の攻撃を一つ一つ捌きながら、後ろもしくは前方から別のモンスターが襲ってこないか気を張っていく。
もしもそのような足音が聞こえれば、無理をしてでも目の前の魚人を倒さなければならない。
だが、そのような兆しはなく、オウロは目の前の魚人へ集中できた。
横から来る爪を小太刀で弾き、両手で掴もうとするので片手を弾いて側面へと回るようにして避ける。オウロは決して相手の攻撃が体に触れるのを許さない。
そんな攻防が何度か続くと、魚人の手首から先が紫色に染まった。そしてオウロへと爪を伸ばして小太刀に当たった時、魚人の二つの手はどろどろに溶けて地面に落ちる。
オウロは相手の武器がなくなったことで、やっと小太刀を水平に持ち魚人へと突き刺した。とどめを刺したのだ。
オウロは武器を回収し、カルヴァオンを集めると魚人の死体の中に腰を下ろした。
ここに来るまでに多数の魚人を倒しているので疲れたのだ。今日は迷宮に潜ってから一度も休んでいなかった。それだけなら疲労はそれほど溜まっていないのかも知れないが、オウロはソロで潜ると決めた日から一日も欠かさず迷宮に潜っている。
度重なる冒険が、オウロの体に疲労を蓄積させたのだ。
以前までなら三日以上続けて冒険を行う事など無かった。
数日ごとに休日を挟み、必ず体を休めていた。もう連続でダンジョンに潜って十日は経っているだろうか。いや、もしかしたらもっと長い間ダンジョンにいたのかも知れない。オウロも詳しい日数までは計算していなかった。長い間を迷宮の中ですごしているので昼夜の間隔さえオウロにはなかった。
オウロは昨日の時点では、今日は休もうと思っていた。
ただでさえ体が限界なのだ。そろそろ休まなくてはダンジョンの中で大きな失敗をし、命を落とすことになると思っていた。
だが、その予定はすぐに消え去った。
マゴスから帰ってきたことを冒険者組合に報告した時に、遠い耳で因縁深い名前を聞いた。
「――ガラグゴがまた出たってよ」
「――最近多いよなあ」
「――はぐれが出るのはそう珍しくもないけど、ガラグゴはそれにしてもよく出るぜ」
ガラグゴの名前を聞いた。
そう珍しい事ではない。
多い時には一か月に一度は、ガラグゴの目撃情報が組合にて確認される。オウロがオケアヌスに来てから何度も聞いている。
いつもなら気にもしない情報だ。
だが、この時だけは違った。
「――どこに現れた?」
オウロはすぐにガラグゴの情報を欲しがった。
聞かれた冒険者はあまりいい顔をしなかった。
その理由がオウロには分かっている。
あの日、パーティーを全員死なせた時から、自分はオケアヌスにいる多くの冒険者にとって腫物扱いとなっている。
曰く、パーティーを全て全滅させた最悪のリーダー。
曰く、仲間を死なせて一人だけ帰ってきた卑怯者
曰く、己の利の為だけに仲間を死なせた犯罪者。
など多数の悪名がついている。
仲間を故意に死なせた冒険者は組合から重い処分がなされるが、仲間の財産など『へスピラサオン』にはなく、全てオウロが資金を賄っていたため事件性はあまりないと組合から判断されてオウロに処罰などはなかったが、それでも悪い噂は後を絶たない。
だから優秀な冒険者であるはずなのにオウロに声をかける冒険者はおらず、パーティーを誘う者もいない。きっとオウロがパーティーに誘っても応える冒険者は一人もいないだろう。
だが、オウロの必死の表情により、ガラグゴの情報を手に入れる事ができた。
どうやら中層の特定の場所で目的情報があるようだ。ガラグゴとしては大きな個体のようだ。
そのガラグゴが、オウロの仲間を殺したガラグゴである筈がない。ガラグゴは少なくない数がマゴス内に存在し、多くの冒険者達が狩っているが、あの時と同じガラグゴでないとしても、一人で戦う事に意味がある。
オウロはそう考えると、休んでいる暇などなかった。今日は体に鞭を打って迷宮に潜っているのだ。
だが、オウロの耳に聞こえた足音は、ガラグゴのものではない。
ただの魚人、あるいはバルバターナだ。
中層の、ガラグゴが出るとされる場所を巡っているのにも関わらず、一度としてオウロはガラグゴと遭遇することはなかった。
出会うのは魚人ばかり。
その事にオウロは肩を落としながらも腰の太刀を抜いた。
そして――数分後、無傷のオウロの前に、幾つもの魚人の死体が転がった。
肩で息をするオウロの耳に、大きな足音が聞こえる。
ずっと思っていた足元だ。
疲れていたオウロの体がふっと軽くなった。
新作として「名探偵サクラ ~魔王を倒せと言われたけど、職業が名探偵なので倒すビジョンが思い浮かばない件について~」を公開しています。こちらはもう少しで完結予定ですので、この作品の更新を待つ間にでも見てくれると幸いです!




