第四十話 オウロⅡ
オウロは一人でマゴスに潜っていた。
仲間など誰もいない一人だけの冒険だ。
オウロはナダとは違い、これまで一人で迷宮に潜ると言う無茶をしたことは一度しかない。その時は事前に迷宮に潜って、あらゆる情報を調べ上げて自分に有利な状況を作り上げてから潜っていた。
オウロは、冒険とは潜る前の準備が大切だと教わった。
前回の冒険でもそれを守った。行う事は普段と変わらない。あらゆる情報を調べ上げて、仲間との連携も事前に調整し、有利な状況を作り上げたと思っていた。
だが、うまく行かなかった。大失敗に終わった。自分の冒険が通じないと知ったのだ。
何が足りないかと聞かれれば、オウロの答えは一つしか思いつかなかった。
――強さが足りないのだ。どんな戦況をも覆すような圧倒的な強さが。
だからオウロは今回のソロの冒険において準備は殆どしなかった。
いつも持っている武器と、少量の回復薬だけでマゴスに潜っている。
オウロは前からやって来る魚人を二体、視界の中に入れる。既に武器は抜いていた。野太刀だ。襲ってくる魚人に向けて、大太刀で魚人を薙いだ。一体目は問題なく胴体を切った。だが、浅い。二体目の魚人には手の骨で受け止められて剣が止まる。
一体目の魚人が剣を持ってこちらへと振り下ろしてくる。
オウロはすぐに野太刀を捨てて、腰にある太刀を抜いて受けた。剣と剣がぶつかる。金属音が鳴り響いた。オウロは上から来る圧力に歯を食いしばりながら必死に耐える。
二体目の魚人は既にオウロの大太刀を腕から抜いており、もう一方の右手の爪を立てた。体が上手く動かないオウロの背中を切り裂く。
「ぐっ――」
オウロは嗚咽の言葉を漏らしながら、前にいる魚人へ唾を吐いた。紫色の唾だ。魚人は目や鼻にそれが着くと、剣を放して両手で顔を押さえて苦しんだ。
紫色の唾には『蛮族の毒(バルバロ・ベネノ』に含まれている。あまり使わない方法だが、オウロはアビリティを剣に流すだけではなく、体内のあらゆる場所から出すことが出来る。例えば唾や汗だ。
オウロは背中を切り裂かれながらも、目の前で毒を受けて無防備になっている魚人の首を切り取った。それからすぐに振り返ってもう一体の魚人の爪を受ける。魚人の力とオウロの力は拮抗していた。だから先ほどと同じように口いっぱいに毒を貯めて、魚人の顔へと吐き出した。オウロの毒を受けると、魚人は先ほどの個体と同じように苦しみだした。
爪の力が弱まる。
オウロは魚人を弾き返して、胸に太刀を突き刺した。そのまま手首を捻じって深く突き刺して、勢い良く引き抜いた。魚人は力を無くし、背中から派手な音を立てながら水の中に倒れた。
オウロはそんな魚人へ何度も何度も太刀を突き刺した。
「はあはあ――」
オウロが剣を止めるころには肩で呼吸をしていた。既に倒れている魚人に動く様子はなく、二体のモンスターは既にこと切れていた。
オウロは膝をつき、息を整える。
「殺せた。だが――」
被害は大きい。
背中は引き裂かれ、怪我も負った。
非常手段であるアビリティも使った。濃密な毒は体力を削られる。本来ならここで使っていい力ではない。もっと深い場所に潜ろうと考えるならもっと少ない消費でこの程度の敵は倒さなければならない。
「これが私の実力か――」
オウロはため息を吐いて太刀を鞘にしまってから大太刀を回収する。それから小太刀でモンスター達からカルヴァオンをはぎ取る。
浅層のモンスターはオウロにとって、これまでは只の通過点でしかなかった。
味方の手でモンスターの動きを止めて、自分が毒を与える。モンスターを弱らせてから、パーティーメンバーもしくは自分がとどめを刺すのだ。計算された連携による攻撃にリスクなどなく、怪我も負わず、苦労という二文字を知らなかった。
冒険者として、洗練された姿だったはずだ。
だが、一人になるとこうも自分は脆いとは思わなかった。
たったの二体の雑魚を相手にここまで消耗するとは。
こんな状態でまともな冒険なんて出来るわけがない。
ガラグゴを一人で倒すなんて夢のまた夢で、中層に一人で潜れるかどうかも怪しいだろう。
「ふっ――」
そう考えるとオウロは自分の弱さに笑えてきた。
これまでは自分の事を立派な実力者だと思っていた。学園をトップの成績で卒業し、オケアヌスで新しく作ったパーティーはトップパーティーに並ぶほどの実力だった。
だが、全ては幻想である。
自分は弱いのだ。
そんな事を考えていると、オウロは背後から近づいてくるモンスターに気づいていなかった。
ぴちゃっ、と水の弾ける音がする。
魚人、あるいはバルバターナの足音だ。
オウロは反射的に前へと飛び込んだ。
背中が浅く切られる。
「ちっ――」
オウロは舌打ちをしながら腰の大太刀を素早く抜いた。
しくじった、と焦っている。
背後からモンスターに襲われるとは考えていなかった。もっと注意しておけばよかった。パーティーを組んでいたころはこんなことはなかった。常にどこかの方向を誰かが注意していた。自分は一方向だけを見ていればよかった。
だが、ソロでの冒険だと違う。
一人で三百六十度すべてを注意しなければいけない。
気が休まる暇などなく、常に気を張っていなければならないのだ。
その事をオウロはすっかりと失念していたが、すぐに気を引き締めて猿叫を出した。
「きぃえええええええ!!」
それはモンスターへの威嚇であり、気合を入れる行為だ。
オウロは叫びながらモンスターの数を把握する。全部で三体の魚人だ。左右から挟撃してくるのが見えたので、後ろに転がりながらオウロは避けた。もう体は水で濡れている。
オウロは膝立ちになりながら急いで立ち上がろうとするが、そんなオウロへ魚人は槍を投げた。自分の身長ほどの長さがある大太刀が避けるのに邪魔だったので、オウロは手から大太刀を手放した。そのまま転がるように槍を躱した。
無防備となったオウロに一体の魚人が斬りかかってきた。オウロは膝立ちの状態で左腰の鞘と柄に手を当てた。
瞬間、オウロの刃が煌めいて、魚人の剣よりも早かった。魚人の剣を持っていた手首を浅く切り、そのまま振り上げて一閃。魚人の正中線を深く切り裂く。
居合切りだ。本来剣は抜いて、振り上げて、振り落とすと言う三つの動作を行って初めて切る事ができるが、居合切りはそれらの動作を一つに纏めた神速の剣技である。
オウロは実戦で初めてつかった居合切りが上手くいった事に驚いて、次の動きが止まりそうになるが、体に染みついた型の動きは忘れていない。
残心として、剣を正眼に構えるのだ。
その動きが役に立つ。
右から襲ってくる魚人の剣を受け流し、胴切り。
そのまま最後の魚人へと目線を変えて、切り返す刃で斬った。
三体の魚人は瞬く間に地に伏せる事となる。三体とも致命傷のみでまだ命は失っていないが、水を汚す緑の血が彼らの命が短いことを予期させる。
オウロは最後まで集中力を絶やすことがなく、正眼の構えで残心を取ったまま三体の魚人を注視していた。
「はあはあ――」
未だに心臓がばくばくと動いている。
実戦で初めて使った居合切りを今でもオウロは驚いている。
まさかうまく行くとは思っていなかった。
オウロは実践ではあまり役に立たないと居合切りはほとんど使ったことがない。故郷にいたときもモンスターと戦うには邪魔とさえ思っていたが、覚えておいて損はない、と故郷の師から教わったのである。
だから型しか覚えていなかった。
窮地に追い込まれた体は思ったよりも“鮮明”に動いた。一つとして判断が間違っていたり、迷いがあれば、先ほどの場面で倒れていたのは自分であった筈だ。
だが、二つの足で立っているのは自分だ。
「これを何度も続けているから、強いのか――」
オウロは常にソロで戦っている冒険者の姿を思う。
彼は強くなるには、一人ではぐれと戦ってそれを乗り越えたら強くなると言っていたが、オウロは彼の考えは間違っていると気づいた。
一人ではぐれを倒したのは、結果なのだ。
彼が強い理由は、常に自分を追い込んでいたからなのだ。本来、冒険者は一人だと浅層のモンスターに簡単に負けそうになるほど弱い。たった一人で数多くのモンスターを倒さなければならず、一瞬の迷いが窮地を生む。
ソロでの冒険は常に追い込まれていると言ってもいいだろう。余裕で戦う事など出来ず、常に死線を乗り越えなければいけない。だから単純な強さが鍛えられる。モンスターを独力で倒す力が求められる。
それが出来なければ――死ぬだけだ。
ソロでの冒険で必死に生き残って、その結果として一人ではぐれと戦えるだけの強さを手に入れる事ができるのだ。
だから、彼は強い。
このような死地を何度も乗り越えれば嫌だって力が着く。
現に、オウロは先ほどの数瞬で少しばかり強くなった。実戦で使わなかった、いや、使えなかった居合切りが使えるようになったのだ。その刃は以前よりも鋭く、それでいて力強くなったように思える。
そうならなかったら、きっと自分はここで死んでいたのだろう。
「なるほど。これは強くなる――」
オウロは剣を振って血を落とす。
そして今にも起き上がりそうな魚人へそれぞれ剣を突き刺して命を奪うと、今度こそオウロは剣の血を拭って、やる事は済ませてから奥へと急いだ。
この先にどんな冒険が待っているのかは分からない。
だが、先に進めば進むほど強くなることは分かった。
なれなければ、死ぬだけだ。
オウロは死ぬのが怖くなかった。
自分はきっとあのほとりで死んだのだろう。
オウロは強くなるために、一人で奥へと進む事にする。
その表情は薄暗いが、少しだけ嗤っていた。




