第十四話 ガーゴイル
ナダは早朝に一人でポディエを潜っていた。
うつらうつらとしていたいつもの茶髪の受付嬢を無理矢理起こして迷宮探索の手続きをさせた時には「全くあなたは鶏か何かですか。帰って来る時はちゃんと私が起きている時にしてくださいよ」と、少しだけお小言を頂いた。そのときの彼女は唇を尖らせながら不満げにしていたが、ナダは気にせず「ああ。そうするよ」と返しながら迷宮に入った。
迷宮のモンスターには、サイクルがある。
積極的に動く時とそうでない時があるのだ。
ナダが潜っているのは黎明時。
朝方の、夜と昼が混じった時間だ。
黎明時は、冒険者にとっては危険と云われている。何故ならモンスターたちの気は、こういう時間帯には昂ぶり、いつもよりも凶暴で索敵範囲が広いのである。
この時、黎明時のモンスターは眼が“青く”なるのだ。
理由は不明。原因は不明。
悠久の間、様々な研究者や冒険者が調べたが、結局、分からずじまいだった。
ただとある仮説によれば、黎明時と黄昏時には、ダンジョン内のダークマターの濃度が高まると云われている。その証拠に、冒険者がこの時にアビリティを使うと、通常よりも高い効果を発揮することが多いらしい。だからモンスターもダークマターの影響を受けて、気が高ぶっているという説もあるが、ダークマター自体が眉唾ものとしている学者も多いため、あまり支持されてはいない。
――命を賭ける冒険者に就く者は、この時の冒険を“必ず”避ける。
ただ、時々、それを破る異邦者がいる。
ナダも――その一人だった。
ナダにとって、黎明時は通常時と比べても格段に不利だ。
何故ならアビリティを持っていないから。
普通の冒険者ならブースト効果のかかるアビリティをもっていないため、いつもと同じ強さで凶暴化したモンスターに挑まなくてはいけない。
だが、それも、深い階層ならではの話であった。
「はっ!」
目の前から突進してきた猪形のモンスターであるジャヴァリーは、鼻元に生えた鋭い角が危険で、一歩間違えれば太腿の太い血管に刺さってそのまま死ぬことも珍しくない危険なモンスターだ。
だが、ナダはそのモンスターに青龍偃月刀を落として、地面へと叩き潰した。
ラルヴァ学園に入って既に五年も経っているナダにとって、一階や二階などのモンスターでは、たとえ黎明時でも強敵となり得なかった。
それにカルヴァオンも小さいため、解体しようともしない。
「よしっ」
あくまでこの敵は準備運動と言わんばかりに体の調子を確かめている。
軽い運動で筋肉をほぐして、そのピークをガーゴイルへとぶつけようと思っていた。
だが、身体に疲労を残さないように、できるだけ敵を避けようとも思っている。
そのために下の階層へのショートカットを使うことにした。
ナダもそれは幾つか知っているため、利用することはできる。本来なら坂道を滑り降りたり、段差を飛び越えたり、またまたロープを使って下の階層へと降りたりするので、リスクを減らすために普段は使わないが、今回はリスクよりもリターンを選んだ。
ガーゴイルのいる階層まですいすいと進んでいく。
昨日、ダンからガーゴイルは同じ場所に留まっていると聞いた。
それならば、あの時の場所にいるはずだと考えたのだ。
ナダはたった数時間でガーゴイルのいる階層へとついて、穏やかな風が突き抜ける狭い小道へと辿り着いた。
――この先に、ガーゴイルがいる。
そう思うと、足が震えだしたのは、きっと武者震いだろうとナダは決めつけた。
◆◆◆
それからほどなくして、ナダは辿り着いた。
その時の途中の道には、幾つかのパーティーが通ったとされる文字や模様が壁に刻まれていたので、ナダはこの道で合っているだろうと確信した。何故なら、その中の一つにガーゴイルに敗れて事実上解散に追い込まれたパーティーのシンボルがあったのだ。
そして――ナダは内装が全て天然の水晶で彩られた部屋を見た。
そこからは圧倒的な光が漏れている。
その中には、当然ながら例の門番がいた。
あの、ガーゴイルである。
あのガーゴイルは相変わらず部屋の中央に鎮座していた。
赤い目でこちらの入り口をじっと睨んでいた。
ナダは下を見た。
この小道と、あの部屋には確かに境界線があるように感じた。
ガーゴイルと、自分の境界線だ。この線を超えれば戦いへのゴングは鳴らされるだろうと思っていた。今ならまだ逃げることが出来るともナダは感じている。ガーゴイルから背中を向けて、この場から無様に逃げ出して、いつもの冒険者生活をおくるという選択肢も残されているだろう。
ただ、そういう逃げを選ぶつもりはなかった。
ナダは疲労回復のための薬を飲んでから、一歩踏み出した。
ガーゴイルが、高らかと吠えた。
既にナダの身体から震えは消えていた。
「殺してやる――」
代わりに出たのは、呪いの言葉だった。
二人の開戦はガーゴイルからだった。まるで侵入者を拒む衛兵のごとく、入ってきたナダへと低空飛行をして手に持っていた槍を振り回す。
ナダはもちろんそれを受けずに、転がるようにして避けた。狭い端では不利だと思ったのだ。そして距離を取って体勢を立て直すと、すぐに投げナイフを二個投げた。
ガーゴイルはそれを両手で防ぐため、浅く刺さるだけで致命傷にはならない。
しかし、 ナダはそれを目眩ましとして使用して、距離を詰めた。石付きに限りなく近い部分を持って、遠心力を利用しながら青龍偃月刀を振るった。グレイブに同時に振るわれる。両者はぶつかって、筋力の差か、ナダの青竜偃月刀だけ弾かれた。
「ちっ――」
ナダは舌打ちを出すが、そんな余裕は実はない。
ガーゴイルがさらに一歩詰めて、武器が弾かれたことで胸元ががら空きになったナダの胸部へ、固く握り締められた拳が襲う。
ナダは咄嗟の判断として後ろへと飛ぶが、重たい鎧などを着込んでいるのだ。その判断は遅く、鎧の上からガーゴイルの拳が強襲。肋骨は折れていない。折れていないが、心臓と肺に近い部分に強い衝撃が加わったため、息が一瞬だけ止まる。動きも、止まった。
そこへ、切り返したガーゴイルのグレイブが振るわれた。
横振りだった。
ナダはダメージを覚悟して、左肩を上げて、筋肉を固めた。すると、すぐに攻撃は来る。肩へ、グレイブが強打し、ナダは横に飛ばされた。
もちろん、その時の衝撃で今度は呼吸が回復した。
ナダは鎧が防いでくれると言えども、痺れる左腕でまた投げナイフを一本出して、ガーゴイルへと投げる。今度は命中率が悪かったので、羽を掠るだけだ。
そんなナダへガーゴイルは距離を詰めた。
怒涛の連撃。
もちろん、これに引いているナダではない。
すぐに前傾姿勢になって、ガーゴイルへと駆けた。
そしてガーゴイルのグレイブが振るわれると同時に、急に横に進路を変えて、横から偃月刀でガーゴイルを刺した。
だが、ガーゴイルは翼の羽ばたきを一回するだけで、ナダと逆方向に逃げる。偃月刀は掠っただけで、ガーゴイルの黒い血が偃月刀の刃先を舐めた。
ナダは遠くへ逃げるガーゴイルに走ろうとするが、またガーゴイルは羽ばたいて空へ。
ナダはそんなガーゴイルへ、苛つくように投げナイフを。地を這うナダは、対空手段が投げナイフしか無かった。偃月刀も投げることはできるだろうが、それは最終手段である。
ガーゴイルは滞空して、大きく不気味な声をあげると、天井付近でグレイブを振り回し始めた。
「あんのヤロウ……!」
ナダは顔を歪ませながらその場から退避した。
何故ならガーゴイルが天井に生えている光源の役割を果たしている水晶の根本を破壊して、落とし始めたのだ。それは当然ながらナダを狙って落としている。ただの石ころのような水晶ならまだしも、ここの天井に生えている其れは、氷柱のように先端が細く尖っている。流石にそれが頭上に落ちれば、その惨劇の想像は珍しくない。
ナダは天井にいるガーゴイルを睨みながら、一撃目は偃月刀を振るって壊すが、すぐに捌き切れないと判断して、右へ、左へ、体を揺れ動かして、今度は次々と地面へと刺さる水晶を避けていく。
それが幾つか落とした頃、今度はガーゴイルが落ちてきた。
――頭上からの一撃。
ナダは急いで転がるようにして避けたが、グレイブが床を破壊してその破片が頬を掠る。
ナダはガーゴイルと距離を取ると、今度はそこから偃月刀を振るった。狙いは水晶だ。それを勢いのつけた偃月刀によって、ガーゴイルまで弾き飛ばす。
今度はガーゴイルがグレイブを振るって、水晶を壊していた。一つ、二つ、三つ、壊された水晶の欠片がキラキラとまるで光の粒のように散らばった。
ナダはそんな光のカーテンに身を隠して、腰のポーチに入っている薬の中で、丸薬を一つ噛み砕いた。
――その名は、猛虎丸。
一時的に虎の如き怪力を得る薬だ。値段が高いためナダとしては二つしか所有していないため、好機にしか使うつもりがなかったのだ。
それを飲むやいなや、沸々と湧き上がるマグマのように力が胸のそこから溢れ出すのをナダは感じていた。
いける、この状態ならガーゴイルとも打ち合えると確信して、ナダはガーゴイルへと横から迫った。
ゆっくりと首を左右に動かして獲物を探るガーゴイルに、突然ナダは光の中から現れて斜めに両手で勢いをつけて偃月刀を振るった。
ガーゴイルはそんなナダへすぐに反応して、片手でグレイブを伸ばして防ごうとするが、強化されたナダの筋力に、そんな中途半端な防御など通じない。今度はナダがガーゴイルの槍を弾き飛ばした。胸元が先ほどのナダと同じように開く。
――千載一遇の好機。
ナダは大きく偃月刀を振りかぶって、ガーゴイルの頭部へと斬りかかった。
かん、と甲高い音が鳴った。
ナダの偃月刀は、少しだけ角度を変えたガーゴイルの角に防がれていた。
ナダは焦るように再度力を込めるが、太い首に支えられたガーゴイルの頭と太く立派な角はぴくりとも動かない。そして数秒、ナダはガーゴイルがグレイブを切り返すのを見て、飛ぶように距離を取った。
ナダは数瞬の攻防で息が切れて、呼吸を整えるように深く吸った。
だが、ガーゴイルにそんな様子はない。
今度は両足を使って人のように距離を詰める。その足は四足歩行のけものと似たような形をしているため、それほどスピードはない。しかし、体長が大きなガーゴイルが長い槍を持って突進して来る姿には圧力があった。
ナダはそれに負けじと牽制として投げナイフを二つ。
弾かれた。
その間にガーゴイルは距離を失くして、突っ込むようにグレイブを振るった。
ナダはそれを刃の部分で受けて、地面へとグレイブを押さえて、柄を上手いように使って、グレイブを抑えたまま逆方向の石突きでガーゴイルの頭を殴った。
それは頬にあたって、ガーゴイルの顔に埃がついた。
「へっ――」
一撃を入れたことでニヒルに笑うナダへ、ガーゴイルの前蹴りが炸裂する。
ナダはそれを腹に受けながら距離を取られた。
そこから、ガーゴイルの猛攻が始まった。
左右に何度もグレイブを振るわれる。まるで大きな半月がガーゴイルの目の前に何個も広がったかのようだった。それは片手で、隙も大きいが、人外の筋力で振るわれるそれは一撃で人の首をもぐには十分な威力があった。
ナダはそれを偃月刀で使って受けた。一撃ごとに轟音が鳴り響き、腕が痺れる。ナダは両手で偃月刀を使っているというのに。さらには薬の効果もまだ続いている。けれども、ガーゴイルの攻撃はこれまで会ったどんなモンスターの一撃よりも重たい。ナダは後ろへと後退りながら、徐々に、徐々に壁へと追い込まれていく。
何度も、何度も。
ガーゴイルは重たい連撃を放った。
そして五発目の時、ガーゴイルはリズムを変えた。
急に体勢を低くして、地面に手をついて、体を入れて、ナダへと突進をしたのだ。
角だ。
ガーゴイルは角で攻撃してきた。
ナダは体と角の間に青龍偃月刀を入れて防いだので、角の先端が僅か後数センチの場所まで迫って止まった。
体重差か、ナダはその状態のまま後ろへと押される。
ナダの口からは絶叫とも近い声が出しながら槍をがたがたと動かすが、柄がガーゴイルの双角の間にあるため、戦況は何一つとして変わりはしない。
そして、ナダの背中が壁についた。
壁際まで追い詰めたガーゴイルが、下から抉るようにグレイブを伸ばした。
その瞬間――ナダは偃月刀を捨てた。
そして転がるように避けた。
武器を手放したナダへ、ガーゴイルの追撃が襲う。グレイブだった。斜め上段から迫るグレイブへと、ナダはすぐに左手でククリナイフを抜いて、逆手で持ったまま防いだ。みしり、とククリナイフに細かな線が一本入る。
両者の武器が弾かれると同時に、二人ともが飛ぶように引く。
この時には既にナダの薬の効果は切れていた。
ナダはその間にククリナイフを順手にして、右手で最後の投げナイフを投げた。そしてすぐさま、疲労を回復する薬をポーチから出して、一気に飲み干した。
ガーゴイルはその隙を狙って、距離を詰めた。
ナダへとグレイブを叩きつける。
ナダはククリナイフで逸らすように地面へとグレイブを落として、距離を詰める。
みしり、とまた罅が進んだ。
ナダはその状態のククリナイフで、至近距離のまま、ガーゴイルを斬りつけるように幾つも斬撃を放った。
ガーゴイルの身体に赤い線がいくつか奔って、拳が振るわれた。
ナダは右手で防ごうとするが、ガーゴイルの豪腕はそんな防御をも容易くぶち破り、腹部を強打。二メートルぐらい吹っ飛ばされながら転がった。
ガーゴイルはすぐに上空に飛び上がって、胸を押さえて苦しみながら転がるナダへ向けて急降下。
ナダはその間に腰のポーチを開けて、すぐにダンの祝福がかかった薬の瓶を片手で握りつぶして、全身にその薬を浴びた。
少しだけ、胸の痛みが楽になった。
ナダは立ち上がって、すぐにガーゴイルの攻撃を躱す。
ガーゴイルのグレイブは床を砕いて、その破片がナダの頬に掠って赤い血が流れた。
ガーゴイルはすぐに逃げたナダへ翼を羽ばたかせて、低空飛行で迫る。
グレイブを落とした。
ククリナイフで防いだ。
ククリナイフはその衝撃でまた罅が進行して、その一部が下へと落ちる。
ガーゴイルは地面に着くとすぐにナダへとグレイブを振るう。
ナダは、また防いで、距離を詰めて、寿命が後もう少ししか無いククリナイフで攻撃するが、浅くしか切れない。
すぐにナダは引こうとするが、そこへ今度はガーゴイルの蹄による前蹴りをククリナイフで防ぐと、刃の中程からククリナイフは折れた。銀色の破片はまるで雪のようにちらちらとガーゴイルとナダの間へ降り注ぐ。
ガーゴイルはそこを見逃さない。
右腕を使って横へ大きくグレイブを薙ぎ払った。
ナダはそこで足を止めて、ククリナイフの柄を両手で強く握って、グレイブの刃へと垂直に合わせる。グレイブはククリナイフの刃を浸食するが、やがて鍔元まで進むが、そこでグレイブは止まる。だが、衝撃は消えないままナダを軽石のように飛ばした。その時にナダはニヤリと笑いながら後ろへと飛んで勢いをつけたので、反対側の壁に背中を打つ。
そして、ナダは使い物にならなくなったククリナイフを捨てて、足元に転がっている青龍偃月刀を拾った。
怪物に勝つためには、小物のナイフでは駄目だと考えたのだ。
怪物に勝つにはそれ相応の“兵器”がいる。
ナダは薬ですぐに疲労と激痛を鎮静させて、両手で青龍偃月刀を構えた。
次の攻防で勝つと、決めた。
――あんな学園の屑。死ねばいいのにね。
だが、思考に淀みが生まれた。