第十三話 依頼
それはナダがガーゴイルを倒すと決めたたった一日前のことだった。
精巧な模様が彫られた学園長室の扉の前に、一人の生徒が立っていた。学園長から呼び出されたのである。
その者は、金髪の美男子だった。
レアオンである。
これまで授業を受けていたのか、学生服を着ていた。紺のズボンに白いブレザーだ。胸元にはラルヴァ学園の校章である蝶が刻まれていた。
「失礼します――」
レアオンはノックを四回して、中からしゃがれた声で「入りたまえ」と云われた後、部屋の中へと入った。
中は簡素な作りだ。
入ってすぐの場所に二組のソファと一つのガラス製の背の低いテーブルが置かれてあり、奥には高級な木で作られた執務机に革張りの椅子があった。
そこに一人の老人が座っていた。
顔に刻まれた皺は悠久の年月を思わせるほど深く、机に肘をついた腕には数えきれないほどの傷跡が残されていた。頭部は白く、また剥げてきてもいるが、体はまだ大きく、まるで若者のようだ。
そんな老人の横には一本の剣が置かれていた。
鞘から柄まで濃青色の剣だ。
前世紀の英雄である学園長――ノヴァの相棒とも言える魔剣である。
名は、トュファオ。
レアオンも、その名と存在のみを認識している。
「よく来たな。レアオン君。さあ、腰掛けたまえ」
「はい――」
レアオンはノヴァに言われるがまま、ソファに腰掛ける。
「コーヒーでも飲むかね?」
ノヴァは椅子から立ち上がって、近くのコーヒーポットまで移動して、レアオンに声をかける。
「では、一杯だけ」
「砂糖とミルクはどうする?」
「お願いします」
ノヴァは自らレアオンの分までコーヒーを入れて、彼の前に差し出した。もちろん、砂糖とミルクが入った容器も一緒に。
ノヴァはレアオンが砂糖とミルクで味を整えたコーヒー一口飲むと、自らもそれを口に含んだ。
「最近はね、私はコーヒーにハマっているのだよ。誰かに入れてもらうのもいいが、こうして自分で入れるのもまた味わい深いものがある」
「そうですか――」
「はは、こんな老人の戯言がつまらないかね?」
ノヴァは顎の白い髭を擦りながら言った。
「いえ、そういうわけでは……」
レアオンは焦るようにまたコーヒーを一口飲んだ。
「いいんだよ。私も年を取って、些か無駄口が多くなった。さて、今回、君を呼んだ理由を説明しようか」
ノヴァは前傾姿勢になって、膝の上に両肘をつく。
「お願いします」
「君は……最近、ポディエに新たなモンスターが発見されたことをご存知かね?」
ノヴァはゆっくりと言った。
「どのモンスターでしょうか? 新種なら、結構な間隔で発見されていると思いますが?」
迷宮内のモンスターは発見されている種が見つかることが殆どだが、それは浅い層のことである。深い層に潜れば潜るほど、探索の絶対量が足りていないので、新しい姿形をしたモンスターや姿は変わらないが特性は違うモンスターなどが現れることは多い。
また、内部変動が起こることによって、新たなモンスターが出現することも珍しくはない。
それらを報告する義務が冒険者にあるのだが、モンスターの特性は一概に決めることができず、難航することも多いのである。
「平時でも赤い目をしたガーゴイル、聞いたことぐらいはあるだろう?」
「はい。確か……ここ短期間の間に四つのパーティーが敗れた、との話ですが」
「そうだ。そのガーゴイルだ」
ガーゴイルというモンスターは、学園迷宮において、中層でたまに出る。
その特性といえば、元々の姿が石像であることだ。
姿は多種に渡り、魚のようなガーゴイルから、山羊の角を生やした悪魔のようなガーゴイルまで様々なものがある。
その強さも個体によって千差万別であり、一概に強さを決められない難しいモンスターの一種である。
「そのモンスターがどうかしましたか?」
ダンジョンは安全な場所ではない。
今回のように、強いモンスターが上の階層に徘徊することはよくある。
レアオンが聞いた話によれば、そのガーゴイルは強さの割に浅い階層に出るらしいが、数ヶ月に一度ぐらいは強い“はぐれ”モンスターが出ることは珍しくない。別段、気にすることではないと思うのだ。いつかは誰かが討伐する。弱いものは適切に逃げて、力の持っているものだけが挑戦すればいいとのこと。
レアオンにとっては、会えば討伐するだけ。会わないのであれば特に気にする必要もないと思っていた。
「ふむ。私としてはね、そのモンスターへの生徒の関心が、少々危険だと思うのだよ」
ノヴァは視線を下に向ける。
「危険とは?」
「あのガーゴイルはね、よくいる“はぐれ”とは違うらしい」
「違う、とは?」
そこまでの情報をレアオンは仕入れていなかった。
持っていた情報といえば、ガーゴイルの戦い方や姿形などである。
「あれはどうやら一つの場所に留まっているらしいんだ」
「そんなに危惧することですか?」
はぐれモンスターは徘徊をするのが基本だが、中にはそういう異常行動をする個体もいるだろう、と簡単にレアオンは納得した。
「いや、むしろ、私としては嬉しい限りだ。危険なモンスターが徘徊していると、生徒たちがダンジョンに潜りにくくなるからね」
「だとしたら何の問題があるのです?」
ノヴァは一息ついてから、重たい口を開いた。
「……最近、そのガーゴイルを“番人”だと思っている生徒がいるようだ」
「番人とは?」
「その名の通りだよ。あのガーゴイルが一つの場所に留まっているのは、先にある“何か”を守るため。その“何か”を財宝か秘宝ではないかと、邪推している生徒がいるらしい。だから――挑戦者は後を絶たない」
「そうですか」
レアオンは学園長の言葉を噛みしめるように頷いた。
「もちろん、それが原因で迷宮探索を当分の間休むと決めたパーティーや潰れたパーティーがいくつかある。このままだと、それも増えるだろう。そうなれば、学園へのカルヴァオンの供給も減る。これは由々しき事態なのだよ、レアオン君」
「だから、僕にどうしろと?」
「――殺したまえ」
学園長は細めた目で言った。
「アギヤで、ですか?」
レアオンは、久々に己の血が滾るのを感じていた。拳をぎゅっと握り締めた。
「ああ。そうだよ。現在、学園でトップを誇るパーティーであるアギヤで、討伐してくれたまえ。これ以上騒ぎが広がる前に。生徒たちへの犠牲が広がる前に。君が学園を救ってくれ。何、その代わりと言っては何だが、討伐してくれた暁には――君の望むものを手に入れよう。」
学園長は怪しく微笑んだ。
「分かりました」
レアオンは二つ返事で頷いた。
「ありがとう。君の厚意には感謝するよ」
学園長が手を差し出すと、それに合わせてレアオンも手を出した。
学園長は彼の片手を両手で強く握って、「頼んだよ」と深く言った。
「いえ、学園のためですから。では、準備がありますので失礼します」
レアオンは焦るように立ち上がって、扉へと急いだ。
「何か必要な物があったら言ってくれ」
「分かりました」
そう言って、レアオンは学園長室を去った。
その心の中には、大きな野望を抱いていた。