第十六話 教会
この日のナダはオケアヌスにある教会に訪れていた。
シィナが勤めている場所だ。
ここ一週間ほどの間の午前は迷宮の浅い所だけ行ってモンスターを軽く狩り、夕方から教会に通う日々を送っている。全てはシィナに会うためである。
オケアヌスにある教会は、街中にある他の建物と比べて“とても古い”ものだった。
建物自体は小さかった。
正方形のシンプルな教会だ。
街中の多くの建物のようにコンクリートやレンガを使っておらず、堅牢な石で作られている。かつて何かが描かれていた壁は草が生えており何も見えず、屋根は最近補修したのか新しい木である。
この教会は、最近作られたものではない。数百年前、数千年前に作られたものだった。
それを再利用して使っているのである。
ナダはいつものように教会に入ろうとしたところ、先に扉が開けられた。
中からオウロが現れる。
ナダとオウロの視線が交差する。
互いに何も言わず、オウロはナダを見ていないかのようにこの場から立ち去って行った。
ナダは教会で彼の姿を見るたびに、数日前の彼との会話を思い出す。
それはナダがパーティーにオウロを誘った時の答えだ。
「――パーティーを組むか。面白い話だけど、笑えない。私はマゴスの為に、王都でスペシャリストのパーティーを集めた。それに比べて、ナダはそうではない。そなたの現状は知っている。ずっとソロで潜っているのだろう? ナダの強さは認めるが、組むに値しないな」
はっきりとした拒絶だった。
ナダとしては返す言葉もなかった。
現在パーティーメンバーとしているのはニレナだけ。彼女は優秀であるが、たった二人だけだといいパーティーとは言えない。最低でも四人、もしくは五人ほど様々な力を持った冒険者が助け合うパーティーがいいパーティーなのだ。
「――彼女は私が手に入れる。ナダは私がマゴスを攻略していく後ろを付いてくるといい。マゴスの深淵は見せてやる」
オウロはそう言って、ナダの元から去って行った。
ナダはそれ以上勧誘もしなかった。
「ああ、分かった。じゃあな――」
ナダはオウロにその日は別れを告げた。
それから何度もこの教会で会っている。
オウロは何度断られても、めげずにシィナをパーティーに誘っているようだ。
だが、去って行くオウロはナダに勝ち誇った顔を見せずに、昨日と同じように気落ちした表情だ。今日もうまく行かなかったのだろうが、ナダはそれを笑う気にはならない。
うまく行っていないのはナダも一緒だ。
ぎーと、木が軋む音を出しながらナダはゆっくりと扉を開けて中に入る。
教会内は暗かった。
割れたステンドグラスから降り注ぐ太陽の光が、唯一の明かりだった。
中は荒れている。数多くの長椅子は殆ど原型がなく、今も姿があるのは二つだけだ。奥には小さな祭壇があり、近くの野でとられただろう小さな花とまだ新しい大きな花束が飾られていた。
その前で膝をついた少女が一人、熱心に祈っている。
シィナ、だった。
ナダはそんな彼女を邪魔しないように、まだ残っている椅子に座った。ナダの体重が重たいので大きな軋む音が鳴った。
思わずシィナが振り向くほどの音だ。
彼女はナダを一瞥すると、すぐに祈りへと戻って行った。
ナダはそんな彼女を見つめる。
この教会には、他に人の気配はなかった。
ここに数日通っているが、シィナとオウロの他に人を見た事がない。
さびれた教会だからだろう。既に忘れさられているのだ。町の中心部には急造だが、もっと大きくて立派な教会が作られている。信仰心の強い冒険者の為に、それにふさわしい教会を作ったのだ。
それ以来、ここを訪れる人はいなかったようだ。
ナダとオウロ以外は。
「……ナダは信心深いね」
祈りが一段落終わったシィナは立ってナダを見下ろしていた。
「そうか?」
ナダは手を広げた。
「……毎日ここに来るから」
「そうだな」
「……冒険者でそれは珍しい。ギフト使いでもないのに」
彼女の言う通り、一般的な冒険者と比べてギフト使い達は敬虔な信徒が多い。自分たちの力は神から授けられた物であり、迷宮で生き残れるのも神に守られているからだと。
また優秀なギフト使いは、信仰心が極めて高いとも言われており、神に祈れば祈るほどギフト使いとしての腕も上がる、との噂まであるようだ。
「そうかも知れない。そう言えばあんたはギフト使いだから、シスターになったのか?」
そういう者は多い。
限界を感じて冒険者を引退し、神父やシスターになるギフト使いは大勢いる。
「……そうかも知れない」
「冒険者の時に神の事は?」
「……常に感じていた。だけど信仰までしようとは思わなかった」
「感じる?」
ギフト使いでないナダにとって、神を感じるなんて笑い話に等しいのだろう。
「……ギフトを使うたびに。まるで……神が隣にいるように感じるの。感じないギフト使いもいるけど……感じると言うギフト使いも聞いた事がある」
ナダはシィナの事を半信半疑に聞いていた。
ナダの周りに神を信じている、と強く言うギフト使いはいなかった。アギヤの時も、その前の時も、だが学生の頃に教科書に書いていたような記憶があるような気もする。詳しいことは何も覚えていないが。
「へえ――」
「……でも、私は時々、感じるだけ」
「声は聞こえるのか?」
ギフト使いの中には神の声が聞こえる者がいる、というのは有名な話だ。だから教会の上層部の人間は全てがギフト使いだ。
彼らは神の名を語り、言葉を借り、人々に救いを与えるのだ。
「……残念ながら、私は聞こえない」
「そうなのか――」
「……私のような未熟なギフト使いだと、神の声なんか聞こえるわけない」
「そうか」
戯れとして聞いただけなので、ナダは神の声などには興味がなかった。
「……それでナダは何をしにここに来たの?」
「もちろん、神に祈りに来た」
「……そう。好きなだけ祈るといい。ここはいい教会だから」
彼女の許可を受けると、ナダは先ほどまでのシィナを真似るように祭壇の前に移動して、膝をついた。
そのまま目を瞑り、神へとひたすらに祈った。
どの神に祈るかは決めていない。
ナダは特定の神への信仰を持っていないからだ。
神は全てで十二柱存在するが、全ての神に様々な役割がある。商売や台所を司っている神もいる。
ギフト使いは自分のギフトの神を祈るが、多くの冒険者はそうではない。自らのアビリティに近い神、もしくは冒険スタイルや望む事に合わせて神を変えるのだ。
ナダが神に祈ることと言えば、一つだった。
――病の治療。
それだけだ。
だが、この胸の痛みは神に祈っても消えない事は知っているので、口角が少しだけ上がる。自分を嘲笑っているのだ。無駄な事を行っていると。
ナダが祈りを辞めたのは、時間が経ってからだった。
五分だったのかも知れないし、ニ十分ほど祈っていたかもしれない。
ナダが祈りをやめたのは、小さな声でシィナが呟いたからである。
「……ナダも、私が目的なの?」
ナダは目を見開いて祭壇を見た。
そこには大きな花束が飾られてあった。赤、黄、ピンクなど色とりどりの綺麗な花だ。しおれている花は一つもなく、どれも瑞々しい。きっと切り取られて時間があまり経っていないのだろう。きっとオウロが持ってきたものだった。
きっと教会に入る為に花を持ってきたのだ。
そして、シィナを口説く。
マゴスの攻略の為に。
ナダは彼女の言葉に気付かないふりをした。
まだシィナをパーティーに誘ったことはない。
ここ数日で進んだことと言えば、この教会でちゃんとした自己紹介をしただけなのだ。
まだ距離感をうまくナダは測れていなかった。
あまり性急に事を急ぎ過ぎて、オウロのように目の敵にされるのを恐れているのである。
昨日見たオウロは、教会に来たのだが中に入れてもらえず教会の前で立ち往生していた。
ナダはそうはなりたくなかった。
だが、うまく彼女を口説けない。
そんな経験がないからだ。どこかの町娘だって、うまく誘える気がしないナダであり
もしもどこかに口に自信がある男がいるのなら、是非ともその方法を知りたかった。
「……ナダ」
シィナが声をかけてきた。
ナダは答えない。
祈りに集中している振りをするためだ。
「あなたはここに何を求めているの?」
次の声は先ほどよりも大きかった。
いつも感想ありがとうございます。
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