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迷宮のナダ  作者: 乙黒
第一章 石ころ
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第十二話 夢

 ナダは深い森の中にいた。

 草木は濃い緑色で生い茂っている。空は見えない。背の高い木が隠す木の葉で隠れてしまっていた。また、その隙間から差す光が分厚い雲によって黒く塗りつぶされているので、今が夜だというのが分かる。雲の斑模様は龍の鱗のようで不気味だった。

 ナダは森の中を進むが、そこは歩きにくい。

 土がぬかるんでいるのだ。裸足に泥がへばり付く。また小石が足の裏に食い込んで痛い。

 それに多くの木の根っこが地面から浮き出ているのだ。それは固く、足元を注意していなければ躓いて転びそうでもある。また背の低い木の枝が身体に当たるので、それも先へと進む障害となる。残念ながらナダは青龍偃月刀どころか、ククリナイフ、ましてや小型の万能ナイフですら持っていなかった。

 だから素手で木々を掻き分けながら進む。

 先は木々ばかりだ。

 だが、戻っても木々ばかり。

 ふくろうの声が森のなかで不気味に響き渡った。幾つもの声が反芻する。方向感が狂いそうだ。今、どこにいるのかさえ分からない。

 ナダはこんな森を一刻も早く抜けたかったので、焦るように先へと進んだ。

 だが、景色は変わらない。

 進むごとに森は濃くなって、梟の声は数多く重なる。梟の声が少ない最初の場所に戻ろうと思って後ろを見ると、既に進んだ道は分からなくなっていた。自分が切り開いた道がいつのまにか緑で覆われているのだ。

 一度振り返ると、横で今度は狼の遠吠えが聞こえた。

 ナダはそちらを向いた。

 今度は別の方向から狼の遠吠えが聞こえた。

 ナダはそちらを振り向いた。

 既にナダは自分が進んできた方向さえ分からなくなっていた。木霊する梟の鳴き声と、いろいろな場所で鳴り響く狼の声がこちらに近づいている。

 ナダは冒険者なので、狼の一匹や二匹なら対処できる自信はあるが、残念ながら今は武器を持っていない。素手の状態で勝てるほど狼は甘くない。奴らは肩などの武器をまず奪って、じわじわ追い詰めるように殺していくのだ。

 だから、狼の遠吠えがする方向と反対側に逃げた。

 背中を見して逃げ出した。

 すると今度は梟の声が薄くなって、鴉の声が聞こえた。まるでナダを馬鹿にしているようにも聞こえる。

 ナダは全速力で走っていた足を、狼の遠吠えが薄くなったことによって徐々に遅くしていった。

 けれども、森の中は深くなるばかりだ。隣の木を見れば大きな蛇が巻き付きながら登って行き、また別の木を見れば大きな鳥がくちばしで木を叩いている。地に目を向けば百足や団子虫が這いずり回り、空は木の葉で見えない。

 ナダは小石で裂けた足をいたわりながら、汗で背中に服がひっつく不快感を得ていた。さらにそのせいなのかは不明だが、急激に喉が乾いてきた。腹も空いてきた。飢餓感に襲われた。

 ――そんな時、ぽたんと水の音が聞こえた。

 ナダはその音を聞いた瞬間、滑るようにその音源地まで急いだ。足元を引っ掛けるような根や行く手を邪魔する枝達を避けながら最短距離を意識してそこまで急ぐ。

 すると、段々森が開けていって、大きな広場が見えた。

 どんどん水の音が大きくなるのが聞こえた。

 渇きが潤せられるのかと思うと、自然に足が早くなる。

 そして、草原に踊り出た。

 そこは木が一本もない場所だった。枯れ果てていると言ってもいいだろう。視界の端に見える木だったものは腐り落ちて、中程で折れていた。地面はわかば一本すら生えておらず、きめ細かい砂の絨毯が広がっていた。灰色の空は一つの星もなく、奇妙に渦巻いている雲が広がっているばかりだ。

 水の音の在処は、そんな草原の真ん中に立つガーゴイルの槍から滴る血の音だった。

 そんなガーゴイルの周りには数多くの死体と、緋色の世界が広がっていた。それはやがてナダの足元まで侵食して、ぬめりとした生暖かい感触が傷だらけの素足を犯した。

 ナダがどうしていいか分からず、ゆっくりと周りを見渡していると、突然、ガーゴイルの赤い目が開いて、ナダをぎょっと睨んだ。

 ナダは、体を一回、恐怖で飛び跳ねた。

 ガーゴイルはそこからゆっくりと動き出して飛んだ。

 ナダもすぐに踵を返して逃げた。既に背後に森はなく、広漠とした砂漠があった。砂漠の砂は触るだけで簡単に崩れるので、足場として適さない。ナダは必死にもがくように進むが、思うように進まない。後ろに砂が蹴りだされるだけだ。

 空をとぶガーゴイルに足場は関係なく、迫って来て、その様子をナダは見ており、そして――


「うっ――」


 ――そしてナダは目を覚ました。

 何度目だろうか。こんな悪夢を見たのは。最近はずっとだ。寝る度にガーゴイルの夢を見て、襲われて、抵抗も出来ずに終わって、目が覚める。

 今はまだ夜中。窓から見える空は大きな月が見える。

 ナダはやはり寝汗をびっしょりとかいていたので、台所へと行って、コップに水を入れて、一杯だけ飲んだ。

 それからまたベッドの上へと戻って、近くにある石を握って、空を見ながら物思いに耽る。

 眠れない。眠れなかった。

 あの夢を見た後は、眠りたくなくなる。

 それはたとえ、どれだけ疲れていても、だ。

 恐いのだろう。ガーゴイルが。ナダはそう思っている。そしてそれが正しいとも。

 そのおかげで最近は寝不足だ。普段は真面目に出ている授業も、途中で力尽きて寝落ちしてしまうことが多々ある。迷宮に入っている間は無いが、それも時間の問題だろうと思った。もう体は現界だ。思考は鈍り、体は鈍足になってきた。昨日にはダンに顔色を注意されるほどだ。それが怖い夢を見たから寝不足なんて、どれだけ滑稽だろうか。子供でもあるまいし。

 けれども、ナダは日に日に睡眠時間が短くなっていた。

 このままだと命が危ないとも感じている。

 迷宮で眠れば、死は確実だ。無防備な状態でモンスターに襲われるから。仲間が居れば起こしてくれるかもしれないが、今は一人。誰にも縋れない。

 それを打開するにはどうしたらいいのか、ナダは石をぎゅっと握りながら考えた。

 ゆっくり休む。休めないから辛いのだ。

 なら、ならば、どうする?

 ナダは少ない頭を振り絞って考えた。

 このまま夢を見続ければ、寝不足になって、いつか迷宮で重大な過失を犯して死ぬ。

 だから――


「――殺しに行こう」


 ナダは小さく宣誓した。

 己と約束した。

 悪夢を見る。その原因はパーティーを抜けたことでもない。レアオンから首を宣告されたことでもない。ましてや、体調が悪いからでもなければ、周りの悪いが原因でもない。

 ガーゴイルだ。

 あいつとあってから、全てが始まった、とナダは少なくともそう考えた。

 何故なら、悪夢に必ずガーゴイルが出てくるから。

 だから――ガーゴイルを殺す。

 あいつが死ねば、この夢を見ない。

 悪夢にうなされる日も無くなって、いつもの学生生活が送れると思った。

 そう考えると、心が軽くなった。


「今から行くか――」


 ナダは手の中にある石を枕元に置くと、大きく飛び上がって、部屋の隅に置いた鎧を着始めた。

 迷宮は24時間営業だ。

 夜に、いやとナダは窓の外を見ていると、既に空はほんのり青みがかっているので、今は朝だろうと考えた。こんな早朝に潜る冒険者は殆どいないが、帰って来る者達のために窓口は開いているのだ。

 まずナダは腰回りの鎧から着こむ。留め金は決して外れないように何度も確認して、位置が悪くないかちゃんと確かめた。

 次に上からすっぽりと鎧を被って、サーコートを上から着る。胸元のベルト部分に投げナイフを仕込むのも忘れない。腰にも仕込んでおいた。流石にあのガーゴイル相手にいつもの装備では足りないと考えたのだ。普段は出費が嵩むので投げナイフなどは使わないが、ガーゴイルを倒すためにそんなのを惜しんではいられないのだ。

 それからククリナイフを腰の後ろにつけて、口を使って手甲の紐を縛っていく。それが終わると、今度は腰回りにつけるポーチの中身を確認して、昨日ダンから仕入れた回復薬と、もともと持っている高価で非常用の痺れ薬などを一つ一つ丁寧にしまっていく。それからその内の一本を気付け薬として一気に飲んで、置いてあった青龍偃月刀を持って、冒険者専用のブーツを履いて、こちらも紐が緩んでないか確かめた。


「よし――」


 ナダは玄関に立つと、もう一度確認をした。

 装備。荷物。回復薬。武器の手入れも万全だ。鎧もしっかりと着込んだ。起きたばかりなので頭も冴えている。

 不備が何一つないことを確認すると、家の扉を開ける。

 大地から伸びた半月状の太陽をナダは睨んで――


「――いい朝だ」


 昏い顔で言った。

 その顔にさわやかさはなく、ただ、ガーゴイルへの薄暗い殺意だけが滲み浮かんでいた。

 その後姿を枕元に置かれた石ころは、じっと見ていた。

 だが、その石ころは、確かに――熱を持っていた。

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