第十一話 再会Ⅴ
ニレナと別れたナダは、夕方から外を歩いていた。
一人である。隣には誰もいなかった。
また武器を、粗末な斧も持っていなかった。迷宮に潜るつもりがないからである。
オケアヌスに来てから迷宮に潜らなかったことは多々あるが、それはいずれも冒険者からの命令、もしくは道具の補給や武器の調整などで、自分の意思として潜らなかったことは一度もなかった。
だが、この日は迷宮に潜るつもりがなかった。
今日だけではなく、当分だ。
だから向かったのは――酒場であった。
冒険者にとって酒場はつきものだ。
迷宮がある都市には必ず幾つも存在し、多くの冒険者が迷宮帰りに足繁く通う場所だ。
ある者は冒険で疲れた体に癒しを求め、またある者は美味しいお酒と食事を望み、またある者は美人のウェイトレス目当ての冒険者さえいると言う。
カルヴァオンを稼ぐ冒険者はあぶく銭を多く持っているため、多くの金を落としてもらうために精いっぱい彼らをもてなすのだ。高い酒や一流の料理人を配備した高級な酒場がある迷宮都市だってあるぐらいだ。
学生時代は酒場に通う事など殆どなかったが、マゴスに来てからはナダも食事処として酒場をよく利用している。
ナダが住んでいる宿には自炊の施設がなく、どこかで飯を食べるしかないのだ。ナダが通うのは安い酒場であるが、この日は少しだけ高級な酒場を選んだ。
ナダは木で作られた扉を開けて、賑わっている酒場に入る。
中では丸い机を取り囲んで何人もの冒険者が座って酒を飲んでいる。顔を赤くしながら気持ちよさそうに語っている。
冒険者のよくある姿だ。
ナダもそんな冒険者に倣ってテーブルにつこうとするが、誰もいないテーブルを目指すのではなく、ちびちびと木のジョッキに入ったエールを飲んでいる女がいるテーブルを目指した。
「失礼、座るぜ」
ナダはニヒルな笑顔で言いながら、女の他には誰もいないテーブルについた。
「……他の席が空いている」
女は冷たい言葉で言った。
女は白いローブで全身を隠していた。フードを被っているので顔はよく見えないが、薄い水色の髪は頬を伝うように流れている。
「別にいいじゃねえか。あ、お姉さん、エールと肉を頼む。塊の肉がいい」
ナダは皺くちゃのウェイトレスに注文を頼むと、組んでいる手を見つめるふりをしながら同じ席につく女を見つめる。
小さな女性だった。服のうえから 見える起伏は薄く、遠目から見れば少女のようにも見える。だが、エールを飲み進めているので成人しているのだろう。
彼女が、シィナなのだろう。
ニレナから特徴は聞いている。
水色の髪をした可愛らしい冒険者で、常に単独で行動している。ここの酒場が行きつけで、よく通っていると。
「……なに?」
ナダの視線に気づいたのか、シィナは声色が強くなった。
「あんたは冒険者なのか?」
「……なにそれ?」
「いや、ここは冒険者の町で、ここは冒険者の酒場だ。冒険者以外が来るのは珍しいからな。あ、ありがとう、お姉さん」
ナダは妙齢のウェイトレスからジョッキを受け取ると、喉を鳴らしながらエールを飲んだ。たったの一口なのに、エールは既に半分も減っていた。
深いコクと複雑な香り。苦みが少しだけあるが、それがまた美味しい。料理とよく合う酒だった。
客が多い理由も分かる。
きっとこのエールを飲みに来ているのだろう。
「……“元”冒険者」
シィナは小声で言って、またエールを飲み進めた。
彼女は大口で飲むナダとは違い、口の上に泡をつけながら少しずつ飲んでいる。彼女の目の前にはソーセージとサラダが少量乗った皿が置かれており、エールを飲んでからフォークで料理を食べるのだ。
「今は違うと――」
「……そうです」
「じゃあ、やっぱりあんたは珍しいな」
「……」
「この町は迷宮が出来てから作られた。冒険者の為に、だ。この町にいる人たちは冒険者の為にいる、と言ってもいい。他に目ぼしい産業もないからな」
ナダは大股で座り、次の一口で全てのエールを飲み切ると、店内を歩いている妙齢のウェイトレスに新しいエール酒を頼んだ。
「……確かに……君の言う通りそうかも知れない。私は珍しい……でも……」
「でも?」
「……私はこう見えても……教会のシスター。役には立っている」
シィナは強い言葉で、ナダの言葉を否定した。
どうやら先ほどのナダに態度に苛立っているようでもある。他のテーブルも空いているのに急に同じ席に座り、初対面なのに失礼な事を言うのだ。怒っても当然だろう。
「へえ、そりゃあ、凄い。この町にも教会が出来ていたのか。知らなかった。どこにあるんだ?」
ナダは感心するように言った。
本当に教会の事は知らなかったのだ。
町に来た頃はまだ開発が進んでおらず、もっと小さかった。宿も少なく、酒場も少ない。その頃はまだ教会も作られておらず、娯楽施設も全くなかった。
それからナダが迷宮へと潜っている間に町は発展し、ナダは昔からある小さな宿屋でずっと泊まりながら近くにある小さくてまずくて安い食堂に通っているのだ。こんな酒場があるのも知らなかったのだ。
「……興味あるの?」
シィナは不思議そうに首を傾げていた。
「俺も冒険者だからな。ギフト使いじゃなくても、神に無事を祈らないと。冒険者なら当然だろう」
「……そう」
シィナはジト目でナダを見つめていた。
「何だよ?」
「……あなたは冒険者なの?」
「こんなでかい図体をしていると、他に見合う職がなくてな。冒険者が天職らしい」
「……確かにそのよう。ここの酒場にもあなたより大きな体の男はいない。あなたに冒険者は天職に見える」
「そりゃどうも――」
「……でも、珍しいのは私だけじゃない。あなたも珍しい」
シィナは先ほど自分の事を珍しい、と言ったナダに当てつけのように言った。
「どこがだよ?」
ナダは不思議そうに首を捻っている。
「……他のテーブルを見てみて」
ナダはシィナに従うように他のテーブルを見た。
どこも四人以上の人でテーブルを囲み、どこもにぎやかに酒と料理を楽しんでいる。顔を真っ赤にして喜んでいる者もいる。
「見たよ。で、何だよ?」
「……どこのテーブルもパーティー同士。冒険者が酒を飲むのは、殆どがパーティー単位。冒険がうまくいった事のお祝い。だからあなたが一人でここに来たのは珍しい」
確かに彼女の言う通りで、どこのテーブルも仲間同士で集まっている。
考えればここにいる冒険者同士に親しい者など、パーティー以外にはいない。オケアヌスにはパライゾ王国中から冒険者が集まる。同じパーティーではない冒険者が知り合いの確率などとても低いだろう。
「なるほど。そうかも知れないな。でも、俺に関してはそれでもおかしくはない」
「……どうして?」
「俺はパーティーを組んでいない。一人で迷宮に潜っている。だから珍しくてもおかしくはないだろう」
ナダはニヒルに嗤った。
「……なるほど。あなたがナダね」
「知っているのか?」
「……有名だから。一人で迷宮に潜っている命知らずと聞いている。でも、冒険に殆ど失敗しないから有能って聞いている。」
「なるほど」
ナダは誇らしげに顎を摩っていた。
褒められるのがどうにも弱かった。学生の頃は貶されることが多いかったから、褒められる事にあまり慣れていないからだろう。
「……凄く嬉しそう」
「褒められると人は嬉しくなるんだ。で、どこなんだよ? 教会は?」
「……来るの?」
「ああ、あんたは敬虔なシスターだろう? そんな人がいる教会なら神の恩恵が大きいと思うからな」
「ここから東に行った町の端……」
「今度、行くよ。その時はあんたもいるのか?」
「……いるかも知れない」
「それはよかった」
ナダの目当ては水のギフトを持っているシィナであるが、いきなりパーティーに誘うような事はしなかった。
そんな事をすれば誰でも警戒する。
だからまずはシィナとの関係を他人から知り合いに変えることから始める事にしたのだ。
そんな会話をシィナと続けていると、ナダとシィナの間にある誰もいない席に大きな男が声もなくいきなり座った。
大きな男だった。ナダに勝るとも劣らずの体格をしている。
黒髪を短く纏めており、目の横に大きな傷がある武骨な顔つきをしている。だが、どこか緊張しているのか表情が固い。
「――お主がシィナか」
「……そう」
男はナダの方には向かず、一心にシィナを見つめていた。
料理を注文する様子もなく、真っすぐシィナを見つめながら男は次の言葉を続けた。
「頼みがあるんだ。シィナ、そなたに私のパーティーに入ってほしい――」
男は単刀直入に言った。
だが、シィナの反応はよくなく、眉を顰めながら男を睨んでいる。
「……なにそれ、私は冒険者を辞めた。なんか、酔いが醒めた。帰る」
シィナはテーブルを強く叩いて立ち上がると、妙齢のウェイトレスにお金を払って足早に酒場を出て行った。
ナダは新しく届いたエールをため息をついてから飲み、分厚くてかたいステーキをフォークで刺して噛みちぎり、またエール酒で胃に流し込んだ。
「何故、逃げられた……」
シィナをパーティーに誘った男は、絶望したように天井を仰ぎ見ていた。
相変わらず男の視界にナダは入っていない。
ナダはそんな男を睨みながら不機嫌な口調で言った。
「おい――オウロ。人が女を口説いている時に水を差すんじゃねえよ」
これまでナダの事が視界に入っていなかった男――オウロは、驚いたようにナダへと振り返るとひっくり返ったような声で言う。
「ナダ殿か。まさかこんなところで会うとは思わなかった。どうしてこんなところにいる?」
「それはこっちのセリフだ。ちっ、仕方ねえ。女が逃げた罰だ。これから少し付き合えよ」
ナダはエールをまた胃の中に入れながら言う。
「いいぞ。私もナダ殿とゆっくり話をしたいと思っていたのだ。シィナ殿の事も知っているようだしな」
オウロは快活な顔をしていた。




