第七話 再会
次の日、たっぷりと休息を取ったナダは起きてからすぐに、宿屋にある食堂で木の椅子に座りながら遅い朝食を取っていた。
メニューは屑野菜が入ったシチューと大きくてかたいパンだ。ナダはパンを塩辛いシチューに浸しながら食べ進める。パンは一つだけではなく、追加で三つもナダは注文した。
味わうようにゆっくりと食事を取っていると、宿屋の主人がフードで顔を隠した者から手紙を預かったと言うのだ。
白い封筒だった。
その手紙を受け取ってみると手触りがいいので、上等な物なのだろう。
確かに宛先の場所にはナダへ、と書いてあった。
裏を向けてみると、封蝋がしてあった。一般家庭に封蝋はない。とすれば貴族だろう、とナダは考えるが、見た事のない封蝋だった。
女のような形をしている。
少なくともナダが一番やり取りをしているスピノシッシマ家の封蝋ではない。
他に誰か貴族の知り合いはいるだろうか、とナダは頭の中で幾人かの姿が思い浮かんだ。
そう言えば、とナダは三年前の事を思い出す。
あの時、インフェルノで別れを言ったのはスピノシッシマ家の当主であるサラだけである。サラに別れを言った方がいいとアドバイスされたが、誰にも何も言わなかった。
きっと何も言わずにインフェルノを出て行った自分の事を怒っているだろう、と思う。
こんなにも年月が経てば怒りが収まっている人が多いと思うが、ナダの知る限り“彼ら”はしつこい。きっとまだ怒りを貯めている者が多いだろうと予測する。
そんな彼らと思わしき手紙を開けるのをナダは躊躇するが、一思いに封筒を破って開けた。
中に入っている手紙を取り出す。
中を開けてみると、短文しか書いていなかった。
差出人の名前もない。
整った綺麗な字だった。
――冒険者組合で待っている、と。
ナダはその字にどこか見覚えがあるような気がしたが、はっきりとは思い出せない。
やはり知り合いのようだ。
少しだけ字が乱れているのは焦って書いたからだろうか。
それ以上詳しい事はナダには分からなかった。
そんな手紙を脇に置いてナダはシチューとパンを食べ進めた。
シチューも何度かお代わりをして水を大量に飲むと、ナダはまだまだ腹八分目だが、ある程度は満足した。
するとナダは手紙を持ってびりびりに破いた。店主に手紙を焼いて捨てるように頼むと、ナダは何も持たず寮から出て行った。
武器は当然のように持っていない。
冒険に出かける気がないからだ。
だが、向かっていたのは冒険者組合ではない。行く気がなかった。どんな目的であっても、ナダは手紙の持ち主に用はない。
会いたいとも思えなかった。
それよりもナダは“成し遂げたい”事がある。
その為には武器が必要だ。
迷宮から持って帰ってきた粗末な斧だと今後の冒険に差し支えるので、向かったのは――武器屋だった。
いつも通っているところは青龍偃月刀を整備するための鍛冶屋で、気難しい鍛冶師であるが、腕は確かなので重宝している。だが、今日はそこの鍛冶屋は使えない。武器を売っていないからだ。
オーダーメイドで武器を作ることは出来るが、値段が高く、時間もかかる。そんな余裕はナダにはないので、量産物の武器が売っている武器屋を目指した。
――それから一時間ほど経った。
ナダは肩を落としながら武器屋を出る。
何店も回ったが、ナダが気に入るような武器はなかった。
今流行りの武器は軽量で扱いやすい武器である。
だが、武器がないと何も始まらないので、ナダは仕方なく小ぶりの斧を買った。刃が剣などと分厚かったので選んだが、持ってみると想像以上に軽い。
武器屋の店主は、ナダの選んだ斧についてこう語っていた。
「その斧は分厚い刃をしておりますが、軽量化の為に中をくりぬいております。その分脆くなりますが、耐久力を増すために希少金属を使っております――」
思った以上に軽く、振りやすい手斧をナダは背中に掲げていた。
多くの冒険者にとってはこの斧でも重たいらしいが、ナダにとっては軽すぎる武器であった。
次の武器を見つけるまでの繋ぎとしては申し分ない武器である。
ナダは思ったよりもいい武器が見つかったので軽い足取りで大通りを進んでいると、後ろから声を掛けられる。
鈴を転がしたような声である。
「――ナダさん」
聞き覚えのある声に、ナダはその持ち主が誰かすぐに分かった。
だから宿屋で受け取った封蝋が、女の形をしていたのだ。
正確には人間の女性でなく、氷の女神――ポリアフを模していたのだ。人のような姿であって、差し出した右手につららが滴っている女神だ。
それは三大貴族の一つ、ヴィオレッタ家の信仰する女神だ。
ナダは声の持ち主が誰か分かっているからこそ、平気で無視をした。
答えたくなかった。
あまり会いたくない人間の一人だからである。
ナダは聞かなかった振りをして足早にその場から去ろうとしたのだが、その前に見慣れた執事がナダの行く手を阻むように前に立った。燕尾服を着こなした痩身の男である。
名は、アンセム。
ナダのよく知る執事だ。
「ナダさんっていつもつれないですわよね? 前に会った時もそうでした。私の事を無視したように去ろうとしました。もしかして私の事が嫌いなのでしょうか?」
冷たい氷のような声がナダの背筋を撫でた。
ナダはゆっくりと振り返りながら言った。
「……久しぶりだな」
ナダのよく知る彼女はいつもと同じように優雅に立っていた。
彼女に会うのは何年ぶりだろうか。
少なくとも三年は会っていないと言うのに、彼女は以前と同じように上品に佇んでいる。
水色のドレスはレースが幾つも重なっており、スカートはフレア状に広がっていた。以前と変わらずナダよりも随分と低い身長であるが、ハイヒールを履いているので高く見える。
金色の髪はうなじが見えるように編み込まれており、少しだけ開けた胸元に水色のネックレスが光る。
うっすらと冷たい表情で笑う口元には薄桃色の紅が塗られており、色素が薄い肌によく似合っていた。
手に日傘を持っており、立っているだけでは外に出た事もない深窓の令嬢のようだ。その美しさは以前と変わらず、いや数年前よりも色香に魔性が加わったようにも思える。
待ちゆく男たちが思わず見とれるほどで、女性たちは彼女の美しさに息を飲むのだ。
そんな彼女はナダへと微笑みながら言った。
「ええ、久しぶりですわ。実に三年と半年ぶりですわ」
女性は怒った顔よりも、笑顔の方が怖いと誰が言っただろうか。
昨日、モンスター達に水の中へ引きずり込まれた時とは違う恐怖が、ナダを襲い思わず体を一度だけぶるっと震えた。
ナダは外気とは関係がなく、体が一度震えた。
「……そうだな、非常に懐かしいよ。会えて嬉しいさ」
ナダは――ニレナに向けてそう言った。
彼女はヴィオレッタ家の長女であり、ナダの元パーティーメンバーだ。
そしてナダが数少ない頭の上がらない女性の一人である。
「本当ですか? 私にはそうは思えませんわ。先ほど、去ろうとしましたものね。いえ、それだけではありませんわ。わざわざナダさんへ“手紙を送った”というのに、待てど暮らせどナダさんは現れてくれませんでしたわ」
ニレナは顔を伏せて持っていたハンカチで目元を拭う。
泣いているような仕草だ。
だが、ナダは知っている。
彼女がこの程度で泣くはずがないという事を。
ニレナは相手を永遠に待つような奥ゆかしい女性ではなく、自分の為なら氷漬けにしてでも相手を傍に立たせる女性だ。
「手元が滑って燃えてしまったんだ。中身が読めなくて残念だったよ」
ナダは誤魔化すように言った。
「そうですか。なら、納得ですわね」
「そうかい。それはよかったよ」
「ええ、でも今はお暇なのでしょう? どうやら武器を買った後のようですし。これから迷宮に潜るつもりもないのでしょう?」
「いや、予定が……」
ナダは恐る恐る口に出すが、ぴきっと氷が割れる音を耳にした。
気温が下がるのを肌で感じる。
足元を見てみると、皮のブーツに霜が降りていた。
彼女の怒りに反応するように、自然とギフトが発動したのだ。
「お時間、ありますわよね?」
ニレナは笑顔で言った。
ナダが美しいニレナのお願いに断れるわけもなく、うなだれるように小さな声で言った。
「はい……」
ナダは諦めたようにうなだれた。




