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迷宮のナダ  作者: 乙黒
第四章 神に最も近い石
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第五話 驕りⅢ

 湖の中は冷たく、薄暗かった。

 ナダはごぽごぽと大量に水を飲みながら、水中のそこへ、そこへと落ちていく。ナダは空気を求めて必死に手を上へと伸ばすが、何体もの魚人に足を掴まれては手での抵抗など児戯に等しい。水面が遠くなっていく。

 足を必死に動かして魚人たちの手から逃れようとするが、その程度の動きでは多くの魚人の手を振り払われるわけがなかった。

 ナダは青龍偃月刀で足元を掴んでいる魚人たちを切ろうとしたが、大きな得物は水中だと抵抗が大きくまともに振り回す事などできない。むしろ水中だと水を得た魚人たちの動きは早く、ナダを縦横無尽に振り回す。その度に水圧にナダは体を取られ、まともに青龍偃月刀と共に水中に漂うだけだった。


 そんなナダへ、多数の武器を持った魚人が襲ってくる。

 どれも地上ではナダの敵にすらならなかったモンスター達である。彼らは邪悪な笑みを浮かべながら、ナダを斬り裂いていた。

 一思いにナダに致命傷を与える事も出来たのに、彼らはナダの皮膚を浅く切るだけだった。

 まるで楽しんでいるようだった。

 これまでの鬱憤を晴らすかのように。


 ナダは彼らの思うがままだった。

 傷を付けられていると言うのにモンスターを殺すことは出来ず、敵となる彼らはここに無数にいる。不規則に動く視界の中でナダは多数の魚人たちを目撃した。これまで多く殺してきた魚人の姿の他に、無数のグラグゴ、名前と特徴だけ知っているダーガンと呼ばれるはぐれ、また見た事のないはぐれもそこには数多くいた。彼らはナダを取り囲むように泳ぎ、何かあれば簡単に自分を殺すのだろう。


 魚人に水の中へと引きずり込まれた冒険者の話は何度か聞いた事がある。

 水の中に消えた冒険者は二度と浮上することがなく、死ぬ運命だと。そんな冒険者をナダは何人も知っている。


 また、ごぼぼぼ、と水を飲みこんだ。

 胃の中に大量の水が入る。

 酸欠になってきた。

 頭がくらくらとする。


 ――このまま、死ぬのか?


 ナダはそう考えると、何故か体に力が回ってきた。

 いつもの“熱”だ。

 絶対に死にたくない。

 まるで最後の命の灯を燃やすかのように、青龍偃月刀を持っているナダの右手に力が宿った。足元を掴んでいる魚人目がけて全力で青龍偃月刀を振るう。人智を超えた力は、水をも斬り裂き、地上にいる時と変わらないスピードで魚人たちを襲おうとした。


 だが、その刃は足元の魚人たちには届かなかった。

 それよりも早く一体のガラグゴが、己の爪でナダの右腕を切ったのだ。手首と肘の間の真ん中を境にして。

 ナダの青龍偃月刀を掴んでいる右手が、体から離れて水中に舞う。右腕の切断面からは赤々とした血が流れていた。

 ナダは右腕を失った。


 ナダはあまりの痛みに絶叫を出そうとしたが、水中だと声も出ずにごぽごぽと水を飲みこみながら苦しむだけだった。

 そんな様子を見て、魚人たちが嗤っているよう見えた。

 

 まずい。

 まずい。

 まずい。


 ナダは酷く責めていた。

 先ほどの自分の行動は愚かだ、と。自分の鬱憤を晴らすためだけに、あんな危険な場所に行くなんて冒険者として失敗だと。

 右腕があるのなら、自分の頬を何発も殴っていただろう。


 ――迷宮内は危険、という事が学園で最初に教わる事であり、最後まで心に刻み付けなければいけない事だ。

 迷宮内では慢心してはならず、油断してもならない。常に緊張したうえで、あらゆる危険性を考慮しながら、排除するように動かなければならない。

 例え傷が治るような不死性があったとしても、それに胡坐をかいてはならない。

 きっと学園長がここにいればそう言うだろう。

 他の冒険者だってそう言うはずだ。


 もし仲間がいれば、あの時の行動を全てのパーティーメンバーが責めただろう。

 きっと止めたはずだ。

 だが、誰もいないから、あの時の愚行を自分は行ってしまったのだ。


 反省している暇などないと、ナダはすぐに切り替えて頭の中で生き残る術を探すが、右腕を失った痛みと酸欠、それに魚人に与えられる切り傷と、徐々に増していく水圧によって頭が締め付けられるようであり、うまく思考が回らない。

 

 ナダは水底へ落ちていく中で無数の魚人、あるいはバルバターナと目があった。ここにいるモンスターはおそらく百や先を超えており、中には水面に上がっていくモンスターも多かった。

 地上に冒険者を狩りに行くのだろうか。満足に動けない地上で、慣れない武器を振るいながら。


 ぐるぐると回る視界の中で、ナダは湖中の神秘を見た。

 透き通っている水。キラキラと光る粒子。魚人以外の魚や軟体生物などの多数の生き物、光る苔や漂う海草、底へと吸い込むような渦と、全てのものを上へと巻き上がる竜巻などだ。

 海を見た事のないナダにとって、湖中はもう一つの世界であり、こんな大きな空間が水の中に存在するなんて思いもしなかった。

 そこはこれまで潜っていたマゴスのどの場所よりも大きく、深い場所であり、もしかするとこれまで見えていたどんなマゴスよりも広い場所なのかも知れない。


 そして、ナダは荒れ狂う視界の中で確かに見た。

 湖中の底に見慣れぬものを。

 それは緑がかった石で作られた巨大な建物だった。

 建物のように見える。神殿だろうか。石に見た事のない複雑な紋様がついているようにも見える。それは左右対称の四角錐であり、周りには四つの柱が立っている。細長い石柱が立っている。

神殿の周りを取り囲むように幾つもの魚人が並んでおり、ここにいる魚人たちもその建物を中心にして広がっているようだった。


 神殿には――間違いなく入り口があった。


 ナダが追い求めていたものだ。

 肺の中の息を全て出し尽くし、代わりに冷たい水が入ったとしても、ナダは口元が少しだけ緩んでしまった。ナダの意識はまだ飛んでいなかった。目が水底へ吸い込まれる。


 ナダはより強くもがき苦しんだ。

 だが、結果は変わらない。魚人はナダを離すことはなく、体も次々と傷つけられる。既に傷は十をとうに超えており、数えればきりがないほどだ。

 水を赤く染めながら、けれどもすぐに大量の水によって血はすぐに薄くなっていた。

 そんな状態でナダをどこかに連れて行こうとしているようだった。


 きっと湖の底なのだろう。

 ナダは神殿の周りではりつけになっている何人もの人を見た。どれもが裸であり、腕や足がなかった。それ以外は近くにいかないと分からなかった。


 あの多くの死体と同じ目に会うのだろうか、とももうナダは考えられない。無数の情報にナダの頭はパンクしそうになった。

 処理できない。

 考える時間が欲しい。

 けれども、痛みに耐えなければすぐに意識が飛びそうだった。

 目も半分閉じかけている。

 だが、激しい熱は体の中からなくなっていない。

 まだくすぶっている。

 なくなってなどいない。


 ナダは残った左腕でククリナイフを引き抜いた。

 勿論魚人たちもそんなナダの左腕を刈り取ろうとしたが、逆手に持ったククリナイフで受ける。上等な鉄を使っているククリナイフは、魚人たちの槍だと傷一つつかなかった。

 ナダは上半身を丸めた。前屈のような姿勢になる。

 足を引っ張る多数の魚人をナダは視界に入れた。全ての魚人の手を切ろうと思えば、きっと一振りでは足りないだろう。その間に周りの魚人たちに左腕も切り取られるという事は簡単に想像がついた。


 ナダに戸惑いなどなく、熱を全身に回したままククリナイフを振るう。

 その一撃は自身のふくらはぎを斬り飛ばした。

 魚人たちは体がなくなった足のみを底に連れて行こうとしている。

 ナダの体は水中に放り出された。

 今ならば逃げ切ることが出来るだろう。

 だが、右腕がなく、両足首も失った。耐えがたい苦痛がナダを襲い、大量の血を失ったおかげか頭がくらくらとする。

 もう意識が失いそうだ。

 限界だった。


 だが、三つ又の槍を持って突進してくる魚人の姿が見えた。ナダを突き刺すつもりである。その魚人は足が大きな尾びれとなっており、人では出せないスピードで槍をナダへと突き出した。

 避けられない。

 避けるつもりなどない。

 ナダは三つ又の槍を甘んじて受けた。

 腹部に刺さる。


 だが、口のみを動かしてナダは言った。


 ――捕まえた、と。


 ナダは手首のない右腕を魚人の槍に絡めると、ククリナイフを魚人の胴体へと切りかかった。

 だが、魚人の鱗などが固く、斬る事は出来なかった。

 ナダはすぐにククリナイフを離した。

 魚人の胴体を引き寄せる。

 体を小さく纏めて、足首のなくなった足を魚人につけた。

 そして、全力で魚人の体を蹴った。

 その推進力でナダは渦へと近づく。

 魚人たちはナダを追いかけようとしたが、その前にナダは渦へと端に体が引っかかった。

 渦へと吸い込まれていく。

 だが、魚人たちは誰もナダを助け出そうとはしなかった。きっと魚人たちでも溺れるのだろうか。


 もうナダにそこまで考える力も残されていなかった。

 巨大な渦に飲まれていく様子に満足しながらゆっくりと目を閉じる。

 だが、最後までナダは底にある建物を見ようとしていた。

 マゴスの深淵を目に焼き付けようとしていたのだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] お待ちしておりました!ナダはどうなってしまうのか?乞うご期待!
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