第三話 驕り
マゴスにいる冒険者は、攻略を手間取っている。
それはナダも一緒だ。
マゴスのマップは既に八割ほどを攻略しており、ほとんど網羅していると言うのに新たな道は発見されていない。攻略されていない残りの二割も迷宮内の内部変動の度に変わる道々であり、それがなければ既にマゴスは全ての道が解析されていると言っていいだろう。
ナダも他の冒険者と状況は変わりなどしない。
ナダが発見した道はほぼ全てを組合に報告しており、また別の冒険者が発見した道もほぼ知っている。他の者が攻略した道を進んだりもしたが、新たな発見はなく、ナダは行き止まりとなる道を進むだけだった。
それでもまだマゴスに冒険者が多いのは、他の迷宮と比べて最も浅い層のモンスターでもカルヴァオンが大きいからだろう。またマゴスのモンスターは他の迷宮にいるモンスターと比べて動きが緩慢で、慣れさえすれば殺しやすい。
安定して稼ぐには格好の場所だった。
ナダだってそうだ。
だから目の前にいる四体の魚人、あるいはバルバターナにも何の感慨も浮かばない。
彼らは武器を持っていて、それを両手で振り回す。今回の魚人も剣や槍を持っていた。彼らの力も人よりも強い。まともにやり合えば彼らの力と、人数差に押し負けて殺されるだろう。
だが、既に彼らの動きは見切っている。
魚人、あるいはバルバターナと呼ばれる彼らを倒すのに二呼吸といらない。一呼吸で、青龍偃月刀を振り回すだけで撫で斬りができる。
「しっ――」
ナダは小さく息を吐いた。
足元が不安定な床の上を滑るように駆ける。左から横に振るう。それによって二体のモンスターの胴体を切り裂いた。それから返すように残りの二体のモンスターを殺した。
それからいつものようにナダは彼らを解体し、カルヴァオンを取る。弱いわりに大きなカルヴァオン。この四つだけでも今日の稼ぎは十分だ。三日ほど満足に食える量だ。
ナダはその四つのカルヴァオンを腰のポーチの中に入れた。からんからんと音が鳴る。ここに来るまでに得たカルヴァオンだった。
昨日と比べれば稼ぎは少ないが、一日の稼ぎとすれば十分以上の量がある。
かつての自分ならば歓喜する稼ぎであり、他の冒険者から見ても十分な量だろう。一人でこの量なら少し豪華な食事を取る者や、新たな装備の為に貯める者もいるかもしれない。はたまた多くのカルヴァオンを見つめて表情を射る者もいるかも知れない。
だが、ナダの表情は晴れない。
最初は多くのカルヴァオンを得て、オケアヌスでも噂されるようになると気分がよかった。
己の実力のみで誰かに認められる。そうしてパーティーの加入の誘いも多数受けて、組合内での扱いもよくなる。悪い噂が流れる事はなく、アビリティやギフトがなくても冒険者として認められることは胸がすくような思いだった。
それは学園の時には得られなかったことだ。
だが、途中から気づくのだ。
自分はこんなものを求めていないという事に。
本当に求めているのはそんな栄誉などではなく、この病の治療法なのだと思ったのだ。
治療のためには迷宮を踏破する必要がある。
かつてナダが潜った数々の迷宮のように。
だが、その糸口は全く掴めない。
最初は一年ぐらい潜ればいけると思っていた。
モンスターに負けない腕さえあれば、どこまでも行けると思っていた。これまでがそうだったからだ。
だが、どれだけモンスターを倒そうと、幾つかのはぐれを倒そうと、これまでのように奥へと続く新しい道が現れる事はなかった。
そうしてナダは無駄に時間を過ごしている。
日々マゴスに潜り、いつかは奥に辿り着くだろうと夢想するのだ。
しかし、どうしてもたまに苛立って迷宮の壁を殴ることもある。新たな道が壁の中にあるのではないか、と思う事もあるのだ。
壁が崩れた事は一度としてなかったが。
既にナダは受付嬢との面談を終えて早数時間は経っている。太陽がない迷宮内では時間間隔が狂うが、既に黄昏時を超えたので外の日はもう落ちている頃だろうか。
マゴスの中層を超えて、もう少しで深部へとたどり着く。
これから夜は深くなるので、毎日迷宮に潜っているナダとしてはもう帰ってもいい時間だ。
「……だが――」
ナダは迷宮の奥を見つめた。
ここ一年ほどは閉塞感を感じている。どれだけ潜っても見つからない道。他の冒険者が見つけるのではないか、と期待することもあるが、彼らが見つける事はない。
また以前のようにはぐれを倒したら新たな道が見つかるのでは、と組合ではぐれの情報を必死に集めた事もある。そしてはぐれを狩るのだ。何度もの死闘をこの迷宮で味わった。
だが、得られたのは多くのカルヴァオンだけだった。
自分はいつになったらこの迷宮の冒険が終わるのだ?
そう考えると何かに八つ当たりしたくなる気持ちが生まれるのだ。
この町に娯楽などほぼない。酒を何度か飲んだが、ナダにとって逃げ道にもならなかった。他の冒険者のように女を買ったらこの気持ちは治まるのか、と思うが、こんな辺境にろくな女などいるわけがない。
他の冒険者はそういうことは別の町に行って行うと聞いたが、ナダはわざわざそんな事をしに他の町に行く気にもならない。
友達もいない。
元から趣味などなく、こんな鬱憤を晴らす手遊びなど知らない。
だからナダは奥を目指す。
それは迷宮の最奥ではなく、広い空間だ。そこには迷宮内に湖が広がっており、陸地は少ない。
マゴスの迷宮内には大小さまざまな湖が広がっている。底が見えないほど黒く、冒険者ならあまり近づきたがらない場所だ。幾つかの水たまりは冒険者にとってトラップになっており、昔は重たい鎧を着る者が多かったので一度沈んだ者は這いあがれなかった。穴からはい出た手に足を掴まれて引きずり込まれたりする冒険者も少なくはない。だから底が見えない場所を注意する冒険者も多い。
またマゴスにいるモンスターの全てが、湖から現れる。彼らは湖から無数にはい出て人を狙うのだ。
小さな水たまりなら現れる数は少ないが、大きな湖ほど現れる数も多い。そこは一種のモンスターハウスとなっていると言ってもいいだろう。 既に湖の場所と数は分かっており、冒険者はそこを避けるように歩く。
だが、ナダが向かっているのも“そこ”だった。
ああ、そうだ。
このどうしようもない気持ちをモンスターにぶつけるのだ。
あの場所ならモンスターがいなくなることもない。満足するまで奴らを殺せる。飽きたらその場から逃げればいい。
ナダはそう考えた。
回復薬などは殆ど持っていない。
普通の冒険者なら無謀と言ってもいいだろう。
しかし、糞ったれな病をナダは抱えていた。この病のせいでこんな気持ちを感じているのだ。せめて自分の鬱憤晴らしには役立ててほしいと思っていた。
この病の特性は把握している。
その不死性は、この三年間の冒険の間に把握した。この回復力は戦うにあたっては、特に多数のモンスターと戦う時に発揮する。一対一の戦闘では時間が短すぎてあまり意味がないのだ。
ナダは道の真ん中を堂々と歩く。
広い空間に出でた。
そこには湖が広がっており、陸地などほんの僅かしかない。
モンスターはそんな湖から這い上がって出てくる。そんな彼らの体はぬめっており、暗い迷宮内でも薄く光っているように思えた。
ナダは青龍偃月刀を強く握る。
そして自らの位置を彼らに知らしめるように大声を出した。
全てのモンスターの目線がナダへと向いた。中には多少体の大きいモンスターもいて、もしかしたらあれははぐれかもしれないが臆する気などナダにはない。この程度の窮地なら何度も抜けた。このマゴスで多くのモンスターを倒したと言う実績も持っているからだ。
負ける戦いなどではない。
これは一方的な八つ当たり。
胸の気持ちを晴らすためだけの無意味な戦い。
ただモンスターを数多く倒すゲームだ。
そう――ナダは驕っていた。




