第二話 オケアヌスⅡ
オケアヌスはまだ出来て日があまり経っていない。
元々昔にあった町を利用していることもあり、石を積まれて作られた建物が多く、中には見た目が老朽しているのも多い。
また普通の町人もほとんどおらず、オケアヌスに住んでいるのは冒険者かその関係者が殆どだ。もしくは冒険者の為に開かれている店の数々だろう。宿屋、酒場、薬屋、鍛冶屋、雑貨屋などだ。娯楽施設などは殆どなく、たまの休みに冒険者たちは酒を飲むか長い休暇を取って他の町へと行くのだ。
ナダもこの町に安らぎなど求めていなかった。
今日も出かけていたのは迷宮に潜る為である。
そのために冒険者組合へと向かっていた。中は相変わらず冒険者で溢れている。本日、潜る予定のない冒険者達はお互いに情報交換をしたり、掲示板を覗いている者もいた。
まず目指したのは受付だ。
昼前のこの時間の受付に冒険者は少ない。迷宮に潜るには時間が遅く、迷宮から帰って来るには時間が早いからだ。
「ナダ様、お越しになりましたか――」
茶髪の受付嬢が、ナダを見て言った。
「ああ――」
「では、こちらにどうぞ。私が案内いたします」
手が空いていたのだろう。
彼女が目的の場所まで連れて行ってくれるようだ。
ナダはそれから彼女と共に二階へと上がった。本来なら組合の職員しか訪れる事ができない場所であるが、理由があれば冒険者も通ることができる。例えばナダのように報告書を纏め上げるためなどだ。
ナダが案内されたのは個室であり、正方形の机が一つと椅子が二つ置かれてある。本来なら面談に使うような部屋である。
他には小さな窓しかなかった。
ナダはその椅子のひとつに腰かけると、受付嬢の出した報告書に前回の迷宮についての報告、またここ二週間ほどの迷宮探索で漏れていた報告などを書き上げる。手慣れた手つきだった。アギヤを追い出されてから一人で殆ど潜っていたので、こういった報告書を書くことが多かった。
もちろんオケアヌスに来てからも書いたことは一度や二度ではない。
「ナダ様――」
彼女はナダの対面へと座った。
「何だよ?」
ナダは答えながらも手を止めない。
「書きながらで構いませんので、聞いてもらえますか?」
「いいぜ」
「あなたにパーティーの勧誘が来ております。書きながらで構いませんので、お話だけ聞いてもらえますでしょうか?」
彼女の言葉にナダは渋い顔をした。
勧誘は多い。
特に最近はまた増えてきたようにも思える。
理由は分かっている。
結果を出しているからだ。
たった一人で迷宮に潜り、カルヴァオンを多く得る。単純な理由だが、それを安定して行える者は少ない。ナダもその一人であり、冒険に失敗することは殆どない。その安定した強さが魅力的なのだろう。
この地において、アビリティやギフトなども冒険者としての評価の一つだが、それよりも単純な強さが求められる。
便利なアビリティやギフトがあったとしても、使う人間が弱ければこの地では意味がない。どんな環境においても発揮できる安定的な強さが、この地での評価基準だった。
その点では、ナダは十分に評価に値すると言えるだろう。
誰もナダの潜っているところは知らないが、カルヴァオンの供給量から誰もが一目置いているのだ。
冒険者の中には、この町の冒険者で単純な戦闘力はナダが最も上だと評価する者も多い。
「あまり聞きたくはないんだが――」
だが、ナダは渋い顔をする。
パーティーに誘われたとしても、誰かのパーティーに所属するつもりは全くないのだ。
「……今回、上が選んだパーティーには、オケアヌスでトップのパーティーである『オルフェルゴール』、またその次を走る『エルダンリッチ』、現在この町の格付けで四位の『ショドル』など、名だたるパーティーがあなたを求めております」
「そうか。それはとても嬉しいさ――」
だが、そういうナダの顔は明るくなかった。
「他にも多数のパーティーがナダ様を求めているのですが、組合としてはこの三つのいずれかのパーティーに所属して頂きたいと考えております。それぞれのパーティーの特徴を聞かれますか?」
「……いや、いい」
ナダもオケアヌスに来てから短くはない。
先の三つのパーティーの事は当然のように知っている。
どれも他の町で優秀な成績を収めたパーティーであり、それはこの町に来ても変わらない。
「では、この三つのうちどれかのパーティーに所属してもらえると考えて宜しいでしょうか?」
「残念ながらどれにも入る気はねえよ」
ナダは報告書を書き進めながら言う。
「畏まりました。では、私の質問に答えてくれますか?」
「いいぜ――」
「どうしてナダ様はどこかのパーティーに入られないのでしょうか?」
「……どのパーティーに入るかは俺の自由だろう?」
「ええ、そうですね。では、これからは私の個人的な質問でございます。答えたくなければ答えなくて結構でございます」
「……なんだよ?」
「ナダ様もパーティーの重要性はご存じだと思います。かつてはアギヤに所属し、数多くの結果を手に入れました。それからソロになり、思うように結果が得られない状況も当然ながら味わったかと思います」
「そうだな」
彼女の言う事にナダは頷いた。
かつては彼女の言う状況を味わった。
インフェルノという町において、ポディエという迷宮に挑む数々のパーティーのトップを走るアギヤに所属していた事があるナダ。それから色々とあってパーティーから抜ける事となり、ソロで迷宮に潜ることになった。もちろん最初は一人での迷宮探索は苦労したが、冒険者として成長したからだろうか、ソロでも安定して冒険を行えるようになった。
だが、やはりナダの考えとしては、冒険者として迷宮のより深き場所を目指すのならパーティーに所属することは必須だと思えるのだ。
迷宮の中で雑多なモンスターと戦い、生き残る事なら一人でもいい。
しかし、一人では到達できない場所も迷宮にはある。三年前にそれを知った。一人ではどうやっても狩れないモンスターと出会ったからだ。
「この町にいる冒険者も、当時のラルヴァ学園に所属している冒険者に劣りません。年齢層が高いので、一時の爆発力に関しては学生のほうがあるとは思いますが、彼らには冒険者として一日の長があります。かつてナダ様が組んだ方たちよりも、冒険者としては優秀だと思いますが」
「俺もそう思うぜ。なんだかんだ言って、ラルヴァ学園は小さな箱庭だ。あの学園でどれだけトップを取ろうと、大人の冒険者たちに混ざるとまだまだひよっ子だ」
「それを分かっているなら何故、パーティーに入らないのですか? パーティーを組めば冒険が有利になるだけではなく、彼らの長年にわたって身に着けた経験は、まだ若いナダ様にとっても勉強になるかと思いますが」
「そうだな。まだまだ俺は冒険者として浅いが、入る気は――ない」
ナダは強く言った。
決してこの町でどこかのパーティーに入る気はない。
理由が――あるのだ。
「どうしてでしょうか? 悪い話ではないと思いますが。彼らが出している条件も、ナダ様に有利となっております。そちらもご覧になられますか?」
「……っ、いや、いい。入る気はねえよ」
その時、ナダの左胸に熱い痛みが奔る。
ナダのペンを進める右手が一瞬だけ止まったが、決して彼女に知られないように顔を伏せて歯を必死に食いしばって痛みに耐える。
ああ、これだ。
この痛みがあるから自分は他のパーティーに入れないのだと思うのだ。
「どうしてでしょうか?」
「さあな。だが、今はパーティーに入るつもりはない――」
ナダはすました顔で言った。
既に痛みは治まっている。
痛みの原因は知っている。
病にかかっているからだ。
この病を英雄病、もしくは石化病と呼ぶらしい。体が石のように固くなり、時々体が激しく痛む病だ。
またこの病には他にも特徴があり、“不老不死”という特性がある。特に不死と言う特性はどんな怪我であっても、常人より早く治るのだ。どれだけ回復力を高めても二週間ほどかかる骨折が、この病になってから一時間もかからず治るようになった。
また腕や足を失ったとしても、生えてくるようになる。普通の人ならそんな事はあり得ないのに。
マゴスに潜って以来、ナダは何度も危険な目に会い、大怪我を負った。だが、地上に戻る時に無傷だったのは全ての怪我が迷宮内で治ったからである。ナダもこの地に来てから初めて自分の特性を自覚したが、それはとても便利なものだった。さらに市販の回復薬と併用すれば、より怪我が治るまでの時間が減るのだ。継戦能力にも非常に優れている。
――まるで、体が迷宮により適したようにさえ思えるのだ。どんな怪我を負ってもすぐに戦う事ができ、怪我の治療の為に地上に戻ると言う選択肢がなくなる。この病は冒険者にとってはとても都合がいい病だった。
だが、この病があるからこそ、ナダは他のパーティーに組むのを恐れていた。
見方を変えれば自分は化け物である。大きな怪我でも死ぬことはなく、怪我もすぐ治る。明らかに人とは大きく離れている。
学園長からもこの病の事は隠すように言われている。世界に動揺を生むから、と。
下手に他の冒険者と迷宮に潜ってこの病が露見するのを避ける為に、ナダは他のパーティーを組まないという判断になったのだ。
マゴスと言う迷宮は、決して無傷で進めるような簡単な場所ではないのだから。
「そうですか」
「ああ――」
「では、ナダ様はどんなパーティーなら入る気になるのでしょうか? 迷宮は危険です。一刻も早く誰かと潜るのが重要だと思えますが――」
ナダの答えは一つだった。
「……信頼できる奴だな」
もしも自分の病を知ったとしても秘密にしてくれるような仲間が欲しいのだ。
「……かつての仲間のようにですか?」
「そうかも知れないな」
ふとナダは過去に思いをやった。
ラルヴァ学園にいた頃、親しかった冒険者達だ。この町に来てからは一人として会ったことはないが、彼らの多くは卒業している筈である。今頃は何をしているのだろうか。全く想像がつかないが、彼らも冒険者を辞めていない事はすぐに想像がつく。
どこかで元気に冒険者を続けているのだろうか、と呑気にナダは考えていた。
「なるほど、貴重なご意見をありがとうございます――」
「ところで、この紙は全て書けたぜ――」
ナダは文字をびっしりと書いた紙をひらひらと彼女に見せる。
彼女はそれを受け取ると、隅々まで目を通し、問題がなかったのか、ナダへと無表情を見せたまま告げた。
「はい。今までの冒険の報告書はこちらで大丈夫です。ではこれを上に報告し、必要があれば他の冒険者にも報告します」
「好きにしろよ――」
「それではナダ様、これからはどうなされますか? もしも迷宮に潜るつもりなら、通行証を発行いたしますが――」
「是非、頼む――」
ナダは二つ返事で頷いた。




