閑話Ⅱ サラ
授業が終わると、ダンはすぐにイリスの元に駆け付けた。
学園内でも人気のあるイリスは多くの後輩たちに囲まれていたが、人ごみの中からぴょこぴょこと顔を出すダンを見つけたので、「知り合いが来たから皆またね」と言って、その場から抜け出した。
後から聞いてみると、どうやらあの場から抜け出す口実をイリスは探していたらしい。
校内にある大きなカフェへと移動すると、早速ダンはイリスにナダの事を聞いた。
「え、ナダ? どこにいるかは知らないわよ」
だが、イリスは驚いたように言った。
イリスが言うには、どうやらセウにある実家に呼び出されたので、昨日までの三週間ほど帰郷していたらしい。だから学園の状況はあまり把握しないようだ。授業に出るのも先ほどのが久しぶりらしい。
「うーん、じゃあ、迷宮に潜っているのかな?」
ダンは唸るように考えていた。
たまたまタイミングが合わず、
「……怪我で療養という可能性もあるわね。ナダの家には行ってみたの?」
「いえ、行ってないです」
「直接訪ねてみましょうか。もしかしたらいるかも知れないし。私もナダに用事があるから付き合うわ」
「ありがとうございます」
ダンは頭を下げてお礼を言う。
少しの間だけカフェで紅茶を楽しんだ二人は、二人並んでナダのアパートへと向かった。学園からそう遠い場所ではない。
イリスはナダの家の扉の前に立つと、いつものように持っていた合い鍵で扉を開ける。
「……なにこれ?」
イリスはナダの部屋内を見て、目をすっと細めた。
「どうかしたんですか?」
ダンはイリスの後ろにいて部屋の様子が分からなかったので、横から覗き見るように様子を伺う。
ダンもナダの部屋を見ると思わず言葉を失った。
以前はテーブルやベットなどの生活用具があった筈なのに、今では何もなかった。もぬけの殻だ。
ナダはどこに行ったのだろうか。
「……どこに消えたのかしらね?」
イリスは顎に手を当てながら思案していた。
自分に何も言わず勝手にどこかに行ったことはとっても腹立たしいが、冷静にナダの状況を考える。
「もしかして遠征に行ったのかしら?」
「その可能性もあるわね」
冒険者としての力を高めるため、他の迷宮へと挑戦する学生は珍しくない。同じ迷宮ばかりだと敵に慣れが出てしまうからだ。
「でもテーラちゃんがいるから、一人で勝手に消えてという事は考えにくいと思うんですけど……」
ダンは考え込むように言った。
ナダは昔から風来坊のような気質があるが、責任感はある男だと思っている。引き取った妹の事を忘れてどこかに行ったとは考えづらい。
「そうね。そう言えば、ナダがお世話になっている貴族がいたわね――確かスピノシッシマ家だったかしら?」
イリスは思い出したように言った。
直接の面識はないが、以前にナダは貴族と契約をし、テーラもそこに預けていると言う話を聞いた事がある。
「そうなんですか?」
「ええ。テーラちゃんも親しいと聞いたわ。仮に別の迷宮に行くとしても、契約している貴族に無言で行くとは思えないわね。行ってみる?」
「はい!」
ダンは大きな声で頷く。
ただ僕たちには何も言わず消えたのか、とダンの胸の中にはしこりが残る。
◆◆◆
ダンとイリスは馬車などを使って、日がまだ真上に昇っている頃にインフェルノの中心にある貴族街へと移動した。
スピノシッシマ家はその中でも端に位置し、屋敷も周りのものと比べると幾分か小さかった。
イリスはそんな屋敷の前に着くと呼び鈴を鳴らした。
すぐに燕尾服を着た執事が出てくると、イリスは真剣な表情で首にかけてある赤いネックレスを取り出した。燃えている翼のような炎のネックレスは、パライゾ王国の中でも大貴族のスカーレット家の証だ。例え三女のイリスであっても、並みの貴族よりも彼女の位は高い。
「この家の当主に取り次いでくれるかしら?」
インフェルノで影響力があまり高くないスピノシッシマ家が、スカーレット家に逆らえるはずもなく、執事は一瞬で青い顔になりながらイリスを屋敷の中へ通した。もちろん女中をすぐに呼んで、今の状況を説明して当主にも取り次ぐ。
イリスは実家の力を普段はあまり使いたがらないが、状況に応じて必要な時はためらいなく使うしたたかな女性だと、ダンは改めて彼女を尊敬する。
それから二人は執事に案内されて、当主のサラがいる応接室へと移動した。
くすんだ黒髪を貴族らしく後ろで編み込んであるサラは、大人らしい紫のドレスに身を包んでいた。
イリスに先ほど馬車の中で聞いた情報では、病弱で床に伏せているとダンは聞いていたのだが、今のサラはそんな事が嘘のように顔色がよかった。未亡人で大きな子供もいると聞いているが、少女のように可愛らしかった。
おそらくユニコーンの角で作った霊薬を飲んだのだろう、と気づいた。少しだけだが、ユニコーンの霊薬には若返りの効果もある、とダンは知っている。誰にも言っていないが。
サラが目の前のソファへと二人を座るように案内すると、女中が紅茶を二人の前に出してから口を開いた。
「さて、あなたはスカーレット家の息女でしたね。イリス様――あなた様のお名前は極めて優秀な冒険者としても記憶しております。スピノシッシマ家は見ての通り、凡弱の一貴族でしかございません。こんな家にどのようなご用件でしょうか?」
優雅なしぐさでサラは言った。
その話し方の所作、また紅茶を一口飲む仕草も含めて、ダンは自分たちとは違う世界に住んでいる者だと感じた。冒険者は学園にて一般教養は習うが、やはり戦いを職として生きる者。気質が暴力に満ちており、粗暴な者も少なくはない。
「聞きたいことは一つだわ。テーラちゃん、知っているかしら? ナダの妹よ。確かこの屋敷によく預けられていたわよね?」
「ええ。そうですね」
サラは頷いた。
「今はどこにいるの?」
「この屋敷にいますが――」
「そうなの?」
イリスは驚いたように言う。
「ええ。どうやらテーラちゃんの知り合いのようですね。会いに行かれますか? 最近はとても寂しがっているようですから」
「そうね。後で会いに行くわ。私も久しぶりに会いたいし」
イリスは年下であるテーラを実の妹のように可愛がっていた、とダンはナダから聞いた事がある。
ナダの家にいる時はよく一緒に遊び、昔に実家で使っていた人形をプレゼントしたこともある。
スカーレット家で末っ子だったイリスにとって、テーラは初めて出来た妹のように思えてとても愛おしく思えると、ダンはイリスから馬車の中で聞いた。これまで戦い一辺倒だったイリスにとって、元々持っている母性が再燃したと言ってもいいだろう。
ダンが知る限り、イリスが昔にナダの面倒を見ていたことも知っているので、彼女が子供好きなのはよく知っている。
「では、後で会いに行きましょう。他に聞きたいことはございますか?」
「ええ。あるわ。――ナダよ、あいつがどこに行ったか知っているか?」
「はい。知っておりますわ。イリス様はご存じないので?」
サラの言葉に、イリスは顔をしかめた。
どうやらそこは言われたくなかった言葉の様だ。
「……知らない」
イリスは消え入るそうなか細い声で言った。
「そうですか。なら不肖の身ながら私からお教えいたします。ナダ様は迷宮に挑戦に行かれたと言っておりました。その為にテーラさんを私たちに預けて……」
「どこの迷宮?」
イリスは冒険者の顔つきになった。
目つきが猛禽類のように厳しくって、ただの者なら見るだけで怯えるだろうが、貴族社会で長らく鍛えられたサラに怯える様子はなく、微笑みながら言った。
「詳しい場所は聞いておりません。ただ……新しく発見された迷宮に行く、とだけ言っていました。全く、殿方というのはああいう方ばかりなのでしょうか?」
サラはナダへと苦言を呈していた。
それからイリスはサラにナダの事を聞くが、どうやらナダも自分の事をあまり話していないようだった。話した事と言えばテーラの今後の事と、カルヴァオンなどの仕事の事が殆どのようだ。
暫くの間三人はナダについての情報交換を交わし、イリスはナダからの連絡があった場合には知らせが欲しいとも言っていた。もちろんスピノシッシマ家のサラがスカーレット家のイリスに断れるわけがなく、二つ返事で頷いていた。
それからダンとイリスは顔なじみでテーラと顔を合わし、カノンとも挨拶をして、二人の少女と暫しの間時を同じく過ごしてから屋敷を出た。
ダンとイリスの背中を夕焼けが照らす。
二人は並んで帰路を共にしながら今日の事を振り返っていた。
「テーラちゃん、少し寂しそうだったね」
ダンは先ほどまでのテーラを思い出す。
どうやらテーラはナダから何も聞かされていないまま、勝手にスピノシッシマ家に預けられる事になったようだ。
「カノンちゃんだってそうよ。あの子もナダに懐いていたんでしょう? サラさんが言うには父や兄のように思っていたって。そんなのが急に、挨拶も説明もなくいなくなったのよ。ショックも受ける筈よ」
イリスも吐き捨てるように言った。
ダンとイリスはサラから二人の少女の近況を聞いていた。どうやら急に遠くの町に出かけたナダへのショックは大きいようで、その話をサラが言った時にはテーラは一日中泣いていたそうだ。カノンは年下であるテーラの前だったので涙は流していなかったが、母親のサラが見る限り我慢しているだけで目は赤くなっていたらしい。
彼がいなくなってから三週間ほど経ってようやく落ち着いてきたようだ。
またダンやイリスと共に遊んだことでテーラとカノンの元気が少しだけ回復したことに、サラから深く頭を下げられた事も二人は思い出す。
口から出るのはナダへの恨み言が多かったが、ふとダンはため息を吐きながらつぶやいた。
「なんでナダは急にいなくなっちゃったのかな?」
急に遠くに言ったナダを思うかのようにダンは空を見つめていた。
「さあ? でも、会って殴らないといけない理由が増えたわね。そもそも私に挨拶なしで勝手に遠くの町へ行くなんて不義理だわ。沢山借りが残っていると言うのに。それだけではないわ。テーラちゃんやカノンちゃんを悲しませるなんて、男として最低よ。ダン君、そうだと思わない?」
ダンに同意を求めるイリスは、腕を組みながらナダへの怒りをあらわにしていた。
「本当にそうですね」
イリスの姿を見て、ダンはくすくすと微笑んでいた。
「――ねえ、ダン君、ナダはどこに行ったと思う?」
イリスは改めてダンに聞く。
サラから手に入れた情報は乏しく、手がかりなど殆どないに等しい。
「……きっと、学園で説明もあった四つの迷宮だと思います。でも、あそこは――誰も挑戦できない筈では?」
「そうなのよ。そこが謎なのよ」
「ですよね……」
ダンは困ったように頷いた。
「……ダン君」
「何でしょうか?」
「この件は私に任せて貰えるかしら? 私は学園長に直談判するつもりだけど、きっとダン君よりも私の方が適任だと思うの。もちろん結果が分かったら報告するわ」
「はい! よろしくお願いいたします!」
ダンはイリスへと大きく頭を下げた。
断る理由などない。
冒険者としても、家の格としてイリスの方が上だ。彼女に任せた方がうまく行くだろうとダンは知っている。
「ええ。任せて頂戴。……ったく、ナダの奴――」
イリスはダンに向かって自信満々に胸を叩いてから、ナダへと舌打ちをする。それは夕闇の中に溶けて、消えて行った。
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閑話は次の話でいったん終わる予定です。それから新しい章へと入りますので、これからも見ていただけると幸いです。




