第五十五話 エピローグ
ナダがレアオンとの戦いを受ける理由はなかった。
そもそも冒険者は私闘が禁止されている。冒険者は武器を持ち、モンスターを殺す術を学んでいる。一般的な騎士と比べても遜色がないほど強いため、外で剣を抜けばたちまち騎士たちに逮捕されるだろう。勿論、木刀であっても街中で振り回してはいけない。限られた場所での訓練のみ認められているのだ。この場所を見つかれば騎士たちに連行されるだろう。
また、この戦いに勝ったところで得られるものもナダにはなかった。
何かを賭けているわけではない。レアオンに対して強い恨みもない。新天地へと行くナダにとって、レアオンに勝ったという事実が栄誉に繋がるとも思えなかった。
ただの草試合だ。
リスクのみがある不毛な戦いだ。
「戦うのはいいが――勝つのは俺だぞ」
だが――ナダはレアオンとの戦いを拒む理由も見つからなかった。
ナダは受け取った木刀を正眼に構えて何度か振り下ろす。空気を切り裂く音が響き、重たい感触が手に伝わった。中身がない木刀ではない。よく振った木刀だ。
ああ、そうだ。
ナダは強く木刀を握りしめた。
胸中に渦巻く思いは一つ――レアオンからは逃げたくなかった。
これから先、より過酷な道に進むのなら、どこか道半ばで絶える道を進むのなら、目の前の物と決着を付けて行きたいのはナダも同じなのだ。
「……大した自信だね。はぐれを沢山倒したからかな。それとも英雄と呼ばれたから? その粗末なプライドを砕いてあげるよ」
レアオンは楽しそうに口を歪ませながら、木刀を正眼に構えた。
構えは同じ。
そもそも冒険者にとって構えはあまり意味などなさない。モンスターは人ではなく、どこから襲い来るかも分からない。殆どの種が人よりも大きいモンスター相手では、上段であっても、下段であっても変わらないからだ。
だから冒険者は騎士とは違い、構えにこだわりなどない。
正眼に構えるのは大陸に最も普及している構えで、理にかなった構えの一つだからである。学園でもまずは正眼の構え――凡庸的な中段の構えから習うのだ。
ナダの木刀三本分ほど距離を開いた二人は、互いに睨みあったまま動かない。
本来、対人戦において、お互いの木刀を伸ばしてもまったく届かないほど、大きな距離を取る必要がないのだが、モンスターと恒常的に戦ってきた二人にとって、何が起こっても対処できるように大きく距離を取ることは常道だった。モンスターは何をするか分からない。ものによっては毒を吐き、腕を伸ばす。その時に至近距離だと避けられない事もある。
「合図はどうする?」
ナダはレアオンを見据えたまま言った。
「必要ないだろう? 僕たちにとって、迷宮内ではそれが“普通”だ。だからいつ攻めてきてもいいよ。もう戦いは始まっている。少なくとも、僕はそう思っている」
レアオンは喋りながらも決して目をナダから放さない。
「……そうかもな」
ナダの一言と共に、冷たい夜風が二人の間を撫でた。
だが、ナダもレアオンも動かなかった。
ナダは大きく息を吐いて、火照った体を冷やすように夜風を肺に取り込んだ。
木刀による試合。アギヤの時に数えきれないほど行った訓練だ。もはや対人戦などモンスターとの戦いにおいてはなにも意味をなさないナダにとって、アギヤを抜けてからは殆ど行った記憶がない。
お互いに防具は付けていない。
かつてのルールでは、どちらかの木刀が相手の体にクリーンヒットしたら終わる、という単純なものだった。決して二発目は当てず、当てられた側は負けを認めると言う単純なもの。あの時は常にイリス達が見学していて、自分たちの戦いを面白おかしく批評していたことを思い出す。
だが、そんなナダの心の内が分かったのか、レアオンは少しだけ口を開いた。
「あ、そうそう。今回に限っては、僕は君を動けなくなるまで痛めつけるつもりだ。もちろん、急所だって遠慮なく狙う。目が潰れても、もはや僕らには関係がないからね――」
「……そうだな」
ナダは自分の体の特徴を思い出す。
この体は本来ならもはやまともに立つことさえできない体……の筈だった。だが、全ての怪我は簡単に治った。きっと冒険者であれば誰もが欲しがる体質だろう。冒険者の中には、四肢が欠損して引退する者も多い。
もう一度、夜風が二人を撫でた。
だが、お互いに動かなかった。
分かっているからだ。
もはや自分たちは並みの冒険者の強さを超えている。固い皮膚を持つモンスターを切り裂くことが出来て、モンスターの重たい一撃を剣で受けて耐える事もできる。その膂力は人のそれを超えている。
人が相手なら、一撃で簡単に殺すことが出来る力だ。
それは持っている武器が真剣ではなく、木刀であっても変わらない。きっと人の背骨ごと逆に折れるほどの力を持っている。
だから互いに動いた時に、一瞬で勝負は着くのだ。
したがって、二人は簡単には動けなかった。
ナダはもう一度深く息を吐いて、冷たい空気を体に取り込んだ。
既に体には熱が回っている。
だが、迷宮内で感じた熱量と比べると、今の自分の中にあるのは灯火にも等しかった。きっと今の力ではかつて倒したはぐれ達は倒せないだろう。しかしながら相手が人ならば十分すぎるほどの力をナダは感じていた。
普通の冒険者なら受けた木刀ごと相手を叩き折れるほどの力がある。
そんな力を持っていたとしてもナダはレアオンを単純に攻める事はなかった。
レアオンが自分と同じ体質ならば、きっと似たような力を持っていると思ったからだ。
レアオンもナダと同じように熱を体中に循環させていた。
心臓を強く脈動させて、限界を超える力を扱えるようにする。だが、決してそれに溺れる事はない。ナダの力が人知を超えているのは理解していて、かつて迷宮内でその一撃を食らったことがあるからだ。
レアオンは慢心をしなかった。
今ある力を全て発揮し、ナダに勝つつもりだった。
そんな風に二人が相対してからどれだけ時間が経っただろうか。
馬車を運転する従者たちも二人の様子を最初は面白そうに眺めていたが、一向に動かないので興味を失ったのか運転席に戻っていた。
だが、二人の間には幾つもの攻防があった。
構えている足を少しだけ広げることや、剣先の位置。肩の上下。視線など、かつてパーティーを共にして、幾多もの試合を行ったからこそ、お互いの挙動から先の行動が手に取るように見えて、互いに細かな牽制を行っていた。
そして――もう一度夜風が二人を撫でる。
ナダの足が風に揺られて微かに前へ、それと共にレアオンが痺れを切らしたのか地面を強く蹴った。
レアオンの体勢が低くなったことを感じたナダも、釣られて前へと体を流した。
二人の距離が近づく。
ナダは単純に真上に木刀を振り上げて、前へと大きく踏み出しながら全力で木刀振り下ろした。
夜風を切り裂く、鋭く重たい剣。
結局のところ、ナダにはこれしかないのだ。自身の力を利用した単純かつ、一撃必殺の剣しか持っていない。それ以上の技術など知らず、避けられた時の事など考えていない。だが、当たれば確実に相手を倒すのに、ふさわしい体格と力を兼ね備えている。
それに比べてレアオンの選択肢は多かった。
ナダの剣に当然のように気づいている。
この剣を避けるか、受けるか、反らすか。もしも避けるとしたら右か左か、懐に入ってからどう攻撃するか、など選べる手札が多く、そんな状況を把握しているのもレアオンの強さの一つなのだろう。
――勝負は一瞬だった。
レアオンは相手の剣をくぐる事を選んだ。受けるという選択肢はない。以前にその選択をして、痛い目にあったことがあったからだ。
レアオンは強く大地を蹴って、ナダへと近づいた。
頭上に迫る剣をレアオンは見ていなかったが、把握していた。例えセカンドサイトを使っていないとしても、空間把握能力に優れたレアオンは、空気を切り裂く音。風の流れ。ナダが溢れる殺気と、肩の動き。レアオンが感じる森羅万象全てが、彼に情報をもたらした。
そしてレアオンにナダの剣は届かない。だからレアオンはナダの剣をくぐることを選んだのだ。選んだのは必殺の一撃。右手を大きく伸ばし、ナダの喉元を狙う突きだ。夜空に瞬く光のように、レアオンは木刀を伸ばした。
この攻撃をナダが気づかない筈がない。現に、ナダとレアオンの視線は一瞬だけ交差した。
レアオンはナダが攻撃するのをやめて、避ける事を選ぶと思っていた。それから次の攻防が始まるのだと。
だが、ナダの選択肢は違った。
彼の獰猛な獣性が、レアオンに牙を向く。ナダは己の首にレアオンの刃が近づいていることが分かっても、行動を変えなかった。
ほんの数瞬、沸き立つような熱がナダの中で膨れ上がり、レアオンの想像よりも早く剣が振り下ろされた。
レアオンの剣がナダに届くことはなく、ナダの剣は――レアオンを頭から圧し潰した。
まるで地面が揺れたと錯覚するほどの轟音。レアオンは草原に頭がめりこみ、動く気配がなかった。ナダの持っていた木刀も持ち手が握り潰されて、レアオンの頭と当たった部分が折れた。
ナダはそんな木刀を後ろに投げ捨てると、動こうとしないレアオンを見下ろしながら言った。
「よう。まだ生きているか?」
ナダは気軽な調子で声をかけた。
並みの男ならこの一撃で死んでいたであろうが、レアオンなら生きていると確信していた。
ナダの声が聞こえたのか、レアオンも腕を地面について体をひっくり返してあおむけになった。顔は腕で隠している。
「ああ、おかげさまで無事だよ」
「俺の勝ちだ――」
「ああ、そのようだ」
レアオンの声はか細く、消え入りそうな声だった。
「これで満足か?」
「ああ、満足したよ」
「……じゃあ、よかった。それじゃあな」
ナダはそれだけ言って、レアオンへと背を向けて馬車へと急ごうとした。
それ以上、何も言わなかった。
もとより勝者が敗者にかける言葉などないのだ。
それに――もしかしたらこれがレアオンと今生の別れかも知れないとさえ、ナダは感じている。だから彼からの挑戦を受けたという事もあっただろう。レアオンからの挑戦から逃げたら、きっと後悔すると思ったのだ。
ナダの背中をか細い月明かりのみが照らす。
自分の命はどこで消えるか分からない身。次に迷宮へと潜る時にモンスターに命を狩られてもおかしくないのだ。そんな戦場に身を置き、ナダはそれでも必死に生きようとしているが、それでも覚悟をしている。
もう会えないかも知れないのはレアオンだけではない。ナダは一度だけ思い出のあるインフェルノに振り返った。
あの町にいる誰もが、もう会えない可能性さえある。
いや、きっと大半はもう会えないのだろう。
ナダはこの町に戻ってくる事はないと感じていた。
「ナダ――」
だが、そんなナダを引き止めるかのようにレアオンは言った。
「何だよ?」
ナダの足も思わず止まってしまった。
「次は僕が勝つさ。だから――精々腕を鍛えて足掻くんだな」
レアオンは決して地面から起き上がろうともせず、顔を両腕で覆ったまま言った。少しだけ声に嗚咽が混じっているのはきっと気のせいだろう。
ナダはレアオンの言葉を聞いて振り返り、呆気にとられた表情をしてから、不敵に笑った。
「次も俺が勝つさ。ああ、負けねえよ。勝つ算段がついたらいつでも挑戦は受けるぜ――」
「その自信がどこまで続くか見ものだよ」
「ふん、勝手に言ってろ。じゃあな」
「ああ、先に行ってくれ。僕はまだ体が痛いんだ。“また”会おう――」
「ああ、“また”会おうぜ――」
ナダは、馬車に乗り込んだ。
それからすぐにナダの乗った馬車は出発する。
揺れる馬車の中でナダは窓へと肘をつきながら冷たい風を感じ、星々が照らす草原を眺めていた。ナダの視線の先は暗闇が無限に広がっている。
眠れる気はしなかった。
むしろ先ほどの試合で体は火照っている。
いや、それ以上に胸にある石ころから体を焼くような痛みを感じて、ナダは思わず手で押さえてしまった。
だが、この痛みにも、どんなに強いモンスターがこの先に待っていたとしても、負ける気はしなかった。
ここまで読んで下って誠にありがとうございます。
前回近いうちに投稿すると言いましたのに、エピローグが遅れて申し訳ございませんでした。
これで第三章は一旦終わりです。約二年間と長くなってしまいましたが、お付き合い頂き本当にありがとうございます。
次の章は舞台、登場人物などががらっと変わりますが、変わらず読んで頂ければ幸いです。
それに合わせて、ナダはほぼ誰にも言わずに学園を去ったわけなんですけど、ナダが去った後の学園の描写って必要ですかね? ご意見を頂ければ幸いです。
また宜しければ第三章の、またこの作品についての感想をお待ちしております。
最後となりますが、これからもナダの物語を頑張って書きますので、ご応援どうぞよろしくお願いします!!




