第五十話 ユニコーンⅥ
ナダは炎による被害を最小限に抑える為に通路の端に飛んだ。
だが、それでもナダは歩みを止めなかった。
アメイシャのギフトにじっと耐えて待つのではなく、もっとも被害の少ない場所で前へと進む。多少のダメージは気にしない。そもそもナダが着ている装備は火に耐性があるものだ。
アメイシャのギフトによる衝撃は食らっても、熱は食らわなかった。
炎が収まった。
ぼやけた苔の光が通路を照らす。
ナダは自分の視線の先にユニコーンの後姿を見つけた。
目的の敵にはどうやらアメイシャの炎は当たっておらず、煤一つつかずに輝いている。
先ほどよりも距離が近づいたように感じる。
にたあ、とナダは嗤った。
「邪魔だ――」
あれだけ多くのモンスターを呼んだというのに、ユニコーンの周りからモンスターが消える様子はない。
まるで幻獣を守る盾のように多くのモンスターが絶え間なく現れる。
豚、蜘蛛、狼、鹿、獅子、猪、多数のモンスターがユニコーンの姿を隠した。
だが、ナダはそれらを一刀で切り捨てる。慈悲はない。コルヴォから貰った大斧は自重と遠心力、それにナダの人並み外れた膂力によって、どんなモンスターも撫で斬りにした。
モンスターを殺したかどうかは問題ではない。
そもそもナダにとって、もはや彼らをモンスターとすら認識していなかった。邪魔なユニコーンの盾である。ナダにとって戦いなれたそれらのモンスターはもう敵ではない。相手の動きも分かっていて、全て一撃で殺す事ができる。
ナダの向かうところ敵なしだった。
しかし、体に違和感が生まれる。
ああ、分かっている。
ナダは数多くのモンスターを殺しながら迷宮を進んでいる。それは七人で共に潜っていた時の比ではなく、より多くのモンスターを一人で殺していた。
心臓に熱が籠る。
だが、痛みはない。
それどころか別の感情が心に沸き上がる。
奇妙な感覚だった。
狂わなければ勝てないような場所にいる。常に腹の奥底から声を出し、相手を殺すという狂気に己を染めて一切の戸惑いを消さなければ生き残れない場所にいる。狂え、狂えとナダも自分に言い聞かせている。こんな環境なら、常人であれば心がすり減っていつしか自分を無くすだろう。
中には迷宮でモンスターを殺しすぎたせいや、モンスター達に常に気を付けなければならないという多大なストレスからか、元の生活に戻れない冒険者も数多くいるとナダは聞く。
例えば冒険者の中には地上に戻ってからも、モンスター達の声に怯えるような者。例えばモンスターを殺し過ぎたあげく、殺害障害といったモンスターを殺さなければ精神が保てない者。モンスター達に襲われた恐怖で廃人となってしまった者なども多い。
ナダがいるのもそんな戦場だった。
そんな狂騒の中にいる筈なのに、自分の心は安心している。まるで戦いの中が自分の居場所のような感覚に陥る。
モンスター達の絶叫と血を体に浴びながらも、むしろ自身の心すらも安らぐような熱が生まれた。
もしかしたらこの熱すらも錯覚なのだろうか。
あるいは――自分を戦いに誘っている“何か”の仕業なのかも知れない。
だが、それはナダにとって都合がよかった。
これから先、自分は数多くの戦いに身を投じなければならない。
心臓の熱が、病を思い出させる。
このせいで、これからも先、自分は迷宮に潜らなくてはならないだろう。最低でも四つの迷宮を踏破しなければならない。その戦いはきっと今よりも悲惨で、厳しいものだとナダは思っていた。
その戦いに耐えられるかどうか、いつか自分の心が壊れてしまうのではないかと言う不安も心の奥底にあったが、今の安らぎがきっとそんな戦いでもまともに戦い抜けるだろうと言う不思議な感覚を与えてくれる。
ふっ、とナダは嗤った。
もしかしたらこの感情自体が、自分が狂っている証なのかも知れないと。
大斧を振るい、幾多ものモンスターの命を奪っているのにも関わらず、全く心は痛まずに心が穏やかになっている。自分は人から別の何かに生まれ変わったのかも知れない、と思うほどだった。
だが、それでもナダに不安はなかった。
狂え。
狂え。
狂え。
今だけはユニコ―ンだけを見つめていろ。
邪魔なモンスターは全て殺すのだ。
戦いの狂乱に身を落としながらも、そこに安らぎを感じる矛盾。今はこの疑問でさえ頭の中から消していた。ナダの歩みが止まることはなく、また遅くなることもなく一歩ずつ着実に進んでいく。
ナダの足の速さは時が経つにつれて速くなる。
体に熱が回る。
先へと進むたび、大斧を振るうたび、モンスターを殺すたびに体を回る熱が強くなっていくように感じる。それが全身を激しく駆け回り、その度に力が強くなっていくような気がする。
気のせいだろうか。
だが、もうどうだっていい。
狂え。
狂え。
狂え。
今はただ、ユニコーンを殺すのだ。
「ナダ!」
そんな時、後ろから追いかけてくるコロアの声が聞こえた。
ナダは振り返りもしなかった。
返事もしなかった。
ナダは叫びながらモンスターとの戦いに身を落としている。
「何だ、これは――!?」
コロアが見る限り、その量は絶望的で人には抗う事しか出来ないと思えるほどだったが、ナダはそんな中たった一人でモンスター達を殺しながら進んでいる。大斧を人ならざる速さで振るい、退けていく。多少モンスターに体を噛みつかれても、腕をモンスターが押さえたとしてもその程度でナダの動きが止まることはなく、暴風のように全てのモンスターをなぎ倒す。
コロアはそんな彼の姿に一瞬呆気に取られるが、すぐに自分の仕事を思い出したようにギフトを使った。
まず使ったのはナダの身体能力を上げるギフト。今、自分に使っているギフトと同じだった。全身に雷を巡らせ、速さと反射神経を上げるギフトだ。これを使えば、人ならざる力が肉体に宿る。コロアを一流の戦士へと仕立て上げる力の一つだ。
それからもう一つのギフトを使った。
「――雷の主よ。我が意志たる化身よ。我が偉大なる血族よ。我に、時を止める力を。あまねく森羅万象を詰める力を与えたまえ」
コロアが使ったのは酷く矮小なものだった。
今込められる力を全て使ったが、それは決してアメイシャのギフトのように目に映る全てのモンスターを焼き殺すような力はない。
出来る事とすればモンスターを痺れさせて、一瞬、もしくは数瞬の間動きを止める程度の弱いギフトだ。
そんなギフトがコロアから最も近いモンスターから伝染する。目に映るモンスターだけではなく、モンスターからモンスター、また別のモンスターへと伝わって、全てのモンスターがコロアのギフトによって動きが止まった。
ナダの体は止まらない。コロアがギフトをすべて、モンスターに流れるようにしたからだ。
この時、ナダ以外の全てのモンスターの時が止まった。
それは最奥にいるユニコーンですら例外ではない。
「邪魔だぁああああああ!!」
その時を逃がすナダではなかった。
もうユニコーンを殺せる瞬間は今しかない。
ナダはふと――逃げているユニコーンが自分をどこかに案内しているような気もしたが、すぐに頭の中から掻き消えた。
周りのモンスターを斬り飛ばす。
ダンジョンの中を一筋の閃光のように駆ける。
コロアのかけたギフトがナダの背中を後押しする。
ユニコーンの背中を捉えた。
モンスター達の動きを止めていたギフトの効力が消えた。
全ての時は動き出し、モンスター達は改めてナダを食い殺さんとばかりに牙を伸ばす。ユニコーンも同じようにナダから振り返ることもなく、足を動かしてその場から逃げようとする。
だが、確かにナダはユニコーンに追いついていたのだ。
体中に熱が回る。
膨大な熱がナダの体に力を与える。
強く大地を蹴った。
誰もいない場所にモンスターは牙を立てた。
ナダは既に空中にいる。
ユニコーンに向かって高く飛びあがり、大斧を振り上げていた。
ユニコーンは逃げられない。
ナダは直感で悟った。
ナダは叫びながら全力で大斧を振り下ろした。
大斧が、柔らかいユニコーンの肉に突き刺さり、頭蓋から胴体まで全てを真っ二つにした。
手に抵抗の感触がなかった大斧はユニコーンを切って、地面に突き刺さった。
右半身と左半身に分かれたユニコーンはそのまま地面へと倒れて、二度と起き上がることはなかった。おそらく胸に納まっていただろうユニコーンの白く輝くカルヴァオンも体と同様に真っ二つに分かれて、地面へと転がった。
ナダは叫んだ。
声にならない叫びをあげた。
勝ったのだ。
ユニコーンを殺したのだ。
歓喜の叫びだった。
だが、ユニコーンを殺したとしても彼の取り巻きが消えるわけではない。もう新たなモンスターが現れる事はないが、この場にいる全てのモンスターは叫んでいるナダに狙いを定める。
どうやらユニコーンを殺しただけでは終わらないようだ。
モンスター達は自分の主が殺されたとしても戦意が失われることはなく、ナダへと獰猛な牙を見せている。
未だにユニコーンを殺したという感触が消えないナダは、空気が変わったような感覚を味わった。
モンスター達の目の色が変わる。
黒色から赤色へと。
今の時間がいつなのか分かった。
昼と夜が混ざる時間――黄昏時だ。冒険者にとっては危険な時間帯が訪れた。何故ならモンスターたちの気は、こういう時間帯には昂ぶり、いつもよりも凶暴で索敵範囲が広くなるからだ。
この時間帯は例外なく、全てのモンスターが強くなる。
これまでよりもずっと――
ナダはもう一度強く思った。
狂え。
狂え。
狂え。
全てのモンスターを殺すのだ。
そう思いながら、目が赤くなったモンスター相手に大斧を振るった。
等身大の主人公であるナダが、どんどん人から外れて行っているような気がします。




