第四十九話 ガーゴイルⅣ
レアオンは水晶で彩られた広い部屋の中で、ガーゴイルと距離を取った。
ガーゴイルも近づいては来ない。どうやらこちらを見ながら深くうなっている。隙を探しているのだろうか。
レアオンは周りを観察した。
部屋の中央には台座があり、そこには何もなかった。きっとこのガーゴイルがいたのだろう。何が切っ掛けかは分からないが、ガーゴイルは目覚めてあの場に現れた。これもユニコーンの力だろうか。
この部屋にガーゴイル以外のモンスターは入ってこない。彼らは部屋の入り口に付近に近づくと、一歩ずつ後ろへと下がってやがて元の道へと戻った。この部屋に入るのを躊躇していた。
どうしてかはレアオンには分からない。
迷宮には不思議な事が数多くある。その殆どが解明されていない。分かることと言えば一つ――自分とガーゴイルは一対一で戦えるという僥倖だった。
レアオンはガーゴイルを注意深く観察する。
持っている情報は以前に調べたのと殆ど変わらない。それほど大きくはない体躯。二本足で立つモンスター。蝙蝠のような翼が肩の肩甲骨から伸びており、自在に迷宮内を飛ぶことが出来ると言う。一本の長い槍を持ち、その攻撃方法は知性を持っており周りの環境を利用して攻撃すると言う。
そして――赤い目。
ガーゴイルの鈍く光る眼。
レアオンはそれを睨みつける。
奴とは因縁があった。
以前の記憶を思い出す。
ああ、覚えている。
忘れるわけがないとも。
苦渋に満ちた経験だ。
自分にはあれが欲しかった。必要だった。冒険者としてまたとない機会だった。自分は冒険者として栄光の日々を歩く“筈”だった。
だが、レアオンの願いは叶わない。
ナダの抱いた奴の頭。レアオンにはどうすることもできず、彼の前に蹲った日の事を。それから訪れる絶望の日々。確かに自分は全てを失った。パーティーメンバーも、名声も、評判も、アギヤは解散した。新しいパーティーを作っても人が集まることがなく、またどこかのパーティーに入れてもらえるという事もなかった。
だからセウに留学に行って、冒険者として修業した。かつてトップパーティーのリーダーとして活躍していたレアオンにとって、セウでの日々は辛く、屈辱に耐える日々であったが、得たものはあった。
それからまたインフェルノに戻り、冒険者として活動を再開したのだ。
そもそもあのガーゴイルの一件以来、インフェルノに戻ったとしても他の冒険者からナダよりも下だと見下されることが増えたが、有象無象の冒険者に何を言われても気にならなかった。そもそもそんな陰口を言う冒険者よりも自分のほうが優れているという自負があるからだ。
自分はナダに劣ってなどいない。
それが率直なレアオンの感想だった。
だが、心残りがあるのは変わらなく、その一つがガーゴイルだった。
あの時、もしもナダよりも先にガーゴイルに会っていたら?
そう考えた時の結論は一つだった。
きっと自分はガーゴイルを倒していただろうと。
ガーゴイルの力は知っている。
――アビリティやギフトに反応し、皮膚を石化させる能力。
これがあるから多くの冒険者は敗れ、逆に何も持っていないナダが勝つことになった要因の一つ。おそらくかつてのアギヤの仲間であっても、ガーゴイルには苦戦するだろう。彼らは優秀なアビリティ持ちであり、ギフト使いなのだから。
だとしても――
「――僕には関係がないな」
レアオンはガーゴイルへと剣を伸ばした。
宣戦布告だった。
ああ、そうだ。
負けるはずがないとも。
何故なら――レアオンはアビリティを持っていないのだから。
『第三の目』というアビリティは存在しない。これがレアオンの抱えている秘密だった。
アビリティというのは古今東西様々な者が人に発現している。似たようなものはあるが、同じものは存在しない。
そんな中でレアオンは自分にアビリティがないという事実を酷く恨んだ。境遇はナダと一緒だったが、アギヤに入った事で嫉妬の目は数多く、見下されることも多かった。
このままでは自分の冒険者としての今後が暗くなる、と思ったレアオンは、アビリティを作ったのだ。
それが――『第三の目』だった。
自分が他人よりも優れている能力である空間把握を鍛え上げて、アビリティと偽って申請したのだ。
だが、レアオンは自分のアビリティを申請する時、不安があった。彼が喉から手が出るほど欲しかったアビリティには、一つだけ特徴があることに気が付いたのだ。
アビリティは――世界を変える力だ。己の中のみを変えるのではなく、どのアビリティも目に見える状態で発現する。それは光だったり、無機質なものだったり、どんなアビリティでも目に見える形で変化する。
ある者は時を進ませる為に空間をレンズのように歪め、ある者は着ている物を軽くするために鎧に輝く羽をつける。
だが、自分が考えたアビリティにそんな変化はない。
目の色が変わる事など無い。
だから申請は通らないと思ったが、無事に申請は通った。
それからレアオンはアビリティ使いとして、偽りの日々を歩いてきたのだ。
しかし本当は冒険者たちが言うアビリティなど持っていない。
『第三の目』は意識を少し外に向けるだけだ。使うと言っても、普段より周りに意識を集中させるだけ。人なら誰でも出来る事だ。わざわざアビリティと名付けるほどでもない。
きっとナダも自分と同じで似たような力は持っているとレアオンは思っていた。熱心に空間把握を鍛えた自分ほどではないが、彼も感覚が鋭い。イリスなどが気づかない遠くにいる敵であっても、自分と同じように彼は気づいていた。
アビリティを持っているか持っていないかは、単に自分がずる賢く、彼が正直者だったという話だ。
だから自分と同じ境遇であるナダにも劣っていないと、レアオンは強く思っていた。
それを今から証明しよう。
誰もが自分はナダに劣っていると思っている事を覆そうと。
かつてのあの日でも自分はガーゴイルに勝てたのだ。あれから自分は成長した。強くなった。だから辛勝なんてレアオンは望まない。これから行うのはたった一人きりではぐれの蹂躙だと。
「さあ、やろうか――」
レアオンはアーシフレを強く握りしめる。
◆◆◆
レアオンは勇猛果敢にもガーゴイルに攻めかかった。
ガーゴイルはグレイブを真上から振り下ろした。暴虐に満ちた力。レアオンはそれをまともに受けられるとは思わない。そこまでの力はない。
かといって避ける気にもならない。大きく避ければその分、隙が生まれる。ガーゴイルは全身が凶器だ。対して自分は剣だけ。分が悪いのは確かだろう。
剣を上に構える。狙うのは刹那。前へと体を流しながら振り落ちてくるグレイブを横に弾いた。グレイブはレアオンを避け、地面を破壊する。
レアオンはがら空きのガーゴイルの頭部に剣を一閃。ガーゴイルは己の持つ角で折れる。固い。痺れる感触をレアオンは味わった。この角は斬れない。レアオンはすぐに体を翻し、ガーゴイルの脇腹を狙う。
だが、ガーゴイルも体を大きく回していた。まるで鞭のようにしなる尻尾でレアオンを払おうとする。レアオンは掻い潜るように避けると、足首を狙って剣を振るう。急に体を動かしたガーゴイルによってそれは太ももを浅く切り裂くだけだった。
ガーゴイルはレアオンから距離を取ろうとはしない。グレイブを片手で横薙ぎに強く払おうとする。レアオンは飛んで避ける。そんなレアオンを捕まえるかのように、鋭い爪を生やした左手を伸ばした。間にアーシフレを挟む。爪と刃が当たったことで高い音を立てて、レアオンの体は後ろに押された。
地面に着地したレアオンはすぐに体勢を立て直す。既にガーゴイルは距離を掴んでいる。両手で持ったグレイブを石付きに近い方で持ち、一方的にレアオンを攻撃した。
グレイブを叩きつけ、振り上げて、薙ぎ払い、突く。鈍い音を立てて風を切り裂くガーゴイルの攻撃は、どれも必殺だった。モンスターに比べて細いレアオンの体だと、分厚い筋肉と体重、それに遠心力を利用したガーゴイルの一撃で意識を持って行かれるだろう。
だが、その全てをレアオンは躱した。
受けすらしない。
屈んで、横に飛んで、一瞬前に体を流したかと思うと、グレイブが襲ってくるので後ろに大きく飛んだ。レアオンの顔を狙ったグレイブは、数ミリの髪しか切れない。
ガーゴイルは一方的にレアオンを攻める。
近づけさせない。大振りでグレイブを振るって圧力をかける。レアオンは出来る限り横に回ろうとしながらも、ガーゴイルがそれを許さない。じわじわと後ろに下げられる。もう少しで壁が迫っていることにレアオンは気づいた。
素早くレアオンは腰のポーチから小さな玉を取り出し、ガーゴイルに投げつけた。ガーゴイルが当たるわけもなく、自分に来る前にグレイブで叩き割る。
「それは悪手だね――」
レアオンは目を瞑りながら嗤った。
強い光がガーゴイルを包み込む。
投げつけたのは光玉だ。火薬を利用した光を出す道具だった。僅かな間、ガーゴイルの動きが止まった。その間にレアオンはガーゴイルの側面へと回ろうとするが、そんなレアオンを狙いすましたかのようにグレイブを振るった。
――聴覚か、嗅覚だろうか。
どうやら自分と似たような事が行えるらしい、とレアオンは冷静に分析する。
暫くの間、目が見えないとしても問題がないらしい。
事実、ガーゴイルは先ほどと変わらずにレアオンを一方的に攻めていた。レアオンは一撃ももらうことはなく、全てを躱しきる。
それは戦いと言うにはあまりにも華麗だった。まるで演舞のようであった。片方が一方的に攻め、もう一人が躱す。事前に打ち合わせをしているかのように、その動きは洗練されていた。
だが、どちらの限界も近い。レアオンは無酸素運動を続けた結果、今にも体が止まりそうだ。ガーゴイルも状況はそう変わらないだろう。
ガーゴイルがグレイブを横に放った瞬間、手を離した。まるで飛び道具のようにレアオンへと飛んでいく。屈んで躱す。そんなレアオンへガーゴイルは距離を詰めていた。もうグレイブは持っていない。だが、ガーゴイルには爪と言う武器はある。
ガーゴイルは距離を詰めると右手を振るった。それをレアオンは横に避けて通り過ぎる時に腹を一閃。固い。浅くしか切れない。ガーゴイルは後ろに移動したレアオンに向けて太い足で後ろ蹴りを放った。レアオンは寸の距離を見極めて自分には届かず、寸の距離で剣を足に突き刺そうとする。だが、刺さらない。
ガーゴイルはそれからも一心不乱に爪と足、さらには爪でレアオンを攻め立てた。
どれも大振りの攻撃だ。速さだけしかなかった。相手の一歩先を読み、避ける事はたやすく、攻撃を入れる事も簡単だ。厄介な事があるとすれば、相手の皮膚の固さだろうか。生半可な攻撃だと通じない。
ガーゴイルは両腕を大きく振り上げた。
まるで抱きしめるようにレアオンを切り裂こうとする。
――ここだ、とレアオンは直感した。
一瞬のうちに体の力を抜いて前に倒れるように体を低くする。ガーゴイルの両腕は空を切り裂き、レアオンを見失った。レアオンはガーゴイルの側面から円を描くように避けると地面を強く蹴った。ガーゴイルの無防備な背後を取る。
レアオンは深く意識を落とした。
要領は『第三の目』を使う時と変わりはしない。心臓を強く脈動させる。よく目に意識させていた熱を体中に循環させる。限界を超える力がレアオンを包み込む。
そして全力でアーシフレを――振るった。
ガーゴイルの頭部が体から切り離されて空中に飛ぶ。レアオンはその間に自由落下し、地面に足をつけた数秒後、赤い目が特徴的なガーゴイルの頭部が落ちた。
だが、ガーゴイルの動きは止まらなかった。まるで頭部が無いことに気づいてないかのようにその場を縦横無尽に攻撃した。既にその場にレアオンはいないので、ガーゴイルの攻撃は空を切り裂くだけだった。
それからまた数秒後、ガーゴイルは動きを止めて石に戻る。まるで形を保てないかのようにぼろぼろと崩れだした。
けれども頭部はそのまま残っている。
レアオンは赤い目をした頭部を見つめながら言う。
「ありがとう。もうこれでこの町に思い残すことは一つしかない――」
レアオンは“石のように固い左胸”を強く握りしめた。




