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迷宮のナダ  作者: 乙黒
第三章 古石
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第四十八話 ユニコーンⅤ

 アメイシャはずっと肩で息をしていた。

 ギフトが唱えられなかった。

 すぐ傍でイリスがレイピアを振るい、後ろではオウロやコルヴォが戦っていた。彼らに加勢しようと思うのだが、アメイシャの体は動かない。

ぼーっとイリスの戦いを見ているだけだった。


 イリスの戦いは苛烈だった。

 レイピアが甲高く鳴る。これまでよりも高い音であり、通路内で大きく反響する。アメイシャの目にはイリスの姿すら“ぶれて”いるように見えているので、どれだけの無理をしているかが分からない。

 これまでレアオンの助けがあって何とか成り立っていた殿だ。仲間が減ったとしても、モンスターの数まで減るわけではない。イリスはこれまで以上に強くアビリティを発動させ、自分の移動スピード、レイピアの切れ味、どちらも自身の限界以上に引き上げているのだろう。


 それでも多くのモンスターを殺し尽くすには力が足りない。

 モンスターの牙がイリスの柔肌に刺さり、モンスターの大きな手がイリスの腹を殴る。イリスはそれらの攻撃を受けて一瞬だけ顔を苦痛に歪めるが、叫びはせずにレイピアを振るう。


 手数が足りないイリスは右手にレイピアを持ちながら、左手はククリナイフを抜いていた。

 二刀の剣でモンスターを倒すのだ。


「あああああっ!!」


 イリスは叫びながら剣を振るった。

 だが、それでも足りない。

 津波のように押し寄せてくるモンスターの前には、イリスなど一本の枯れ木にすぎない。すぐにも決壊しそうな堤防だった。


 だが、イリスはまだ持ちこたえていた。

 すぐにでも崩れ去ろうとしているのに、モンスターか己自身かも分からない血に全身を濡らしながらひたすら剣を振るっている。


「どうして――」


 徐々にアメイシャの息は元に戻ってきている。

 体にギフトの力の元も戻ってきている。

 それでもギフトを唱える気にはならない。無理をしたら使えるのだろうか。分からない。きっと自分が憧れるイリスも限界のはずなのに、彼女はそれでもより強いアビリティを使い、モンスターと戦っている。彼女の足が折れる事は決してない。


「どうして――戦えるの?」


 アメイシャはイリスが持ちこたえてくれている後方から、少しずつ逃げるようにオウロたちへと近づく自分が情けなくなった。

 戦う意思があるのに、体は一向に動こうとしない。イリスに一方的に守られている。イリスに甘えていると言えばいいのだろうか。ギフトの力が体に戻っていないからか。いや、微かになら戻っているだろう。


 だが、それがモンスターに通じるかは分からない。

 アメイシャのギフトの持ち味は圧倒的な火力だ。それがない自身のギフトなど蝋燭の火と同じであり、そんなものがモンスターに通じるとは思えない。

 そんなギフトを、モンスターに使う気にはなれなかった。


「どうして、戦えるの?」


 アメイシャの単純な疑問。

 イリスはほんの数十秒前とは違い、徐々にレイピアが奏でる音が小さくなっている。彼女のアビリティが尽きかけているのだろう。レイピアの切れ味は鈍くなり、足の動きは遅くなる。ククリナイフも折れたので、イリスはモンスターに向かって投げ捨てた。それでもイリスは必死に戦い、彼女の意思に諦めると言う選択肢はない。


 彼女と自分で何が違うのだろうか。

 アメイシャは分からなかった。

 自分が彼女だとしたら最後まで戦えるだろうか。いや、きっと戦えないだろう。ククリナイフが折れた時に諦めるか、アビリティが尽きそうな時に諦めるか、いずれにしてもアメイシャは戦える気がしなかった。


 ――どうして戦えるの?


 思えば、アメイシャの周りにいる冒険者は合理的な思考ができない者が多い。例えばアメイシャは火のギフトが通じないモンスターが現れたら、きっと自分はそのモンスターに勝てるとは思わないだろう。


 すぐに戦いを諦めて、逃げる選択肢を選ぶだろう。選べるようになった。かつては自信のある火のギフトが通じないという事に納得できずに、モンスターに殺されそうになった経験もある。


 そもそもアメイシャは限界を超えて戦う事は一度もなかった。

 一対一で強敵と戦ったこともある。はぐれとも戦った。心身が尽きるまで戦いに身を投じた。

 だが、心の奥底で思うのだ。

 負ける、と。

 このまま自分は負けるのだと。

 そう思った後の戦いは惰性であり、ただ一秒でも多く生き延びているだけ。戦っているわけではない。既に心は折れているのだから。勝とうという意思はない。いつか誰かが助けてくれるのを待っているだけだ。


 思えば、最後の最後まで足掻いた経験などアメイシャにはなかった。

 どこかでこう思うのだ。

 ――私はよく戦った。頑張った。だから負けても仕方がない。

 そう思ってしまえば、無理をする気にもなれない。どうせ結果は変わらないのだから。


 だが、イリスは違った。

 もう少しで力尽きそうなのに、彼女はまだ耐えている。顔には気力が宿り、必死に戦っている。


 彼女と自分では何が違うのだろうか。

 やはり才能なのね、とアメイシャは思った。

 冒険者としての資質の違い。所詮自分は石ころで、彼女のような光り輝く宝石とは違う。一年生の頃から才覚を現し、女の身ながら学園ではずっとトップを走る憧れの冒険者。


 ――女は男よりも劣る。

 これが冒険者の一般的なイメージだ。女の冒険者よりも男の冒険者のほうが優れている。ふざけた男尊女卑だ。

 だが、この考えをアメイシャは否定できなかった。

 女の体と、男の体ではスタミナも体力も大きく違う。男のほうが優れている。もしも同じアビリティを持っている男女なら、どんなリーダーも男を選ぶだろう。女の冒険者は優れたアビリティ、もしくは強力なギフトを持つ者しか採用されない。それでもパーティーの中では二番手だ。


 女性主体で活躍した冒険者など本当に稀だ。

 体格や体力、力、といったハンデを乗り越える女性でないと、男たちには勝てない。

 だから学園の女生徒は、イリスに憧れるのだ。

 彼女は男に対しても決して引かず、ただ一人の冒険者として活躍している。決して男の付属品ではない。


 そんなイリスに、アメイシャは憧れた。

 夢だった。

 彼女のようになることが。

 それは学園でもトップを争うパーティーのリーダーになっても変わらない。いつも目指す先は彼女で、少しでも近づけたらいいと思っている。


 だが、こうして一緒のパーティーになってみると、自分と彼女には大きな差があることを自覚させられる。

 もしかしたら他の全ての冒険者よりも自分は劣るかも知れない。

 だって私はもう戦えないのだから。

 戦う気が起きないのだから。

 一度尽きた気力が蘇ることはなく、惰性でイリスに守られているだけ。何もしようと言う気が起きない。最後まで戦う気などアメイシャにはなかった。


「どうして戦えるの?」


 その疑問に答える者などいない。

 既にアメイシャの声はイリスには届かない。

 彼女はモンスター達の狂騒に包まれているのだから。


 ――そんな時、アメイシャは思い出した。


 かつて同じ質問をぶつけた事がある。

 それはイリスではなかった。


「――それしか選択肢がなかったら、そうするだけだ」


 そう答えたのはナダだった。

 アメイシャにとって、彼は理解できない人間だった。

 彼にはギフトがない。アビリティがない。学もない。幼いころから武芸を習っているわけもない。ナダに強さというバックボーンはなく、所属していたパーティーからも追い出された。誰からも蔑まれている冒険者だった。


 “だった”のだ。

 彼はそんな状況を腕一本で解決した。

 はぐれを倒し、他の冒険者を寄せ付けない活躍をした。一人だと言うのに、宝玉祭にも呼ばれた。


 今の学園で彼を蔑む者などいない。

 誰もが一目を置いている。

 特にアビリティもギフトも目覚めていない冒険者達は、ナダの存在が光になることも多い。アビリティもギフトもなくても戦えるのだと。トップの冒険者になれるのだと。

 非才の星と言われることも多かった。


「もしも逃げられない状況で、剣が使えなくなったらどうするの?」


「ナイフで叩く」


「それすらもなかったら?」


「拳で殴る」


「腕も折れたら?」


「足で蹴る」


「それすらも出来なかったら?」


「噛んで攻撃でもするさ」


 これはアメイシャが聞いた事だ。

 絶体絶命のピンチに襲われたらどうするのかと。

 ナダは笑って言った。

 死ぬ寸前まで抗ってやる、と。


 アメイシャは知っている。

 ナダに諦めるという選択肢はなく、戦うか逃げるという選択肢を選ぶと。自分のように諦めて戦うという選択肢はない。

 彼のバイタリティがどこから生まれるのかが分からなかった。

 自分がもしも彼なら、剣がなくなっただけで戦えないだろう。ナイフでは勝てると思えない。拳でも戦おうと思わない。

 だが、彼はそうするだろう、と思った。

 きっと最後まで諦めずに戦うのだろう、と。


 そんな彼の姿は、イリスの姿ととても似ていて羨ましかった。

 自分はギフトが使えなくなった時点で、戦えなくなったのだから。

 

 ――私は彼らほど強くない。


「――アメイシャちゃん、そろそろ戦えるわよね?」


 そんな時、アメイシャの呼吸が戻ったことに気付いたイリスが、モンスターの合間を縫って駆け寄ってきた。まるで戦う事が前提のようなイリスの言いぶりに、アメイシャは理解が出来なかった。


「私、もう――」


「アメイシャちゃん、とりあえず、後ろにいるモンスターを焼き払って。タイミングは任せるから。その後は好きにしていいわ」


「えっ、と、あの――」


 イリスはそれだけ言って、元の戦いに戻った。

 アメイシャの元に駆け寄ったのは一瞬だけだ。その時間しか離れられなかったのだ。


 どうして彼女は自分の事を疑いなく、戦えると言えるのだろうか。

 もう戦えないかもしれないのに。

 もしも、自分のギフトが不発に終わったらどうするのだろうか。そんな不安で唇も震えてしまう。

 

「つかえ……ま……せん」


 アメイシャは小さく呟いた。

 それをモンスターにまみれていたイリスは聞こえていたのだろう。彼女はモンスターを殺しながら優しく言った。


「なら、剣で戦いなさい!」


 イリスの声は強く響いた。


「え……」


「戦って、戦って、戦うの! 無理じゃない! 戦えなかったら死ぬだけよ。モンスターに蹂躙されてあっけなく死ぬの。どうせ死ぬなら戦って死になさい――」


 彼女はなんて綺麗なのだろうか。

 アメイシャは思った。

 イリスは死線の中で強く輝いている。

 だが、自分はそうではない。

 彼女とは違って、誰かの支えなしに輝けるほど強くはない。


 そんな時、アメイシャの嫌いな男が嗤った気がした。


「負けそうな時の気構えを一つ教えてやるよ――」


 それはかつて、彼が言っていた言葉だ。

 自分の心が折れそうだった時に迷宮の中で聞いた言葉だ。


「――死にたくない、って思う事だ。生きる理由は何だっていい。生きたいって思えば、限界なんてないだろう。だって死ぬことは何よりも怖いんだから。だから一秒でも長く生きる道を探すんだ」


 ああ、そうだ。

 アメイシャは思い出した。

 自分は強くはない。

 イリス達のように勇ましくは戦えない。


 でも、死ぬのは嫌だった。

 モンスターに自分の体をいいようにされるのが嫌だった。

 自分は小市民だ。名誉の為に命を投げ出す事は出来ない。彼らの様に戦えない。今も恐怖でがちがちと体が震えている。


 それでも、アメイシャは言霊を紡いだ。


 例え発動しなくてもいい。

 もしそうなら剣で戦おう。

 だって、死ぬのはこんなにも怖いのだから。


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