第四十七話 ユニコーンⅣ
炎が治まった後も剣戟の音が迷宮内に響く。
いや、きっと爆発音によってかき消されていただけで、炎が充満している時もきっとその剣戟が鳴りやむことはなかったのだろう。
その出所はレアオンとガーゴイルだった。二人は迷宮内が炎で満たされて爆発したとしても全く意に介さないようにお互いの武器を相手にぶつけていた。ガーゴイルは地を這うように石で作られた大型の槍――グレイブを、レアオンはそれを躱しながら剣――アーシフレを振るうのだ。
二人は炎の影響などなかった。
レアオンは元より炎に耐性のある防具を着ており、ガーゴイルに炎は通じない。
二人は狭い迷宮を縦横無尽に駆け巡りながらお互いに一進一退の攻防を続けていた
「レアオン!」
そんな彼に道の端で爆発をやり過ごしていたイリスは声をかけるが、レアオンは右手だけで剣を振るい、一瞬の隙に左胸を二回ほど強く叩いた。それはアギヤの時、パーティーメンバーの誰もが用いたハンドサインであり、意味は、ここは俺に任せろ、とも、大丈夫という意味だ。
つまりガーゴイル相手にレアオンは助太刀不要だと言った。
これは自分で倒すと。
そんなレアオンの姿が懐かしくなったので、仮面の下でイリスは一瞬だけ微笑んだ。
そして目の前の敵を見る。アメイシャのギフトによって、先ほどまで道を埋めていたモンスターは殆ど死に絶えた。だが、通路の奥からモンスターが絶える事はなく、後ろからもモンスターはやって来る。
とても一人で戦えるような量ではない。
イリスは残っている冒険者を見渡した。
「はあ、はあ、はあ――」
アメイシャは前方にいるモンスターへと両手を出しながら、息を切らしている。
強力なギフトの使い過ぎだった。
通路を埋め尽くすほどの巨大なギフトだけではなく、それ以外のギフトも大量に使っていたアメイシャ。まるで体中の酸素を使い果たしたかのような倦怠感に襲われた彼女は、言葉を発する気力すらなく、立っているだけで精いっぱいだった。
「オウロ、無事かい?」
「なんとか――」
コルヴォとオウロの二人は何とか立ち上がった。
二人とも炎によるダメージはあまりないが、爆発の衝撃で多少のダメージを負っていた。と言っても、オウロは全身鎧なので気にならないほどのダメージであり、コルヴォも防具が上等なのでダメージは少ない。
「さて、どうする――」
オウロは後ろと前、それぞれを見返しながら言った。
進んだとしても、戻ったとしても、地獄には変わりがない。
勿論分かれ道は幾つもあるが、その全てにモンスターがいる事は変わりがなかった。
「戻ってもいい、ってナダは言っていたよね――」
コルヴォはそう言いつつも引く気はなかった。
既にナダとコロアは見えず、またユニコーンの姿もなく、雑多なモンスターのみがこちらへと近づいてくる前だけを睨んでいる。
その量は減ることがなく、アメイシャがその一切を灰燼と化す前とそう変わりはしなかった。
「引く気はあるの?」
イリスは笑いながら言う。
彼女自身にはそのつもりがないのだろう。
恋焦がれるように前だけを見つめていた。
「私は進みたい――」
オウロは腰のポーチに入った回復薬を飲みながら言った。
これは疲労を軽減する薬だ。興奮剤も少しだけ配合されており、継戦能力が高まるのだ。それからアメイシャにギフト使い用の回復薬が入った瓶を彼女の口元に当てて、無理やり飲ませた。
「じゃあ、決まりね――」
一人でも前に進もうと思っていたイリス。
他の者も協力してくれるならこれほどありがたいこともなかった。
「隊列はどうする?」
コルヴォは短く言った。
この間にもモンスターは近づいてくる。
悠長に話している時間もない。
既に三人は未だ回復していないアメイシャを囲むように動いている。
問題は誰が道を切り開くか、という事だった。
「私が……」
イリスがレイピアを甲高く鳴らしながら前に出ようとした時、それを止めるようにコルヴォとオウロが押しとどめた。
既に二人はアビリティを再度発動させていた。
「イリス、君は消耗が激しいだろう? アビリティは元より、常にギフトだって使っているんだろう?」
コルヴォの言葉は当たっていた。
イリスは迷宮に入る時には既に自身のギフトを発動させていた。
どんな効果かも分かっていないギフトであるが、不思議とこのギフトを使えば負ける事はなかった。
だからこそ、彼女は幾度となく呟くのだ。
――神よ、かの勇者に勝利という名の栄光を、と。
例え、その度に己の中から“何か”が失われるとしても。
「それだけじゃない。イリス先輩は、私やコルヴォ先輩と比べて防具も薄い。きっとアメイシャの炎もまともに食らったのだろう? よくもそんな体で一番早くに立った……」
オウロは賞賛するように言った。
彼の言葉も当たっていた。
イリスが巧妙に自身のダメージを隠せているのは、仮面のおかげだろう。これのおかげで顔色が他者に見えない。だからどんな冒険をしたとしても、無理に押し通すことができた。
だが、それぞれパーティーリーダーの経験があるコルヴォとオウロは、そんな彼女の怪我を当然のように把握していた。
パーティーメンバーの状態を把握するのもリーダーとして必須な技能の一つ。例え隠しても、それが把握できなければ一流のリーダーとは言えない。コルヴォとオウロはそんな能力を当然のように持っていた。
イリスはまるで男の意地とばかりに前に出るオウロとコルヴォの二人に大きくため息をついた。
――二人も消耗しているのは変わりないのに。
当然ながらイリスも二人の状態がよく分かっている。
前線でナダと共に常に道を切り開いていたのだ。もちろんアビリティと共に。
ナダの冒険には――鬼気迫るものを感じた。
あんな道程を涼しい顔で進んでいける人間など、もはやまともな“人”ではない。学年で最高と言われているイリス達であっても、ついて行くのがやっとであった。きっとオウロとコルヴォも無理をしながら進んでいたのだとイリスは思うのだ。
「分かった。あんた達に任せる。私は後ろを守るわ。アメイシャちゃんを守りながらね」
だけど、彼らが前に出ようとするのは男としての意地だろうか
それとも冒険者としての意地だろうか。
それは分からないが、今だけは彼らに甘える事にした。
それに――後ろが楽だとも限らない。
イリスは多数のモンスターが追いかけてくるモンスターを見て、大きくため息を吐いた。
そして未だに回復しておらず、後ろで未だに大きく呼吸を乱しているアメイシャに温かい微笑みがこぼれた。
ああ、冒険はまだまだ終わらない。終わらせる気がない。
イリスは一緒にこの苦境を突破しようとしているアメイシャ、コルヴォ、オウロと、先の道を進んだナダとコロア、それにどこかに行って姿は見えないがユニコーン以外の“はぐれ”であるガーゴイルを一人で引き受けたレアオンを思いながらイリスは強く言った。
「――神よ、かの勇者に勝利という名の栄光を」
◆◆◆
ガーゴイルが振るうグレイブを飛ぶように躱し、アーシフレで切りつける。浅い。只の直剣であるアーシフレでは、固いガーゴイルに致命傷を与えられない。そんなレアオンを振り払うようにガーゴイルは右手を払った。レアオンはその勢いを利用して、後ろに大きく飛ぶ。そんなレアオンを追いかける。グレイブを振り落とす。レアオンはその攻撃を受けなかった。躱す。まともに受ければ自分の筋力ではガーゴイルの威力を受けられないと判断していた。レアオンは距離を詰めた。アーシフレを振るう。だが、全てグレイブの柄によって防がれた。今度はガーゴイルが距離を取ろうとする。レアオンは追いかけるようにアーシフレを振るう。後ろに飛びながら振るうグレイブと衝突する。
両者はお互いに引いてなどいなかった。
レアオンは、ガーゴイルは、激しく武器を重ねあいながら、迷宮を進む。
最早自分たちがどこにいるのかも想像がつかない。
レアオンとガーゴイルは例え多数のモンスターが自分の行く手を阻んだとしても、お互いの瞳にはお互いしか映していなかった。
刃を向けるのも互いだけだ。
だが、そんな両者には、戦いに水を差すようにユニコーンに引き寄せられたモンスターが牙を向ける。爪を向ける。
ガーゴイルは例えモンスターの攻撃を受けたとしても、気にせずレアオンへとグレイブを振るった。その過程でいくつもの雑多なモンスターがガーゴイルの刃の餌食となり、また多数のモンスターを斬ったとしてもガーゴイルの凶刃の勢いが衰える事はない。
レアオンにとってガーゴイルの攻撃も、またユニコーンに引き寄せられたモンスターの攻撃も、柔な人の身であるレアオンにとっては等しく脅威だった。
無数の刃の中から己の生きる道を必死に探して、そこに体を入れる。もしも判断が一瞬でも遅れたら、少しの軌道を予測し間違えたら、瞬く間にレアオンはガーゴイルとその他のモンスターによって蹂躙されるだろう。
(せめて、ガーゴイルと一対一になれば――)
レアオンは強くそう思うが、多数のモンスターが尽きる事はない。
同様にガーゴイルが力尽きる事もないだろう。
仲間の姿は既に見えない。
はぐれてしまった。
レアオンはそんな中、必死に自分が生き残る道を探した。
そして、一筋の光明を見つける。
大きく開けた空間が先にあることをレアオンは知覚した。
そこへとガーゴイルを誘導するように、レアオンはこれまでよりも一段と大きく身を引いた。既に仲間の姿は見えないのでこの場から逃げてもいのだろうが、そんな隙をガーゴイルは与えてくれない。もしも逃げる意思しか見せなければ、すぐにガーゴイルはグレイブを強く振るって圧し潰してくるだろう。
だからレアオンは時折反撃する意思を見せながら、後ろへと移動する。
目的の場所へ。
そしてレアオンは目論見通り辿り着いた。
そこは――水晶で彩られた空間だった。




