第三十話 近衛騎士Ⅱ
マナの案内の元、ナダは赤いソファーが目立つ応接室に連れられた。部屋の隅には壷などの調度品が置かれており、罪人と面会する部屋と言うよりかは近衛騎士団を訪れた客人をもてなすための部屋だろう。
紅茶も英雄であるマナ自身が淹れてくれた。高級な白カップに入ったお茶がナダの目の前に置かれる。だが、それにナダは手をつけずに対面して座るマナを睨んでいた。
ナダと対面しているのは、マナ一人だった。
この部屋に入る時に「私も付きます」とナダを睨みながら言うマナの部下も数多くいたが、彼女自身がそれを断った。「必要ない」という一言で、それは有無を言わさない口調であり、彼女の威光に逆らえる騎士などいなかった。
「それで、どうして俺を呼んだ?」
ナダはマナを睨みつけていた。
虫の居所が悪いのは明らかだった。
「機嫌が悪いようですね」
薄ら笑いを浮かべながらマナは言う。
その様子がナダの気に障った。
「そうかも知れねえな。こっちは迷宮に潜って、すぐにあんたに呼び出されたんだ。もちろん疲れているし、迷宮では目的を達成できなかった。多少の苛つきぐらいはしょうがねえだろう?」
「そうですね。ナダさん、あなたの気持ちはよく分かります」
「分かる? あんたがか?」
「ええ」
「英雄と謳われ、国でもっとも力を持つ騎士であるあんたがか?」
「ええ」
ナダの言葉にマナは表情を変えずに頷いた。
「いいや、分かんねえよ。あんたの冒険は知っている。聞いたことがある」
「それはありがたいことです」
「常勝無敗。現代に存在するどんな冒険者よりも輝かしい功績。あんただけだろう? 本当の意味で迷宮を攻略したのは?」
西にあるフラカッソという町には、かつて『アマンテ』と呼ばれる迷宮があった。
鉱山と共に迷宮から算出されるカルヴァオンによって発達した街だった。
――マナが迷宮を攻略するまでは。マナはフラカッソで活躍する冒険者だった。その時から実力のある冒険者だったが、ある時迷宮の深部まで潜って強力なはぐれを倒して迷宮を攻略した。すると迷宮は崩れて、マナの姿は消えた。アマンテには二度と入れなくなったのだ。
だが、マナは数年後、人知れず王都に現れてまた冒険者として活動し始めた。どんな風に崩れたアマンテを脱出したのか、迷宮を攻略したとはどういう意味なのか、一切彼女は語らなかったが、誰からも彼女は糾弾されることはなかった。
その時の彼女は既に冒険者として他者を圧倒する実力を持ち、誰も手が出せなかったからだ。たとえ地上であっても。また国王も彼女を保護し、近衛騎士団騎士団長に抜擢されたという異例の立身出世と言われている。
だから彼女は優れた冒険者であるが、謎の多い冒険者だ。彼女の過去には不明な部分が多い。それでも彼女が冒険者として最強で、地上でも最強の戦士であることに変わりはないが。
「……そうですね。私の消しさりたい過去です」
忌々しそうに彼女は言った。
それがナダには奇妙に思えたが関係ないように単刀直入に聞いた。
「で、俺はどうして呼ばれたんだ? あんたに呼ばれる理由なんて、一つもない」
ナダは目の前にいるのが最上の実力を持つ冒険者で、自分が武器を持っていて彼女が持っていなかろうと関係がないように生意気な口で言った。
ナダは人類の中でも英雄とも呼ばれる彼女に対して、非常に反抗的だった。
まるで子供のように。
「いえ、あるのですよ――」
「宝玉祭の件か?」
ナダにとって近衛騎士に呼び出される理由としては、それぐらいしか思いつかなかった。
だが、マナは首をゆっくりと横に振る。
「それは関係がありません」
「じゃあ、何の用だよ?」
「今回のあなたの冒険です」
まるでナダに諭すようにゆっくりとマナは言葉を紡ぐ。
「それがどうかしたか?」
ナダには今回の冒険について、マナに呼び出される心当たりがなかった。
確かに今回の冒険は規格外だった。強力なはぐれの二体の討伐。迷宮の深奥にまで潜ったという経験。また特大のカルヴァオンとはぐれの王冠さえ手に入れた。こうして列挙してみれば、素晴らしい功績だと言えるが、表彰されるならまだしも近衛騎士にこのように呼び出される覚えはない。
「ナダさん、あなたは迷宮の奥に行ったと言いましたね? 受付嬢にそう言ったと。またその場にいる数多くの冒険者が、あなたの言葉をきっと興味深そうに聞いているでしょう――」
「それがどうかしたか?」
「分からないのですか? あなたが現代では誰も訪れることのできない“迷宮の奥”に辿り着いという。その事実が問題なのです――」
「それのどこが問題なんだよ?」
ナダは首を捻る。
マナが迷宮の奥を問題視していることが分からなかった。むしろ冒険者に広めて、どうやって攻略するかを議論するべきだ。ナダはあの世界でモンスターの一匹とて出くわしていないが、きっと強いモンスターばかりだろう、と思った。アレキと同じように。
「ナダさん、あなたはご存じないでしょうが、あの奥はまともな冒険者では攻略できません。出来るとすれば、神に選ばれたような冒険者だけです」
「何だよ、それ――」
マナのいう事は、ナダにとって受け入れがたいことだ。
「いいですか? あなたもあの奥に潜るには実力が足りません。あの場所の事は冒険者が知るべきではない。無駄な犠牲を払うだけです。だからあの場所の事を口外しない、それが私があなたに命じることです――」
マナはナダへと微笑んだ。
鋭く射貫くような殺気を感じた。
一般市民だったら気絶するかもしれないほどの。それはマナのような英雄のみが出せるものであり、ナダではまだ辿り着けないような境地。普通なら舌が痺れて一言も発することができず、恐怖から逃れる為に首を縦に振るのだろうが、ナダは“もっと恐ろしい存在”を知っている。
たとえ彼女に実力が及ばなくとも、ナダの機嫌は相変わらず悪い。心の中で中指を立てながら言った。
「嫌だ、と言ったら?」
「言ってもらえるまで説得するだけです――」
マナは目を伏せたまま表情が変わらない。
長いまつげが見える。彼女が冒険者として活動してからもう何十年も経つはずなのに、まだ二十代前半に思えるほど彼女は綺麗だった。
肌は透き通るように白く、シミ一つない。目はぱっちりとしており、町で見かければおそらくどんな男でも一目は振り返るだろう。
これまで戦い一筋で生きてきたとは思えないほど、彼女には女としての魅力がある。先ほど彼女に付き従っていた近衛騎士たちが憧れの目を向けていても、おかしいとは思わないほどに。
「ここから出さないつもりか?」
「ええ。痛めつける事も算段に入れています」
「……そうかよ」
「それとも口が聞けなくなるように舌を斬りましょうか? 人として最低限の知能さえ持たないほどに心を壊しましょうか? もしくは文字が書けないように腕を切り落としましょうか。 まあ、どれも無駄でしょうけど――」
マナの表情は変わらない。口調も変わらない。
感情の抑揚が感じられなかった。
どうやら本当にそれらをするつもりはないらしく、戯れのように言うだけだ。彼女は本当にナダを説得しているだけなのだ。
「……無駄とは、どういう意味だ?」
「知らないのなら構いません。ですが、もしあなたが迷宮の奥の事を隠してくれるなら、それなりの謝礼は払います。お金で足りないのなら武具でも渡します。“ここ”には国宝級の物が数多くありますから。それを幾つでもあげましょう――」
彼女が言う武具は、おそらく国庫にしまわれた武具だと思った。
かつての英雄が使った武具、迷宮から産出された不思議な道具、はたまた有名な鍛冶屋が作って、使う者が死んだために国庫にしまわれた武器さえあるという。どれも国宝級の物ばかりであり、業物ばかりだ。
冒険者ならどれも喉から手が出るほど欲しい一品だ。
本来なら優れた冒険を治めた者が国王から表彰されて、自分に合うものを一つだけ授けられるのだ。それが冒険者としての勲章であり、至上の栄光だ。確かイリスも持っていたとナダは記憶している。
「破格だな。たかだか冒険者一人に、迷宮の奥を隠すと、口約束するだけなのに、どうしてそんな条件をつける?」
だが、その優遇がナダには不気味だった。
ただの冒険者の口封じには不自然に思えた。
「どうしてもあなたに隠してほしいからです。ですが、あの場所に潜ったという事は、間違いなく冒険者の誉れ。それを隠すというのです。このぐらい当然の事です。ああ、もしも私が欲しいというのなら、それでもいいですよ。蕩けるような一夜をあなたにあげましょう」
マナは自分の胸に手を当てて言った。
「あんたのような婆はお断りだ――」
ナダは自分が生まれる前からマナが活躍しているのを知っている。
もしかしたら親が小さい時から彼女は冒険者として生きているのかも知れない。
そんな女性と一夜を共にするつもりなどなかった。例え彼女が同世代のように見えたとしても。
「そうですか。それは残念ですね」
「それに、俺一人の口を封じたところで無駄だぞ」
「……どうしてですか?」
マナは目を細めた。
ナダを睨んだ。
まるで強敵と対峙したかのような緊張にナダは襲われるが、関係なく彼女に疑問に答えた。
「あそこには俺以外にも冒険者がいた」
「名前を伺っても?」
「――アレキサンドライト。あいつの名前はアレキサンドライトだ。きっとあんたよりも優れた冒険者だ」
マナはその名前を聞いて、はっと驚いたように目を見開いた。その時にはもうナダに殺気を向けることはなく、落ち着いた雰囲気のまま膝の上で握った手をぎゅっと握りしめている。彼女は目を伏せたまま、何度もアレキサンドライトの名前をつぶやいていた。
マナの手の甲の上に、一つ涙が落ちたのはきっと間違いではないだろう。
だが、結局のところ、マナがナダに迷宮の奥底の事を黙秘するという条件を突き付けた事には変わりはなかった。その代わりに多大の報酬を、おそらく今回手に入れたカルヴァオンよりも多くの報酬を彼女は約束してくれたのでナダは快く彼女の案を受け入れた。
また迷宮の報告についても、マナがしてくれると言うのでナダは詳細を告げた。どうやら都合が悪いことは改竄するようだった。
ナダは今回のマナとの邂逅に疑問しか生まれなかったが、アレキサンドライトの名前を出してからの話し合いは非常に和やかな空気で行われた。
疑問は残る。
だが、何一つとしてマナは答えなかった。
それはナダが兵舎を出て、馬車を送る時も同じだった。
「さてと、ナダさん、今回はありがとうございました。約束の報酬は後日あなたに届けましょう」
馬車に乗ったナダに向かってマナは笑顔で言った。
「ありがとうよ」
「そしてもしも困ったことがあれば、私のような英雄に頼むといいでしょう。あなたが四つの迷宮に潜ることは聞きました。その時は彼らが助けてくれると思います」
「ああ、分かった。それは肝に銘じておく」
どうして英雄が助けてくれるのか、ナダは分からなかったがどうせ尋ねてもマナは答えてくれないと知っているので何も言わない。
「さて、それではまた会いましょう。“体が石になる病に負けず”に頑張ってください。あなたの冒険に幸多からん事を――」
「おい、どうしてあんたがその事を知っている?」
微笑みながら手を振るマナをナダは馬車の中から睨みつけるが、それから馬車が発車するまで彼女は何も言わなかった。




