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迷宮のナダ  作者: 乙黒
第三章 古石
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第二十四話 インペラドルⅧ

 ナダが知らない声。

 それは明らかに男性であり、穏やかで優しげでありながら厳しい声色をしていた。きっと幻聴なのだろうと思った。その通りだった。ナダが視線を落とした先にある小さな足跡。龍の足跡。それを地面に見つけたのだ。

 だから――声が聞こえたような気がした。

 自分と同じ病を持つとされ、かつてこの試練を乗り越えた過去の英雄の声が。

 比べる事すらおこがましい大英雄である冒険者の声が。

 それが聞こえたからと言って、力が入るわけでもない。

 死人の手が迫る。

 体は相変わらずうまく動く気がしない。

 ふいに、疲れのあまりナダの足がもつれてしまった。

 倒れたナダの上を勢いがよかった死者の手が通り過ぎる。

 ナダの顔のすぐそばに龍の紋章があった。

 アダマスの紋章が。

 ナダは遠目で死者を見る。

 剣を振り上げていた。

 ナダは体に力を入れようとする。

 まるで全身が鉛のように重い

 起き上がれない。

 だが、聞いたことも会ったこともないはずのアダマスの声が頭の中で反芻する。


 ――お前はここで死ぬのか。こんな場所で死ぬのか。ここが限界なのか?


 まるで見下すようなアダマスの声。きっとこれは幻聴だ。たかだか龍の足跡に過去の声を再生する力などない。だから聞こえている声はナダ自身が作ったもので、それはナダにも分かっている。

 ナダは過去のアダマスの記録を思い出す。

 大英雄と呼ばれたかつての冒険者の軌跡を。

 この迷宮の事も書かれていた気がするが、ナダは覚えていなかった。確かにいえることは一つだけであり、アダマスがこの試練も突破し、インペラドルという迷宮を踏破したことだった。

 現在の冒険者では成し遂げることが出来ないような深層まで。

自分と同じくアダマスはアビリティもギフトも使うことなど出来なかったから腕一本の実力であり、偶然ではあるが現在のナダと同じ大剣を持ってこの試練を乗り越えたのだ。

彼に仲間がいたかどうかは知らない。

 アダマスは決まったパーティーを持ってはいたが、彼の冒険者としての活動はそんな枠組みにはとらわれないほど広かったとされる。ソロでも数多く潜り、他のパーティーも無数に合流したと。


 ――俺は、死ぬのは絶対に嫌だ。


 ナダは紋章がそう言っている気がした。

 いや、これはきっと自分の声なのだ。

 まるで自分を鼓舞するように。

 きっとこれは幻聴だ。

 現実ではない。

 だが、だが、だが。

 まるで先に歩いた冒険者の先輩が、自分の背中を押しているような気がするのだ。

 体は確かに限界かも知れない。

 もう少しも動かないかも知れない。

だけどもナダはまだ腕もあり、足もあり、頭も動いている。呼吸もしている。消えそうな命の灯であっても、まだ消えてはいない。

剣だって折れてはいるが、まだ刃の部分は残っている。

ああ、そうだ。

ナダは迫りくる刃を見て思った。

ああ、そうだ!

あの刃を見てそれを単純に受けられるほど、自分は人間が出来ていない。

まだ死にたくない。

死ねない理由は数多くあるが、単純に死にたくないのがナダの本心だった。例えどんな形でも生きていたいと強く思った。

ナダは転がって、土埃にまみれた。

ああ、そうだ。死にたくないから自分はここにいるんだ。

他の何を犠牲にしてでも、生き残っていたい。

ナダは軽くなった剣を杖代わりに必死に立ち上がる。

ああ、死にたくない。

死ぬのが怖い。

前の夜に暗く闇の中で意識を失いそうになった時のように。

あの刃を受け入れるとまるで闇の底に落ちてしまいそうで、どこまでも深く一度堕ちたら二度と戻ることができない深淵に。

だから、ナダはどれだけ体が痛かろうと動かした。

心臓から出る熱はまだ消えてはいない。体は冷え切っているが、熱い奔流が無理やり体を動かす。体がドロドロになって溶けてしまいそうな痛みが、ナダの全身に奔る。

頭が朦朧として、神経が灼けきれそうだった。

後の事は考えていない。

ナダは吠えた。

生きる為に吠えた。

一秒でも長く生きていたいのだ。

それはまるで死ぬ前の最後の灯のように、吹けば一瞬で消えるように。

ナダはまた振り上げてくる大剣を最早見てすらいなかった。

目は既にぼやけている。死人と言うモンスターのシルエットしかナダの黒い双眸は映してくれない。それでもナダは大きな声をあげながら走った。あとどれぐらいこの灯が続くか分からない。

ナダは引きちぎれそうな足で、死人に突っ込んだ。

死人の剣はナダが通り過ぎたあとの地面を深く切る。ナダは軽くなった大剣で、死人の脳天へと振り下ろした。軽い。ダメージがない。額の骨によってナダの攻撃が受け止められる。死人はそのまま地面についた足と、腕を大きく躍動させて、ナダへとかみつこうとした。ナダは避けなかった。受け入れて、剣を持った右腕ごと死人の喉に突き入れた。死人の歯がナダの右腕に食い込み、ナダの大剣が死人の口内に突き刺さる。

ナダは吠えた。死人の歯が肉を貫通し、右腕を食らおうとしている。もはや剣を握っている感覚などなく、手放したかどうかも分からない。ナダは必死に左手と足を使って右腕を引き抜こうとするが、人の力ではどうにもならない。

一方の死人も暴れていた。口内に刺さった大剣の痛みによって、激しく全身をばたつかせていた。

ナダはその暴れに耐えることは出来ずに、遂に右腕が肘から引きちぎれて赤い鮮血と共に体ごと舞った。ナダは地面に落ちると、その衝撃によっては胃がつぶれて一気に空気が外に流れ、同時に血も吐くが、それでもすぐに立ち上がって近くに落ちている大剣の刃を掴んだ。それは既に刃との呼べないような破片となっており、瓶ほどの長さしかない。ナダはむき出しのそれを左手で強く握った。手の皮膚が裂けるのも気にせずに。

ナダはそれを強く握って、血を滴らせながら死者へと向かう。

暴れている死者に。

ナダは死者の攻撃を掻い潜ろうともせずに迫りくる足を腹に受けて、手を頭に受けて、顔ごと地面に突っ込ませても、すぐに起き上がって前にかけた。そして死者の首元の薄い皮膚に刃を突き刺した。暴れて振り落とそうとする死者。だが、ナダは決して刃を離さずに力強く握って突き刺そうとする。

死者の腕がナダを握った。ナダの足を握りつぶし、引き離そうとする。

 ナダは瞬時に刃を捻るように深く死者の首へ抉った。既に手にある肉は裂けて、骨によって必死に押し込もうとする。痛覚すらもはや機能していない。

 そんなナダへ、既に大剣を手放している死者のもう一方の手によって頭を殴られた。

 ついにナダは……刃を手放してしまった。

 それに満足した死人は握りつぶした足を持って、ナダを自分の頭上高くまで上げて、喜びの歓喜を上げた。死人はもはや自分の体の事すらまともに認識していなかった。

ナダはすでに血まみれで、もう少しでこと切れそうだった。死者に対して抵抗すらできなかった。

死者はナダを高く上げると、口を大きく広げて、足を手放した。

ナダが空中で自由になる。

頭から落ち、目に見えたのは深い闇。

白いぎざぎざの歯が出迎える地獄の門。

ナダはそこに吸い込まれようとしていた。

そして口の中に落ちたナダは、舌の付け根あたりに輝く大剣を見つけた。ナダが死者の口の中に突き刺した大剣は、確かに死者に刺さっていたのだ。

右腕は千切れてしまった。。

左足は潰された。

左腕はずたずたになってもう使い物にもならないだろう。

だが、体にはまだ最後の熱が残っている。

足を振り上げる力は残っている。

ナダは死者の舌の上へと落ちると、最後に残った足を振り上げて、刃の柄に向かってかかとを全力で振り下ろした。

 死者は頭を打ち付けるように暴れた。

 ナダはもはや抵抗をする力すらない。

 体から熱もあるかどうかは分からない。

 すぐに死者は暴れて、口の中からナダが吐き出された。

 ナダは力なく地面に横たわる。

 もう指一本動かす力も残っていなかった。

 すでに体はぼろぼろでいつ死ぬかも分からない状況なのに、ナダは先ほどまで戦っていたモンスターを朧げに見つめていた。

 死者は暴れている。

 頭を強く降り、両手両足を地面に打ち付けている。

 やがて死者は両手両足を地面についたまま顔を高く上げて、天井を見上げるようにして口をだらんと開けると、力を失ったように地面へとゆっくりと倒れた。

 その振動はいつまでも続いた。

 死者と言う巨体が倒れた揺れは、いつまでもナダの体を揺らす。

 揺れは――だんだんと強くなった。

 もはやナダの目は半分ほど閉じている。

 今の揺れの正体が何なのかも想像がついていない。

 それは、内部変動であった。

 ダンジョン内で起こる変化。今いるダンジョンが姿を一変することだ。

 ナダと、死者のいる部屋が崩れる。

 床から崩れて、だんだんと底抜けになっていく。

 ナダはもはやゆっくりと目を閉じた。

 最後に見たのは、深い闇の中へ落ちていくという光景だった。

 ナダは落ちていく。

 迷宮と共に。

 どこまでも。

どこまでも――。


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