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(やりました! これで茜ちゃんたちが間に合わなくても、この試合は勝ちですね! っと……)
そんな風に思ってガッツポーズをしていた由紀だったが、待機用のベンチの方にいる人たちの姿を見て、思わず小走りで駆け戻る。
「茜ちゃん、麻衣ちゃん! 来てたんですね!」
彼女の視線の先、待機場所のそばには、遅刻していた茜と麻衣の姿があったのだ。
由紀は走ってきた勢いのまま麻衣に抱きついて、周りの皆を驚かせる。
「ちょ、ちょっと、由紀?」
「遅かったじゃありませんか! せっかく私が大活躍してたというのに!」
勝利後のためか、かなりテンションが上がっている様子の由紀に、麻衣は微笑んで答える。
「ごめんごめん。でも最後だけは見てたよ、おめでと」
「由紀ちゃんすっごく強くなったね!」
「うふふ、ありがとうございます」
茜も横から由紀を褒め、褒められた本人は本当に嬉しそうに笑ったのだ。
「それじゃ、次は私だね」
喜びまくっている由紀の横で、ぽつりと言うのは天見千佳だった。
彼女は由紀の次にこの4番フィールドで試合を行なう選手として、すでにプロテクターなどの準備を済ませて座っていたのだった。
彼女は立ち上がり、グローブを軽く打ち合わせてから、フィールドの中央へと歩き出す。
もちろん、第七格闘部の三人は惜しみない声援で彼女を送り出した。
「千佳! ファイト!」
「頑張って!」
「もう時間稼ぎしなくて大丈夫ですから、ぱぱっとやっちゃってください!」
由紀が冗談めかして言った言葉も、あながち絵空事ではない。
天見千佳は、対戦相手が萎縮した素振りを見せる程度には、よく知られている選手だったからだ。
「ところで……、一騎お兄ちゃんは?」
天見がフィールド上へ向かった後、ふと気になって由紀は尋ねる。
「ん、向こうで榛原さんの試合見てるよ」
麻衣が指差す先。隣のフィールドの待機ベンチの様子が見える。
「あら、先生が見ていてくれたんですか」
2ラウンド終了後のインターバルに待機ベンチへ引き返して来た榛原が、そこで彼女を迎えた人物に向かって言った。
彼女の視線の先には腕を組んで座る早川の姿。さきほどまで林道がいたはずだが、今は姿が見えない。
「向こうで教え子の試合をやっていたのに、こっちを見ていてよかったんですか?」
榛原が皮肉っぽく言うのを聞いて、早川もわざと本意ではなさそうに答える。
「……お前にゃわざわざ来て貰ったからな。なんもしてやらんのは失礼ってもんだろ」
「へぇ、何か指導でもしてくれそうな口振りですね」
茶化す榛原に、しかし早川は大真面目な顔で告げた。
「そうだな……。いいミドルキックだが、重心が後ろに偏る癖がある。後ろに下がりながら蹴るからそうなるんだろうけど、そのせいで折角の脚の長さが生かせてないぞ」
「……え?」
目を丸くしてきょとんとする榛原。数秒の硬直の後、ようやく気を取り直して返事をする。
「そ、そう……。気をつけます、今後……」
普段の彼女からは想像できないほど弱弱しい返事だったが、早川は特に気にせず続けた。
「第六格闘部だとなかなか人から指導なんてしてもらえないだろ。たまにうちの練習に遊びにこいよ。俺でよければ多少指導してやれるし、こっちとしてもお前のフットワークとか、色々学ばせてもらいたい部分はあるしな」
そんな風に語る早川の顔を、榛原は不思議な気分で見つめていた。
自分はかつてあれほど陰湿な仕打ちを彼らにしたというのに、彼はそれを咎めるどころかむしろ自分達の仲間として積極的に彼女を迎え入れてくれる。
理解はし難い。でも、嫌な感じではない。
「……私は部活以外に外部で指導を受けてます。だから別に、あなたに心配される必要も謂れもありません」
少し頬を赤くしながら、出来る限り冷たい口調で伝える。
「そっか。いらん世話だったな」
「で、でも……」
残念そうに返す早川に対し、榛原は口ごもる。ここから先は、普段の自分のままでは口にできそうにない。
「私の、助けが必要だと言うのなら、むげに断ったりはしません」
そう言って顔を背ける榛原。早川は不思議そうに
「それって、練習に来てくれるってことか?」
と尋ねるも、返ってくるのはぴしゃりとはねつけるような言葉。
「もうインターバルは終わりです。まったく、無駄話が過ぎました」
榛原はどこか浮き足立った様子で、試合が再開されるフィールドへと戻ろうとする。
「もう時間稼ぐ必要はないぞ」
「……」
榛原は何も答えずに小走りでフィールド上へ向かう。
時間を稼がなくていい。それは今すごく好都合だ。なぜなら今、彼女は気持ちが落ち着いていない。
(さっさと終わらせて休みましょう……。今日は私、どこか変みたいだから)
床を踏みしめるのは、早川から褒められた両脚。なぜか耳が熱くなる。やっぱり変だ。とにかく浮ついている。理由はわからないけれど。
このまま試合を始めてしまったら、上手く手を抜ける自信がなかった。
「ところで、私のことは完全に無視でございますか」
いつの間にか待機ベンチの横に立ち、早川の隣で恨みがましい声をあげるのは林道だった。
「……ああ、その、なんだ。お疲れさん」
「なんですかその言わされたみたいな返事はっ!」
怒りすぎて血相を変えている林道だったが、早川はまるで由紀に対するように適当に受け流す。
「まあまた機会があれば協力してくれよ。今度はちゃんと時間稼いでくれな」
「うう、二度とごめんです。ベルヒットは野蛮なスポーツなのでございます……」
すっかり機嫌を悪くした様子で口を尖らせる林道だった。
区民体育館の一角で、試合を観戦している二人の学生が議論に花を咲かせていた。
「チーム数が10だから……、もう今やってるのが準決勝か」
「そ。これで勝った方が決勝進出だね」
「ねえ、どこが優勝すると思う?」
短髪の女子が質問する。尋ねられたナチュラルパーマの少女は、ある方向を指差して答える。
「あいつらじゃないの」
「あー、やっぱり?」
短髪が苦笑して同意する。パーマの少女は大げさに頷きながら言った。
「朝日野チーム。さすが道内最強の高校だけあるわ」
「だね。一番手二番手は知らない選手みたいだけど……」
そう言って眺める試合の様子。第一、第二フィールドで、今まさに朝日野女子高校チームの試合が行なわれていた。
「左側が樋口麻衣、回避型の選手か。フットワークがすごいな。クイックも速いし、おまけに美人じゃない!」
「右のポニーテールの子も結構強そうだよ? やっぱり朝日野入るような子はああいう経験者ばっかりなのかな?」
話し合っている彼女達は、今しがた評価した麻衣と由紀が高校からベルヒットを始めた初心者であるとは露ほども思わなかった。
「おっと、ほぼ同時ぐらいに試合が終わったね。すると次は……」
話し合っている最中に麻衣と由紀の試合が終わり、選手が入れ替わる。
そうして出てきた選手たちを見て、ギャラリーの二人は唾を飲み込んだ。
「う、榛原未来と天見千佳だ……」
道内では有名なベルヒット選手である天見と榛原が出てくるなり、心なしか会場のざわめきも大きくなっていく。
「大体、三番手四番手で出てくるような選手じゃないだろ! あいつら!」
ベルヒットの団体戦ではより強い選手を後に出す決まりがある。よって一番手の選手がチーム内で最も弱く、逆に五番手の選手が最も強いということになる。
言い換えれば、三番手四番手の選手とは、チーム内で一番強い選手ではないのだ。
「天見と榛原ですら大将になれないなんて、どんだけ強い選手が後に控えてるのよ!」
短髪の女子も信じられない様子で声をあげる。
試合は一方的、榛原も天見も余裕の表情で、作業をこなすように試合を進めていく。
「つ、強すぎる……。こりゃ朝日野が優勝で決まりか……?」
「うん……。でも、まだわからないよ、ほら」
短髪が指差すのは、朝日野チームの試合と平行して行なわれているもう一つの二回戦。
「試合終わったみたい。十分もかかってないよ」
パーマの少女は驚きに目を丸くする。
「速いな。ああ、あいつらなら確かに……、朝日野に勝つかもしれない」
二人は顔を見合わせて、今大会もう一つの優勝候補チームの名を口にする。
「五礼館女子、実力は確かみたいだけど……」
「……なんか見るからに独特な集団だよな……」




