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「ひ、必殺技……?」


 聞き返す麻衣。すると由紀は憤慨した様子で続ける。


「そうです! 麻衣ちゃんの『ラビットターン』も然り、茜ちゃんなんて『ウィービング』と『ブレイク』なんて二つも持ってるのに! 私はそういうカッコいい技が一つもありません! これは本当に、本当に由々しき事態です!」


 大真面目で語る由紀だったが、麻衣はどう返事をしていいか困ってしまう。


「いや、でも……由紀は反射神経いいし、動体視力もあるし……」

「なぜ私ばっかりそんな地味な特技を……、私はこんなに一生懸命練習しているというのに……!」


 由紀はおよよ、と今にも泣きそうな顔をする。それが本当なのか、演技なのかは麻衣にはわからなかったが、とりあえず本人にとってはすごく重要な話であるらしい。


「これはきっと差別です……! 一騎お兄ちゃんは私が嫌いだから意地悪しているに違いありません……! 絶対そうです……!」


 爆発したと思ったら小さくうずくまっていじけてしまった由紀に、どうしたものかと戸惑う麻衣。そんな最中、気付けばスパーリングを終えた茜と早川が由紀たちの近くへ戻ってきていた。


「何してんだお前ら?」

「なんか、由紀が文句あるって」

「文句?」


 当然のように不思議がる早川。麻衣が答えに窮していると、由紀は再度爆発モードに突入する。語った内容は先ほどと同じなので省略する。


 早川は難儀そうに顎を触る。


「そう言ってもなぁ。『ウィービング』も『ラビットターン』も別に必殺技とか考えて練習させたわけじゃないし、ただ単に試合で使える技術だっただけで」

「じゃあどうして私にはないんですっ?」

「偶然としか言えんな」

「うううううぅぅっ!」


 由紀がいよいよ真っ赤になってじたばたしているので、茜も麻衣も驚いてしまう。が、早川は平気そうな顔で、慣れた身振りで由紀の頭をぽんぽんと叩いた。


「落ち着け。ちょうどお前にも使えそうな技が見つかったんだ。まだ早いかと思っていたが、お前がそこまで言うなら今日から練習していこう。お前の頑張り次第では、大会までに仕上がるかもしれないぞ」


 救急車のサイレンよろしくうーうー唸っていた由紀が、それを聞いてピタリと動きを止める。

 そして、ちらりと早川の顔を覗き見た。


「……本当ですか?」


 問いかけに、早川は大きく頷いて肯定する。途端に、由紀の表情が明るくなる。かと思いきや


「ぅっ、ひっく……」


 茜、麻衣、早川の予想を裏切り、あろうことか由紀はその場で泣き始めたのだ。


「でぇっ!? な、なぜ泣くんだ! 俺、何か間違ったことしたか!?」


 由紀が泣くという非常事態に、早川はすっかり動転してしまった。


「うわーん!」


 泣きながら早川の腰に抱きついた由紀。他の三人は唖然として、その光景を眺めていた。


「一騎お兄ちゃん、私は嬉しいです……! 本当に……!」


 由紀が涙ながらに心境を打ち明けるのを聞いて、早川は優しく語り掛ける。


「……悪かったよ。今まで練習じゃあんまりお前に構ってやれなかったな」

「いいんです……。私もう気にしてませんから……」


 由紀は柄にもなく殊勝なことを言った。早川が笑みを浮かべると、直後普段の由紀に戻る。


「そのかわり、今日から一騎お兄ちゃんは必殺技の練習台です! ボコボコです!」

「てめっ、ベルヒットはそういう競技じゃねえと何度言ったらわかる!」


 気付いたらいつも通りぎゃあぎゃあと罵り合っている二人だった。

 茜と麻衣は、そんな二人を眺めてぽつり。


「ほんと、仲いいなあ……」


 かようにして一年生大会に向けた二週目の練習は消化されていった。


 日々繰り返される変わり映えの無い練習に、部員たちは少々退屈を感じることもあった。自分の上達をはっきりとは感じられないことも、少なからずモチベーションに影響を与えていた。が、かといって誰一人として練習をサボることはなかった。それがとても大切なことだと皆知っていたからだった。


 彼女らの地道な努力がどんな実を結んだのか、その答えは1週間後明らかとなる。





 ある日、第三格闘部の練習場所ではこんなやり取りが行なわれた。


「黒木先生、来週のことですが……」


 天見千佳が、麻衣に見せるのとは違う、険しい顔つきでそう尋ねる。

 対する黒木はすでに何の話か理解している様子で答えたのだ。


「ああ、あれね。早川先生にお任せしたわ。怪我しない程度に、頑張ってきなさい」


 そう言って微笑む。付け加えるように、一言。


「それから、近くであの子の試合を見て、何か学んでくること。うちの練習を休んで行くんだから、成果ナシは許さないわよ?」


 千佳にとって、貴重な経験になると思っての判断。黒木の思惑を感じ取って、千佳は力強く返事をする。


「はい!」





 第六格闘部での出来事。


「ハッ!」


 鋭い発声。同様に鋭いブロー。素早く繊細に、相手選手の顔を目掛けて進む拳が、急激に角度を変え、相手の体幹を掠め打つ。


 軽い打撃音の後、既にステップで距離を離し、反撃を一切許さない。

 これが彼女の闘い方。その強さは、見慣れた仲間達ですらやはり舌を巻く。


「榛原、最近前より熱心になったよね……」

「なんでも、今度団体戦の大会に出るらしい。あの第七格闘部と組むんだとか」

「うっそ……! なんでまた……」


 傍で見ている部員たちは思い思いのことを口にする。

 榛原はそんな周囲の言葉には耳も傾けない。


(私は、もっともっと強くなる……)


 長い髪を後ろで縛る彼女は、妖しく怖ろしい笑みを顔に浮かべていた。


(見せてあげますよ……前の試合の時とは、もう違うんだってことを……)




 天見、榛原、そして第七格闘部。偶然にも成立した共闘関係。

 三者三様の思いを抱きながら、大会直前の練習期間は過ぎてゆき

 あっという間にその日はやってきた。







 土曜日の朝。電車に乗る人の姿は平日ほど多くない。まばらに空いた座席をあちらこちら眺めながら、樋口麻衣は朝の居場所として扉に近い空席を選び腰かけたのだ。


 深緑色のシートが柔らかく身体を迎える。普段あまり電車には乗らないから、こういう感覚は珍しい。窓から差し込む日差しも暑くない程度で、なかなか悪くないな、と彼女は思った。


 快適なのは、周囲に人があまりいないから、という理由もある。これが満員なら朝の日差しなど拝むべくもないだろう。それを考えるとやはり交通機関は嫌いだ。雪が降るギリギリまでは自転車で乗り越えたい。たとえ雨が降っても、雨合羽で武装してチャリ通を強行するぐらいには、人混みが苦手だった。


 そんな考えをとりとめもなく浮かべていると、ふと何番目かの駅に電車が到達する。目的地はまだ先だ。が、彼女の視界の端に、見慣れた人物の姿が映る。その人は、麻衣を見つけるなり嬉しそうに手を振って、急いで彼女の方へ近づいてくる。


「麻衣ちゃん、おはよー」


 周りに迷惑にならないぐらいの音量で、元気に挨拶するのはつやつやショートカットの少女。やや丸めの顔つきは骨格的な問題で、身体はむしろ痩せている部類に入る。黒いウィンドブレーカーに身を包んだ彼女の肉体は、服の上からでも引き締まった健康的な印象を与える。


「おはよ、茜」


 麻衣は微笑み返す。二人は共に同じ目的地を目指していた。一緒に行く予定ではなかったけれど、偶然にもこうして合流できたのは運がいい。これから目指す場所は初めて行くところなので、麻衣は少し心細さを感じていたからだった。


 彼女達が目指す先は、とある区民体育館。

 今日そこで、あまり規模は大きくないがベルヒットの大会が開かれるのである。


 5対5の団体戦という変わったルールで行われるその大会は、麻衣たちにとって日頃の練習の成果を発揮する数少ない機会でもある。少し早めに家を出たから、このまま行けば時間までには十分間にあうはず。そう考えた麻衣は、ふと茜に尋ねる。


「あれ、今日は随分早いね? てっきりギリギリに来るもんかと思ってたけど」


 遅刻魔の茜が時間に余裕を持って行動しているのが不思議に思えたのだ。


「ふふん、大事な大会に遅れたりしないよー」


 茜は得意げに胸を張る。その仕草に麻衣はクスリ、と笑った。


 そんなこんなで二人はとりとめもない話をしながら、電車に揺られるまま目的地最寄の駅を目指す。途中由紀の話題も出たが、彼女の家は電車の駅に近くないため恐らく別の方法で会場に向かっているだろう、というのが二人の見解だった。


 程なく目的の駅に着く。茜と麻衣は電車を降りてホームをきょろきょろと見回しながら言葉を交わす。会場はあっち側だとか、いやこっちだとか、二三意見を出し合って、結局ホームの柱に貼られた案内図で方角を確認し、進むべき道を決定した。


 そして電車の改札を潜り抜け、会場へ目掛けて揚々と、見知らぬ町を歩き始めた。


 そんな時だった。

 歩き始めた彼女達の視界に、何やら不思議なものが映った。


「う、うぅ……、助けてくれ……」


 女性だ。年齢は二十代半ば頃に見える。倒れている。苦しそうな声を出している。うつ伏せで倒れ込み、行き倒れのように手を伸ばして周囲に助けを求めている。


「……」


 茜と麻衣は、その人物を思わず二度見してから、お互いに顔を見合わせた。


「ど、どうしたのかな?」

「……わかんない。とりあえず行ってみよう」


 それから彼女達は急いで倒れている女性のもとに向かう。何か急病かもしれない。それとも事故? なんにせよ、放っておくわけにはいかない。


 この時彼女らは、まさかあんな目に遭うとは夢にも思わなかったのだ。

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