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「は?」


 榛原未来が聞き返す。似つかわしくないほど驚いた表情を浮かべて。


「都合が悪かったら別にいいんだけど、もしよかったらどうかな?」


 茜がもう一度聞く。榛原への質問の内容は、先日第七格闘部のミーティングで出た話題だ。つまり、今年新しく開かれるベルヒットの大会に、チームを組んで出ないかという誘い。


 早川も麻衣も由紀も積極的に肯定はしなかったこの勧誘を、茜は全く何の気なしにしてしまったのだった。


 そこは朝日野高校の一階、東側のとある一室。壁にいろいろな絵や何やらの習作らしき物が多く並ぶ、その名もずばり美術室。一年次の芸術科目は選択必修であり、音楽、美術などの中から好きな一つを選んで習う、という仕組みになっている。


 つまり、人によって何の科目を取るかが違うため、この授業の時ばかりは異なるクラスの生徒と同じ教室で授業を受ける場合があるのだ。


 実際、茜と榛原は同じクラスではないが、今日こうして同じ教室で遭遇している。授業前の休み時間。まだ授業が始まるまでには時間があった。


 だから茜はちょうどいい機会だと思い、榛原を月末の大会に誘ってみたのだが


「どうかな? じゃないでしょう。なぜよりによって私なんです」


 茜の真意が掴みかねて榛原は繭を寄せる。当然の疑問ではあった。一応和解したとはいえ、かつては第七格闘部を貶めようとした自分に、なぜチーム戦のオファーなどするのか。逆に何か裏を疑ってしまう。


「なぜって言われても……私はただ未来ちゃんとチーム組めたら面白そうだなって思って」

「はぁ」


 呆れたように息を漏らす榛原。だいたい彼女のことを『未来ちゃん』などと呼ぶのは学校中探してもこの広橋茜だけだろう。


 その馴れ馴れしさは、ある意味では人の良さだと榛原は思う。広橋茜にしてみれば、どんな人間だろうと全力で闘った相手ならば友人なのだ。榛原にとっては対処に困る人種だったが、不思議と不快な相手ではなかった。


「……日程は月末でしたか。それだと校内選考会のおよそ二週間前ですから、一日程度であれば別に問題はありませんが……」


 二週間前? と茜は聞き返す。早川は校内選考会の前の週と言っていた気がする。その旨を茜が告げると榛原は眉を寄せた。


「それは一年生大会の選考会でしょう? 私が言っているのはインターハイ予選の選考会です。あなただって……」

「未来ちゃん。インハイ予選の方の選考会に出るの?」


 茜が目を丸くして聞き返す。インターハイ予選の校内選考会は、全校中の強い生徒が集まって代表を決める大会だ。当然第一格闘部も、第三格闘部も、エース格の生徒ばかりを出場させてくる。学年も関係ない。つまり、よっぽど実力に自信がなければ勝てる見込みは薄いということだ。


「これでも、本来は第三格闘部の特待生徒ですから。校内の強い選手と闘えるいい機会ですし、これを避ける選択肢はありません」


 当然のごとくぴしゃりと言い切る榛原。


「そっか、やっぱり未来ちゃんってすごいな」

「その私につい先日黒星をつけたのは誰でしたか……。というか、まさかあなた」


 純粋に感心した素振りの茜に、榛原はいよいよ怪訝そうな顔つきで尋ねる。


「一年生大会の方の選考会に出るつもりですか? それだけの実力があるのに?」


 本気で信じられないといった様子の榛原だった。茜は言葉を選んでゆっくり答える。


「……今回はまだ、インハイの予選は早いかな、と思って。それに部活の皆もそっちの選考会に出るんだ。目標は皆で共有した方が、モチベーションも上がるから」

「……あなたがそれで構わないのなら、別に私からとやかく言うこともありませんけれど……」


 そう言って榛原は一旦黙り込む。お互いに何を話すか決まらない妙な沈黙の後、榛原が再び口を開いた。


「とにかく、私の方は選考会に影響が出ないのであれば構いません。むしろあなた方の心配をしてあげたいぐらいです」


 大事な大会の前週に大会とはなかなか忙しいスケジュールかもしれない。が、早川が大丈夫だと言っていたのだから大丈夫なのだろう、と茜は特に心配もしていなかった。


 それよりも今、榛原が語った言葉がすごく重要なのだ。茜は思わず聞き返していた。


「つまり……、一緒に大会出てくれるってこと?」

「それ以外の意味に聞こえますか」


 若干ながら照れているようにも聞こえる榛原の返答だった。ツンとすました声の内にいくらかの好意を感じ、茜は頬を弛めた。


「じゃあ決まりだね! 未来ちゃんがいたらとっても心強いんだよー!」


 茜が明るく告げる。ついぞ笑うことのなかった榛原がそこでようやく表情を崩して


「当たり前です。私とあなたが組む以上、優勝以外は狙いません」


 彼女らしい不敵な笑みで、そう宣言したのだった。








「麻衣、ちゃんっ」


 廊下を歩いていた樋口麻衣の両目が急に見えなくなった。誰かに後ろから手で目隠しをされているのだ。由紀? と一瞬麻衣は思ったが、声の感じから考え直す。


「千佳だな!」


 目隠しを払いのけて振り返る。そこにいたのは黒髪ショートの少女。普段、部活の仲間に見せているような凛々しい姿ではなく、どちらかといえば可愛らしい、甘えん坊の妹みたいな柔和な笑顔が目の前にあった。


「当たり! ふふ、麻衣ちゃん元気?」


 天見千佳。とてもとても可愛くて優しい麻衣の自慢の友達だった。今の姿からは想像し辛いが、道内ではかなり有名なベルヒットプレイヤーなのだ。その実力は、強豪たる第三格闘部でいずれエースの座を任されると断言されるほど。


「もち。千佳こそどう? 部活は大変?」

「うーん、実は昨日も黒木先生に叱られちゃった」


 廊下の壁に背中を預けながら軽い調子で答える千佳。千佳ですら顧問に叱られることがあるのだ、という事実に麻衣は少なからず驚いていたが、言葉そのものよりも千佳の仕草が可愛く思えて仕方なかった。


「そっか、黒木先生厳しそうだもんね」

「うん。でも生徒の事よく考えてくれてるし、指導もわかりやすいし、いい先生だよ」


 ニコ、と再び千佳は笑う。


 話しながら、麻衣はあることを思い出していた。そういえば千佳に対して聞きたいことがあったのだ。以前のミーティングで出てきた話題。今月末に開かれる団体戦の大会に、一緒に出ないかという誘いだった。


「ねえ、都合がついたらの話なんだけど、今月末一緒にベルヒットの大会に出ない?」


 まず単刀直入に、麻衣は尋ねた。

 当然状況が読めない様子で千佳が首を傾げるので、麻衣は追って説明を付け足していく。


「今年から新しく開かれる大会があってさ、5人チームの団体戦なんだけど、今メンバーが足りなくて困ってるんだよね。……千佳がいれば百人力だし、もし優勝したら商品が温泉旅行チケットなんだ。そ、それで、優勝したら一緒に温泉行けちゃうかもしれないし……」


 最後は少し恥ずかしそうに声を小さくした麻衣。この時なぜか好きな人をデートに誘う時のような緊張感を感じていたのは彼女だけの秘密である。


「……今月の末?」


 千佳は考え込むように軽く俯きながら聞き返す。

 麻衣が不安げな表情で2回ほど頷くと、今度は千佳がそのままの表情で続けた。


「校内選考会は来月の2週目だから……、日程的には問題ないと思う。ただ先生の許可がないと決められないかな……」

「そ、そうだよね。無理だったら構わないんだけど、もし一緒に出られたら嬉しいな、って思ってさ」


 取り繕うような麻衣の言葉に、しかし千佳は真剣に頷いて答えたのだ。


「うん! 私も麻衣ちゃんと一緒に闘ってみたい! 黒木先生に認めて貰えるよう、説得してみるね!」


 純粋な善意から来る笑顔。彼女の得意技だ。

 麻衣は思い出す。ああ、小さい頃はずっとこの笑顔が大好きだったのだ。


 色々な事があって、長い時間が経って、お互いに変わってしまったように思っていたけれど


 やっぱり麻衣は今でも、この純粋な笑顔が大好きで

 こんな笑顔が自然にできてしまう、千佳の事が大好きだった。


(でも、私がやってしまったことは消えないんだ……。千佳が許してくれたとしても。ずっと、それは胸に抱いて生きなきゃいけない)


 麻衣の心にちらりと影が差す。


 たとえ千佳が全て水に流してくれたとしても、麻衣が彼女を裏切った事実は変わらない。


 だから、この好意に甘えてはいけない。全てを水に流してはいけない。

 かといって彼女と距離を置くのはもっと違う。それは弱い自分を守るための逃げ道だ。


 本当に彼女のことを思うなら、


(私は絶対にあの時のことを忘れない……。どんなに胸が痛んでも、その記憶を抱えたまま笑うんだ。この子のそばで……)


 麻衣が人知れず抱いた決意。それは誰にも見えないもの。誰にも、打ち明けられないもの。孤独な闘いだったとしても、そこから逃げることは許されない。麻衣はそう考えていた。


「麻衣ちゃん? もう授業始まっちゃうね」


 麻衣の顔を覗き込むように、そう語りかける千佳。


「そだね。じゃあ、また」

「うん! またね!」


 手を振って別れる。嬉しいばかりの笑顔。今はまだ、眩しい。

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