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第七格闘部の勉強会は初めから壁にぶち当たっていた。
「茜ちゃん国語は得意みたいですし、数学は一騎お兄ちゃんにお願いできるからまだいいとして……」
「英社理は早めに手を打たないとまずいかもしれないね」
由紀の言葉を麻衣が続ける。二人の認識は大体同じだった。何事もそうだが、苦手分野は早いうちに克服してしまわないと、後々どうしようもなくなってしまうのだ。
特に高校入りたての今習っているのは、今後の学習の基礎になる範囲といえる。つまりここで躓くと、これから先にも悪影響が出続けるということ。それは非常にまずい。
「ところで授業はちゃんと聞いてます?」
由紀は少し趣旨を変えて普段の授業について聞いてみた。
「え、う、う、う、う、う、う、うん」
「嘘だ!」
目を泳がせ盛大にどもりまくっている茜の様子に思わず麻衣は突っ込んだ。
「だって……、聞いてもよくわからないから……」
若干涙目になる茜。由紀は罪悪感を覚えながら、心を鬼にして叱咤する。
「だからって理解しようとしなくちゃずっとわからないままですよ! 大体、話聞かないで授業中は何やってるんですか? 寝る以外で!」
厳しい物言いに茜はびくっと肩を震わせ、それからおずおずと答え始めた。
「授業中は、練習のこと考えて、ノート書いたり……」
ノート? と由紀たちの頭の上にハテナマークが浮かぶ。授業を聞いていないのだから、授業のノートというわけではなさそうだ。
「うん、えっとね。こんな感じなんだけど……」
茜は机の引き出しに仕舞っている厚めのノートを取り出して二人の前で広げて見せた。
「毎日の練習でやった内容とか、先生に注意されたこととかを書いてるんだ。文章にして書いてみると、自分の中で曖昧にしてたことに気付けていいんだよー」
紹介しながら、段々テンションが上がって饒舌になっていく茜。
「後で見返すと忘れちゃってたことを思い出せるし、自分がちゃんと上達していってることもわかってモチベーションも上がるんだよね。そうそう、その日の練習で楽しかったことも端の方に書いてあって、ほら、この時は由紀ちゃんが早川先生と……麻衣ちゃんの国語の先生のモノマネがすっごく面白くて……」
由紀と麻衣が引くくらいベラベラと喋りまくって、茜は最後の最後に幸せな笑顔でこう締めくくった。
「やっぱり部活って楽しいなぁ。早く次の練習したいなぁ」
麻衣と由紀は半ば固まりながら言葉を交わす。
「このこみ上げる罪悪感は何?」
「わかりません……。とにかく、現実逃避はここで終わりです!」
由紀が手を叩いて茜を現実に引き戻す。いつまでも甘やかしてはいられない。
「まず、今日一日で簡単なところを出来る限り勉強しましょう! それから今後の計画を決めて、何を勉強すればいいかはっきりさせていきます! そしたら後は部活と同じです! 何事も毎日続けることが大事ですからね!」
「おお、さすが由紀!」
まるで先生のような由紀の振る舞いに、声援を送る麻衣。茜も意を決して小さく頷く。
「初めは主要三教科の一つ、英語からです!」
由紀の宣言と共に、彼女達の闘いが始まる。
まずは英語から
「It is difficult for me to answer the question.(私にはその質問に答えることが難しい) この英文の意味を答えなさい!」
由紀が出した問題に、茜は高らかに答える。
「私にはその英文を訳すことはできません!」
「惜しい! 0点!」
続いて理科(化学)
「海水は混合物です! 海水から水を除くと、後にはどんなものが残るでしょう!」
眉間に皺を寄せて答える茜。
「……海?」
「!?」
エクストリームな解答に唖然とする麻衣と由紀だった。
最後は社会
「大人と子供の境界線上にある『青年』のことをレヴィンはなんと呼びましたか!」
これはもらった、と言わんばかりに嬉しそうに答える茜。
「早川先生!」
「さっきから茜ちゃんふざけてません!?」
由紀は目を丸くして叫ぶ。
そんなこんなで数時間に及ぶ激闘の末、
「ぜぇ、ぜぇ……なんとか最低限の知識は詰め込めたでしょうか……?」
「多分ね……」
なぜか息を切らしながら本日の到達度を評価しあう由紀と麻衣。
「二人ともありがとう! 私、今日一日ですっごく賢くなった気がするんだよー!」
茜は屈託の無い笑顔でお礼を述べる。その表情がとても可愛らしかったため、由紀も麻衣も思わず表情をほころばせた。
「それは良かったです。ただ、明日からは少しずつでも自分の力で勉強していかないとダメですよー」
「そうそう、一日三十分でも毎日続けたら全然違うからね」
「う、頑張ります……」
渋々、といった様子で了解する茜だったが、ともあれ壊滅的な状況は脱出することができた。
「前も言ったけど、ベルヒットにかける情熱の1パーセントでいいから勉強に注げって話よ」
麻衣はいつしか茜のベッドに背中をもたれながら、茜の練習ノートにパラパラと目を通していた。
「早川先生の指導とかこんな詳しく覚えてるのに……」
その練習ノートには、幾分細かい内容まで詳細に書き残してある。練習の直後に茜がこれを書いている姿は麻衣も由紀も見た事がないため、後でノートに書き込むまで茜は指導内容を覚えていたことになる。
「ベルヒットのことは記憶力抜群ですよねー。興味があるかないかの差なんでしょうか」
由紀もそれを覗き込みながらしみじみと呟いた。
と、そんな中麻衣が不意に何かを思いついた様子で口を開く。
「あ、ってことはさ。普段の勉強も無理やりベルヒットに結び付けてやればいいんじゃない?」
「と、いうと?」
由紀が聞き返し、茜が不思議そうな顔をする。麻衣は意地悪い笑みを浮かべて一言
「ちゃんと勉強してなかったら、部活参加しちゃダメってのはどう?」
「そ、そんなっ!」
茜が素っ頓狂な声をあげて縮こまる。麻衣も由紀もそれを見て大笑いしていたが、本人にとっては決して笑い話ではないのだった。




