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 東京都にある私立高校。光円寺高校は多くのスポーツ競技において名門と呼ばれている。

 ことベルヒットにおいても、それは例外ではなかった。


 普通の学校と比べ二倍以上もの大きさを誇る巨大な体育館。その全体を埋め尽くすほどの大量の人間が、燃えるような熱気と共に各々の声を空間に迸らせていく。


 声援、歓声、そのどちらでもない。ただ火傷せんばかりの闘志。その集合体。

 フィールドの外側で声を上げる大多数の生徒達に囲まれながら、中心で闘うことを許された数人の選手達がいる。


 選ばれなかった者たちの数だけ、選ばれた者の耀きは増す。

 そんな非凡な者たちの中で、さらにもう一つ飛びぬけた存在。


 神に祝福を受けた人間、そんな風にしか思えないほど、驚異的で、圧倒的な才能が衆目を釘付けにする。


 誰かがこう呟いた。


「嘘だろ……。入部したての一年生が、あの守屋さんに勝っちゃうなんて」


 その集団の中心にいたのは二人。


 一人はフィールドの中央で、額から汗を流しながら呆然と立ち尽くす。

 一人は対戦相手に背を向け、あくまでも余裕のある足取りで、ゆっくりとフィールドの脇へと歩みを進める。


日笠ひがさ……、お前は一体……」


 立ち尽くすばかりの生徒が、そう呟いた。

 周囲を取り囲む生徒達が口々に騒ぎ出す。


 割れんばかりのざわめきの中、今しがたその頂点に立った少女は、静かに笑みを浮かべるだけだった。後ろで結んだ長い長い黒髪を大儀そうにかき上げる彼女の姿は、名家の姫君を髣髴とさせる優雅さと、何か底知れぬ妖しさを感じさせる。


「日笠、なかなかいい試合だった」


 そんな彼女に声をかける男性が一人。多数の女子生徒達の中に、ぽつりと異質な存在感を放つ男だった。


「……まだまだ課題もありますけれど」

「なんだ、勝ったそばから。あまり嬉しそうじゃないな」


 男は、日笠と呼んだ彼女の返答に頬を弛めた。


「お前が今倒した相手が、誰だか分かっているのかい」


 男は日笠から視線を外す。彼の見つめる先には、大勢の生徒達に囲まれながら今なお失意の表情に沈む選手の姿があった。


 彼女の名は守屋美月もりや みつき。高円寺高校女子ベルヒット部のエースにして、昨年度のインターハイ個人戦覇者。

 つまり、高校女子ベルヒット界最強の選手だったのだ。


 そして今日、その事実がすでに過去の物になったということ。この体育館にいるほとんどの者が、それを理解していた。それに納得せざるを得なかった。


「もちろんですよ。この日のために、私はこの学校を選んだんですから……」


 そんな風に嘯く日笠の顔を、男はまじまじと見る。


「今日でお前の目標は達成されたということか……?」


 それは、許されない。あってはならないことだ。なぜなら目の前のこの少女は、高校に入学して間もない一年生なのだから。まだ、満足してもらうわけにはいかない。


「そうなのかもしれません。ねえ、先生。一つ私のお願いを聞いてくださいませんか」


 日笠はどこか冷めた目つきで、己が目の前に立つ男性の目を見据えた。深い黒色の瞳の奥に、少しだけ人間らしい、機微のようなものが映る。そんな風に男は感じた。


「密かに楽しみにしてた子が、遠くに行ってしまったんです。その子の代わりが欲しい。私が退屈しなくて済むような面白い子、先生なら連れて来られるでしょう?」


 男は表情を変えないまでも、彼女の物言いに驚きを禁じえなかった。


「くくく……。日本最強とも呼ばれる光円寺のレギュラー陣を前にして、『お前らでは退屈しのぎにもならない』と来たか」


「ええ、このままでは私、一月もしないうちに退部を決めてしまいそう」


 冗談めかした口振りで答える日笠だったが、男にはあながち嘘とも思えなかった。それぐらい異質な選手なのだ。だからこそ、万に一つも彼女を失うわけにはいかない。彼女をこの部に留まらせるためには、やれるだけのことをやるべきだ。


「いいだろう。それなら海外の知り合いに当てがある。だがその子は……ことによるとお前を……日笠麗火ひがさ れいかをすぐに超えてしまうかもしれない」


 男は挑戦的に言葉を放つ。日笠麗火。男の目の前にいるこの少女は、高校女子ベルヒット界の頂点に立つ事を約束された人間。その彼女をして敗北せしめるほどの才能を、男は知っているというのだ。


 驚くべきは、彼女達が同年代だということ。

 やはり輝かしい才能は惹きつけあう。


 高校女子ベルヒット界の歴史は、彼女達によって大きく塗り替えられるだろう。


「楽しみにしてますよ……峰岸先生」


 日笠はプレゼントを待ちわびる少女のように、あどけない微笑みでそう答えた。


 浅黒い肌が特徴的な、光円寺高校女子ベルヒット部の顧問に向かって。








「じゃあ、次はこの文を……」


 由紀が目配せする。すると、茜はひどく難しそうな顔をして教科書を食い入るように見つめ、動かなくなった。


「……」

「茜ちゃん?」


 由紀が聞きなおすと、茜は一度由紀の目を見返したが、すぐにまた教科書へと視線を戻し動かなくなる。


「わかるところまでで良いんですよー」

「うん……」


 由紀が必死で応援するも、やはり結果は同じ。茜は一言も答えられず、ただ黙然と教科書を見つめていた。


「……やめよう由紀。なんか虐めてるみたいになってる」


 そこで今まで黙っていた麻衣が口を開く。由紀も無言で同意し、頷いた。


 彼女達が今居るのは、茜の自室。女の子、というよりもスポーツ少年的な風情を感じる手広な一室には、本棚にたくさんの漫画やベルヒットの雑誌、トレーニング用の小さい器材らしきものがあちこちに散在していた。とはいえそれなりに掃除や整頓はされている様子で、由紀と麻衣の二人が入っても変に狭く感じたりすることはなかった。


 時刻は土曜日の昼過ぎ。日頃部活で顔を合わせているはずの彼女らが、なぜ茜の部屋に集まっているのか。それは、先日部活中に早川が放った一言のせいだった。







「茜、お前ヤバイぞ」

「え? 何が?」


 練習中、早川の急な発言に茜は目を白黒させる。


「数学の小テスト、出来が悪すぎてほとんど評価に入ってない。定期試験でちゃんと点数取れば構わないけど、果たしてお前は危機感を持っているのか」


 普段よりも大分厳しい口調で語る早川。


「それだけじゃない。理科の先生からも、社会科の先生からも、英語の先生からも、お前に関して注意をするよう顧問の俺にまでお達しが来ているんだ」

「つまり、先生が言いたいのは……」


 茜はおずおずと師の真意を問い返す。早川は当然のごとく言い放った。


「茜、勉強しろ!」


 ガーン、と口を開けて固まる茜の姿がそこにあった。






 そんなわけで、急遽第七格闘部部員たちの手で、勉強会が開かれることになったのだ。


 勉強に関しては誰もが認める優等生である由紀、そしてそこそこ優秀な麻衣が茜の勉強を手伝うという目的での勉強会。場所は手伝ってもらう立場ということで茜の自宅が選ばれた。


 とりあえず由紀の提案で、各科目の茜の進捗状況を確認しようということになったのだが。


「これはなかなか手強そうですね……」


 由紀が思わず難儀そうに呟いた。今しがた確認していた英語も然り、どの科目も壊滅的でほとんど手が付けられない状況なのだった。


「二人とも、ごめんね……。私もう消えてしまいたいよ……」

「い、いや気にすること無いって! 最初はそんなもんだから!」

「そうですよ! 私達がついてますから!」


 完全に落ち込んでしまった茜を慌てて慰める麻衣と由紀。

 二人がかりならば無理なこともないはず。由紀はそう考え、いかにすべきか頭を働かせる。辛く楽しい勉強会の始まりだった。

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