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「まず大前提として、蹴りを打つ時に大事なのはどっちの足だと思う?」


 早川は三人を並べて立たせそう尋ねた。


「そりゃあやっぱり……、利き足?」


 麻衣は自分の利き足、つまり右足を示すように少し上げて聞き返した。

 由紀も同じ考えのようで二人は顔を見合わせる。

 すると隣から茜が


「実は逆で、キックって軸足がすっごく大事なんだよー」


 そう訂正すると早川も多いに頷き補足する。


「その通り。実際軸足と体幹の力さえあれば、蹴り足の力は弱くても構わないんだ。身体を支える土台の力がいかに大切かってことだな」


 その辺のトレーニングは後ほど地道にやるとして……、と早川がこの後に待ち受ける辛そうなトレーニングの内容を示唆する。由紀は露骨に嫌そうな顔をした。


「さて、軸足の踏み込みが重要なわけだが、今のところはただ一つ覚えておいてくれればいい。軸足は真っ直ぐではなく、斜め外側に踏み出すこと」


 早川は言いながら身体を動かし実演する。正面に相手がいると見立てて、相手に向かって正面に足を踏み出すのではなく、少し身体を開くように斜め前へと踏み出す。


「やってみればわかるけど、真っ直ぐに踏み出した場合腰の回転がしづらくて威力が出にくくなる。その上軸足にローキックをもらって転倒するリスクも増えてしまうんだ」


 そのまま早川は踏み込んだ左脚に体重を乗せ、ゆっくりと右足を持ち上げてから下ろした。


「ちなみにこの時、つま先で立つのが望ましい、が、足が疲れてくるとバランスを崩しやすくなるから、きつい時はベタ足でも構わない。大事なのは素早く体重移動をすること。踏み込んだ左足から右足にしっかりと力が加われば、力まなくても十分重いキックが打てる」


 早川は再び左足に体重を乗せ、勢いよく右足を蹴り出した。

 風を斬る右足。早川の左足はつま先を軸に回り、そのまま軽く回転するように全身でフォロースルーを行なう。


「おおっ」

「やだ、かっこいいじゃないですか」


 早川の身のこなしに思わず黄色い声援をあげる麻衣と由紀。

 すると早川は少々照れくさそうに鼻の下を指で擦る。


「とまあ、こうやって体重を乗せて蹴るのが基本の綺麗な型ではあるんだが、実戦で使いこなすのは案外難しい。というのも、相手の体勢を崩せるだけ十分な威力が無ければ、逆にこっちの隙を晒すことになってしまうからだ」


 体重を乗せたキックが相手に軽々と弾かれてしまったら……。たとえボディに当てて3ポイント奪ったとしてもその後の状況は限りなく悪い。みすみす相手に有利を与えるだけになってしまう。


「だからお前らにはより実践的なキックを教えよう。茜?」


 早川が目配せすると、茜は頷いて早川の前に立ち、早川がボディのガードを固めた。


「よーく見てろよ。これは恐らく現代ベルヒット最強の技だ」


 事前に打ち合わせでもしていたように、茜は早川の言葉と共に動いた。


 シュン、とほとんど眼にも留まらないほどの素早さで、茜の右足が早川の左腕をプロテクター越しに叩いた。呆気ないほど軽い打撃音。かと思えば次の瞬間には、茜の右足は元の場所に戻り、泰然と茜の身体を支えていたのだ。


「は、速い……!」

「全然見えませんでした……」


 麻衣も由紀も唖然、といった面持ちで声を漏らす。早川が状況を補足するように語る。


「威力を度外視し、スピードだけを求めた蹴りだ。その名もクイックミドル。熟練すればクイックブローと同じように、見てから避けることは不可能になる。その上ブローよりもリーチが長く、相手の身体に当てた反動を利用すれば、ヒット後の隙も限りなく小さいんだ」


 現代ベルヒット最強の技、クイックミドル。この技に対処できるかどうかが、プロ選手の実力を測る分水嶺とも言われるほど、非常に厄介で強力な技術だった。


「いかにローリスクに立ち回るかが重要視されている今のベルヒットでは、相手に反撃のチャンスを与えず一方的にポイントを奪えるこの技が重要視される。それは高校生のレベルでも同じことだ。実際、榛原未来もこのキックを多用してたな」


 茜が頷いて肯定する。もっとも榛原の場合は、『蜃気楼』のステップという特殊な技術の上乗せもあった。しかし茜ですら見てからでは反応できない技であることは事実なのだ。


「今後上にいくためには、このキックをまず使いこなさなければならない。そしてその上で、このキックへの対処法を身につけなければいけない。もちろんこの技はベルヒットを続けていく中でずっと付きまとうものではあるが、これから一ヶ月でとりあえずの基礎を固めることにしよう」

「ところで……、なんでそんなに強力な技を今日まで教えてくれなかったんです?」


 由紀が眉を寄せてそう尋ねる。

 すると早川は当然のごとく


「そりゃ、教えても混乱するばかりで使えたもんじゃないからだよ。生兵法は怪我のもとって言うだろ? 言っとくけど、一ヶ月まるまる練習したってモノになるかはわからんぞ。いつかは身につけなきゃいけないから、早めに始めるというだけだ」

「そ、それじゃ、次の大会までに間に合わないじゃないですか!」


 由紀は食い下がる。当面の目標は一年生大会の校内選考会。そこに焦点を合わせるのであれば、一ヶ月で効果の出る練習をするべきではないのか。


「だから、そういうその場凌ぎの特訓は止めるって言っただろ? 目標は一年生大会じゃない。全国大会だ。たとえすぐに結果が出なくとも、地力を上げる練習をしていかなきゃならん」


 きっぱりと答えるのは早川。今まで目を背けてきたいくつもの問題がある。それらをひとつひとつ潰していくことが、結局は強くなるための最大の近道なのだ。


「つーわけで、今からフォームを練習するぞ。由紀は俺と、麻衣は茜と組んで練習だ。いいな?」

「えー、一騎お兄ちゃんなんかより茜ちゃんとが良いのにー」

「シャラップ!」


 由紀の失礼な愚痴を一蹴し、とにもかくにも練習が開始する。


「こう、ですか? なんか自信ありませんけど」

「ああ、悪くない。まずは頭を下げないのと、視界を傾けないことだ」


 由紀が見よう見真似でキックの動きを行なっている。文字通り手取り足取り、といった様子で早川は一つずつその動きを改善していく。


「軸足は外側に踏み込めよ。足先も外側だ。ローキックなら足先は正面でもいいが、ミドルキックは外側」

「はいはーい」

「ほら頭傾いてる! ちゃんと集中しろ!」

「うぅー。うるさい男です全く」

「てめっ、それが人にものを教わる態度か!」


 指導しているのか口論しているのかわからない二人だったが、なんだかんだで順調にフォームの確認は進んでいく。


「まあこんなとこか。下半身の筋力がついてきたら、もっと良くなるだろうしな」

「うふふ、やはり私の滲み出る才能は隠せませんね」

「調子のんな」


 そんなやり取りをして由紀のキック練習はひとまず終了し、早川は逆側にいる麻衣たちの様子を確認する。彼女らに近づいてみると、どうも何かにてこずっているらしい。


「どうした? なんか問題あったか?」

「あ、先生。ええっと……」


 茜が振り返り困った顔をする。いよいよ不思議に思った早川だったが、すぐに理由が麻衣から告げられた。


「なんか、全然しっくりこないんだ……」


 麻衣がそう言ってキックのフォームを実演してみる。


 それは確かに教わったとおりの、模範的な動き。だが、どこかぎこちない。何が悪いのかはわからないが、どうにも体が自然に動いていないように見えるのだ。


「なんだろ、これ。続けたらしっくり来るようになるのかな?」

「ううむ、ちなみに動きやすい蹴り方にするとどうなる?」


 早川がそう尋ねると、麻衣は眉根を寄せて、恐る恐る自分のやりやすい蹴り方を模索する。

 軸足や、体幹の位置、向きを微調整していき、たどり着いたフォームは


「こうすると、蹴りやすいかなぁ」


 麻衣のやってみせたフォームは、少し特殊な形だった。

 軸足をかなり強めに外側へ開き、相手に対して半ば背中を見せるように蹴る動き。


 それを見た早川は少し悩むような顔をして言った。


「……その動きはクイックには向かない。だからクイックの練習としては最初に教えたとおりにやった方がいいだろう。でも、その蹴り方も武器になるかもしれない。時間を見つけて練習していこう。どのみちクイック以外もいずれはやることになる」


 個々人の筋肉の付き方や、関節の微妙な違いで、得意とするフォームが異なることは往々にしてある。そのどれもが間違いではなく、正解はどれ一つとしてない。本人のやりやすい動きが、結局は最良のフォームであることも少なくない。


「ただ、麻衣はあまり俺のいないところでキックの練習をするな。変な癖がつくといけないから」


 この時早川は、わずかながら表情を固くしていたのだった。しかし早川の様子の変化に、茜も由紀も麻衣も気付くことはない。その変化は、早川本人ですら気付かないくらい、本当に些細な、目立たない変化だったからだ。


 早川が表情を変えた理由。それを部員たちが知るのは、ずっと先の話だった。


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