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序章3

北条数恵ほうじょう かずえ……! あの北条姉妹の……」


 そう声を漏らすと、北条、と呼ばれた女生徒は小さく笑って返事をする。


「あら、あたしの名前知ってるんだ」


 その瞬間、道を尋ねていた女生徒の顔が引きつる。こいつの怒りを買うとまずい。ベルヒット強豪校である朝日野で、一年生にしてエース級の扱いを受けるような女だ。その上この巨体。下手に殴られでもしたらただでは済むまい。そう思い、咄嗟に弁明する。


「私は、ただ図書館の場所を聞いてただけで……」

「あっそう、なら今後は気をつけなよ」


 北条はそれを聞くとあっさり身を翻し、無口な少女の手を掴んだ。

 そしてその少女の名を、彼女がどういう人物なのかを、北条は告げたのだ。


「『霧島夜風』に余計な心労を与えるなってこと。大事な大会の前にストレス溜め込まれでもしたら大問題なの」

「き……きりしま……?」


 女生徒はあんぐりと口を開いた。彼女は格闘部の部員ではなかったけれど、そんな彼女でも知っていた。むしろ、この学校の生徒でその名を知らない者がいるのか。それぐらい有名な人間なのだ。実物を見るのは初めてだった。しかしよりにもよってまさか


(こんな華奢な女が、『霧島夜風』だって……!?)


 ある人曰く、第一格闘部の新入生で間違いなく最強。それどころか中学時代は道内でも無敗を誇ったという。


 いかなる相手からの攻撃も避け、ただの一撃も防いだり、受けたりすることはない。その特徴的なファイトスタイルは、妖精に例えられるほど。


 10年に一人の逸材とも呼ばれ、朝日野第一格闘部がいずれ全国を制覇する可能性があるなら、それは彼女の力なくして為されないだろう、そんな風にまで言われる人物だ。


 もっと大きな体を想像していた。

 もっと恐そうな風貌を予想していた。

 それこそ目前の北条数恵のような人物を。


 それが、実物はこんなにも小さく、華奢で、押せば倒れてしまいそうにも見える。


(本当に、この子が……?)


 開いた口が塞がらないとはこのことだった。

 女生徒が立ち尽くすのを尻目に、北条は夜風を連れてその場を立ち去ってしまう。


 北条数恵と、霧島夜風。事実上この学校の一年生で、今最も強い二人。


「さて部活だ、急ごう。校内選考会まで時間もないし」

「……」


 二人は早足で廊下を進んでいく。









「お前ら。2ヵ月後、つまり7月に何があるか知っているか」


 早川は体育館の練習スペースにて、部員たちをストレッチ用のマットに座らせ話していた。


 体育館には彼女らの他にいくつか格闘部や運動系の部活が練習しているが、第七格闘部がその中でも幾分小さなスペースに押し込められているのは、やはり部員の少なさが影響している。


 第七格闘部の実質的な部員はわずか3名。

 つやつや髪のショートカットに明るい笑顔を浮かべる広橋茜。

 やや釣り目で長髪、背も高くクールそうな見た目の樋口麻衣。

 そして早川のいとこであり、いつも通りながら彼に文句の一つでも言おうと機を伺っているポニーテールの少女、大星由紀。


 普段と変わらぬ第七格闘部の面々である。


「2ヵ月後……、定期試験とか?」


 麻衣がそう答えると、茜が隣でこの世の終わりのような表情をして固まる。


「……まあそれもあるけどな。実は、インターハイの予選があるのさ」

 早川の答え合わせに部員たちは目を丸くした。


「インターハイ!」

「はっ? 全国っ」

「出なきゃ!」


 反射的にそんな事を口走る部員たちを、早川は嗜める。


「待て待て話を聞け。予選だって誰もが出れるわけじゃないんだ。基本的に学校単位での出場になるから、予選の前に校内で出場選手の選考会が行なわれる。それが6月中だ」


 校内選考会。簡単に言ってしまえば、校内から強い選手を選び、代表とするための大会である。それまでの対外試合での実績に加え、選考会の結果を加味して代表選手を選ぶのだ。


「校内選考会では2種類のトーナメントが行なわれる。一つは個人線。全校中で競い合って、代表選手の枠を奪い合うんだ。そしてもう一つ……それは団体戦だ」


 早川はここで一旦口を止め、目を白黒させる部員たちにさらに説明を続ける。


「それぞれの部が集って団体戦を行い、優勝したチームの出場選手が無条件で代表枠を獲得する。要するに勝った部が予選に出られる権利を得るわけ」


 茜、由紀、麻衣の三人はごくり、と唾を飲み込む。そんなに重大な大会がすでに一ヵ月後に迫っているのだ。これは呑気にしていられない。


 が、そこで急に早川は表情を崩した。


「とまあ、この校内選考会は学校の代表を決める大会だから、当然今の2、3年生も出てくるし、第一格闘部とかの強い選手も大勢出てくる。そんな中にお前らが出ても……茜はある程度闘えるだろうけど、正直良い結果を残せるとは思えない。だから、そっちの大会には出ない」


 早川が言うと、部員たちは拍子抜けのような顔をする。


「え」

「で、でもせっかくチャンスがあるのに……」


 麻衣と由紀が声を漏らした。そんな反応も織り込み済みのようで早川は口を開いた。


「まあ安心しろ。代わりの目標はある。実を言うと、そのインターハイ予選の裏で、『一年生大会』と言うもんが開かれるんだ」


 一年生大会。読んで字のごとく。部員たちにもその意味するところは簡単に伝わった。


「一年生だけが参加できる大会で、全市の規模で行なわれる。これまた各校の代表数名しか出られないから、その出場選手を決める予選会が6月に校内で開かれるんだ」


 次なる目標は一年生大会及び、その校内選考会。


「この選考会に向けて今日から練習をしていくぞ、いいな」


 早川がそう言い終えると、途端に部員たちの表情が明るくなる。


「いよいよ、練習試合じゃない本物の大会だね!」

「面白そうな感じ!」

「ですね!」


 ゴールデンウィーク明けのためか少し前までどこか気だるげだったのが嘘のように、三人共に瞳を輝かせている。


「ちなみにその選考会は個人戦だけで、上位四人だけが一年生大会に出られるんだ。一年生大会とインハイの予選は重複して出られないから、インハイの予選を目指せる選手は一年生でもそっちの選考会に出る。要するに……」


 インターハイの出場を目指すレベルの選手、例えば特待生徒などは一年生大会の予選会には参加しないということになる。


「上位の選手がいない大会だからお前ら全員にチャンスがある。つっても周りは中学からの経験者ばかりだけどな。由紀や麻衣の目標は、とりあえずベスト16ぐらいにしておこう。茜の目標は……優勝だ」


 早川は茜の目を見てそう告げる。


 茜は第一格闘部からの招待を蹴って今ここにいる。第一格闘部に在籍していたなら、ひょっとして一年目からインターハイの予選会に参加していたかもしれない。茜だけインターハイの予選会に参加させるという選択肢もあるにはあるが、早川はそれを良しとしなかった。


 彼女を第七格闘部に留まらせたのは、部員全員で全国を目指すためだ。しかしそのために茜の目標を低く設定することは許されない。


「プレッシャーをかけるわけじゃないが、お前にはそれだけの実力があると思ってる」

「……うん。そのために、あと一ヶ月で出来る事をしないとね」


 茜は力強く頷き答えた。


「一ヶ月って言うと、準備期間としては今までよりも長いね」


 麻衣が口を開く。第三格闘部との試合、第六格闘部との試合、どちらも2週間足らずの期間しか練習は出来なかった。彼女たちにとっては、まとまった時間が取れる初めての機会になる。


「そうだな。今までは時間の都合もあって、弱点を誤魔化す戦略を採ってきた。もちろん試合において自分の弱いところを突かせない闘い方は大事だけど、それだけじゃすぐに限界が来る。これからは今まで放置してきた弱点の補強、そして地力の向上を目指して練習していくぞ」


 勝つための練習ではなく、強くなるための練習をするということ。

 まだまだ先の長い高校生活の中で、最終的に全国大会を目指せるようになるためには、付け焼刃でない真の実力が絶対に必要なのだ。


「おお……! なんだかワクワクします……!」


 由紀は早川の言葉を聞いて、今までと違う本格的な練習の開始を想像した。

 対して早川が指示するのは、今までは無視してきたある技術の習得だった。


「早速、今日から時間をかけて、蹴り技とその対処について特訓していく」


 蹴り技。第六格闘部との試合でも何度も使用された技だ。今まで彼女達は蹴り技に付き合わない方法でしか対処が出来なかった。しかし、そんな誤魔化しが通用しないレベルを彼女達は目指すのだ。これからは自分で扱えるぐらいにまで、蹴り技について理解を深めていかなければならない。


「今日は蹴り技の基礎の基礎、利き足でのミドルキックを教えることにする」


 茜はともかく、由紀や麻衣の二人はこの申し出に瞳を輝かせたのだった。


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